幸田露伴「荷葉盃」現代語勝手訳(10)
其 十
立ち寄れというのを無下に振り切ることも出来ず、お勘達が三太の家に寄れば、頭に被っていた薄汚れた手拭いを取って板の間の塵埃を払い、
「さあさあ、ここへお掛けなされ。汚い代わりに好い風が入るのだけが私の家のご馳走だ」と、三太の母は下手な世辞をむら剥げした歯と紫がかった歯茎の両方が見えているとも知らないで、投げ出したように言って、我が子が日頃から厄介になっている謝礼心というところだろうか、その時丁度こしらえていた寒天に黒砂糖を山ほど掛けて、
「よければお代わりは何杯でも」と、お小夜をはじめ、皆に勧める。
「むむ、好いものをくれるとはこれのことか」と、少し顔を膨らしながら、三太一人がお代わりを繰り返し、五、六杯まで食って、なおももう一杯と皿を突き出すと、
「腹が裂けるわ、もう止せ。新ちゃんとお嬢様の行儀の良いのをチト見習え」と、止められれば、三太は箸を地面に放りつけて、
「誰がこんな不味いものをもう食うものか」と、威張り返った。
お小夜とお勘が途中に寄り道をして、何やかんやと遊んでいるとは知らず、もう帰る頃ではと、お静が待ち受けているところへ、
「ご免なされ」という声が聞こえた。
はて? 聞き慣れない声だが、と木工助は首を傾げながら出てみれば、思いもかけない青柳のお力であった。あの見る影も無い草の屋から、よくもこんなびらしゃらした衣服で出て来られたものだと、唾を吐きかけてやりたいような軽衣を着て、青光りのする甲斐絹張の傘(*光沢のある絹織物で作られた傘)を畳みかけて立っている。
どんな用事なのか分からないけれど、お力が来たというので、呼び入れてお静が応対すれば、いつもいつも新三が世話になり喜んでいるという新右衛門の話を丁寧に繰り返し、
「さて、もう彼も九歳でございますので、草取りの手伝いとか、柴木の運搬びなどもさせる頃ではございますが、まさかそれも不憫で、殊更身体がいたって頑丈という訳でもなく、とても農夫には不向きであります。また、たとえなったところで農夫では一生大したことも出来ません。何か将来良い方向に行ける道があるなら、今からそろそろそちらの方に身を入れさせたいと思っておりましたところ、幸いに、木更津の勝浦屋清兵衛様という人が骨を折っていただき、江戸で同じ商売をしている方へ奉公に出してやろうとの話。今の状況では、青柳の家からはこのままただ大きくなったとしても、その暁に新三に渡せる財産があるでも無く、どうせ家に置いても良いことがある訳も無し、いっそ九歳十歳から他人の中に入れて、商家で賢く生長し、先祖の業までは継がなくても、一廉の商人になれるようにしておいた方が本人にとっていいのではないかと考えまして、商用でこの辺を廻っておられます清兵衛殿が明日帰られるというのを幸いに、連れて行ってもらうことに決めました。木更津から先も清兵衛殿が東京に行く時、一緒に連れてくださるとの話でありますので、その辺も安心いたしております。こちらには本当に新を可愛がっていただき、色々お世話くださいましたので、お断りもせずに、突然彼を東京へやりましても、と思いまして、今までのお礼方々、ちょっとお断りに上がりました。何かと色々お世話くださいまして、本当にありがとうございました」と、言葉賢く、新右衛門の名代(*代理)として話す。
可哀想な新三、明日は知らない人ばかりの中にやらされるとも知らないで、今頃、お小夜と何をして遊んでいることやら。
つづく