ただの好奇心
城の地下にある幽閉された空間
【異世界】に繋がる扉は過去を遡っても使用された事はただの一度もない。
なぜこの空間が作られたのか、なぜ必要であったのか……今はもう知る人など存在しないほどに忘れ去られていたーーいや、思い出す価値のない存在だった。
透き通った空気と、どこまでも突き抜けるような光が差し込む城とは異なり、地下は一筋の光も届かず、カビ臭く湿った空気が勇者の鼓膜を震わせた。
「ほ、本当に行かれるのですか勇者様」
大天使ガブリエルの彫刻が施された杖を両手で握ってこちらを伺う姿は、あの日、魔王を討伐する決意をしたメイの表情と似ていた。
細い眉が逆ハの字になり、眉間にシワを寄せている。
「ああ、決めていた事だ」
「で、でも人間になるなんて……何が起こるか分からないんですよ? ドラゴンが出てきて食べられるかもしれませんし、す、スライムによって身体を溶かされるかもしれません」
「メイ……君は分かっていない」
「え……」
足早に進んでいた勇者の歩みが途端に途絶え、振り返った。
「僕は勇者と周りから賛美されているが魔王を倒した今……その価値は日毎に失われていくんだよ」
「そ、そんなことーー」
言葉が詰まった。
否定はできない。 つい先程、王がこの城を受け渡す発言をした時の空気ーー様々な想いが画策されていた事をメイ自身も感じていた。
あの沈黙は静寂というよりも寧ろ新たな火種が生まれる前の静けさ……だった。
「だからって人間になる必要なんか!」
「勇者とは勇気を持つ者!」
魔王を討伐した剣も、ドラゴンの炎にさえ傷一つつかなかった盾も、あらゆる物理攻撃や魔法に耐えた鎧も全て城に置いてきた勇者。
そのはずなのに勇者の威厳は、魔王討伐した時と少しも変わらない出で立ちだった。
「僕は挑戦し続けていきたいんだ。 まだ誰も経験した事のないものに挑戦し、真正面から立ち向かう……それが僕で、それが勇者なんだ」
……訳が分からない。 答えになってない。
分かってる。 もっともらしく御答弁してるがメイは分かっている。
これは単なる勇者の好奇心。
目をキラキラさせて頬を少し紅潮させているのが何よりの証拠。
昔からの付き合いだ、そんな事は「人間になる」と言った時点で気付いていた。
そしてメイがこれから言う言葉も勇者はとっくに予想している事だろう。
「仕方ありませんね、私も付いていきます」
何度言ったか分からないセリフ。
勇者は子供の頃からちっとも変わらない白い歯を輝かせながら笑顔になった。
「頼りにしてるよ、メイ」
最奥に辿り着い先に黒塗りの重厚な扉が二人の前に立ちはだかった。
この先に人間の世界がある。
新しい世界……新しい挑戦……新しい生活。
メイは再度ガブリエルの杖を握り直し、扉の先を見つめた。




