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第八話・みねこ先輩

 美術室に小さな人だかりが出来ていた。

 週が変わって月曜日の放課後。わたしのクラブ活動再開の日だ。

 2年の永山美祢子先輩が、1年の部員のみんなに囲まれていた。

 その中の一人、敷島さんがわたしに気づいて手を上げる。

「おはよー、関根さん。ね、ちょっと来てみて」

「?」

 部員の人たちと軽く挨拶を交わしながら近づいていくと、永山さんが少女漫画雑誌を持っていることに気づいた。

 覗きこんでみると、わたしも毎月買っている雑誌だった。

「みねこ先輩ねえ、凄いんだよ」と、稲城さん。

「何?」

 わたしはにこにこと笑う永山さんから雑誌を受け取り、開かれていた頁を見つめた。

 それは読者のお便りコーナーだった。「にぎやかサロン」という銘がうたれている。

 ひょっとして永山さんの投稿が載ったのかな。

「今月から『にぎやかサロン』の絵が変わってるでしょ」

「うん」

 読者からの投稿に対して、返答をつける雑誌側のキャラクターたちのことを稲城さんは言っている。

「それ、みねこ先輩が描いたんだよ」

「えっ」

 慌ててタイトルイラストの隅っこにある名前を見た。


 イラスト/わらびー


 と書いてある。

「この『わらびー』って、」

「それがわたしのペンネーム」

「へええ」

「みねこ先輩のプロデビューなんですよねー。凄いなあ」

「うん。まだ本当にちょっとしたイラストしか描かせてもらえないんだけどね」

「これからは……?」

「やっぱり漫画を連載したいね。編集部の人とも『いつかは』っていう話はあっても具体的には全然だから」

「永山さんはこれから本格的に漫画家としてやっていくつもりなんですか」

「まあね。親はまだ反対しているけど」

「……んー。凄いなあ」

 わたしはため息をつく。

「美術部の人たちってみんな将来のこと、きっちり計画立ててますね」

「そう?」

「永山さんは漫画家だし、牧瀬部長は……それから星見さんは……」

 わたしはつい最近、牧瀬さんや星見さんがわたし達に進路を語ったことを持ち出した。

 牧瀬さんは美大に進んで建築物デザインの仕事をするために勉強するつもりのようだ。

 星見さんは、美術はあくまで趣味、と公言しており将来は美術とは無関係の税理士か会計士になるつもりらしい。

「それに嘴本くんは服飾デザインの仕事……」

「え、そうなの?」

 敷島さん達が不思議そうな顔でわたしを見ていたので、わたしは余計な事を言ったか、と口をつぐんだ。

「ねえ、薫サマがそういうこと言ったの?」

「う、うん。ちょっと、ね」

「……」

 幸いにもそこで牧瀬さんがやってきて全員に集合をかけた。

 高校美術展と夏休み中の合宿についての連絡だった。



「ねえ、カズミン」

 目を開けた途端に声を掛けられてハッとしてわたしは振り向いた。永山先輩だった。

「寝てたの?」

「違いますよ」

 イメージを固める為にわたしはイーゼルの前で目を閉じていただけだった。

 寝ていたという誤解だけは解いておきたい。

 永山さんはわたしの肩に手を置くとわたしの耳元で小声で囁いた。

「カズミン、今日は早めに切り上げてちょっと今からわたしに付き合わない?」

「?」

 永山さんは人の呼び方が定まらない人で、普通に名前で呼ぶこともあれば唐突に自作のあだ名(しかも複数)で呼ぶこともある。

 カズミンなんて呼び方は永山さんだけのものだ。確率は低いがいつわたしを「ネズミ」と呼ぶかも知れないのが気がかりといえば気がかりである。

 一方永山さんの方は美術部のみんなから「みねこ」とか「みねこ先輩」と呼ばれているのだが、その名前にいろいろ複雑な思いがあるわたしだけは先輩を苗字で呼んでいる。

「いいかな?」

「………はい」

 こちらの返答に永山さんはにっこりと頷いた。

 わたしは道具を片付けることにした。今日はあまり作業は捗らなかったのでいい息抜きになるかもしれない。

「じゃあ、今日はお先に」

 土曜日と今日と、ルール違反はしていないはずなのになんとなく2日ともサボったような気分になった。

 それにしても永山さんはわたしに何の用だろう。 

 永山さんは誰にでも親しげに話すのでわたしに声を掛けること自体は珍しくない。

 でもこういう誘いは初めてだった。

「ところでさ、関根っち。今日、カオルちゃん(嘴本くんのことだろう)が服飾デザイナーになるつもりだなんてどこで聞いたの? 彼から聞いたの?」

 永山さんとわたしは並んで歩きだした。

「えっと…」

「あ、ちょっと待って。メール入ってる」

 桑苑学園は校内では携帯電話の電源を切っておく決まりになっている。

 尤も、休み時間に先生に隠れてメールしている生徒も結構多い。

 わたしには関係ない話だが、なんでそこまでして……と思うことはある。

 放課後になると堰を切ったようにメール交換をする姿は下校中に見慣れたものになった。

「げ、全部、拓哉(たくや)じゃん」

 携帯電話の画面を見た永山さんが眉をひそめ低い声を出す。

 一瞬だけ、永山さんが違う人に見えた。

 両頬に散在するニキビ。ポニーテールにしているクセッ毛(わたしの程ひどくはない)。

 永山先輩は美人というより親しみやすい顔立ちの人だった。

 だから、いつもは見せない負の感情を表す表情は少しだけ怖かった。

「あ、これわたしのカレシ。他校なんだ。ちょっと待っててね。返信するから」

 戸惑うわたしの視線に気づいた永山さんがちらりとこちらを見て言った。普段の優しい表情だった。

 カレシ?

 わたしの胸の奥に小さく、何だかわからない熱いものが走った。

 どうして、恋人からのメールなのにあんな嫌そうな顔をしたんだろう。

 わからない。

 尋くことはできなかった。

 わたしが知っている恋愛のカタチとははずれた永山さんの行動がわたしを不安にさせた。

 ……なんて、恋する気持ちをどこかに置いてきたわたしが、どれだけの恋愛を知っているというのか。

「ごめん、お待たせ。で、何だっけ? 薫ちゃんの進路の話だよね」

 こちらを向いた永山さんの表情がわたしの不安を追いやった。

「憶えてましたか…」

「どうしたの? 言いたくないの? ああ、あなた達、隠れて付き合ってるとかいうなら……」

「まさかっ! 違いますっ!」


 ―――だから、どうして? 繰り返したくないのに。


 嫌な流れになるのを避けるためわたしはぶんぶんと頭を振った。

 冗談よぉ、と永山さんは驚きながら呆れたように言った。

 ……別に隠さなければいけないようなことでもないか。

 わたしは先週の土曜日のことを永山さんに語った。

「……で、これが有田啓一の名刺です」

 わたしは入れっぱなしにしていた名刺を永山さんに差し出した。

「あ、ホントだ。へー。あ、この人のホームページなんてあるんだ。見てみた?」

「ああ、わたしパソコン持っていないので」

「そうなんだ。あ、それじゃ、ウチに来なよ。パソコンあるから。ちょっと予定を変更してウチで話をしよ。うん。歩いて15分くらいだから」

 友達(正確には友達じゃなく親しい先輩だけど)の家に招待されるなんて久しぶりだった。

 あの頃のわくわくした気持ちを思い出し、かすかに胸を躍らせながらわたしはこの気さくな先輩と共に道を歩いていった。

「ねえ、和美」

 永山さんはわたしの名前を普通に呼んだ。

「漫研に入ってみる気ない?」

「漫研?」

「そう。漫画研究同好会。わたし、そこに掛け持ちで入っているんだ」

 そう言えばクラブ紹介のときにプログラムの隅っこにそんな名前の同好会があったはず。

 規模が小さくて部になっていないのだろう。

「この3ヶ月、1年のコたちを見てきたけれど、わたしは和美にはイラストを描く才能があると思うの」

「そう――ですか?」

「うん。どうかな。もちろん美術部の活動を主体にして掛け持ちでいいのよ」

 真剣な顔でわたしの顔を覗き込まれる。

「でも、わたし、絵は描いてもお話は…」

「そこは難しく考えないで。イメージイラストみたいなものでいいの。和美の絵にはそれだけで何か訴えているものがあるからね」

「……」

「ね。考えてみてよ。あ、そうだ。ズミちゃんは夏休み何か予定はある?」

「え、いいえ……」

「だったらさ、合宿終わったらいいとこ連れて行ってあげる。わたしたちのサークルが、」

「サークル?」

「あー、うん。漫画研究同好会ってのは学校での呼び名で、実は同人サークルでもあるんだ」

 そう言って永山さんは同人誌の世界をわたしに簡単に説明した。

 永山さんはもう一人の漫研同好会の人と『アカシア風景』という名前の同人サークルを作っていて、時々即売会で小冊子や、CGを印刷した小物などを販売しているそうだ。

 今日、一緒してもらいたいと言ったのはこの誘いのためだったのだ。

「いつでも歓迎するよ。考えておいて欲しいな」

「……でも、どうしてですか?」

「何が?」

「美術部でも漫研でも絵を描くということは同じなのにどうしてわざわざ掛け持ちするんですか」

「うん。いい質問。それはね。自己表現のときにどれだけ他者を意識するか、ってことよ」

「えっと…」

「岡本太郎は知っているわよね」

「はい、もちろん」

 日本を代表する前衛芸術家。

 上野の美術館に作品展を見に行ったこともある。

「あの人は『芸術とはうまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない』と言い切ったわよね。わたしなりの解釈なんだけどそれは自己表現を既成の概念でくくって小さくまとめてしまっては芸術とは呼べない、ということだと思うのね。ほら、お兄ちゃん(星見先輩のこと)はゴーイングマイウェイで骨アートばかりやってるでしょ?」

 星見先輩の作品は絵や彫刻だが、そのモチーフは常に人間か動物の骨格なのだ。

 不気味さを交えた美しさは所謂「万人にウケる」というものではない。

「でもわたしは、見ている人ができるだけたくさん喜ぶようなものも作りたいと思うの。『芸術』じゃないものをね。それが漫画やイラストの方なのよ」

「だから漫画家を選んだんですか」

「うん」

 この間の有田先生の格好はまさしく自己表現そのものと言っていいだろう。

 わたしの感性では、有田先生の服装は恥ずかしいものであり、わたしは真似したいとは思わない。数々の流行を生みだした人物でありながら、自分はそれとは距離を置いた場所にいるのだ。

 けれど、美に関して自分の信じた道を突き進んでいるということはハッキリと感じとることが出来る。その点は本気で尊敬できるし、羨ましいと思う。

 ただ他者と違うことをやればそれが自分の個性だと思うのは愚かしい勘違いだ。

 流行するのはやはり多くの人の感性に訴えるものがあったからだ。

 それを考えて作り出すこともやはり偉業だろう。


 永山さんが立ち止まった。ここが自宅らしい。

「じゃ、あがって」

「おじゃまします」

 玄関に入ると、わたしの家とは違う匂いがした。木か芳香剤か…とにかく他の人の家の匂いだ。なんとなく懐かしい。

 靴を脱いでそろえるとわたしは永山さんの後についていった。

 家にいた永山さんのお母さんに挨拶して、わたし達は二階の永山さんの部屋に向かった。

 そのときふと思い出した。

 鷲見美音子――ネコちゃんのことだ。

 6年の3学期のとある日曜日、ネコちゃんがわたしの家に遊びに来たことがあった。

 それとは立場が逆だけれど、とにかく友達の家で遊ぶ、というシチュエーションで思い出した。

 あの時は結構びっくりした。

 あの頃にはもう、わたしは自信を喪失して暗い女の子になっていたはずだ。しかもネコちゃんへの逆恨みもあって距離を置いていたはずだった。

 でもネコちゃんにとっては距離を置いていたつもりはなかったのかもしれない。

 いつものように気さくに、ちょっと馴れ馴れしいくらいの態度でわたしに接していた。

 そういう性格は永山さんに似ている。

 美祢子と美音子、名前の発音が同じだから性格も似ているなんてこじつけも甚だしいけれど、一度意識しだすと何だかそんな気になってきた。


 部屋に入れてもらう。永山さんの部屋は整頓されていてもなお、物がいっぱいあって窮屈そうだった。

「ごめんね、狭くて」

 言いながら部屋の真ん中のテーブルの上にあるノートパソコンの電源スイッチを押す。

 わたしがなんとなく画面を見つめていると、永山さんが、起動には時間がかかるよ、と言って部屋を出た。私も画面から目を離して部屋の中を見回した。

 特徴的なのは、物凄い量の漫画単行本や大きな写真集にCGの参考書、そして積み上げられた紙の山だった。漫画を描くための資料のようだ。

 永山さんは麦茶をお盆に載せて戻ってくると、ちょこちょことパソコンを操作して画面をわたしに見せた。

「わたしもホームページ立ち上げているんだよ。ほら」

「これがそうなんですか?」

 画面に現れた長方形――ウィンドウには『アカシアの雨』という文字とかわいいイラストが描かれて彩られていた。

「ここにCG置いたり、活動報告載せてるの。ま、今はいいや。じゃ、有田啓一のページ、行ってみようか。……やってみる?」

 ノートパソコンをずらし、わたしを隣に座らせると、先輩はわたしにマウスを握らせた。

「そこにカーソルをあわせて…ここにアドレスを打ち込んでいけばいいの」

 それからわたしは初めてのインターネットにはまり、2時間近くも先輩の部屋に長居することになってしまった。

 駅までの帰り道を永山さんのお父さんに車で送ってもらうことになった。

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