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第六話・ブティック・アリタ

 中学二年の時の見学旅行でのことだった。

 入浴時間が終わり、わたし達は割り当てられた部屋の中で就寝までの自由時間を過ごしていた。

 6人で構成されていたわたし達の班のメンバーは畳や布団の上に輪になって座りトランプをして遊んでいた。

「はーい、あがりっ、と。関根さんがビリね」

「あっ、あっ、ああっ…」

「じゃ、罰ゲームよ。男子の班、ここに呼んできてね」

「ちょ、ちょっと待って。できない。わたし、そんなことできない」

「ダメよ。最初に決めたことでしょ。ルールは守らなきゃ」

「でも、でも…」

「ズルいわよ、関根さん」

 わたしを睨みつける副班長の小泉(こいずみ)さん。わたしはその視線に耐えられず俯いた。

「……もういいでしょ。できないって言ってるんだから」

「何よ、関根さんだけ特別扱いするの?」

「仕方ないじゃない。関根さんに男子呼んで来いなんて可哀想だわ」

「そうよそうよ。可哀想だわ。もう一回やりなおししましょ」

「えーっ」

 わたしの態度に腹を立てた人たちと、わたしをかばってくれた人たちとの言い合いになり、部屋の中の雰囲気が悪くなった。

 わたしにとってはどちら側の人も針の筵の針だった。

「ごめんなさい。わたし、もう寝る…」

 バカ、バカ、バカ! わたしって最低……! 

 部屋の隅っこの布団に逃げるようにもぐりこんで、卑怯にもわたしは自分のためだけに泣いた。

 ほら泣いちゃった、と誰かの声が聞こえた。胸がつん、と痛んだ。




 わたしは珠美ちゃんも静香ちゃんも紀子ちゃんも皆好き。

 好きな人と会話するのは好き。

 だから、離れていかないで。お願いだから。




 ブティック・アリタは臨海公園駅の側の噴水を囲んだショッピングモールにあった。

 わたしは不安を少しでも和らげる為に、店に入りながら珠美ちゃんに本音の一部を打ち明けた。

「こういう店に入るのは緊張するなぁ」

「え、そうなの?」

「うん…わたしが普段服を買うときはデパートの店でなんだ」

 しかもお母さんと一緒でなきゃ買えない、とはさすがに言えない。

 靴下や下着など、目立たない部分の衣類は特に意識することなく自分の好きなものを買えるのだけれど、人目にさらす衣類を選ぶときはどうしても怖じてしまうのだった。

「どうしてデパートの店ならいいの?」

「だって、ほら仕切りとかないから、他の買い物のついでに気楽に寄れるし、気に入ったものがなかったらすぐ逃げられるじゃない」

「あははっ、なるほど〜」

 珠美ちゃんは『逃げられる』という言葉にウケたらしい。

「和美ちゃん、マジメっ子さんだもんね〜」

「それ褒めているの? 貶しているの?」

「ん〜? どっちでもないよ。和美ちゃんらしいな、って思っただけ」

「……」

「大丈夫だよ。わたしだって今日は買うつもりないし……あっ、店の人に聞かれてないよね? えへっ」

 目をキョロっと動かし悪戯っぽく舌を出す珠美ちゃん。

 わたし達は適当に分かれて、自分の好みの服を探したり、服の感想を話し合ったりした。

「どう、和美ちゃん? あ、パーティードレス見てたの?」

 珠美ちゃんが近づいてきて話し掛けた。でもわたしはあまり真剣にドレスを見ていたわけではなかった。

 わたしは所詮冷やかしでしかないため、店員さんに声をかけられると困るので出来るだけ離れた場所に移動していただけだった。

「うん…。まあ、本当に見ていただけだけどね。高いね、やっぱり」

「まーね。でもやっぱり『ここぞ』という時のために何着か持っておきたいじゃない?」

「…」

 ここぞ、ってどういう時だろう。

「わたしは静香ちゃんの家みたいにお金持ちじゃないから、気に入ったものをすぐ買うことはできないけど、

 まめにいろんなお店に通って、自分好みの服があるかどうかチェックだけはしておくのよ」

「チェックだけ?」

「そう。お洋服みたいに長い付き合いになる買い物は、後悔しないように普段の地道な調査が必要なのよ」

 熱弁をふるう今日の珠美ちゃんはいつもより数倍活き活きとして見えた。

「あせって高いお金出して買った後でバーゲンセールになったり、違う店で同じのが安く売ってあるのを見たらがっかりするもん。……なんて、お母さんと一緒に服を見ているうちに自然に身についたことなんだけどね」

 そう言えばわたしのお母さんもおなじようなことを昔言っていたような……。

「珠美ちゃん、今もお母さんと一緒に服を選んだりする?」

 さりげなさを装って訊いてみる。

「行くよ。でもお母さんとわたしのセンスには隔たりができちゃったから、今はどっちも自分のだけ別々に選んでる。せっかくわたしが大人っぽい色合いの服を選んでいるのに、 お母さんたらわたしにフリルつきのとか花柄模様とかの服着せようとするんだよ。恥ずかしいから、今じゃほとんど意見は聞かないなぁ」

「そうなんだ」

 やっぱりわたしとは買い物の仕方が違うな、と実感した。

 お母さんに服の買い物に付き合ってもらうのは床屋の定休日とわたしの学校が休みの日が重なる日なので機会はそう多くない。

 だからお母さんにも悪いので、買い物ではいつも妥協している。

 ……子供だな、わたし。

「でも、待ちすぎて誰かに買われちゃうこともあるでしょ?」

「あるよ。その時は泣く」

 くすっ、と笑う珠美ちゃん。

「まあ、その時はその時で、イソップ童話の酸っぱい葡萄だったと思ってあきらめるの。 勿論そのときのために第2、第3の候補を決めておくのもぬかりありません」

 ……気に入った服を見つけるために、いろいろなお店をチェック、か。

 そう言えばこの間、美術部でも同じようなことがあった。

 彼……嘴本薫が美術室での作業を中断し、窓から空を見上げてため息をついたかと思うと牧瀬さんに外出を告げた。

 どうやら欲しい色の絵の具を探しに町へ出るということのようだ。


『滑稽だよね。僕はこの雄大な青空からほんのひとしずくだけ分けてもらえれば満足なのに』


 その時は彼に、詩人だなあ、などという感想しかもたなかったが、今にして思えばそれは彼の絵を描くことに対しての徹底したこだわりの証だ。

 その姿勢は、わたしが珠美ちゃんや彼に見習わなければならないものかもしれない。


 と、向こう側で紀子ちゃんが手を振っているのが見えた。

 わたしがそれに応えて手を挙げると、紀子ちゃんは今度はおいでおいでと手招きした。

 珠美ちゃんとわたしはそちらへ歩いていった。

「静香、今、試着中」

 紀子ちゃんが親指でそちらを指し示す。

 そして試着室のカーテンが小さくふわりと動き、中から変身した静香ちゃんが現れた。

 静香ちゃんは自分を待ち構えるようにして立っていたわたし達にちょっとびっくりして目を見開いた。

「えっと。どうかな?」

 青紫のリボンのサマーニットに、桃色がかった赤のブーツカットのパンツ。

 もうすぐ来る夏を意識したのか全体的にスマートな印象を与えるファッションだった。

「うんうん。いい感じ」

「静香ちゃん、脚長〜い」

「凄いなぁ。さわやか少女してる…」

「褒めてくれるのは嬉しいんだけど、あはは」

 と、静香ちゃんはひきつった笑いを浮かべた。

「どうしたの?」

「き、つ、い。ひ〜ん」

 静香ちゃんは試着室に駆け戻り、元の制服に戻って出てきた。

 そして店員さんにサイズのことを訊いたが、店員さんは申し訳ございません、と答えた。

「気にいってたんだけどなぁ」

「どうするの?」

「うーん、あきらめなきゃいけないかな…」

「似合ってるのに〜」

「あ、そうだ、ねえ、和美ちゃん」

「?」

 静香ちゃんがわたしに目を止める。

「和美ちゃんが着てみて。これ」

「え、わたしが?」

「うん。だって、この4人の中で一番スリムなの和美ちゃんだもん」

「ええっ、でも……」

「お願い。普通に着られる人の姿を見ておきたいの」

「……」

 友達の願いとあらば無下にも断れなかった。

 静香ちゃんからニットとパンツを受け取ると店員さんに1度ぺこりと頭を下げて更衣室に入る。

 わたし自身はしたことのない服装だった。

 身体のラインがでてしまう衣類は恥ずかしくてあまり着たくないのだ。


 ……わたしはそっとカーテンを開けた。


「着てみました」

「おー」

「そう言えば制服じゃない和美ちゃんて初めてだね」

「結構かわいいかも」

 見つめられる私。姿を評価される私。

 社交辞令といえどあんまり褒めるような言葉は言わないで。

 わかっているのに……顔が赤くなってしまう。

 わたしは色が白いので特にそれが目立ってしまう。

 隠せなくなっちゃう。

 わたしがさっき見た鏡の中のわたしを見た時の思いを。

 そんなはずない。こんなそばかすだらけの貧相な顔に明るくて爽やかな服装は似合わないはずなのに。

「どう? きつくない?」

 静香ちゃんは上から下までわたしの体を舐めるように見ながら訊いた。

「え、あ、うん。別に」

「……よし決めた。わたしの目標は和美ちゃんボディよ!」

「えー!?」

 思わず背中を曲げ、両手で自分を抱きしめるようにして隠してしまうわたし。

「あー、何で隠すの?」

「変なこと言わないでよ」

「えー、うらやましいよぉ。和美ちゃん、痩せてて。しかも色白だし」

「……」

 わたしの方は、痩せすぎなのがコンプレックスなのに。

「静香ちゃんだって全然太ってないじゃない。わたしの方が不健康なんだよ」

「それは違うわ。和美ちゃん。いい服着て格好よく見せるにはスリムなほうがいいよ。絶対」

「わたしの場合はスタイルがいいんじゃなくて、子供の体型なだけだよ……」

「そんなことないってば。和美ちゃんは普段何かしてるの? 食事とか運動とか」

「何も……何もしてないよ。わたしいつも好きなだけご飯食べてるし、運動も全然してないけど体質的に太らないみたい」

「「「「!!!!」」」」

 全員がわたしを凝視する。店員さんまで。

 静香ちゃんがふう、とため息をついてわたしの肩に手を置いた。

「うらやましい……。で、和美ちゃん、体重いくら?」

「……」

 わたしは静香ちゃんにその数値を耳打ちする。

「うー、がんばらなきゃ」

 静香ちゃんは苦笑して頭を掻いた。

「でも決めた。やっぱりそれ買うっ。和美ちゃんが太らない体質ならちょうどいい。その体型崩さないで。わたしの理想体型にするからっ」



 月曜日の朝。

 夕べは早く寝たのでは目覚ましの直前に気持ちよく起きることができた。

 パジャマから制服に着替えるときに習慣的に見ている目覚し時計の時刻もいつもより早かった。

 友達同士で買い物なんて久しぶりだった。

 学校の行事に関係のない買い物だったら確か初めてのはず。

 ……楽しかった。

 まだ顔が火照っていたときの感触を覚えていた。

 まさかわたしがあんなこと言われるなんて。

 そう言えば、みんなも家族と来るより友達同士で来るのが楽しいって言ってたっけ。

 でも…まだやっぱり1人でブティックに入るのはちょっと怖いかもしれない。

 昨日は4人だから気持ちも楽だったけど……。


 ……あれ?


 ブラを留めようとして背中に回した手が微妙に違和感を覚えた。

 きつく、なった?

 ゴメン、静香ちゃん。

 もしかしてわたし、ちょっと太ったかも。

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