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第三十四話・明日の約束

 私はぎゅっと目を閉じて涙を絞ると顔を上げて大きく息をついた。大好き、と言った次の瞬間、彼は私の左手の上に添えた手を軽く握ってくれた。初めての感触だ。

「前にね」

 私は手の甲で涙を拭い、薫くんの方を見る。

「薫くんに告白した夢を見たことあったんだ。その時は薫くんからも……好きだよ、って言ってもらえて、でもそこで目が覚めて。だから、今でも、なんか、これが、夢みたいで」

「夢じゃないよ」

 薫くんは微笑んで、私の手の甲をさすった。

 はふう。変な息が漏れる。

「でも、その夢以上に夢みたい。あの場にサッと現れて助けてくれたんだもん。まるで」

 漫画みたいなシチュエーション、と言いたかったけど気の利いた喩えじゃなかったので口には出せなかった。

「それは僕がそういう星のもとに生まれたからだよ」

 でも薫くんは自分でそんなことを言っちゃう。だからこその薫くんだけど。私は笑う。彼も笑う。

「もう少し言うと……、僕は駅前にはよく来るからね。この近くにはいい画材屋があるし」

「そうなんだ。でも、それでもあのタイミングで来てくれたのはやっぱり凄いよ。感動してブワーッと涙出ちゃったもん」

「うん」

 彼は微笑み、私の指の間の溝を自分の指でスーッとなぞる。なんだろう、私を悦ばそうとしてそうしているのかな。それとも彼は元々女の子の手に触るのが好きなのかな。くすぐったい。

「でも、いいの? 私なんかで」

 こんなに嬉しいのに、卑屈さの染みついた性格のせいで、私は彼に再度確認してしまう。

「この間和美が言ったじゃないか。恋人がいるって言ってしまえ、って」

「えっ、だってあれは、いや、その、自分のことだとは意味してなくて」

 と、そこで気づいて私は俯く。

「あう、名前呼ばれると恥ずかしいです」

 いや、名前で先に呼んでるのは私の方だけどそれはそれ、これはこれ。

「和美」

 ううっ……恥ずかしいよぉ。男の子から名前を呼ばれるなんて小学校以来だけど、その頃とは意味合いが全然違うし、ネズミ呼ばわりされた記憶がデデンと居座っているから、何かもう、本当に『特別』なんだって気がして。

 でも、どうして。本当にどうして私なんだろう。

「さあ、泣く時間はもう終わったんだ。今からは笑う時間にしよう」

「ん? うん」

 重ねた手をそのまま持ち上げるようにして彼は立ち上がり私も立ち上がらせる。

 うん、今は、彼の気持ちを深く詮索するのはやめておこう。彼の優しさに甘えさせてもらおう。卑屈な自分、今は抑えておく。

 会計を済ませて喫茶店を出る。弱い風が心地よく涙の跡を冷やしてくれた。

「近くの店に買い物に行く途中だったんだ」

「画材屋さん?」

「いや、今日は違うよ。こっち」

 そういって彼は自分の喉元を指さす。一瞬意味が解らなくて私は首を傾げる。

「ほら、この間取れてしまった」

「あ、ブローチ?」

「そう。壊れた訳じゃないけど、この機に作り直そうかと思ってね」

「作り直す……あ、あれ、手作りだったんだ」

 数分歩いたところに、小奇麗な石造りの建物があった。ここがアクセサリーパーツ屋さん。入口のドアの上にはブルーベリーハートなんて書いてある。お店というより博物館みたいな外観だ。知らずに私が通りがかってもスルーしていたと思う。

 薫くんと一緒に入ってみると案の定、お客さんは女の人ばかりだった。でも、薫くんは平然としているし、彼の存在にあまり違和感がない。彼の姿を見た女の子たちが彼に注目するのを見て、少し尊大な気持ちになる。

「和美は、どう? こっち方面には興味ある?」

「あー、うん。アクセサリーは完成品のお店の方はときどき眺めるけれど、作る方は考えたことなかったなあ」

 ちょっと嘘。アクセサリーを見て回ることも滅多にない。お土産でもらったものがあるだけ。でも入ってみると陳列棚のあちこちに目を奪われる。

「創作意欲をそそられないかい?」

「られるっ……そそられるっ」

 色とりどりのビーズや石、シルバーの座金、ワイヤーやペンチ。画材屋さんに行った時のようなワクワクと似たものがここにはあった。どうして今まで近寄らなかったんだろう。もったいない。薫くんへの好きという気持ちを抜きにしても、ここに連れてきてもらったことに感謝する。

「これって、アクセサリーに限らなくても何か作れそう。……何か、えーと」

 具体的に作るものを思いつかないまま何かを作りたいと変な言い方になってしまった。薫くんはそんな私を見て微笑む。恥ずかしくて胸がくすぐったくなる。

 先日、口を滑らせたような私の告白を断られてから、この日この時が来るなんて、全く想像もできなかった。彼の告白の断り方は、私だけじゃなく、誰とも付き合う気のなさそうなものだったから。だけど、その理由だと思っていたあの女の人のことは、恋人ではないとハッキリ否定した。だからと言って私にチャンスが訪れたなんて思う筈もなかったのに。

「思っていたより和美に刺激を与えたようで僕も嬉しいよ」

「う、うん」

「和美も何か買っていく?」

「うん」

 適当に気に入ったものを、と思ったが今日はそんなにお金を持ってきていないことを思い出し、記念にするためだけに小さな金属のパーツを何種類か手に取った。

「薫くんはもう買う物決まってるんだよね?」

「うん、予定よりちょっと増えたけど」

「あ、分かる。ここに来たら欲しい物増えちゃうよね」

 彼はふふっと笑った。

 買い物を終えると薫くんは私に明日の予定を聞いてきた。彼はこれから例のアトリエで作業に掛かりたいのだと告げた。私としてはもうしばらく一緒にいたかったけど彼の邪魔をする訳にはいかない。それに明日の予定を訊いてきたということは、明日会おうと言っているのだ!

「明日、明日は……あ」

「誰かと約束があるの?」

「みねこ先輩と今日の……続きという予定だったんだ。……今日は悪いことしちゃったな。忙しかったのに」

 今の今までみねこ先輩との約束を反故にしたことを忘れていたことも含めて。二日連続で手伝いをしないというのも酷い。

「そう……」

「あ、待って、待って。薫くんが誘ってくれるならそっちに行きたい。ああ、でも」

 自分自身の欲望と罪悪感とが戦いあう。

「それじゃ、和美、明日は夕方に待ち合わせよう。イヴなんだから。それまではみねこさんの手伝いをすればいい」

「ん、そうする。ごめんね、何かそんなことまで決めてもらって」


 私たちは駅に戻ってきた。

「もう、大丈夫?」

 自分の胸をぽんぽんと叩いて私の気分の心配をしてくれた。

「うん、大丈夫。ありがとう。ホント、今日はありがとう」

 彼は小さく頷く。

「じゃあ、また明日」

「うん、明日、楽しみにしてる」

 私は駅の改札を通っても、子供みたいに何度も彼を振り返ってしまった。


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