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第三十二話・でも好き

 絵筆を取りに美術準備室に入ってすぐだった。ドアの向こうから美術室の入り口の戸を乱暴に開ける音が聞こえ、私は何事かと振り返った。今、美術部にはそんなことをする部員はいない。すると、続けて男子の大声が聞こえ、私はびくりと身を竦めた。

「嘴本ぉ!」

 薫くんを呼んだ。そしてドカドカと荒い足音。私は緊張で身体を強ばらせつつ、ドアを開けて向こうの様子を見た。

「なめた真似してんじゃねーぞ!」

 息を飲む。薫くんが胸倉を掴まれているのを見た。薫くんは眉をしかめ、その手を離そうとするがうまくいっていない。

 キューッと私の身体全体に恐怖の痛みが走り、頭の先まで突き抜けた。どうして男の子は暴力に訴えたがるんだろう。

「いずみに、人の女に手ぇ出しやがってよ!」

 薫くん……。こんな時だけど女の子がらみのトラブルだということに凄く納得した。

 私は、やめて、と叫んだつもりだったが、頭の中で叫んだだけかも知れない。怖くて怖くて頭がうまく働かない。

 と、一瞬薫くんと目が合う。すぐ薫くんの方から目をそらされる。でもその一瞬のおかげで私にほんの少し理性が灯る。やめて、と今度はハッキリ口に出して叫んだ。それを聞いたせいか男子生徒がこっちを伺うように振り返りかけた。と、その機を狙ったように薫くんは自分を掴む手を振り払い、後ろに下がった。

「薫くん!」

 私はまた叫ぶ。が、男子生徒は逆上したのか、よくわからない言葉を叫び、私の声をかき消す。そして男子生徒は腕を振り上げ薫くんに殴りかかった。その拳は薫くんがかわしたので顔には当たらなかったが、そのままなだれ込むように体当たりしてきたのをよけられず、薫くんはバランスを崩して後ろに倒れ、机に身体をぶつけながら尻餅をついた。

「イヤッ!!」

 なおも薫くんに向かっていく男子生徒を、なんとかしなければと思いつつ動けない自分の臆病さがもどかしい。

「おい、やめろ!」

 突然、思わぬところから声が上がり、私は短い悲鳴を上げてしまった。

 視界に別の男子生徒が飛び込んできた。そして、薫くんに向かって蹴りを入れようとしているところに割り込み、その身体を全身を使って抑えた。

「やめろ、早良、落ち着け!」

 早良というのがこの男子生徒の名前らしい。止めた男子生徒の方をよく見ると、さっき野村さんをデートに誘っていた人だった。確か黒川さんって言ったっけ。

「関根」

 横から声を掛けられ、またまたビクッとしてそちらを見ると、いつの間にか美術室に戻ってきていた野村さんだった。緊張した面もちで私を見ている。

「巻き込まれなかったか?」

「は、はい。私は大丈夫です。でも……」

 もう一度男子生徒たちのほうに目を向かわせる。早良という人は、黒川さんにガッチリと抑えられ、もう薫くんに手出しはできないようだ。でも、何度も「こいつが……こいつが……」と恨むような声を上げ、それが怖かった。

「行くぞ、早良」 

「くそっ」

 どうどう、と背中を軽く叩いて早良さんを美術室を出る方向へ誘導する黒川さん。

「黒川くん、ありがとう。感謝する」

「ああ、うん」

「また後で。それから関根、関根は嘴本を保健室に連れていってやれ」

「あ、はい」

 私は、黒川さん達が出ていくのを見届けつつ、薫くんのところに駆け寄って膝をつく。

「薫くん、行こう?」

「ん……」

 野村さんが保健室に、と言ったということは、どこか怪我をしたのを見たのだろうか。でも、たとえ怪我をしていなくてもこの場からは離したかった。薫くんは黙ったまま立ち上がったけど、その沈黙は、不機嫌というよりは、今の暴行の興奮が治まらないからだろうと思った。

「怪我したの? 大丈夫?」

 美術室を出て少し歩いて落ち着くと、私は尋ねた。

「うん、ちょっとね」

「あっ」

 薫くんが見せた左手の甲から手首にかけて、赤く細長い傷が出来ていた。

「さっき倒れたときに針金に引っかけてしまったみたいだ」

 薫くんは今、彫塑と針金細工を組み合わせた作品を制作している最中だった。

「痛い?」

「別に痛くないよ」

 男の子の言う『痛くない』はあてにならないけれどね。

「ねえ、さっきの人と何があったの?」

「ん……」

 また言えないことなの、と訊きかけてその言葉を飲み込む。幸いにも薫くんは教えてくれた。

「……『いずみ』という名前で思い出したよ。多分あの人はいずみさんの恋人なんだ」

「いずみさん、って?」

「この間の女装コンテストに僕がエントリーしたとき、いずみさんは実行委員として知り合って、少し話したんだ」

「少し話、ってそれだけ?」

「それだけ」

「それだけじゃ、あんなもめ事にならないでしょ?」

 ちょっと突っ込みすぎな言い方になってしまった。と、自分で後悔しかけた時、こっちを見た薫くんの目つきがちょっと険しかったので、反射的にごめん、と謝ってしまった。

「……この間、いずみさんから、付き合わないか、と言われた」

「あ、ああ、そう」

 そして薫くんはそれを断ったのだろう。そしていずみさんも告白のことを、早良さんに何らかの形で告げたのだろう。

 自分が告白された話なら、その相手の女の子の名誉のためにも、言うのを躊躇っても仕方がない。見ず知らずのいずみさんに頭の中で謝罪する。

 そして早良さんにしてみれば、恋人を拐かした憎い相手だ。

「僕にその気がなくても、女の子を惑わせてしまう。ただ僕が僕であるだけで罪なのかもしれない」

 なんてことを言ってる薫くん。どうしてやろう。

「ね、嘴本くん、いっそのこと、もう、恋人がいるって言っちゃえばいいんじゃないの?」

「うん?恋人?」

「だから……その……この間嘴本くんと……してた人」

 キス、という言葉が恥ずかしくて省いたら、逆にもっとえっちくさい感じになってしまった。

「ああ、あの人……。あの人は、恋人じゃないよ」

「えっ、だって、あんな」

 言い掛けて、口をつぐむ。

「あの人はそういうのじゃないよ」

 少し苦しそうに、微笑んだから。

「そうか、関根くんにはそう思われていたのか」

 でも、それじゃ、恋人でもない人とキスしたってこと?胸の奥がムズムズして厭な温度になる。なんだろう。ここは私は彼を軽蔑すべきところなのだろうか。

「それにね」彼は続ける。

「人が人を好きになると言う気持ちは、もう相手がいるから、とか、そんなことぐらいで消えるようなものじゃないよ」

「そうかも知れないけど」

「それは関根くんがよく解っているじゃないか」

「え? …………っ!!」」

 その通りだった。未だに私、薫くんが、好き。

「~~~~!」

 酷いよ。人の気持ちをネタにして。

 好きという気持ちは、ここぞという時にぶつけたいのに。それを当然のことのように会話に入れられるのはちょっとつらい。

 私は恥ずかしさを持て余し、堪らずグッと彼の腕を叩くように押してしまった。怪我していない方だけどあまり関係ない。

 彼は、痛いよ、と笑った。

でも男の子の『痛い』はあてにならない。

「あ」

 と、その時、彼の服装の異変に気づいた。

「ね、嘴本くん……」

「薫」

「え?」

「無理しないで薫って呼びなよ。大事なときにはいつも、そう呼んでいるだろう?」

「う……じゃあ、薫くん」

 口にして、頬に通う血が増える。弄ばれているみたい。でも彼の要求にそのまま応えてしまう。

「うん、何?」

「あ、うん。首のところ……ブローチが」

 私は自分の制服のリボンを留めているところを指さし、彼に場所を示す。

「ん、ああ」

 薫くんは襟元に手をやる。普通の男子生徒ならネクタイを締めている場所だが、彼だけはブローチをつけた紐を結んでいる。それが薫くんを彼だとする特徴の一つだったのだが、今そこには何もない。

「さっきつかまれた時に取れてしまったみたいだ」

「それじゃ、戻ったら探さなきゃ」

「そうだね」

「だけど、かお……るくんがブローチつけているのに慣れちゃったから、つけてないと雰囲気違って見えるね」

「そうかい? どんな風に見える?」

「うん、ちょっと不良っぽい」

 そう言って私は笑う。男子の制服はブレザーにネクタイを締めるのが普通だが、ちょっと怖い感じの人や軽薄そうな人はネクタイをはずすか緩めるかしている。

「不良?」

 彼は口角をつり上げて笑う。

「それは不本意だね。うん。つけている方が僕らしい?」

「ん、うん……」

 男の子でブローチつけている人なんて薫くんしか知らないけど。そういえば、どうしてネクタイじゃなくてブローチ着けてて何も言われないんだろう。

 もう少し話をしていたかったけど、保健室に着いてしまった。ノックをしたら養護教諭の花田先生が返事をして中にいることが分かったので、もう無駄話は出来ない。私はドアを開け、束の間の時間を終わらせた。

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