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第三十一話・心を伝える

 2学期の期末試験も終わり、教室と廊下の温度差が激しくなってきた。私はスクールコートの前を右手できゅっと閉じて放課後の美術室へと向かった。

 もうすぐ冬休み。大学受験のシーズンになり、3年の牧瀬さんや星見さんはほとんど部活に来なくなった。他の部員も2月の蒼彩展に向けて製作を開始しているが、この時期は誰もがなんとなく部活動に不熱心だ。


 あと数歩で廊下を曲がろうという時、中庭越しに窓の向こうの北側の廊下に見知った人影を見つけ、私は歩みを緩めた。校舎には中庭を挟んで二本の廊下が東西に走っているが、私がいるのとは反対側の廊下に野村先輩が立っている。目の端に留めただけでそうと気づいたのは、野村さんが長い黒髪を腰まで伸ばしているからだ。野村さんは、美術部の活動で作業するときにはその髪をくくるのだが、そうすることがもったいないと思うぐらい綺麗な髪質である。

 野村さんは一人の男子生徒と向かい合って何か話していた。このまま私が廊下を曲がって美術室に向かって歩いていけば、意識して無視しない限りお互いにその存在を見とめるだろう。野村さん一人だったら迷わず挨拶するところだが、私のせいで二人の話に水を差すようなことになるのは躊躇われた。……ううん、見知らぬその男子生徒とどういう距離をとればいいのか分からないだけだけど。

そんなことをグズグズ考えながら廊下の角を曲がってしまったところで、二人の話し声が聞こえてきた。

「野村、もう少し考えてみてくれないか」

「……」

「何も今すぐ付き合えなんて言っている訳じゃないんだ」

「……」

 何やら男子生徒が野村さんに頼みごとをしていて、野村さんが困っているようだ。

「ちょっと交流の幅を広げて欲しいというだけなんだ。何もしないうちから嫌わないで欲しいんだよ。な?」

「別にキミを嫌っている訳じゃない」

「! だったら」

 と、男子生徒が息を吸って次の言葉を吐こうとしたとき、私はその人の肩越しに野村さんと目があった。

「あ、関根、待たせたな。この間の打ち合わせの続きをしよう」

「はい!?」

 思いがけぬ呼びかけに、変な返事をしてしまう。

「悪いな、黒川君。人を待たせているんだ」

 その男子生徒はくじかれたようにもごもごと何かつぶやくと、私達を一瞥してその場を去っていった。恨まれた訳ではないと思うけど、ちょっと胸が痛んだ。

「クリスマスを一緒に過ごさないかというお誘いだった」

 尋ねるつもりはなかったのに、野村さんの方から話しだした。訊いてはみたかった。 

「え、それって」

「うむ、それを始まりに男女として交際を続けていこうという腹積もりのようだった。関根はいいタイミングで来てくれたよ」

「お邪魔じゃなかった、ですか?」

「いや、関根が来てくれなかったら、私は断るために彼を傷つける言葉を放たなければならなかった。ありがとう」

 私たちは美術室に入り、準備をしながら会話を続ける。

 野村さんは物静かだけど、芯の強そうな人で、語弊を恐れず言えば、普通の男の子ではつきあえそうな感じがしない。

「野村さんは、お付き合いに興味はないんですか?」

 少し踏み込む。

「ふむ……全く無い訳ではないが、心を惑わされる程の興味はないな」

 クールにそう言う。そんな態度を取れる野村さんが羨ましかった。

「今、一番興味のある男子と言えば、嘴本かな」

「えっ、野村さんも!?」

 つい、声が大きくなってしまい、ハッとして私は口を押さえる。

「ん?……ああ、大丈夫だ。興味があると言っても芸術家としての彼にだから。関根の愛しの君にちょっかいを掛けるつもりはないから安心してくれ」

「愛しの君って……」

 否定したいけど否定したくなく、上手い切り返しもできずに顔を紅潮させてしまう。こうやってだんだん私の気持ちがバレていく。

「私には芸術的センスがないから、嘴本から話を聞くことは色々と勉強になる」

「あ、はい。勉強になるっていうのはよく解ります」

 それは私も思っていたことだ。

「優れた先人の作品を見て外観を模倣することはできる。だが創作における心持ちについては当人と話さなければわからない」

「嘴本くんは、どんなことを言っていたんですか」

「ん、うん……。間接的に私の口から言っても、伝わるかどうか分からない。嘴本は自分の見聞きし感じたものを伝えたい、というようなことを言っていた」

「ああ」

「あ、いや、でも見聞きしたものを伝えるだけならば機械で録画録音するだけでもよいとも言っていたな。ん。すまない、嘴本から聞いたときは感心したのに、自分で言ってみると全然つまらない言葉になってしまう」

「あ、いえ、なんとなく、ニュアンスは分かります」

「まあ、その『なんとなく』が個々のセンスにあたるところなんだろう。言葉では表現しきれない域だな。もし私が嘴本の言うことを本当に理解したならば、それは私の作る作品として表現されるだろう」

「あ、それって何かカッコいいですね」

「うん? そうか?」

 先輩は軽く笑う。

「はい。数学や物理と違って、理屈では伝わらないものが伝わるって感じです」

「うん。芸術に限ったことではないが、師匠から弟子に伝わるということがそういうことなんだろう」

「ああ。……でもそういう話になると私達が学校で芸術科目を受けているのってなんなんだろう、って気になりますね」

「いや、技術を学ぶことには意味があるぞ。自分が何かを作りたいと思ったとき、技術がなければそれは叶わない。想いを形にするためには技術が必要になってくる」

「あ、確かに」

「嘴本だって、小・中の頃は画家の先生を家に呼んで絵を習っていたそうだよ」

「え、そうなんですか」

 そんな新情報に驚く。なんとなく、小さい頃から我が身のセンス一つでめきめき上達していったようなイメージがあったが、それは彼に勝手な幻想を抱きすぎだったか。

「そりゃ嘴本だって神様じゃないんだから最初からうまい訳がないだろう」

 野村さんに軽く嫉妬。なるほど、以前敷島さんが私に向けた感情はこれだったのか。理解できる。

野村さんは薫くんに男の子として興味はないと言ったけれど、ひょっとしたら野村さんは結構彼に近い距離にいるのかもしれない。

彼と高度な会話を交わしつつ微笑みあう野村さんを想像してしまう。どころかキスシーンまでついでに浮かんでしまう。……あう。それは今は考えないでおこう。そんなシーンを思い浮かべてしまったのはあの女の人のせいだ。ぶぶー。

そんなこんなで会話を続けていると美術室に3人目の美術部員がやってきた。薫くんだった。私は意識していると思われるのが恥ずかしくて(野村さんは人を冷やかすような人ではないけれど)頑張って普通に彼に挨拶した。


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