番外編その5・サンタクロースなんていない
「お姉さま、なんでこんな時間にわたしを呼んだんですか?」
クリスマスパーティーの当日、カンナは出掛けるにはまだ早すぎる時間に真実を呼び出し、彼女を自宅へと招いた。
時間のことも勿論だがカンナは親衛隊も自宅に寄せ付けないようにしていたので真実は不思議がった。
「わたしから真実にクリスマスプレゼントがあるのよ」
「プレゼント?」
二人が家に上がると、小学生くらいの男の子が一人、玄関にやってきた。
真実はこんにちは、と笑顔であいさつする。
「あー、この人、お姉ちゃんの友達?」
「陽一、ちゃんと挨拶しなさい。……そう、お姉ちゃんのお友達。あんまりドタバタとうるさくしちゃ駄目よ」
真実が居間の方をちょっと覗いてみると、カンナの妹らしい女の子がクリスマスツリーの飾り付けをしていた。
「こっちよ」
カンナの声に導かれ、真実は彼女の部屋へと案内される。華やかだがきちんと整頓された感じのいい部屋だった。カンナは真実をベッドに座らせた。
「クリスマスパーティーはね、一応自由参加だけど、身なりを最低限きちんとしていないと入れてもらえないのよ」
「ああ、そうなんですか。当然と言えば、当然ですね」
「そう。だから今日は、わたしが真実にめいいっぱいおしゃれしてあげる」
「えっ!? この格好じゃ駄目ですか?」
「服はそれでいいわよ」
そう言いながらカンナは鏡台の引出しから自分の化粧道具を取り出した。
「わわっ。駄目です。お化粧はっ! わたし化粧は似合わないんです! 前にお母さんの化粧品を使ったらお化けみたいになっちゃって……」
「バタバタ暴れないで。真実。それはただ真実の化粧の仕方が間違っていたというだけ。正しいやり方をすれば誰もが美人になれるのよ」
ずっと前、美佳が自分に言った言葉を思い出す――。あの時の美佳の立場に今は自分がいる。
「わたしを信じて。真実。絶対綺麗にしてあげるから。わたしが言うのだから信じてくれるでしょう?」
「う、わかりました」
「ん。それじゃ、まず洗顔から」
カンナは、ぽん、と真実の背中を叩いた。
――絶対綺麗にしてあげる。
……………。
……………。
他人に化粧をするのは初めてだったので、1時間の格闘の間に何度か失敗もした。だが最終的には満足のいく出来になった。
そして更にカンナは真実の髪の毛を丁寧に編み上げた。カンナの妹、ユリカはまだ髪質が幼くてこういうのが出来ないため、勝手がわからなかったが、思っていた以上にうまくできた。
「ほら、完成」
「…………」
「どう?」
「お姉さま」
「ん?」
「あの……自分で自分を褒めていいですか。……ハッキリ言ってすごく綺麗です!」
「ん。わたしもそう思う」
「凄いです。さすがお姉さまです。わたしみたいなのがこんなになれるなんて……」
「ふふ。それじゃ、いいもの見せてあげる」
カンナは机の引出しから何かを取り出すと、それを真実に差し出した。
「それが、3年前のわたしの写真よ」
「えっ……ええっっ!! 嘘っ!! だって、こんなに地味…」
真実は大声を挙げて写真と本人を何度も見比べた。
「そう、そんな冴えない女の子でもテクニック次第でこうなるのよ。わたしが実証したわ」
「……!」
「だから、真実を美人にすることなんてわたしにしてみれば簡単なことなのよ」
「お姉さま……嬉しいです。素敵なクリスマスプレゼントです!」
「ん、それじゃ時間もちょうどいいことだし、そろそろ出掛けましょうか」
「はい!」
冬の太陽は早く沈むので辺りはもう暗くなっていた。
カンナと真実が街へ出てみると、今夜はいつもよりも出歩くカップルの数が多いような気がした。
「ちょっと待って」
カンナが駅前広場のところで立ち止まる。広場は本物の木を利用した大きなクリスマスツリーのイルミネーションで飾られていた。そのまわりには多くのカップル集まっていて、何か幸せそうに語っている。
「どうしたんですか?」
カンナは腕時計を見てあたりをきょろきょろする。
「そろそろ来るはずね」
「『来る』って?」
「あっ、来たみたいね」
「えっ?」
真実はカンナと同じ方向を向く。
しかし、そこからこちら側に向かってくる人物の姿を見たとき、彼女は踵を返して逃げ出そうとした。
「逃げちゃ駄目」
カンナは真実の手首を掴んで離さない。
「宇佐美さん! 遅れてすいません。……って、あれ?」
カンナの親衛隊の一人、戸中勇だった。
「よく来てくれたわね」
「もちろん! 宇佐美さんのお誘いを断ることなんて決していたしません! でも、どうして真実が?」
「お姉さま……こういうことだったんですか? だったら帰ります」
「駄目よ。……戸中くん、実はね、今日はあなたを真実に会わせたくて呼んだのよ」
「どうして……」
「ほら、真実。ちゃんと顔を上げて。せっかく綺麗にしてきたんだから」
「………」
おずおずと真実は顔を上げた。
「えっ、あれっ? 真実……だよな」
「勇ちゃん。おかしくない? 変じゃない?」
「何か……あれ? 顔のパーツは全部真実なのに……あれ? 別人みたいだ」
勇が、真実に見とれている。カンナはその反応だけで充分に手ごたえを感じた。
「どう? 戸中くん」
「綺麗……です。あ、いえ、宇佐美さん、その……」
「わたしのことはいいから。真実の方を見て言ってあげて」
「真実」
真実と戸中がしばし見つめ合う。その二人をカンナが見つめる。
「正直、驚いた。俺……おまえがそんなに綺麗になるなんて思わなかった」
「ありがとう。……お姉さまに全部やってもらったんだけどね」
「それは違うわよ、真実。あなたの心の中に綺麗になりたいという想いがあったからこそ、こんなにうまくいったの。わたしが手伝ったのは技術的な部分だけ。真実はね、今日、あなたのためにここまで綺麗になったのよ」
カンナはでまかせをもっともらしく語った。違う、と口にしそうになる真実を手の甲でそっと止めた。
「今夜は特別な夜。戸中くん、今夜だけでもいいから真実の想いを受け止めてあげて。想いの強さならここにいる誰よりも真実が一番なのよ。だからわたしからのお願い。真実に付き合ってあげて」
「……」
「戸中くん。返事して」
「勇ちゃん。嫌なら無理しなくてもいいんだよ」
「嫌じゃないさ……嫌じゃない。そんな情けない顔するなよ! せっかく綺麗になったんだろ」
「……」
「真実が俺のことどう思っているか……ってのは薄々気づいてた。だけどお前、俺の前だといつもビクビクしててそれが嫌だったんだよ。ああいうの結構傷つくんだぜ」
カンナは二人の手を引いて近づけさせた。
「真実はね、臆病になりすぎてそれが美しくなることの妨げになってしまったの。そして戸中くんはそれが嫌で、代償的にわたしの美しさに惑わされただけなのよ。二人はちょっとすれ違っただけなの」
妹と弟をあやすように優しくカンナは語った。
とはいえ、カンナはいつ自分のでまかせと詭弁を看破されるかもしれないと内心ビクビクしていた。
「お姉さま……」
「宇佐美さん。俺、今日だけは――すいません、真実の為に時間を使います」
カンナは大人びた微笑を浮かべる。
「さあ、クリスマスパーティー、いってらっしゃい」
「えっ、お姉さまは?」
「わたしはお邪魔虫になりたくないわ」
「そんな。駄目ですよ。元々招待されたのはお姉さまじゃないですか」
「真実、わたしに一度くらいはお姉さまらしいことをさせて。ね?」
「……」
「これがわたしからの本当のクリスマスプレゼントなのよ。受け取って」
「……ありがとうございます。お姉さま。最高のプレゼントです」
真実はカンナの首の後ろに手を回して抱きついた。
――がんばって、真実。あとはあなた次第よ。
二人が伊集院家に向かったのを見届けるとカンナは空を見上げた。
サンタクロースはタダで子供達にプレゼントを配るけど、損をしたなんて思わない。なぜなら子供達の笑顔こそが、サンタクロースへの何よりの報酬なのだから。
――めでたしめでたし、ってところかしら?
ぽつ…。
冷たい水滴が頬に当たった。
――あっ、雪……。
黒い空から白いかけらがクリスマスツリーの光を受けてゆっくりと落ちてきていた。
駅前の何組ものカップルも同時に気づいて歓声をあげた。
「雪だわ! 雪! 素敵!」
「ホワイトクリスマス、か。ロマンチックだな」
クリスマスイヴに雪が降るなんて本当に久し振りだ。
今宵はサンタクロースが恋人達にプレゼントをしたとでもいうのだろうか。
――不意に。
カンナの心に何かが差し込んできた。
邪な感情が突然沸き起こることを「魔が差す」と言うが、寂しさの感情が突然沸き起こることは何というのだろうか。
真実に嫉妬している。恋愛をしている彼女に嫉妬している。
――サンタさん。
――もしあなたが本当にいるのなら。
――わたしが見失った「恋」をください。
雪は止むことなく、降り続ける。
――なんてね、さあ、帰ろう。今年は家族とクリスマスなんだから。
カンナは自宅の方向へ足を向けた。
「宇佐美!」
カンナは初め、雑踏にまぎれてその声が自分に向けられたものだと気づかなかった。
もう一度、宇佐美、と呼ばれたときにそちらを見て彼女は我が目を疑った。
彼は少し遠いところにある高校に進学して、今は下宿生活のはずだ。その彼がどうして?
――まさか。
――本当に。
――サンタさんが。
彼は、よぉ、と片手を上げた。幻なんかじゃない。
「どうして? 鷹野くん!? どうしてここにいるの?」
カンナは貴一に駆け寄った。
「いや、冬休みだから帰省してきたんだけど」
「あ、ああ、そう。そうね…」
言われてみれば不思議でもなんでもない当たり前のことだった。去年も一昨年も帰ってきてはいたのだろうが、顔を合わせていないだけのことだ。
「久し振り……」
「うん。……宇佐美? 泣いているのか」
「え。……違うわ。これは……これは雪よ。雪が融けただけ」
カンナは顔の水滴を拭った。
でも拭ってもなぜかすぐに目元が濡れてしまった。
「あ、あれ? やだ、本当に、わたし、泣いてる」
短い沈黙の後、カンナは貴一に寄りかかるように彼の胸に顔をうずめた。
「会いたかった……!」
拒絶されるかもしれないという危惧が頭をかすめていた。けれどそれ以上に懐かしさと嬉しさがこみ上げていた。
彼は拒絶しなかった。
「宇佐美……俺、ずっと宇佐美に謝れずにいたことがある」
「え……?」
身体を離すと貴一は口を開いた。
「あの日……、あの日も雪が降ってたな。宇佐美に好きって言ってもらったとき、本当に嬉しかった」
「……!」
ホント? という言葉を口に出そうとしたがのどがつかえてうまく発音できなかった。
「だけどあの時俺はガキだった。カンナが前に別の男を好きだったって聞いただけで妬いてしまって……つっぱねてしまったんだ。すまなかった」
「……」
「でも、この間、俺、他の女の子に告白されて、わかったんだ。俺は宇佐美じゃなきゃ駄目なんだって」
夢? 夢ならこのまま醒めないで。
――嫌。夢なんかじゃイヤ!!
「宇佐美、俺は――」
その言葉はカンナにとって一生忘れられない言葉になった。
「宇佐美。雪で足元危ないから注意しろよ」
「ええ」
家までの短い距離を惜しむように二人はゆっくりと空白の時間をおしゃべりしつつ帰り道を歩いた。
綺麗になったな、という褒め言葉が、他の誰に言われるよりも嬉しかった。
「でも不思議な偶然ね。ちょうどわたしが帰ろうとした時に鷹野くんと出会えるなんて……」
「あ、いや、電話があったんだよ。今、駅前に宇佐美がいるから会いにいってやれ、って」
「え……ええっ!? 誰が!?」
「ほら、中学のとき俺たちと同じクラスだった女子の……」
貴一は、その名前を告げた。
「!」
――そうか、サンタクロースなんていないのね。
カンナは駅の方向に振り返る。そこには自分の姿を見ていた彼女がいたのだろうか。気づかなかった。けれど、そこにいるものだと想定して、カンナは彼女に向かって泣き笑いの表情を向ける。
――素敵なクリスマスをありがとう。
胸の中からそんな声が溢れた。
番外編はこれで終了です。