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第三話・傷痕

 わたしは少女マンガが好き。でも嫌い。


 何の取り得もない平凡な女の子が、小さな事件を通じて憧れの人と恋仲になるという物語が好き。でも嫌い。

 美形で優しい男の子が登場するから好き。でも嫌い。

 平凡な女の子だなんて大嘘だもの。どうみても主役の女の子は平均をはるかに越えて可愛いもの。

 男の子とのきっかけができた後、急速に仲良く慣れるのは絶対に顔が可愛いからだ。

 本当の男の子はあんなにきれいじゃない。あんなに優しくない。

 がさつだし、だらしないし、人に平気で酷いことを言う。


 わたしは少女マンガが嫌い。でもやっぱり好き、なのかも。


 だって、わたしが人物の絵を書くときは、いつも少女マンガに出てくるような男の子の絵ばっかりなのだもの。




 彼――嘴本薫は優雅に右手で髪をかきあげた。

「天才……うん、誰もがボクをそう呼ぶね。でも、言うなれば本当の天才はボクの両親なんだよ」

「??」

 彼の家は芸術一家なのだろうか。

「だって、ボクという芸術作品をこの世に産み出したんだから」

 え…、今なんて…?

 コノヒト、イマ、ナンテイッタノ?

 冗談めかして言っている様子はない。

 信じられないけど、彼はその言葉を本気で言っているんだ。


 わたしは彼の作品を写真でだが何度か見たことがある。

 絵画、彫刻、珍しいところでは河原の石を使ったアート。彼の手がけるジャンルは多岐にわたっていた。

 それらはわたしと同い年の人間が創り上げたとは信じられないものばかりだった。

 彼は自身の姿をも芸術作品としての対象にしているのだろう。

 ニキビひとつない顔にイヤミのない芳香……肌や髪の毛の手入れを怠っていないことがよく解る。

 わたしが髪を短くしている唯一のメリットは手入れが楽なことだ。見る限り彼は少なくともわたし以上に気を使っているはずだ。

 桑苑の男子の制服はブレザーで、ネクタイを結ぶのが標準となっているが、だらしない男子の中にはネクタイを緩めたりあるいは完全にはずしてしまっている人もいる。

 しかし彼の場合、ネクタイを締めるべき場所にエメラルド色のブローチをネクタイと同色の紐で結んでいた。

 似合っていた。もちろんそれは彼だけのスタイルだ。

 音羽先生あたりが黙っていないと思うのだが、なぜかそんなトラブルは耳にしていない。

 『ボクという芸術作品』という彼の発言は根拠のある自信からきているのだろう。そういった意味で確かに彼は天才なのだ。


「そんなことよりも……」

 彼が何か言いかけたとき、美術室のドアが開く音がした。

「おう、嘴本。来ていたのか」

 入ってきたのは部長の牧瀬さんだった。わたしはぺこりと頭を下げた。

「ええ、牧瀬さん。来ましたよ」

「嘴本ぉ。ついに美術部に入ってくれる気になったか」

「牧瀬さんがどうしてもというものだから今日は見学に来ました。ボクとしては、ボクが入部することで美術部のみんなの自信を失わせてしまうのはないかと危惧しているのですけどね」

「ふっ。我が美術部には嘴本の作品を見たぐらいで自信喪失する腑抜けなどおらんわ」

「そうかもしれないですね。彼女の作品…彼女は?」

 と、彼はわたしを手で差した。

「ああ。彼女の名は関根和美。新入部員だ」

「関根くん……それがキミの名前なんだね」

 こくん、と何故か身体を固くしていたわたしはただ頷くだけだった。

「ボクはこの作品に興味を持った。そのことを教えてあげようと思ってさっきキミに声をかけたんだ」

 ああ、そうか。さっき見つめていたのはわたしじゃなくてわたしの描いていた絵の方か。道理で。

「うん、なかなかいい色を使っているね」

「ふっふっふっ。そうだろう、そうだろう。和美は我が美術部の期待の星だ。わたしが3年も手塩にかけて育てた娘だけのことはあるだろう」

 と、牧瀬さんは腕を組んで頷きながらナンセンスな冗談を言う。

 でも、実際彼が私の絵に寄せた興味というのはどれほどのものなのだろう。

 彼のような天才の目から見たら、凡人のわたしの絵はどのように映るのか。

 大人が子供の絵を見て、微笑みながら「うまいよ」という程度のものなのだろうか。

 ……その程度のものなのだろう。

「今日のボクは道具を用意していないので、美術部のみんなの作品を見るだけにしますよ」

「うん、それでいい。うちの優秀な部員達の作品でおまえのインスピレーションに刺激を与えるがよいさ」

「はははっ。できればそうしたいものですね」

「ま、これからはおまえの存在で美術部に刺激を与えてやってもらうがな」


 彼の知名度は大したものだった。

 部員の人たちはその後美術室に入ってきて彼を見とめるなり驚いた顔になり、彼に駆け寄って言葉を交わす。

 中等部の時から見知っている人物だからなのだろう。

 さすがだな、と思いながら彼を見ていたが、1年の子たちが3人そろって入ってきたとき、キャーッと悲鳴をハモらせ彼に「薫サマ!」と呼びかけたときは椅子から転げ落ちそうになった。

 「様」って……。王子様扱い?

 半ばバカにするつもりでわたしはそのような言葉を思いついたのだが、あながちその比喩は間違っていないのが悔しかった。

「薫サマ、美術部に入ってくれるんですか!?」

「ボクが入部したらキミ達は嬉しいかい?」

「もちろん! 絶対入って!」

 女の子達に囲まれる彼。

 異性からの憧れの視線を浴びても照れることなく、かといってエッチな目つきになることもなく、自然に彼はそれらを受け止めていた。

 女の子の心を捕らえて離さない容姿。あふれる芸術の才能。自信に満ちた態度。

 彼がモテるのは当然だろう。

 ああ、なんて、なんて……!

「こら、いつまでも喋っているな。もう作業にはいっているのもいるんだぞ」

 牧瀬さんの叱責の声が飛ぶ。敷島さん達は、はぁい、と返事をして自分の場所に散った。

 彼は牧瀬さんに、優雅に英国紳士のような礼をしてみせた。

 ああ、なんて、なんて……。


 ――なんて世の中は、不公平なんだろう。


 わたしの心に、墨が流れる。


 やがて、全員が集中してきたのか美術室に緊張交じりの静寂が訪れた。

 彼は美術室をゆるゆると歩き回ってはオブジェやわたし達の作品を眺め、時には微笑み、時には顔をしかめていた。

 彼は無言のままだったが、ハッキリ言って非常にやりづらい。

 何度も彼にウロウロしないで、と訴えようとしたが、他の誰も言おうとしないのでわたしは黙っていた。

 それにさっき牧瀬さんがお世辞でもわたしのことを「期待の星」と言ってくれたので、ここで大人気ない真似はしたくなかった。


 作業に一区切りついたところで時計を見ると、いつものわたしの下校時間になっていた。

 わたしは片づけをすると、美術室の中の人達に挨拶をして廊下へ出た。


 ――ん?


 階段を降りていると、わたしは自分のもの以外の足音を聞き取り、足を止めて振り返った。

「嘴本くん…」

「やあ」

 彼だった。

「他の美術部の人とは、以前から面識があったからね。だけどキミとは初対面だったから少し話でもしようと思ったんだ」

「!」

 わたしが彼にどうして、と問う間もなく彼は話し出した。

「キミは中等部のとき何部だったのかな? 美術部にはいなかったよね? でもボクが見たところ、キミは全くの未経験者とは思えないんだけど」

「ああ、わたし、外部編入だったから」

「あ、なるほどね。どこの中学だったんだい?」

 回答を拒否する理由もないので、わたしはその中学の名を告げた。

 続けて彼がその場所を聞いてくるのは予想できたので、わたしはそのことも彼に教えた。

 友達には気楽に話していることだったが、なんとなく彼に話すのはおっくうだった。

「ふうん。随分遠いんだね。どうしてそんな遠いところから来ているんだい?」

 ――話せない。

「この学園の噂を聞いてやってきたのかな? ここは理事長が芸術に深い理解を示していることもあって、とてもいい環境に囲まれているからね」

「……まあ、そんなところかな」と、適当に話を合わせる。

「キミの桑苑学園の感想は? 楽しいかい?」

「うん……。まあ」

「明日からもっと楽しくなるよ」

「え?」

「このボクも美術部に正式に入部することに決めたからね。間近でボクとボクの作品に触れ合えるよ」

「――っ!」

 彼が素でそのような発言ができる人だということは今日の部活だけで充分分かった。

 他意がないことはわかってる。

 けれど。

 彼のその言葉は、わたしの記憶をえげつなくつついた。



 どうして、そういう考え方をするの?

 わたしは男の子のために部活をしているわけじゃないのに。

 何でも色恋沙汰に結び付けて考えるのはやめてほしい。


『おい、弘明(ひろあき)。ネズミの奴、お前に惚れてるぜ。へへへ』

『うるせえなあ。ジャマだからあっち行ってろよ』

『うわっ、何だよ。絵の具つけることないだろ。あ、まさかお前もあいつに……』

『そんなわけないだろ! うるせえって言ってんだ。消えろ!』


 ――闇が。目の前に闇が。


「別にあなたに会うために部活するわけじゃないから」

 彼に向けた声のトーンが自然と低くなった。微かに震えたことには気づかれなかっただろうか。

「それじゃ、さよなら」

 わたしは顔も見ないで彼から離れ、早足で帰路を急いだ。


 やっちゃった。イヤな思いをさせてしまった。

 彼はわたしを傷つけようとした訳でもないのに。


 わたしは他人から傷つけられるのは大嫌いだから、わたしも他人を傷つけたくはないのに、どうしてこうなってしまうんだろう。

 イヤな女だと思われたに違いない。

 電車の窓から流れる外の景色を眺めていると、やがて西日が余力を使い果たした。

 中央線の窓に映ったわたしの顔は、いつにもまして不細工だった。


 高校に入ってから今まで、結構うまくいってたのになぁ。

 わたしはまた、ネズミになってしまうんだろうか。


 明日からの美術部では彼と顔を合わせるのかと思うとわたしは気が重くなった。



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