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第二十八話・初めてのメイク

 通勤ラッシュ時を過ぎた電車に揺られながら、私はぼんやりと外の景色を眺めた。これからのことを考えると緊張感が胸にたまるので、アルバイトのことは頭の片隅に追いやる。そのかわりに昨日の文化祭の記憶を反芻した。

 文化祭の締めくくりは、校庭の中央で燃え盛る火を中心に全校生徒でフォークダンスをするスケジュールになっていたのだが、私はそれをボイコットして帰宅した。

 汚い物が付いたかのように振り払われる手。鳥肌の立つような音を立てる男子たちの引き笑い。フォークダンスにはイヤな思い出しかない。

 トラウマを抉りたくないという気持ちは、「彼」と束の間のダンスを愉しみたいという思いよりも勝った。そう、私はこういう人間だった。

 それに、リスクを負って彼との接触を追い求めるくらいならば、彼と二人で過ごした時間を思い出す方がよっぽど胸が痛甘くなる。しばらくはこれで胸を満たすことができる。

 彼と彼に憧れる女の子たちが踊る姿を想像して、後ろ髪を引かれなかった訳ではないけれど。



 電車の窓から見える景色が、いつも見ているものと変わった。蓬田さんとの待ち合わせの駅への路線は、途中まで定期券で行ける場所だったが、そこから外れた途端に、日常から外れたことをするのだと実感した。さすがにもう、モデルの仕事を考えずにはいられない。

 アルバイトを引き受けてから今日までの間に1度だけ蓬田さんと電話で話した。私がやる仕事はフィッティングモデルといって、背の高い人、低い人、ぽっちゃりの人、痩せた人、と色々な体型の人に合わせた服を作るためのモデルだそうだ。撮影はするけれど、ファッション雑誌に写真が掲載される類のものではないそうで、少しホッとした。

 以前、静香ちゃんからスタイルを褒められたことがあったことを思い出す。私の体型は痩せ型だけど、普通体型の女の子にしてみれば、憧れの対象になるのだろうか。

 それにしても、蓬田さんに私のスリーサイズを言い当てられたときには驚きで顔に血が上った。私が自分で認識していたサイズと少しだけズレていたけれど、それは多分、私の方が間違っているような気がする。サイズをちゃんと測ったのなんて、中学生のときに初めてブラをつけたとき、お店の人にしてもらったのぐらいなものだ。後は持っている服のサイズが自分に合っているかで大体しか把握していない。やっぱりプロは違うなと感心してしまった。

 そのせいで今日の私の服装もちょっと気を遣っている。蓬田さんは、着替えるから、ラフな服装でいいと言ったけれど、あんまりな服装だと、プロの人たちの前ではみっともないと思ったから。


 待ち合わせの駅についた私は、蓬田さんに言われた通り到着を伝えるため、公衆電話へと向かった。

「はい、蓬田です」

「あっ、あの、関根、です。今日のっ」

 舌がもつれてしまって、自分が思っている以上に緊張していたことに気づく。

「ああ、和美ちゃん。公衆電話だから誰かと思ったわ。随分早いのね」

「すいません」

 時計を見たら、予定の約束の時間の30分も前だった。慣れない路線で遅刻してはいけないと余裕をもって出発したが逆に迷惑になってしまったかもしれない。

「それじゃあ、今から私が駅まで迎えに行くわね。5分くらい待ってて」

「はい」

 駅の出口で短い距離をうろうろとしていると、やがて黒のスーツを着た蓬田さんが視界に入った。蓬田さんは手を振ってこちらへ近づいてくる。ヒールのこつこつ言う音が、この前は不安を掻き立てたのに、今は逆に安心できる音になっていた。

 おはようございます、と頭を下げると、おはようと返された。

「和美ちゃん、ケータイ忘れたの?」

「え? あ、いや、私、携帯電話持っていないんです」

「あ、そうなんだ。ん、和美ちゃん、緊張してる?」

「あ、はい……」

「大丈夫よ。この前も言ったけど、ファッションモデルとは違うんだからね」

「はい……」

 会話をしながら、蓬田さんが来た道を、並んで逆に歩いていく。

「和美ちゃんところの学校は、女の子はあんまりメイクしないの?」

「え! あ、どうでしょう」

 タマちゃんは……していない。静香ちゃんや紀子ちゃんも……していない。でも、学校にメイクして来ている子はいる。うちの学校は凄く厳しいという訳ではないけれど、ビューラー入れたりして一目で解ってしまうようなメイクをしている子が音羽先生に注意を受けているのは見たことがある。

 前に紀子ちゃんたちと、化粧品の話題をしたことがある。学校にはしてきていないけど、休日のお出かけのときはファンデーションを薄くつけているらしい。

「している子もいますし、していない子もいます」

 と、何の統計的価値もない答えをする。

「ふうん、そうなんだ。地域によって違ってくるのかしらね」

 ふと、不安になる。今までメイクするなんていう習慣はなかったから気にもしていなかったけど、お出かけのときはメイクする方が普通なのだろうか。

 ……彼は、どう思っているのだろう。今まで彼とデートした女の子達が気合い入れたメイクをしたということは、充分考えられる。っていうか、メイクしないで会いに行ったのが私だけだったらどうしよう。

「そばかす、気になる?」

 思わず顔に手をやった私に蓬田さんが尋ねる。言われてますます不安になる。後悔しても今更どうしようもないのに、こんな汚いそばかすを彼の眼前にさらけ出してたと思うと……あうあう。

「スタジオにメイク一式あるから、ちょっと塗ってそばかす隠しましょうか?」

「えっ」

「撮影するんだから、せっかくだし、ね?」

「え、でも、私の写真って別に雑誌に載る訳じゃないんですよね?」

 すると蓬田さんは、肩を落とし、ふうっと息を吐きながら、眉を顰めて私を見た。

「そうだけど。……和美ちゃんはもうちょっと、おしゃれに気を……それともお父さんから化粧はまだ早い、なんて言われてるの?」

「あ、いえ、そんなことは、ないです……私が無頓着なだけで……」

 それでも数ヶ月前に比べたら、少しはマシになったんですケド。

「じゃあ、アルバイトついでにいい機会だし、入門してみましょ」

 ちょうどそこで蓬田さんの脚が止まり、目的地のビルの前に着いた。各階の案内プレートを見ると「須和田スタジオ」の文字が書いてあって、3Fか4Fで撮影するのだとわかった。蓬田さんの後に付いてエレベーターに乗り、3Fで降りる。そこは無地の壁で囲まれた部屋で、何かのテレビ番組で見たことがある、大きな照明器具がセットされていた。

 ごくっ、と喉が鳴る。

 私達の姿を見た、部屋の中にいた女の人たちがこちらへと近づいて来た。ぽっちゃり体型の、黒髪をアップにした三十代くらいの眼鏡の女の人。金色の髪の、青い瞳をした二十代後半の外国人の女の人。

「うちの会社のデザイナーの河上、とテイラー」

 名前を呼ばれた人が順に私に、よろしく、と頭を下げるのでそれに頭を下げ返す。

「で、彼女が関根和美ちゃん」

「今日はよろしくお願いします」と改めて挨拶する。

「リカ、それじゃ採寸お願いね。それから撮影に入る前に彼女にちょっとメイクしてあげて。そばかす目立たないように」

「はい」

 河上さんは私を部屋の隅にある細いドアへ導いた。ドアの向こう側は、ハンガーと棚に衣類がずらりと並べられており、その様子は、芸能人の豪邸紹介で見る衣装部屋を思い出させた。

「これが今日、関根さんが着る服よ。全部で32セットあるの」

「32?」

「関根さんはプロじゃないから、結構しんどいかもしれないけど、頑張ってね」

「……はい」

「それじゃ、服、脱いで」

 そうしてスリーサイズのみならず、首や腕や太股の周りまで計られる。蓬田さんの目測は見事に当たっていた。


 ブラウンのチュニックとピンクの水玉のパンツに着替えて撮影部屋に戻ると、河上さんに、コスメの載ったテーブルの横のパイプ椅子に座るよう促された。ケーキのような匂いがする。蓬田さんは向こうでテイラーさんと肩を並べ、バインダーを見ながらなにやら英語で打ち合わせていた。


「関根さんが普段使っているファンデはどのタイプ?」

「え……」

 ううん、なんか私がダメダメみたいに思えるから、メイクはして当然だなんて前提で話さないでほしい。

「あのっ、私そういうのつけたことなくて」

「あ、そうなんだ。……あっ、いいのよ!? すっぴんで充分イけるってのは若さの証なんだから」

「……」

 若い、っていうのはフォローのつもりで言ったのだろうか。

 河上さんはチューブのふたを開けて、リキッドタイプのファンデーションを手に垂らし、それを指先にちょっとつけて私の頬の上の方をなぞった。反射的に目を閉じる。

「ん……」

「うん。関根さん、高校1年生だったわよね。やっぱり肌が若くていいわぁ」

 そんなことを言いながら指先を何度も濡らして私の顔の上でそれを伸ばしていく。洗顔料塗っているのと大して変わらないかなぁ、なんて思った。

「関根さん、どう? 鏡見てみて」

「はい……あっ」


 鏡に映る私は、毎朝洗顔直後に見ているものみたいだったけれど、それよりなんだか、つるんとしてスッキリした感じだ。


「だいぶ目立たなくなったでしょ?」


 不覚にも、自分自身の顔に頬が緩みかけたので、唇に力を入れて堪える。決して美人になったわけじゃないのに、正直嬉しい。ファンデーションを塗ったからと言って、ケバい感じはまるでなく、遠目で見れば肌がきれいになっただけみたいだ。それに、心なしか、さっきより服が似合うようになった気がする。


「ありがとうございます」

「社長、こんな感じでいいですか?」

 河上さんが蓬田さんを呼び、私の顔を見せる。

「あら、いい感じじゃない? どう? 初めてのお化粧は?」

 私は、なんと答えてよいかわからず、感情を殺した笑い声を漏らした。蓬田さんは笑いながら私に、印刷したA4の紙を渡す。着る服の名前と番号とが表になっていた。

「この番号順に着ていってね。『1』は今着ているそのチュニックね。2番以降は、ハンガーに番号がついているから、この番号通りに取っていって」

「はい」

「トップスとボトムとワンピースはわかると思うけど、帽子とかストールの組み合わせもあるから忘れないように」

「はい」

「結構時間食うから、急がせる場合もあるけど、まあ、頑張って」

「はい」

 こうして私は、無地の壁の中で、3人の女性の視線にさらされることになった。ファッションモデルのようにカッコいいポーズではなく、ただ歩いたり、手を上げたりという日常的な動作を要求された。けれどテイラーさんがカメラのシャッターを押す音に緊張して時々蓬田さんから注意を受けた。私には緊張するとネコ背っぽくなるクセがあるらしい。

 着替えるたびに着心地なんかも訊かれて、出来るだけ正直に答えようと思ったけれど、すごくおしゃれな服なので、無意識に遠慮してしまったところがあったかもしれない。と、いうのも、私が歩いている最中に蓬田さんがストップを掛けて、袖や襟に赤鉛筆で線を入れたり、あるいはもっと大胆にハサミをジョキジョキを入れてしまったりするのだ。私が下手な動きをしたせいでデザインが悪い意味で変更されたらその責任は重い。そんなことを意識し出したら、また蓬田さんに注意を受けた。


「和美ちゃん、疲れた? 休憩入れるわよ」

「あ、はい」

「近くのお店で軽く昼食とりましょう」


 緊張の糸が解けて身体から力が抜ける。そのせいでぼうっとしたためか、お腹が空いてたためか、エレベーターで1Fに降りてきたとき、前で待ってた黒い服を着た男の子に気づかずぶつかってしまい、慌てて顔も見ず謝った。


 構想段階では和美のお化粧は、美術部の追い出しコンパで部長がするという予定でした。しかし年単位の時間をかけて書き進めていくうちに、その役目が和美の母親へと変わり、最終的に今回の蓬田へと変更になりました。おかげで美術部の部長が存在意義の薄いキャラになってしまったのは作者の失敗です。

 次回はモデルアルバイトの続きです。更新がノロノロで申し訳ありません。

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