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第二十一話・醜さを愛する心

 市立美術館に来るのは高校美術展以来だ。建物の構造は同じでも、特別展示の内容が変わっており、様相を異にしている。

 この前話題にのぼっていた桑苑現代美術展は、もう開始されていた。そのポスターに書かれている「小川清明」の名を見るだけでドキッとする。未だに薫くんに褒められた記憶を未だに反芻しているのだ。たはは。

 でもこの展示は美術部全員で見に行くということになっていたので、薫くんにそう言って今日のコースから外してもらう。常設展示は、諫谷市を中心とした地域を出身地とする芸術家たちの作品が並べられていた。



「関根君は、日菜巻(ひなまき)重雄(しげお)に興味があるのかい?」

 壁のパネルに書かれた作品解説に目を走らせていると、薫くんから訊ねられた。

「ん、ごめん。ひなまきしげお、って今ここで初めて知った」

「そうか、日菜巻重雄は同期の小川清明と比べてあまり評価されることはなかったからね。多少なりとも認められたのは彼の死後だったようだ」

「そうなんだ」

 薫くんはよく知っているようだ。同じ地元だから、その人に関するものに触れ易かったのかもしれない。とか言いつつ、私の近くの出身の芸術家と言ってパッと思い出せる人がいない私が情けない。天賦の才能ばかりでなく、そういう勉強熱心さでも差が付いてるんだなあと気づく。

「ボクらが生まれる前に亡くなった方だから、ボクはその人物像を彼の作品と彼に関する文章でしか推し量ることしかできないのだけれど、彼は迎合を酷く嫌う人物だったらしい」

 そう言って薫くんは、日菜巻重雄の風景画を観るよう促した。海岸のある風景を描いた油絵だが、ひどく『熱い』と感じる。例えば薫くんの絵は基本的に『暖かい』感じを受けるが、この人の絵はそれを遙かに通り越した温度の高さを感じる。

「この河口の色……抽象的な意味の色じゃないよね」

「ああ、昭和三十年代から四十年代にかけて、日本の高度成長期に公害が問題視された時代の作品だ」

「工場の廃液なんかで海が汚された絵ね。文明批判を込めたのかな」

「いや、実は少し違うんだ。よく観てごらん」

 彼に促されるままに絵を見直す

「この時代、作品に文明批判や社会批判を込めたアートパフォーマンスは数多く発表された。だけど彼はね、公害を肯定したんだ」

「……どういうこと?」

「彼は、公害もまた人間の行いであり、人間が前進するための過程として肯定したんだ」

「肯定……んん、でも、それは。ううん」

「もちろん、そんな意見を言って賛同を得られる筈もない。その意見が発表されて少なからず批判も受けた。幸か不幸か日菜巻重雄は著名人ではなかったから騒動も大したものにはならなかったらしいけどね。ボクの想像でしかないけれど、彼は批判行動が流行になったことに対する批判を筆に載せたのかもしれない」

「ん……この人がメジャーにならなかった理由は分かるような気がする」

 人と同じことをするのが嫌で、わざと人と違うことをしたくなる気持ちは私にも解る。小学校低学年ぐらいの頃は、図工の時間、特に女子は友達同士で作品をまねっこすることが普通だった。そういうのが嫌だった私は違うものを描いて、結果先生に褒められた。

 でもこの人は、その褒められることすら、他人と同じ感性になっているとみなしてアンチ的な行動をしたのかもしれない。

「ねえ、嘴本くん。嘴本くんは……もしも、自分の意志に沿わないお仕事が来たら、どうするの?」

 いい機会だと思って聞いてみる。

「うん?」

「作りたくないものを作ってくれ、みたいな」

「さあ、そんなことは無かったから分からないな」

「でも、もしも……」

 言いかけて口をつぐむ。ちょっと意地悪な――気を悪くさせる質問だったかもしれない。だけど彼は微笑んだ。

「そうだね。ボクの作りたいものと相手が欲するものとのが重なり合うところを見つけようとするだろう」

 うむむ。模範的回答。

「日菜巻重雄は、嘴本くんと同じような考えにはならなかったのかな」

「どうだろう。人の心の深いところまでは想像できないね。ただ、芸術家として、自分の満足のいかない仕事は残さなかっただろうとは思うよ」

「それでも公害をモチーフに扱ったのには『どんなものにも美しくなる瞬間がある』っていうことなのかな。ほら、前に嘴本くんに教えてもらったでしょ?」

「ああ、そのこと、覚えていたんだね」

 覚えてますとも。忘れません。

「あの時薫くんに教えてもらったやり方、重宝してます」

 けれど薫くんは苦笑いした。

「だけど、ボクのその考えと日菜巻重雄のそれとは違うよ。彼は醜さそのものを美だと言った。その考えは、正直なところ、ボクは理解しているとは言い難い」

 口元は笑っているけれど、目つきが少し険しくなる。得意の分野で解らないことがあると口にしたせいかもしれない。そんな顔をさせた私を自己叱咤する。

「醜さと美しさが同じものならば……ボクらが存在する意味が無い。そうだろう?」

「!」

 当たり前のことだけど、彼に言われて改めてそうだと気づく。

「ボクらはなんのために芸術に触れ、作り上げていくのか」

「ごもっとも。……なんか、生意気なことを言ってごめんね」

「いいさ。ボクらはこうやって言葉や作品を交わし合うことで答えを探していくのだから」

「うん」

 薫くんの言う「ボクら」というのは、私の願う「ボクら」とは違うけれど。あえて同じモノだと思いこむ。薫くん、愛してます。


 それから私は薫くんの解説つきで美術展示を楽しませてもらった。その後、締めくくりに美術館のレストランに入って軽く食事を取る。その時に帽子を脱いだけれど、髪のことにふれてもらえなかったのが残念だった。でも当たり前だ。私みたいなくせっ毛は、それを直してやっと普通なんだから。

 そう、普通。これって普通のデートみたいじゃん。私みたいなのがそんなこと出来るなんて、ついこの間まで思ってもみなかった。 私ができる話題と言えば、文化祭に向けた美術部の共同製作のこと、クラス展示のことぐらいだったけれど、途切れることがないように必死で言葉を紡ぐ。彼との時間を独り占めしたいという強欲を、心の底から理解した。



「じゃあ、また、学校で、ね」

 話題に困りかけたころには食事を終え、駅まで送ってもらう。寂しさというのは感じなかった。

「あの絵の完成会については、次にボクの都合が出来たらまた呼ぶよ」

「うん」

 彼のほうから言ってくれたことに、安堵する。そして期待する。

「そう言えば関根くん」

「?」

「嘴本でも、薫でも、キミが呼びやすければ、どちらでもいいからね」

「えっ!?」

 どういうことだろう。まさか無意識に、薫くん、って呼んでいたとか。顔に血が上って絶句する私を、彼は気づいてか否か、手を振って去っていった。

 切りとられた入場券は、私の宝物。

 これが、未来への過程になるのか、ただの結果になるのかは今の私にはわからない。

 帰りの電車の中で私は今日の余韻を味わっていた。


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