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第二十話・謎のライダー登場

 矛盾してるね。

 あなたのせいで、1秒前まで悩んでいたのに、あなたを目にしたその瞬間、そんな悩みが霧散する。

 彼が私を見て微笑んでいる。こらえきれず、私の方から彼の方へ踏み出してしまう。2、3歩で、はしゃぎすぎと思われないようにストップ。頭の帽子を軽く押さえて胸のドキドキも抑える。

 雨上がりの駅前は、ほんのりとアスファルトの匂いがした。


 こんにちは、と普段しない挨拶の言葉を交わす。それだけで新鮮な気持ちだった。

 白い襟シャツにダークなパープルのズボンなんてのは街を歩くそこらへんの男の子と変わらないファッションかと思いきや、よく見れば、肩のところに切れ目があったり襟が大きく開いたりして肌の露出が多かったりする。

 TVに出演する男性アイドルが着るような、一言で言えば恥ずかしいファッションなんだけど、凄く似合ってる。私とは正反対のコンセプトの目立つ格好で、それを着こなしちゃっているところが彼の怖いところだ。


 彼は、タクシー乗り場を指さして乗るかと尋ねたけれど、私はアトリエまで歩いて何分かかるの、と訊いて、それじゃあ歩こう、と言った。別に何分であろうと同じ答えをするつもりだった。

「美術部でも絵を描くし、そのアトリエでも絵を描くし、嘴本くんは本当に芸術漬けの日々ね」

 歩きながら、彼の顔を斜め上に見上げる。

「絵を描くだけが芸術じゃないよ」

 と、訂正されたけど、別に気を悪くした様子はなく。

「何かを作りたいという気持ちは時と場所を選ばないからね。重宝しているよ。気分がのっているときは土曜から日曜にかけてずっとアトリエで過ごすこともあるかな」

「わあ」

 そこまで一心不乱になった状態を維持するのは、わたしも憧れるところである。

「アトリエ、ってどれぐらいの広さなの?」

 と質問したところで、彼は私に立てた手の平を見せて遮った。そして反対側の手でフィンランドの国旗みたいな色合いの携帯電話を取り出して耳に当てた。

「何、パパ?」

 わお。

 私の聞き間違いでなければ、今、パパ、って言ったよこのヒト。いや別に悪くは無いけどびっくり。瞬時に頭の中にダンディな口ひげのナイスミドルが思い浮かんでしまった。謎。

「今アトリエに向かって歩いているところだよ? もうすぐ着くところだけど。……ん……え、いや……」

 携帯電話を耳に当てたままキョロキョロする彼。

「わかったよ、パパ。気をつける」

 そして電子音。

「どうしたの?」

「うん、悪いけど、今日の予定を変えなければならないかもしれない」

「えっ、どうして?」

 疑問と同時にキュッと痛みが胸を襲う。イヤな予感がするのは私が悲観的だからだろうか。

「うん、アトリエにね……」

 そのときだった。薫くんの名前を呼ぶ女性の声がして、アスファルトの道路をパンプスで小走りに駆けるカツカツという音が近づいてくるのが聞こえた。

 その音が、何故かとても不安を煽った。

 私は、あっ、と声を上げる。それは知っている人だった。

「あら、和美ちゃんじゃないの」

「蓬田さん……!」

 ダークグレーのスーツに身を固め、長い髪を頭の上でまとめた40歳くらいの眼鏡の美人さん。お母さんの大学時代からの友達だった。アメリカで会社を興しているのだけれどちょっと前、日本に一時的に戻ってきている。

 今薫くんが受けた電話の内容はこの人のことなのだろうか。

「偶然ね、和美ちゃん。よかったわ。嘴本薫さんのガールフレンドだったのね」

「……」

 よかったわ、って何だろう。

 その声に、笑顔に、胸の中が黒いもやもやに襲われる。

 そう、以前、この人と話したとき、巧みに誘導されて、お父さんの悪口を言う羽目になったことを覚えてる。あの時はもの凄く後悔して泣きたくなった。

 お父さんの嫌いなところは幾つもある。だけどそれは、お父さん本人か、お母さんかおじいちゃんの前でだけ言えるようなことで、家族でない人に明かすようなことではない。

 こんなときでなければ、ガールフレンドなんて言われて浮かれちゃうところなのに。

「薫さん、この前のお話、条件を変えて提案させてもらいたいのだけれど、どうかしら、お話聞いて頂戴」

 仕事の話だ……!

 蓬田さんは、服飾デザインの会社の社長である。そして薫くんは、そういう仕事を実際にやっている。

 薫くんの顔を見上げると、私と同じように顔をしかめていたのでなんとなくホッとして、嬉しかった。

「すみません、その話は父を通してくれますか」

 あ、ちゃんと『父』って言った。なんて、どうでもいいか。

「お父さんではなくて、薫さんがどうしたいかを直接聞きたいのよ。これは薫さん自身の問題だからね。そうでしょう? 契約に関しては法律があるから、保護者の同意を得なければいけないけれど、実際に決めるのは薫くん、あなたなのよ。まずは話を聞いてちょうだい。いい条件か悪い条件か、薫さんが見ないことにはお話にならないわ」

「ですから……」

 いつもは自信満々に喋っている薫くんなのに、今は彼らしくもなく困っている。だけど、仕事の話は私が口を挟めるような立場ではない。

「ほら、和美ちゃんも、薫さんに言ってあげて。これは彼にとって才能を活かすまたとないチャンスなのよ」

「え、私は……」

 頭の悪い私には、薫くんを助けられる詭弁が思いつかない。どうしよう。

 その時だった。

 ブオン、という大きなバイクのエンジン音が聞こえ、私は身体をすくめた。何、と思ってそちらを見ると、排気量の多そうなバイクがかなりのスピードでこちらに向かってきている!?

 小さく悲鳴を上げて固まってしまった私を引っ張ったのは薫くんだった。道の脇によけると、耳障りな大きなブレーキ音を立てて、私たちと蓬田さんの間を遮るようにバイクが停まる。黒いヘルメットとライダースーツに身を包んだ背の高い男の人が乗っていた。

 胸がドキドキして判断能力がおいつかない状態で、乗り主がバイクから降りてヘルメットを取る。驚いたことに、予想に反して、それは髪の毛がまっ白な皺の多いおじさんだった。

「困るな、勝手なことをしては」

「嘴本さん! 危ないじゃないですか!」

「薫! 今のうちに逃げろ!」

「あ、ちょっと!」

 展開を頭の中で処理できないまま、私は急に手を掴まれる。

「行くよ」

 それを了承する間もなく彼は走り出した。その力が強くて痛みが走る。

「わ、痛い、かお……」

 私は仕方なく合わせて走り出す。彼は通りがかったタクシーに向かって手を挙げた。

 後ろから何か言っている声が聞こえたがよく聞こえなかった。彼も完全に無視している。

 停まったタクシーに飛び込むように乗り込んだ。薫くんは逡巡する表情を見せた後、運転手さんに市立美術館まで、と告げた。タクシーが走り出してようやく私は一息つく。

「痛かったかい? ごめんよ」

 なんて、彼にさっきまで掴まれていたところを撫でられて、頭が酸素欠乏症になりかける。

「う、うん大丈夫」

 と、自分の方から腕を引いてしまう。もったいない。

「さっきのバイクの人……」

「ああ、ボクのパパだよ」

「ええっ、お父さん?」

 似ていない。それに、年齢もお父さんというには少し離れすぎている気がする。

「そうだよ」

 顔が似ていない、と言うのは失礼な気がしたので年齢のことについてだけ尋ねてみる。すると、彼はお父さんが50歳のときに生まれた子供だそうなのだ。なるほど。でも、それにしては……。

「随分、ワイルドなお父さんなんだね」

 そう言うと彼は声を出して笑った。

「そうだね、ボクがお金が発生する仕事に関わることになるとパパは厳しくなるんだ。本当、感謝している」

 笑い顔が優しいものになっている。

「仕事って、さっきの、あれ、何だったの?」

「ああ、トリハムの社長さんからね、会社の服飾デザイナーとして契約しないかって、誘われたんだ」

「そうなの!?」

 トリハムというのは蓬田さんの会社の名前だ。

「キミがあの人と知り合いだとは思わなかった」

「知り合い、っていうか、お母さんの友達。でも私も知らなかった。蓬田さんと嘴本くんにそんな接点があるなんて。それって、そのう、有田先生のところからの引き抜き?」

 私と同い年で、そんな世界に足を踏み入れているというのにはやはり驚きだ。私なんか想像しただけでプレッシャーに押しつぶされそうになる。お父さんが心配して厳しくなるのは当然だと思う。

「そういうことになるのかな。ボクを買ってくれるのは嬉しいけどね。パパは許さないだろうと思う」

「えっ、嘴本くんは乗り気なの?」

「……ボクはね、ボクが紡ぎだした美をできるだけ多くの人達に見てもらって幸せになってほしいと思っているんだ」

「うん」

「だけど、パパはね、お金は心を惑わせるから、みだりにやりとりすべきではないと言うんだ」

 でも……と私が言い掛けたところでタクシーが停まった。話をしているうちに美術館前に着いていた。

 薫くんが代金を払うとき、チラッと財布の中が見えてしまった。お札がいっぱい。ううん、やっぱり私と金銭感覚が違うのかも、と思ってしまった。


「でも嘴本くん、ブティック・アリタで実際にお仕事してるでしょ? 他にも画集だしてたり」

「うん、何年か前までは頼まれたことを全部引き受けてたけど、今はパパが雇ったエージェントが窓口を一本化しているよ。アリタとはそれ以前からのつきあいだから特別だね」

 以前、桑学の玄関の絵で揉めたエージェントとかいう人がいたけどそれだろうか。

「ボクの作品を買ってくれる人や、ボクにお金を払って作品を作ってほしいという人がいてくれるのは嬉しい。それだけボクの美が必要とされているということだから」

「……うん」

 以前、私も芸術とお金について考えたことがあった。お金のために絵を描いたりするのは卑しいとか思った筈だけど、薫くんの言葉を聞いていると、そんなにおかしい事には聞こえない。単に私の考え方が浅かっただけかもしれない。

「でもボクは、お金があろうがなかろうが、やることは変わりないのに」

「うん……薫くんなら、そうだろうね」

「だけどパパには『お前が迷わなくとも他の人間の迷いまでも払うことは出来ない』と言われたんだ。つらいよ、目がくらんだ人間のために、ボクの作品を目にする幸せを得る人が減ってしまうのは。ボクに、人の心を清くする力があればいいのに」

 それはとてつもなく難しいことだと思う。ダ・ヴィンチであろうとゴッホであろうと、その作品が高額で取り引きされて、犯罪を引き起こす元になっていたりする。ましてや薫くんは天才だけど、私と同い年の少年だ。芸術などに目もくれず、欲望に利用しようとする人が出てきてもおかしくない。


 美術館の窓口で彼は2枚の入場券を買った。タクシー代まで払ってもらっているのにさすがにそこまでは甘えられないと財布を出そうとしたが、彼から断られてしまった。


「キミとの約束を果たせなかったお詫びだよ」

「お詫びだなんて、あれは不可抗力だよ」

「でも、もう今日は何も描きたくない気分になってしまった。だから今日は、先人たちの作品を見て美を吸収しよう。それでいいかな?」

「う、うん、私は全然構わないよ」


 そして、私は。


「嘴本くんの気分が向いたら、その時、また呼んで?」


 言った。言っちゃった。


「そうだね、そうするよ」

 彼は、私が振り絞ったことなど気にする素振りもなくそう返した。


次回、美術館デートがもう少し続きます

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