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第十四話・W = 0

「ね、静香ちゃん、さっき青野くんにVサイン出してたでしょ?」

 昼休み、わたし達はいつものメンバーで机を囲んでお弁当を食べていた。

「やだ、和美ちゃんてば見てたの?」

「見てたも何も、わたしの席、青野くんの後ろだし」

 さっき――四時間目の数学の時間、静香ちゃんは音羽先生に指名されて黒板で問題を解いた時に「よく予習をしているようだな」と褒められたのだ。その後戻ってくる時に、青野くんに向かってこっそりとVサインを出していたのだ。

 青野くんの表情は真後ろのわたしの席からは見えなかったけれど、こくりと小さく頷いたのはわかった。

 見ていて、いいなぁ、なんて思ってしまうやりとりだった。

「この間たまたま青野くんに教えてもらったところと同じ解き方の問題だったんだもん」

「暑いねえ」

「うん、暑い暑い」

「何よぅ」

 静香ちゃんは口を尖らせつつも目は笑っている。

 わたし達がキャキャキャと騒いでいると、関根さん、と呼ばれた気がしてわたしは顔を上げた。美術部の小林さんがいた。

「あ、小林さん、何?」

「話、盛り上がってるところゴメン。……あ、いい? 今日は文化祭の共同製作の打ち合わせをするから放課後必ずクラブに出てきてね、ってそれを言いに来たの」

「うん。分かった」

 少し前からわたし達美術部員は共同製作のテーマを考えておくようにと言われていたので、わたしも一つ案を練っていた。

「そっか、文科系クラブの人はもう文化祭の準備始まるんだ」と、珠美ちゃんがつぶやいた。

 小林さんは、じゃあまた後で、と言うと軽く手を振って教室を出て行った。

「美術部は文化祭何をするの?」と紀子ちゃんが聞いてきた。

「うん。個人個人では今まで美術部で作ってきた作品から自選したものを出して、それからまた別に部員全員での共同製作を展示する予定。……ああ、それから生徒会と協力して校門のところに掲げるゲート作りのお手伝いもあるなぁ」

「結構いろいろやんなきゃいけないのね」

「うん、まあね」

「あ、そう言えば、去年の文化祭、先輩に連れてもらったとき美術部の展示見た覚えある」と珠美ちゃん。

「そうなの? 去年はペーパークラフトでラピュタみたいな天空都市を作ったって聞いているけど」

「うん。そうそう。覚えてる。すっごく綺麗に出来てた」

「んー、じゃあ今年のわたし達はプレッシャーだなぁ」

 そう言ってわたしは冗談めかして笑ったけれど、自分の考えてきたテーマがありきたりでつまらないものではないかと不安になってきた。

「頑張って。当日は遊びに行くからね」

「わたしも」

「わたしも行くよ」

「うん、みんな来て。頑張るからっ」

「今年は何をやるの?」

「だから、それを今日決めるんだけどね」

 と、わたしは質問をした珠美ちゃんに苦笑い。

「あ、そっか」

「たまぷー、話、何も聞いてないじゃん……」

「うー」

 紀子ちゃんの揶揄にプチ逆ギレしてほっぺを膨らます珠美ちゃん。その顔を見ていたら、わたしの不安も少し晴れた。


 かつてわたしは文化祭が嫌いだった。

 皆で協力しあって一つのことを成し遂げようとする空気の中、わたしは自分が孤立した存在だということ思い知らされてしまうのが嫌だった。

 でも、今ならきっと大丈夫……のはず。

「そう言えばさ、美術部に嘴本薫くんいるでしょ?」

「んっ!?」

 急に紀子ちゃんに彼の名前を出されてわたしは一瞬ごはんを喉に詰まらせてしまった。あわててお茶を飲んで流し込む。二、三度咳払いをして「うん、いるよ」と答えた。

「その人って本当に凄いんだねぇ。日曜に本屋さんに行ったとき画集が置いてあるの見かけたよ」

「ああ、そう言えばそうだっけ」

 今思い出したようなフリをしたけれど、実はわたしも既にショッピングモールの本屋で彼の画集を見ていた。

 気の無さそうな返事をしたのはわたしがミーハーだと思われたくないから、というささやかな見栄だった。

『新世紀の天才少年芸術家 ”嘴本薫” 待望の画集』

 などと書かれたポップスタンドがわざわざ積まれた画集の上に立てられていたけれど、考えてみれば嘴本くんはここの出身でもあるし、大きく取り上げて宣伝しているのは当然なのだろう。

「ねえ、和美ちゃん。やっぱり、凄い? その人実際間近で見てて」

「ああ、うん、凄いよぉ。わたしも影響かなり受けていると思う」

 あ……こうやって彼のことを人に話すのって何だか気持ちいい。こうしてみると、美術部以外の人に比べてわたしははるかに嘴本くんに近い位置にいるんだな、と実感できる。それはもう、素直に嬉しい。

「でもやっぱり美術作品って画集で見るより(なま)で見たほうが全然いいよ」

 とわたしは言葉を続ける。ちょっと得意げになってしまったかもしれない。

 わたしは本屋で画集を手に取ったとき、裏表紙の値段を見て購入をあきらめた。それよりも美術室で彼の作品を見ているほうがずっと為になると思った。

「そう?」

「ほら、例えば生徒玄関とこにある記念館の絵も凄いでしょ」

「あ、そうだね。あれも嘴本くんの絵だったっけ」

「あれを写真にして本に収めたものを見ても……インパクト弱いでしょ」

「んー、まあね」

「わたし、今でも絵描いてて行き詰ったらあの絵見てインスピレーションもらうんだ」

「へええ」

 ……と。なんかちょっと口が軽くなったけど、これぐらいならわたしの気持ちはバレないよね?

「あー、和美ちゃん、やっぱり芸術家タイプなんだな」

「え? 何それ?」

「わたしらのように普通に……っていうか芸術の道を歩いてない人にとっては、いい作品を見ても『きれいだな』と思うだけだもん。そこからさらに進むのってやっぱり芸術家オーラのなせるわざだよ」

「芸術家オーラって」

 そう言いつつ、わたしの胸はドキドキしていた。

 そっか、他人の絵で創作意欲を掻き立てられるって、それほど平凡なことでもないんだ。それは逆に言うと『特別』ってことで。

「そう言えば、風間くんも……」と珠美ちゃんがつぶやいた。

「ん?」

「うん、風間くんもあの記念館の絵をじーっと見てたなぁ、って思い出したの。何か思い入れでもあるみたいに。風間くんもモデルやってるし、そういうセンスある人同士っていうのは通じるものがあるのかもね」

「ああ、風間くんか。彼ならそういうこともありそうだね」

「改めて思ったけどうちの学校って凄くない? 嘴本くんとか風間くんとかさ、有名人が寄り集まってるし」

「そういえば商業(高校)行ってる私の友達もうちをうらやましがってたなぁ。カッコいい男の子が多いって」

 そうして話題は違う方向にズレていったけど、わたしの胸はしばらく鼓動が早まったままだった。


 放課後になり、美術室は部員が入ってくるたびに少しずつ賑やかになっていった。

 部員が全員そろったところで文化祭についての会議が始められるので、それまでわたし達は雑談して過ごす。

「何か考えてきた?」

「うん、一応ね」

「どんなの?」

「会議になったらすぐわかるよ」

「そう言えば嘴本くん、遅いねえ」

 気が付くと、まだ美術室に来ていない部員は嘴本くんだけになっていた。

「学校には来てるの?」

「来てるよ。今日のこと伝えにみんなのところに回ったもん」

 すると『噂をすれば影がさす』のことわざ通り、美術室のドアが横にスライドして当の彼が顔を現した。

「あっ、薫サマっ!」

「おー、嘴本。すぐ会議始めるぞ!」

 部員の皆の呼びかけに嘴本くんは笑顔をつくって応えたのだけれど……何だろう、わたしがその表情を見た途端、胸に鈍痛を覚えた。

 今の表情、何て言うか――ううん、うまく表現できないな。笑顔は笑顔でも、その中に痛みが含まれていたような気がしたのだけれど。

 他のみんなは何とも思わなかったのだろうか。それともわたしの気のせいかもしれない。笑顔でいることが多い彼だけにあの顔は瞬間的なものであっても印象に残ったのだけれど……。


 会議は牧瀬さんが適当な順番で部員ひとりひとりを指名しそれぞれのアイデアを述べさせ、それを星見さんがノートに書いていくという運びで始まった。

 わたしは文化祭の季節である「秋」をモチーフにした作品はどうでしょうか、と意見を述べた。

「秋、か。秋といっても漠然としているな」

「えーと、例えば『古き良き日本の秋』です。この国の原風景を再現するというテーマで。紅葉とか、田舎の家屋とか」

「うん、なるほどな」

 みんなも横の人と顔を見合わせて何か囁きあったり、頷いたりしている。その表情から、わたしはハズした提案をしたのではないと判りホッとした。

 嘴本くんはどう思ったのだろう、と、それが知りたくてわたしは目を合わせないようにさりげなく彼の方を見ようとした。

 ――と、その時。

「部長さん」

 嘴本くんが手を上げてそう言葉を発したのと彼に視線を合わせたのとが同時だったのでわたしはギクリとした。わたしの提案に何か言われてしまうのだろうか。彼の表情も心なしか渋めだ。嘴本くんに否定されるのは嫌だな。

 そう言えば嘴本くんは会議が始まってからだんまりのままだった。

「共同製作には、ボクも参加しなければいけないのでしょうか?」

 ……え?

 とりあえず彼の発言はわたしの提案とは関係ないみたいだ。だけど嘴本くんはそれ以上の問題発言をした。

 彼の語調が一瞬収まりかけたわたしの胸を再びざわつかせていく。

「どうした、嘴本? 何か都合の悪い事でもあるのか?」

「共同製作は当然、美術部の作品として発表するのでしょう?」

「もちろんそうだが? ……わからないな。何を言いたい?」

「だったらボクはその共同製作から外して欲しいのですよ」

「何? どういうことだ?」

 牧瀬さんは眉をしかめて嘴本くんに尋ねる。それはわたしも聞きたいことだ。

「ボクが芸術作品を作るときは常に完全を求め全力を尽くします。いい加減な作業は一切したくないのですよ」

「それは誰だって同じことだろ」

「ボクが共同製作に関わるということはその作品に完全を求めるということです。そうしたらボクは容赦なく他の人が作った部分でも切り捨てなければいけないことだってあるでしょう」

 嘴本くんの言いたいことが何となく判ってきた。

 この半年、彼の美術部員としての活動を見てきたけれど彼は自信家でありながら誰より自分に厳しい人なのだ。幾度も同じところを修正しては、納得いかず荒く小さなため息をついたりする場面は何度も目の当たりにしている。

 その一方、彼は他人の作品に対しては褒め言葉しか言わない。というのは彼がお世辞好きだからなのではなくて美しくないものに対してはコメントをしようとしないだけなのだ。彼の無意識の処世術なのかもしれない。もし彼が本気で他の人の作品にダメ出しを始めたら美術部の活動に支障をきたす事は明らかだ。

 美術室に嫌な空気が立ち込めはじめた。嘴本くんの顔を見るのが怖かったけれど目を逸らすことはできなかった。

 彼が作品に集中しているときの真剣な顔もちょっと怖さを感じるけど、それは嫌な感情ではなくてむしろ「好き」という気持ちに転じることのできる怖さだ。でも、今の顔は正視していたくない種類の怖い顔だった。

「嘴本だから言える台詞だな」

 星見先輩がぱたり、とシャープペンシルをノートの上に置いた。その表情もまるで嘴本くんのが伝染(うつ)ったみたいに怖くてわたしは小さく身を竦ませた。臆病なわたしは自分の身体がカチカチに硬くなってしまうのを感じた。

「だからボクの参加は個人製作のものだけにしてくれないでしょうか」

「待て、嘴本。この共同製作は美術部全員でやることに意味があるんだ。基本的に個人作業が中心の美術部だが、文化祭というイベントを通じて力を合わせて物事をなすという意味もあるんだ。嘴本も美術部の一員なら、」

「元々ボクは招かれただけで、自主的に美術部に来たわけではありません」

 あっ…!

 どうして嘴本くん、そういう言い方しちゃうかなぁ。

 胸の中に小さな氷が突き刺さったような気持ちになった。

 たぶん、嘴本くんは自分勝手なのだと思う。でも、もう嘴本くんのことを好きになってしまったわたしはそんな彼の言い分も納得できてしまう。孤高であるからこそ今の天才芸術家である彼がいるのだから。

「きっかけはどうあれ今お前が美術部員であることには変わりない」

「……美術部員であるということが枷になるのならば、ボクはその肩書きを捨てます」

 悲鳴のようにええっ、という声が立ち上がった。わたしも声には出さなかったけれど心の中で全く同じに叫んだ。

「もともとこの美術部に刺激を与えるためにと呼ばれたボクです。もう、そろそろボクがいなくても美術部に問題はないでしょう」

 待って。薫くん。私は、まだ、あなたの力が必要です。

「気に入らないことがあると辞めるのか。そりゃ、あまりにもいい加減な態度じゃないか」

「何と言われようとこれはボクの信念に関わる問題です。妥協して芸術作品に携わることなどボクにはできない」

 そう言って彼は机に手をついて立ち上がった。

「嘴本!」

 呼びかけを無視して彼は速足で美術室を出て行こうとする。

 その、一瞬。私は今までの人生の中で一番勇気を出した。

「待って!」

 後で考えてみれば、私は運がよかった。私は会議で端っこの、美術室の入り口に一番近いところに座っていたから、物理的な障害がなかったのだ。

 私は嘴本くんの前に身体を滑り込ませるように通せんぼをする。

「ね、嘴本くん、待って。もうちょっと話し合おう、ね?」

 震える声。

それにつられるように、セナちゃん、続いて敷島さんや小林さんも立ち上がって助太刀するように同じような言葉を嘴本くんに呼びかけた。協力者がいたことの安堵に加えて、卑しい嫉妬心がちょっぴりだけ沸く。

 嘴本くんは黙って私の顔を見た。そして私の肩に何気ない様子で手を乗せる。

「関根君、退いてくれないか?」

 語調は穏やかだったけれど、その声と彼の目つきは私をすくみあがらせるほどに冷たかった。操られているかのように私は嘴本くんの前を退いた。気圧された、という表現がぴったりだった。

 嘴本くんはそのまま美術室を出て行った。私は渾身の勇気が無駄になり――その場にへたりこんだ。

 「いや」とセナちゃんが叫んだ。その声もどこか遠くに聞こえていた。


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