第一話・高校生活のはじまり
この作品は数年前に、某ゲームの二次創作作品としてネット上で公開していたものです。ですが、元々オリジナルキャラクターを多く登場させ、ストーリー展開も原作ゲームとは離れたものだったので、この度登場人物の名前を変更して再公開することにしました。どこかで拙作を御覧になっていた方はご了承下さい。
小学6年のとき、私のクラスにとても可愛い女の子が転校してきた。
「伊佐波小学校から転校してきた鷲見美音子です。前の学校では美音ちゃん、って呼ばれていました。 みなさんどうぞよろしくお願いします」
美音ちゃんは可愛いだけでなく、話し上手な明るい女の子で、たちまちクラスの人気者になった。美音ちゃんのことを好きになった男子も結構多かったみたいだ。
二学期が始まってまもないある日の昼休み、教室でおしゃべりをしている時に、流れで美音ちゃんはみんなに猫の鳴き真似を披露した。
「そっくり」「可愛い」
みんなが褒め称えていると、男子の一人が言った。
「そうか。『み"ネコ"』だから猫なのか」
みんな笑った。
笑われた美音ちゃんは舌を出し、両手を頭の横に添えて猫の耳のマネをしてみせた。そんな仕草も可愛らしかった。
するとその直後、別の男子が言った。
「それじゃ、関根は『せき"ネ"か"ズミ"』だから鼠か?」
えっ、と私が言葉の意味を把握しようとしていると、みんなが笑った。さあっと血の気が引いた。
だけど笑われた私は……ただ、つられるように愛想笑いをした。それが引きつっていたことに気づいていた子はいただろうか。
その日から美音ちゃんのあだ名に「ネコちゃん」と「ネコ」が加わった。
そして私のあだ名は(男子にだけだけど)「ネズミ」になった。
そうして私の初恋は終わった。だって、その子にだけはそう呼ばれたくなかったのに。
ピピピピピピピピピピ……
耳障りな電子音と雀の鳴き声が混ざって聞こえる。
「んー」
私は布団から手を伸ばすと目覚まし時計を捕まえて中に連れ込んだ。
目覚ましを止めると身体を起こす。
「…………」
まだ身体が眠たいと叫んでいる。
それもそのはず、私の起床時間はつい先日から1時間早くなっているのだ。
とは言え、私が望んで私立の高校に通わせてもらったのだから文句は言えない。
進路を決めたとき、学費と通学の面から両親にこの学校への進学を反対されたけど、何度も頼み込むことでようやく許しを得た。
私がここを選んだ理由はただ一つ。同じ中学の出身者が一人もいない、ということだ。
私の通う桑苑学園高等部は中等部からそのまま進学する生徒が多く、外部からの編入試験はやや難易度が高い。けれど私は付け焼刃ながらも必死で勉強して、合格に漕ぎ着けた。
私は逃げる時になら一生懸命になれる。そういう人間なのだ。
中学時代はずっと逃げてきた。ここに進学してきたのも逃げだ。
だけど、高校では一からやり直したい。だから、できれば高校では、人の悪口をいったり、他人の不幸を喜ぶような人とは出会いたくない。
――お願いだから。
パジャマ姿のまま朝食を取りに部屋を出る前に、鏡を覗き込んでみる。
ハァ。相変わらず冴えない顔だ。
鏡の中には自分に呆れている私の顔があった。
不健康に細い輪郭。顔の中央には汚らしいそばかす。短く切っていてもなおクセの強さが目立つ全然可愛くない髪。
いつだったか女子の間で髪を留めるカラーゴムがはやったことがあったけれど、私がやるとただのちょんまげにしかならなかった。気にしていたらクラスの男子がちょんまげちょんまげって囃し立てだしたので一日でやめた。
見も知らぬ男子からまでからかわれたときはさすがに腹が立った。
容姿を褒められることなど、とうにあきらめている。私はここ数年、男の子を好きになっていない。
小学校までは確かに異性を好きになる気持ちがあったはずだが、今ではなぜそんなものが存在しえたのか不思議でしょうがないくらいだ。だから女の子の間だけのおしゃべりでも、好きな男の子の話題になると私は場を白けさせる邪魔者になった。
「おはよう……」
台所でお母さんの背中に朝のあいさつをすると、私はひとり、食卓についた。
食卓には3人分の食器の準備がされている。私以外のは、お父さんとお母さんの分だ。
「おはよう。和美」
「ん」
お母さんは私が早起きになったのに合わせてくれたが、お父さんにはそれが無理のようだった。
私の両親は「セキネ理容室」という床屋を経営していて、店舗と家とは建物が繋がっている。だから通勤時間はゼロなのはうらやましい。もう一時間寝ていても仕事の準備は全然間に合うからだ。
お母さんが味噌汁を入れるためにお椀を持っていく。その間に私はご飯をよそう。
肉親ゆえ、客観的評価がどれだけできているかわからないが、はっきりいってお母さんは綺麗な女性だ。たぶん私の容姿はほとんどがお父さんから譲り受けたものなのだろう。
味噌汁の具はなめこと豆腐だった。
お母さんは料理も上手だ。私は小さい頃は母親というものは皆すべて料理が上手いものだと信じていた。友達との会話や、友達の家に招待されたときに実際に出された料理を食べて、この世には料理の下手な母親がいるのだと知った。
そしてお母さんは理容師でもある。基本的に手先が器用なのだ。
その点だけは私はお母さんの血をひいたようで、小・中学校を通じて図工、美術の成績だけはよかった。
でも、そんな器用なお母さんなのに、何故か私という失敗作を産んだことにだけは気づいていない。
『和美はひどいクセッ毛だからねえ』
それは私が小さい頃から髪をお母さんに切ってもらうたびに聞くセリフだった。
私には短髪が似合うんだよって、ずっと今の髪型を続けている。
だけど私には、私の欠点だらけの顔を強調しているだけにしか思えない。
でもお母さんには言えない。
だって、お母さんは綺麗で優しい人だから。
ブスで卑屈な私の気持ちは分からない。
「高校の生活はもう慣れた?」
「うん。まあまあ。もう友達もできたし」
「ああ、そう。そういえばクラブはまだ決まっていないんだっけ?」
「ああ、今日の午後説明会があって放課後入部受け付けだって」
「和美はまた美術部に入るの?」
「うん。そのつもり」
新入生へのお決まりの言葉に受け答えをしながら、私は物思いを振り払っていった。
好きな人と会話するのは好き。もやで覆われている私の胸を晴らしてくれるから。
朝食を終えた私はごちそうさま、と告げると洗面所に向かった。
洗面所には、鏡。歯磨きと洗顔をする間、私は私と向き合うことになる。
生まれつきのものを今更取り繕っても大したことはできないというのに、それでも少しでも綺麗になりたいと思うのはなんでだろう?
友達付き合いに容姿は関係ない。容姿の良し悪しで友達を選ぶことはない。
それじゃあ、私は心のどこかで、男の子達に媚を売ろうとしているのだろうか?
だとしたら、私はいやらしい女の子なのか。
ああっ、もうっ……!
私は洗顔料をぐるぐると顔じゅうに塗りたくった。鏡の中の私の素顔は隠れた。
ふと、私が小さい頃、女子高生の間で『ガングロ』が流行ったことを思い出した。
ひょっとしたら顔を真っ黒にしていた女の子の中には、私と同様なコンプレックスを持っている子がいたのかも知れない。だから周りに溶け込むように隠していたのかもしれない。
お化けみたいな顔のまま、私はくすりと笑った。
制服に着替えたときにはまだ時間に余裕があった。
起きてきたお父さんにおはよう、と言うと一緒にTVの天気予報と星占いを見て時間をつぶした。
「いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
靴を履いてドアを開けたところで、わざわざお母さんが玄関まで見送りにきてくれた。
「じゃ、いってきます」
「和美」
「ん?」
「今度は美術部、最後まで続けましょうね」
「……うん。今度は大丈夫だと思うから」
「ん。じゃあ、いってらっしゃい」
中央線と京葉線で1時間、新桑苑駅から徒歩で15分のところに私立桑苑学園はある。
中央線は通学時間でもよく事故を起こすので、それは心配だ。
一応駅で証明書をもらえば遅刻扱いにはならないそうだけど、担任の先生の渋い顔を頭に思い浮かべると私は縮み上がりそうになった。
私のクラスの担任は音羽武人先生といって若くて美形の数学の先生なんだけど、冷たい雰囲気の漂うとても厳しい人だ。まだ高校に入って日が浅いというのに、音羽先生が怒っている場面はもう何度も見ている。
でも私は音羽先生が嫌いではない。学校の先生は理不尽でさえなければ厳しい方がいいに決まってる。生徒が悪いことをしているのに見て見ぬフリをしている先生なんて最低だ。そんな先生は生徒が困っていても何もしようとしないんだから。
校門に入る直前に、私は後ろから背中を叩かれた。
「和美ちゃん、おはよう」
声の主は私が歩調を緩めると真横に並んだ。
ぽっちゃりとした体型に童顔、髪は襟足が隠れる程度のサラサラのショートの女の子。クラスメートの柚木珠美ちゃんだ。
「おはよう、珠美ちゃん」
彼女は私の前の席に座っている女子で、入学式が終わって教室に戻ってくるとすぐに私に話し掛けてきたのだ。
はじめて会話したのが彼女で本当によかった。
女子も男子も同じだと思うけれど、クラス内で出来る仲良しグループは新学期早々は混沌としているが、やがては大体「活発系」と「おとなし系」に分かれていく。初めに一生懸命話し掛けて友達になろうとした相手が、だんだん話が合わないとわかり疎遠になっていくのはちょっと寂しいものだ。
当然、珠美ちゃんと私は「おとなし系」の女子だ。
珠美ちゃんは、最初が肝心とばかりに私に話し掛けてきたのだが、他人に話し掛けるのが苦手な私にとってそれはとてもありがたかった。
私達はお互いにその心境を告白して笑いあった。彼女となら長く付き合えそうだと、私は喜びながら安堵した。
「ねえ、和美ちゃん。この間私が言ってたのはこれだよ」
「え……、何だっけ?」
教室につくと、珠美ちゃんは鞄の中から一時間目の教科の教科書類と一緒に一冊の雑誌を取り出して私の席に振り返る。
それはちょっとエッチな話題も載っている女の子向けの情報誌で、彼女が開いているのはいろいろなメーカーのシャンプーやリンスの比較検討記事だった。
それで私は数日前に珠美ちゃんの前で自分のクセッ毛を自嘲したことを思い出した。
わざわざ覚えてて持ってきてくれたんだ。
胸が、つまる。
普通の子なら何てことない友達同士のひとコマなんだろうけど、私にとってはとても嬉しい瞬間だった。恋愛関係やおしゃれ関係の話題は中学時代、私のいる場ではほとんど持ち上がらなかったものだ。
いけない。こんなことで泣いたら珠美ちゃんに変に思われる。
「ありがとう! 珠美ちゃん」
にっこりと笑顔を向ける。
「えーとね、私がおすすめするのはこのシャンプー。最初に試しに使ってみたら次の日髪の毛がサラッサラになってて本当、びっくりしたよ。あの、枕と髪の毛の擦れる感じ? が気持ちよくてね~」
「へー」
珠美ちゃんの熱弁は嬉しかったけれど、私の胸中は複雑だった。
我が家は床屋という商売柄、わりといいシャンプーを使っているけど、私の髪はそれ以上に頑固なのだ。
珠美ちゃんご推薦のシャンプーは使ってみるつもりだけど、既にあきらめの気持ちも大半を占めていた。
チャイムが鳴り、音羽先生が教室に入ってきた。たちまち私達のクラスはシーンとなる。日直の号令と共に起立、礼、着席。HRが始まった。
「本日は授業は午前中まで。ただし午後からは体育館で2、3年によるクラブ紹介がある。必ず出席すること。なお、クラブ紹介では派手なパフォーマンスを行って1年生の注意を引こうとするものがあるが、くれぐれも君達はショーの観客ではないことを自覚しておくように。あらかじめ忠告しておく。クラブ活動は遊びではない。君達自身の適正と意欲を真剣に考えて選択するように」
「ねえねえ、和美ちゃん。和美ちゃんはもうどのクラブに入るか決めているの?」
休み時間になると早速珠美ちゃんが私に尋ねてきた。
「うん。私は美術部に入るつもり」
「あ、美術部? 和美ちゃん、絵とか描くの好きなんだ」
「まあね」
私の最初の記憶は、テレビアニメを見て、その一場面を画用紙にクレヨンで模写しているところだ。たまにデパートにお出かけした時には親に好きなアニメ(確か「夢のクレヨン王国」)のキャラクターグッズをねだったものだが、すぐ飽きるから、と買ってもらえなかった。その欲求不満を晴らす為に私はひたすら絵を描いた。
ある日小学校でノートの落書きを友達に見られた途端、私に描いて描いてとせがまれてびっくりしたことは今でも憶えている。やがてアニメやマンガの模写だけでは飽き足らなくなり、オリジナルの絵も描くようになったが女子の間ではわりと好評だった。
私自身の酷いコンプレックスの裏返しで、私の描く世界は幻想的で透明感のある物体にあふれていた。中学時代にろくな思い出のない私が、私の精神を保っていられたのはひとえに絵の世界のおかげだと思う。
「で、珠美ちゃんは?」
「私はねえ、バスケ部に入ろうと思ってるの」
「ええっ? 篭球部?」
「……どうして漢字に訳すの?」
「ごめん。びっくりしたんだ。だって、珠美ちゃんって、全然バスケするタイプに見えなかったから」
「ああ、違うの違うの。私、男子バスケ部のマネージャーになろうと思うんだ」
「あー、マネージャーね……」
正直なところ、私は運動部のマネージャーになりたいという心理が全然理解できない。どんなに頑張っても自分の運動能力が上がるわけでもないし、まして活躍できるわけでもないのに。珠美ちゃんの気分を害したくないので今は何も言わないでおくが、いつか私は彼女に理由を訊いてみようと思った。
2時間目の地理の授業が終わると私は一息つくために珠美ちゃんを誘ってトイレに向かった。
「地理の杜岡先生ってダジャレ好きだよね~」と私。
「うん。あんまり面白くないけどね。でもみんな(音羽先生の)数学みたいだったら疲れちゃうからちょうどいいのかも」
などと他愛ないおしゃべりをしているたが。
ふわり、と。
柔らかな薫風が私の鼻をくすぐった。
「!?」
「どうしたの、和美ちゃん?」
珠美ちゃんは今の風に気づかなかったのだろうか。急に話を中断して顔をそむけた私に、不思議そうな顔をして声を掛けた。
目の前を長髪の男子生徒が歩いていた。髪は肩にかかる程度の長さで、ゆるいウェーブがかかっていた。
今の風は彼が私達を追い抜いたせいだろう。
「和美ちゃん?」
「ね、あの人、男子……だよね」
「やだ和美ちゃん、何言っているの? 当たり前じゃない。男子の制服着てるもん。ロン毛の男の子なんて珍しくないでしょ?」
「……」
そうじゃなかった。私が彼に注意をひかれたのは彼から漂う芳香と、そして輝くように美しいその髪質のためだった。