「お名前はっ?」
「なにっ!」
隆子が振り向くと、片翼が吹き飛んだタイガーが落ちていく。
「なにっ!」
隆子の「えふに」はすぐにタイガーを追った。
「龍子さんっ!」
「何だ、隆子っ!」
追っている隆子の横に、スッと龍子の「えふに」が並んだ。
「龍子さん、敵機は?」
「エンジントラブルで離脱した、それよりさっきの見たか?」
「えっと、わたし、オーバーシュートして、そしたら敵が自爆して」
「私もそう見えた」
目の前を煙を引きながら、高度を落としていくタイガー。
龍子は、
「なぁ、何だか様子がおかしくないか?」
「ですね……逃げないし、落ちてるだけっぽい」
龍子がレーダー照射を試みる。
しかしタイガーに反応はなかった。
「もう死んでるのかな?」
「ちょっと見てみます!」
隆子は加速してタイガーに並ぶ。
そしてタイガーのコクピットを覗き込んで、
「い、生きています、なんだかもがいてますけど」
「隆子、相手の無線解除しろっ!」
「!」
「早くっ!」
「やってみます……」
隆子は自分の作ったライブラリから手当たり次第に試しながら、しかし音声に出来ないでいた。
「どうだ、出来たか!」
「ダメです、まだ当たったことないヤツみたいです」
「使えないなぁ!」
「すみません、でも、通信しているのはわかります!」
「何とかならないのか!」
しかし、その時スクランブルの方が先に解かれた。
『マリー、早く脱出しろっ!』
叫ぶ声に、
『姉さん、ダメ、キャノピーが!』
『レバーを引けっ! レバーをっ!』
『ダメ、レバーを引いても!』
『銃で壊すんだよ、銃だっ!』
『銃も……ダメ……』
『どう言う事だっ!』
『壊れていて……』
「壊れていて」の辺りは泣き出しそうな声だった。
隆子は龍子に、
「どうします、龍子さんも聞いてますよね?」
「ああ、最近はイジェクトレバー壊れてるのが流行りなのか?」
「冗談言ってる場合じゃないですよ」
龍子はすぐに返事が出来なかった。
「なにか言ってください」
「ああ、正直、どうしていいかわからん」
「龍子さん」
隆子の「えふに」は龍子の機体に並んだ。
龍子は隆子の視線に一度は視線を合わせたものの、すぐに周囲を見回して、
「私が当たったのは、今、下を何とか飛んでいる」
「下に……いました」
「あいつが元気でも、仲間を助けるなんて出来ない」
と、目の前のタイガーのエンジンが黒煙を吐いた。
途端に降下に転じる。
隆子は追った。
「落ちたら死んじゃいますっ!」
「おいおい隆子、どーするんだよっ!」
「キャノピー吹き飛ばせばいいんですよねっ!」
「お、おお、確かに!」
「わたしが撃ちますっ!」
「おいおい、いくら防弾だからって、直撃だと死ぬ……」
「どの道落ちたら死にますっ!」
龍子は返事が出来なかった。
「わたし、気分悪いから助けます!」
「おいおい、出来るのかよっ!」
「伊達にシミュレーターや鍾馗に乗ってないです、機銃はお任せです!」
「おいおい、当たったら死ねるって!」
「落ちても死にます、どうせ死ぬなら賭けです賭け!」
隆子はガンサイトにタイガーを捉える。
ジッとタイガーをにらみながら、思い出しているのは憲史の言葉だった。
隆子は記憶をたどった。
「うん、うちの機銃は換装してあるんだ」
憲史は訓練の時に言っていた。
「さっき隆ちゃん言ってたよね、当たっても当たるだけって」
そう、正面きって撃ち合えば1秒は先に撃ち始められる射程だ。
直線性もいい。
でも「当たっても当たるだけ」だ。
隆子は無線で呼びかける。
「マリーさん、タイガーのマリーさんっ!」
「なっ!」
「今からキャノピー吹き飛ばしますっ!」
「えっ!」
「機体を保ってください、マリーさんに当たっちゃいますっ!」
隆子はトリガーを引いた。
マリーの駆るタイガーの上を銃弾が通り過ぎた。
憲史に言われてから、機銃の事は詳しいつもりだった隆子。
一度に出る弾数と直線性を確認。
一度深呼吸すると高度計を確認。
「『3』で破壊します!」
言うとすぐに、
「1……2……3っ!」
隆子はトリガーと同時にスティックを「チョン」と押す。
最初の数弾はタイガーの上をかすめ、ラスト2発がコクピット後方に弾けた。
キャノピーが剥がれるのを見て、隆子は機首を上げた。
真っ直ぐ落ちていくタイガーを見ていた隆子は、飛び出したパイロットが、落下傘が開くのを確認した。
龍子と隆子の「えふに」が着艦を決める。
隆子はエレベーターから上がってくるシーホークに駆け寄った。
「わたしも乗せてくださいっ!」
叫んだ隆子に、中から顔を出したのは憲史と坂本だった。
「隆ちゃん、お帰り」
「憲史さん、わたしも乗せてください!」
坂本が手をヒラヒラさせながら、
「隆子ちゃん帰ったばっかりだろ?」
「坂本さん、わたしが撃ったから!」
「おお、隆子ちゃんが撃墜したのか、そうか~」
でも、坂本は眉をひそめて、
「パイロットいないから……次のスクランブルを考えると……」
そこに龍子もやって来て、
「坂本、隆子を連れてってくれ」
「龍子ちゃん……いいの?」
「脱出したパイロットはマリー……坂本は覚え、ないのか?」
「マリー……って、エリーの妹?」
「多分、な、救出には坂本と憲史」
龍子はため息をついて、
「憲史が助けに行けば、きっとうまくいくだろう」
「エリーの妹……本当なのか?」
「きっと……な」
「龍子ちゃんもマリーを知ってるんだろ?」
「うん」
「マリーちゃん、車椅子だったんだぜ、それがパイロットか?」
「きっとそうだ……理由はわからん……でも、きっと車椅子のマリーだ」
シーホークのコクピットで憲史が手をクルクル回している。
龍子は隆子の背中を押しながら、
「隆子を連れて行ってくれ、憲史が出ている間、助手くらい出来るだろう」
龍子の言葉に隆子はガッツポーズで、
「わたし、ヘリコプターも操縦出来ますっ!」
そんな隆子に龍子も坂本もクスクス笑うと、
「なら、お手伝い願おうかな」
坂本は隆子の手を引いてシーホークに乗せた。
救助ポイントに急ぐ機内で、
「坂本さん」
「何? 隆子ちゃん?」
「さっきの話なんですけど、敵のパイロットはお知り合いですか?」
「マリーって言ってたんだろ?」
「はい」
「うん、前の戦争でちょっとね、龍子ちゃんも知ってる筈だよ」
隆子は海面を見ながら、
「あの……いいですか?」
「何? まだ現場まであるから、いいよ」
「前の戦争って何です?」
「……」
坂本は隆子と並んで海面に目を落としながら、
「うーん、隆子ちゃんは学校の成績、イマイチだったね」
「うっ……学校の成績は聞かないでください」
「信子ちゃんから聞いてるけど、中学に上がってからはイカダばっかりだったんだろ?」
「はい……」
「だったら、前の、十年前の戦争、知らないかもしれない」
「戦争があったんです?」
「うん、O州の方でね、おおっぴらにはなってないけど」
「その戦争に、坂本さんや憲史さん……あれ? 龍子さんもですか?」
「うん、龍子ちゃんも一緒に飛んで戦ったね」
「十年前って、龍子さん子供ですよね?」
「だね、まだかわいかったよ」
「どうして戦争に……」
「よくある話じゃないか、内戦あってる国なんかじゃ、子供が銃を持ってるなんてよくある話」
「だからって……」
「ともかく龍子ちゃんは戦ったんだよ、俺も、憲史も、一緒の空で飛んでね」
「龍子さんも……」
「龍子ちゃんは飛行機が好きで、センスもあったんだよ、十機くらい撃墜したんじゃないかな」
「そう……なんですか」
二人が見ている海面に油が浮かんでいるのが見えるようになる。
そしてパイロットがじっとこちらを見上げているのが見えた。
「隆子ちゃんは上げ下げやって、俺、憲史と代わるから」
「はい」
すぐに坂本と代わって憲史がやって来ると、
「隆ちゃん頼むぜ、海は冷たい」
「うーん、実家の船で網の上げ下げはやった事あるんですけど」
「じゃ、行って来る!」
憲史はワイヤーを装着して位置に付く。
隆子は目で合図してから、ワイヤーのスイッチを操作した。
強風もなく、間もなくパイロットのそばに降下する憲史。
すぐさまパイロットを捕まえると合図を送ってきた。
即座にワイヤーを巻き上げて、ほんの1~2分で救助は済んでしまう。
「隆ちゃん、タオルタオル!」
「はいはい!」
隆子は準備してあった毛布やタオルを二人に手渡しながら、問題のパイロット・マリーをじっと見つめた。
最初は憲史と親しげに話していたマリーは、隆子の視線に気付いて真顔に戻る。
「あの……怪我はないですか?」
「……」
マリーから返事はなかったけれども、憲史は髪を拭きながら、
「マリー撃墜したの隆ちゃんだぜ」
「げ、撃墜になっちゃうんですか~」
「だって撃って落としてれば撃墜じゃん」
「う~」
隆子はケンカしたいわけではなかったので、憲史の言葉はちょっと余計だった。
マリーはこわばった顔で隆子を見ていたが、破顔すると、
「ありがとうございました」
「!」
「キャノピー吹き飛ばしてもらわなかったら、助からなかったです」
すっと手を差し出すマリー。
隆子は一瞬どうしていいかわからずにしどろもどろ。
マリーが微かに手を上下するのに、ようやく隆子も手を差し出した。
握手を交わしながら隆子は、
「え、えっと、わたしは西郷隆子、よろしく」
隆子は握った手をじっと見て、
「でも、マリーさんは……歳はいくつです?」
マリーは身長も低めで、ぱっと見小学生かと思うくらいだ。
「私は15ですけど」
「え! わたしと一緒!」
憲史がマリーの体からベルトを外しながら、
「マリーは昔、身体が悪かったから、成長遅いんじゃないかな?」
って、憲史はマリーを改めて見つめて、
「でも、車椅子だったのが、まさか戦闘機のパイロットとはなぁ~」
「姉さんがパイロットで……ね」
「エリー、まだ飛んでるんだ」
「はい……」
急にマリーの表情が沈んでいく。
さっきの笑みが完全に消えてから、寂しそうに、
「あの、憲史さん……」
「何?」
「私、憲史さんとは知り合いで、でも、今は、しゃべれない事もたくさんあって……」
「ああ、尋問の事?」
マリーが小さく頷いた。
憲史はちょっと視線を泳がせてから、
「まぁ、その辺は空母に戻ってからだ、うん」
空母に戻った隆子は次の出撃に備えながら、信子に話しかけた。
「あのマリーさんは、憲史さんのお友達なんですね」
「うーん、お友達なのかな?」
信子は出撃準備を手伝いながら、
「憲史さんや坂本さん、龍子さんは前の戦争もあるから」
「そこなんですけど……」
「?」
「前の戦争ってなんなんです?」
「……」
信子は考えながら、
「前の戦争の事は、参加した龍子さんに……憲史さんがいいかな、聞いた方がいいかも」
「そうなんですか……」
すると、そんな二人のところに吉井が顔を出した。
「あ、信子ちゃんも隆子ちゃんもいるね、龍子ちゃんは?」
話しかける吉井に二人は一度敬礼をして、首を横に振った。
「ちょっと会議の方から呼び出しかかってるから、一緒に行こうか」
そんな吉井の言葉に隆子と信子は首を傾げて従った。
3人がブリーフィングルームに入ると、龍子・憲史・坂本がうんざりした顔で席に着いている。
正面のスクリーンには、一人の少女がムスっとした顔でたたずんでいるのが映っていた。
隆子は小声で、
『あの、信子さん』
『何?』
『画面に映っている人は誰です?』
『桜子ちゃん……桜子さん』
信子が言い換えたのに、
『偉い人なんですよね?』
『はい……』
隆子は画面に映っている桜子に、
『言いにくいんですけど、すごい子供じゃないです?』
『10歳ですよ、でも、上官です、少佐』
信子の言葉を聞いて、ブリーフィングルームに集った面々を見ながら、
『えっと、偉いって吉井さんよりは偉くないですよね?』
『それはそうですけど……』
『ここでは龍子さんが一番ですよね、龍子さんより偉いんです?』
『ええ、この部隊のトップは桜子さんです』
『そ、そうなんだ!』
と、一瞬画面の中の桜子が隆子をにらんでいるように見えた。
でも、すぐに画面の中の桜子が話し始める。
「みなさん、集ったみたいですね」
桜子の言葉に全員が敬礼する。
「吉井さんもそちらにいたので、このような事態になるとは思っていなかったです」
画面に同盟国の大使が映し出された。
「何で同盟国の戦闘機を落とすのですか」
桜子がにらんだのは龍子だった。
龍子はそんな視線にうんざりした顔で、隆子の方を指差した。
桜子はそんなしぐさに一度は隆子を見たものの、
「今の部隊長は龍子さんでしょう、何をやってるの」
「しょうがないだろ、撃ってきたんだから」
「撃墜したらどうなるかわかっていたでしょう」
「じゃあ、やられろって言うのかよ」
「ベイルアウトすればよいでしょう」
「簡単に言うなぁ、ミサイルでもガンでも当たれば吹っ飛ぶんだぜ」
「龍子さん殺しても死なないでしょう」
隆子以外の全員が小さく笑った。
「ともかく会議では同盟国が空母明け渡しを要求しています」
これには吉井がちょっとニヤニヤしながら、
「理由は?」
「戦闘機2機を撃墜した……よ」
隆子がびっくりした顔で、
「わたし、1機しか撃墜していない!」
桜子がにらむのに、隆子は小さくなりながら、
「でも、あれって撃墜じゃなくて助けるために撃ったんですっ!」
「同盟国側の発表では2機撃墜って事になってるけど」
これには部屋にいた全員が目を見合わせてから、吉井が口を開いた。
「2機のタイガーが北進して来て、1機を隆子ちゃんが撃墜、1機は敗走した」
「その1機は私が対応した、間違いない」
龍子が続く。
画面の中の桜子は腕組して考えるふうで、
「最初から、同盟国はそのつもりだった……とか?」
龍子がすぐに、
「撃墜した1機は、隆子を撃とうとして自爆したぜ、ミサイル暴発」
「そう……」
「イジェクトも出来なかったみたいだぜ、最初から出来レースだったんじゃねえのか」
一度桜子はうなずいたものの、
「同盟国は怒っています、次の会議は動きがありますから、吉井さんは至急戻ってください」
「おい、桜子」
龍子がジト目で画面を見ながら言う。
「何ですか?」
「また敵が来たらどうするんだよ」
「……」
画面の中の桜子はすぐに返事はしなかったものの、
「ともかく撃墜しないで撃退してください、撃墜はもっての他です」
「おいおい、私らに死ねってか?」
「さっきも言いましたよね、龍子さんは殺しても死なないでしょう」
「かける言葉がそれかよ~」
そこで画面は落ちてしまった。
吉井が口元に笑みを浮かべながら、
「では、命令とあれば戻るとするか」
言いながら、みんなの顔を見て、
「会議の方はなんとかするから、敵からの攻撃をなんとしても防いでくれ」
隆子が、龍子が、信子が頷いた。
坂本が手を挙げて、
「吉井さん、マリーはどうします?」
「マリーちゃんか……」
ちょっと考える顔で、吉井は信子を招き寄せると耳打ちする。
信子が手にしていた端末で何かを検索し始めた。
「敵が知った人間だとやりにくい」
憲史、坂本、龍子が小さく頷く。
信子が検索結果を吉井に示すと、
「マリーちゃんは……同盟国の発表では『殉職』、死んでいる」
龍子がニヤニヤしながら、
「死んでいたら、尋問できないですね」
「うん」
吉井はニコニコしながら答えると、
「もう一機のパイロットは姉のエリーちゃんと聞いている、だったらマリーちゃんは切り札になるかもしれない」
「エリーも引き込むのか?」
「龍子ちゃんは、そっちの方がいいだろう?」
「まぁ、敵で戦うよりは……吉井さんだってそうだろう?」
「知り合いとは戦いたくないもんだ」
吉井は言うと、改めてみんなの顔を見た後、
「隆子ちゃん」
「はいっ!」
「隆子ちゃんに、マリーちゃんの世話役を命ずる」
「え! わたし!」
「うん、そう」
「でも、龍子さんや憲史さんや坂本さんは知り合いなんですよね?」
「うん、だから馴れ合いにならないように、ね」
「だから……わたしですか」
「それにマリーちゃんを撃墜したのは隆子ちゃんなんだろう」
「あれは撃墜じゃないんです! 助けたんです!」
「はいはい、ともかく隆子ちゃん、頼んだよ」
言うと、吉井はブリーフィングルームを後にした。
隆子はマリーを従えて、自室に向かった。
空いているベットに荷物を置いてから、
「服なんかは、すぐに調達してもらうようにします」
「……」
「これから艦内を案内して、ごはんとお風呂で就寝です」
「……」
「わたしはスクランブルかかると出ないといけないので、その時は信子さんが対応してくれます」
「……」
マリーはあてがわれたベットに座って、シーツを撫でながら、
「あの……」
「はい、なんです? マリーさん」
「隆子……でいい?」
「はい、わたしの事は隆子でいいですよ」
「隆子は、何も訊かないのですか?」
「え?」
「それに、見張らなくていいのですか?」
「え……」
隆子はマリーに言われて、ちょっと困ったように視線を泳がせると、
「マリーさんもさっき、聞いてましたよね」
「……」
「龍子さんもですけど、吉井さんも……坂本さんや憲史さんも言ってましたよ」
「……」
「何もしなくていいって……」
「しかし……私は敵で、隆子や龍子に」
「わたしはマリーさん撃っちゃいましたよ」
「……」
「どっちも死んでないからいいじゃないですか」
「それは……そうだけど……」
ドアがノックされ、龍子と信子が顔を出す。
「マリー、本当に自由にしていい、銃はもらっておくがな」
龍子が言いながら、マリーの銃を見せた。
「龍子……その銃けど……」
「うん?」
「弾が出なかった」
隆子が思い出したように、
「あ、それ、わたしも見てたからわかります、おかしくないですか?」
言われて龍子は銃を確かめると、いきなり隆子に向けて引き金を引いた。
「ちょっ! 龍子さん人殺しっ!」
「だって出ないって言ったじゃないか」
微かな金属音をさせたものの、弾が出る事はなかった。
4人で集って、銃を見る。
「激鉄逝ってるぞ、マリー手入れしていたのか」
頷くマリーに龍子は首を傾げると、信子がじっと見つめて、
「何か折ったような感じですね」
龍子はうんざりしたような顔で、
「なぁ、マリー」
「何? 龍子?」
「お前、姉貴と一緒に飛んでたろう?」
マリーは返事を出来ずに固まっていた。
龍子はかまわずに、
「お前のミサイル暴発したし、エリーのタイガーだって『えふに』にかなわなかったぞ」
「『えふに』……」
「おっと、こっちの最新鋭機の事は黙っておかないとな、ともかく『えふに』にお前たちのタイガーが負けるなんておかしいんだよ」
「『えふに』……」
「アグレッサーの腕っこきが、『えふに』に負けるなんておかしいだろ、な」
「『えふに』……」
「お前ら、最初から捨石なんだよ、姉貴も危ないぞ」
「『えふに』……」
マリーが「えふに」を連呼するのに、表情が曇ったのは龍子の方だった。
それこそ信子が脇腹をつねったりもしている。
「龍子さんは黙っててくださいっ!」
信子は龍子を押し退けると、
「マリーさんは隆子さんと一緒に、本当に自由に動いていいですから!」
「ちぇっ!」
「龍子さんは黙っててくださいっ! 本当に口が軽いんだから、ポンポン機密口にしないでくださいっ!」
「なんだよ、ちょっと『えふに』って言っただけじゃないか」
「黙って! モウ!」
信子は龍子を引っ張って出て行ってしまった。
残された二人はしばらくポカンとしていたが、
「あの、マリーさん」
「な、何?」
「『えふに』って最新鋭なんです?」
「あれはF‐1の改造機では?」
「わたしもそう思っていたけど、信子さんの様子じゃ……」
隆子は笑いながら、
「でも、わたし、気にいってるんですよ~」
「そうなの?」
「だってF‐104よりずっといいですよ」
「スターファイターと比べるのも……」
マリーも笑った。
「ともかく、信子さんも自由に動いていいって言ってたから、言いんだと思います」
「あの、言い難いんだけれども」
「?」
「龍子の方が、上じゃないのか? 信子……よりも」
「でも、龍子さん、あんな感じだから、信子さんの言葉が重いんだと思います」
「そう……」
「ともかく、わたしが艦内を案内しますから……ごはんとか、お風呂、行きましょう」
「う、うん」
マリーはただ、小さく頷いた。
「平和だな」
艦橋で龍子はぼんやりと海を眺めていた。
その隣でうんざりした顔をしているのは信子だ。
「ちゃんと見張り、やってください」
「私は一応パイロットでスクランブル要員の筈なんだが」
「この空母は人手不足なんです、いいから見張りやってください」
「えー、レーダーがやってくれるよー」
「いいから、やる!」
「信子こわいなぁ」
「それに、この間の事です」
「うん? なんだ?」
「マリーさんに「えふに」って連呼しちゃったでしょう!」
「なんだよ、いいじゃないか!」
「最新鋭機なんですよ、えふに!」
「F‐1のエンジンのせかえただけじゃないか」
「本当にそれだけだと、思っているんですかっ!」
その時、誰もいない艦橋のドアがノックされた。
すまなさそうな顔で、中を覗き込む隆子に、
「どうした、隆子?」
「龍子さん、信子さん、ちょっといいですか?」
「?」
隆子と一緒にマリーも入ってくる。
「今の、外まで聞こえてたけど、いいんでしょうか?」
隆子の言葉に龍子が信子をジト目で見つめ、信子は舌打した。
「何? 隆子さん?」
「わたし、マリーさんと一緒にいるのはいいんですけど……」
「それが?」
「一緒にシミュレーターしたいんですけど……あれ、わたしの日課だし」
「!」
「カードないと遊べないから……」
隆子が言うのに、龍子と信子の表情が一瞬曇った。
腕組して嫌そうな顔の信子に対して、龍子はすぐに裸電球が点灯して、
「いいぞ、すぐにカード作ってやる」
「ちょっ! 龍子さんっ!」
「いいから、いいから! 二人で遊べばいいだろう、どうせF‐5のデータもあるしな」
「龍子さんっ!」
怒鳴る信子だが、龍子はすぐにそんな信子を引き寄せて耳打ち。
最初は怒っていた信子も、龍子がささやくのを聞いているうちに顔色が変わった。
真顔に戻った信子は、
「そうですね、アグレッサーの人に揉んでもらえるなら、安いものですね」
すぐにマリーのカードが作られ、信子からシミュレーターの説明を受けていた。
「マリーさんの乗っていたタイガーは改造されていたとは思いますが、コクピットはそれほど改造されていなかった……と、思います」
「はい……」
マリーはシミュレーターのコクピットに納まってから、キョトンとした。
液晶画面が3つならんでいるだけのコクピットだ。
操縦管もスティックで、ゲームセンターにでもありそうな感じだったりする。
「でも、うちではコクピットの仕様は統一されていて……」
信子がカードを挿入して、スイッチを入れると画面に色が戻った。
「計器は全部画面表示になってます」
「そ、そうなのか……」
「ちょっと、隆子さんの画面を出しますね」
そう言って端末を操作して、コクピットの表示が切り替わる。
「隆子さんの画面は基本地図と燃料計……速度も出てるのね、速度、関係あるのかしら?」
信子は言いながら、
「ともかく、次から画面は自分でカスタムしてください」
「はい……」
信子はコクピットを離れると、次の瞬間スピーカーから音声で、
『ゲームしている感覚でいいので、操作に熟れてください』
と、そんなスピーカーからノイズがして、
『ちょ、ちょっと龍子さんっ!』
『代われ、ちょっと、代われってば』
会話がした後で、
『マリー、どうだ、シュミレーターは?』
「ゲームみたい」
『そうだろう、そうだろう、それでいい、早く慣れろ』
「……」
『うちは機体が余ってるんだ、慣れたらお前もうちのパイロットだ!』
「……」
スピーカーの向こうで龍子と信子がもめる。
『何、龍子さん勝手言ってるんですかっ!』
『いいじゃねぇか、F‐5もF‐20もA‐4だっているじゃねーか!』
『だからって彼女は一応っ!』
『公じゃ死んでるんだ、いいじゃねぇか!』
ガタガタ音がしてから、
『マリー、聞いたろう、どうせ死んでるんだから、うちで飛べ、腕っこきなら大歓迎だ』
そこで音声は切れてしまった。
マリーがあきれていると、今度は隆子からの無線が入ってくる。
「マリーさん、どうですか?」
「ちょっとびっくりしている、こんなので大丈夫か?」
「あ、宮本さん……わたしの教官なんですけど、同じ事言ってます」
「……」
「どうせ飛んでる時に計器なんて見ませんよ」
「おおざっぱなんだな」
「マリーさんは敵機と計器を同時に見れるんだ、尊敬します」
「……」
隆子に言われて、マリーはちょっとだけ「そうかも」って思っていた。
すると、またスピーカーから音声が戻ってくる。
『じゃあ、隆子さんとマリーさんの訓練を始めますね、私が指示を出します』
ガタガタ音がして、龍子が割り込んで来る。
『負けた方が便所掃除だかんな!』
『龍子さん引っ込んでてください、モウ!』
『やれー、隆子、腕を見せろー!』
『黙って、モウ!』
バンバンとクリップボードで叩く音がした後で、
『カタパルトで打ち出すところからやります、マリーさん頑張ってくださいね』
『隆子ガンバレー!』
『龍子さん黙ってモウ!』
また、クリップボードの弾ける音がした。
マリーの画面が切り替わり、2時の方向に「えふに」が見えた。
「発艦はエンジン全開にするだけだから、簡単ですよ」
「そ、そうか……」
「マリーさん、空母は初めてですか?」
「う、うん……」
「えへへ、じゃあ、わたし、先輩ですね、えっへん!」
途端に「えふに」が打ち出された。
射出の途中まで元気のなかったエンジンのままだった「えふに」は、甲板を離れてすぐに視界から消えた。
「うわーん、死ぬかと思った!」
よろよろと立ち上がっていく「えふに」を見ながら、
「信子、指示を頼む」
『マリーさんは真面目で助かるわ、はい、3、2、1!』
マリーは打ち出される映像に一瞬目を細めながらも、慣れない液晶パネルに並ぶ計器にモヤモヤしたものを感じていた。
『カタパルトはどんな感じかしら』
「ゲームじゃわからない」
『……そうよね』
マリーは「えふに」の後に続きながら高度を上げる。
5000の表示になったところで、
『じゃぁ、二人で空戦してください、ミサイルはないので、撃ち合いで』
コントロール・ルームでは信子が口を「への字」にして、
「あはは、ゲームじゃわからないなんてな」
後ろに置かれたソファーで龍子は笑っていた。
「龍子さんはちょっとは真面目にやってください」
「信子、どっちが勝つと思う? マリーに100円」
「龍子さん、隆子さんは見方ですよ? マリーさんに100円なんですか?」
「だってマリー、後ろじゃん、すぐに銃で『ボン』だ!」
「普通、味方を応援しませんか……って言ってるんですよ」
「だって隆子、便所掃除、似合ってるんだもん」
「龍子さん……」
でも、モニター画面では意外な展開。
マリーのタイガーがアフターバーナー全開で前に飛び出してしまう。
それから回避行動もしないで、ひたすら直進し続けた。
意外な行動にびっくりしたのは隆子も一緒で、かなり遅れてタイガーに続く。
「マリーめ、わざと前に出たな」
「どうなんでしょう、機体の具合をみたいんじゃないですか?」
「むう、真面目なヤツめ」
「うちに欲しいですね、まともな人、いませんから」
「おい、今の、なんだ、私がまともじゃないみたいじゃないか!」
「ですよね」
「信子、後で覚えてろ!」
「今言わないと、龍子さん忘れますよ」
「むう!」
龍子は信子の隣に陣取ると、さっと手を伸ばした。
信子の手が先手を打ってマイクを奪ってしまう。
「何だよ、歌わせろよ」
「真面目にやってください」
「しゃべらせろ」
「黙ってろ、バカ!」
「ばばばバカ! 上官に向かってバカ!」
プルプル肩を振るわせる龍子に、信子は目もくれずに二人のモニターを見続けた。
「でも、最初シミュレーターやるって言い出した時はどうしようかと思いました」
「なんだよ、信子」
「アレが最高機密なのは知ってるでしょう?」
「前から思ってたんだが、どこが最高機密なんだ? ゲームじゃん、通信ゲーム、対戦も協力プレイもできる」
「龍子さん……」
ジト目で見つめてくる信子に龍子は手をヒラヒラさせて、
「わかってるよ、アレだろ、アレ、『G‐CON』の事だろ」
「そうですよ、ただのゲーム機だったら別にいいんですよ、重力制御があるから最高機密なんです」
「あれってゲーセンでやったら高くできなかな?」
「バカ」
「あー、またバカって言った! 上官に! 不敬罪だ!」
「龍子さんの机の書類を片付けているのは誰ですか?」
「うえ……」
一方的に言われていた龍子は、そっと手を伸ばして信子の脚をつねろうとした。
「あっ!」
「うわっ! なんだよっ!」
「ちょっと、隆子さんの秘密、これっ!」
「ああん? 隆子の秘密? ネコパンツか?」
「これ! これ!」
二人の見ている画面の下に、二人のデータの数字が並んでいた。
信子はそこの数字の一つ「x5」を指差す。
途端に龍子の顔も青ざめた。
「おいおい、Gが5倍になってんぞ、死ぬぞ!」
二人の目がすぐに隆子のバイタルに移るが、
「血圧とか、ちょっと上がってるくらい……ですね」
「隆子5倍で飛んでたのか!」
「龍子さん、そっちの端末で隆子さんのデータ全部出してください」
「おお、任せとけ」
「こーゆー時は不敬罪って言わないんですね」
「面白い事は、一番に見たいだろう~」
龍子はすぐさま隆子のログを出して引きつった。
「うえ、なんだ、こいつ、どんだけ遊んでるんだ」
「すごい実習時間ですね……って、本当に2倍3倍なんてもんじゃないですね」
「W基地、すごい暇なんだな」
龍子がポンポンとキーボードを叩いてページを送る。
信子もその背中に取り付いて画面を見ていた。
「全部5倍で飛んでますね……」
「おいおい、5倍で飛んでるヤツなんて罰ゲームだぞ」
二人はゲーム中の二人の画面に戻った。
0Gでやっているマリーの方は普通だが、隆子の方は額に汗を浮かべてGに耐えている。
と、マリーが宙返りして「えふに」の後ろに着けようと機動。
「えふに」は横に旋回しながらの回避だ。
隆子の機体にカウントダウンの表示が現れた。
「5……4……3……3……??」
隆子の耐Gカウントダウンが止まる。
「コイツ、機体の耐久性読んでやがる、ぎりぎりのところで踏みとどまってやがる」
「隆子さん、本当はスゴイんですね」
「あんだけシュミレーターやってりゃぁ、な」
そんな耐えている「えふに」の後ろにタイガーが迫った。
機銃掃射が始まるのに、隆子の手が忙しく動いた。
『信子さんっ!』
「な、何? 隆子さん?」
『この機体のデータは……「えふに」なんですよね?』
「そ、そうよ、当然」
『全部「えふに」なんですよね?』
「そ、そうよ?」
『武器も「えふに」なんですよね?』
「そ、そうよ……」
『いけるっ!』
途端に「えふに」の機動が加速する。
耐Gカウントがいきなり「危険」に変わった。
「おお、隆ちゃん、またやられたの?」
男性便器の前に立った憲史は、個室を掃除している隆子に目をやって言う。
「うう……空中分解しました」
「何、それ?」
「あのマリーさんと遊んでて、空中戦で」
「マリーちゃん、強そうだよね」
「こっちは『えふに』だからギリギリ勝負なんですよ」
「まぁ、『えふに』だったらねぇ、タイガーに勝つのは厳しいかな」
「インチキ・コブラで逃げようって思ったんですよ」
「何、そのインチキ・コブラって?」
「あの、フランカーなんかでやる急ブレーキですよ」
「インチキとは何事?」
「ダイブしている時にやるんですよ、わたし流」
「へぇ、隆ちゃん、研究してる~!」
「で、旋回しながらダイブに入ったら分解した」
「ぷっ!」
「今、笑いましたね!」
「戦ってて空中分解したら、マリーちゃんもびっくりだろ」
「びっくりしてました……」
「俺だって笑っちゃうよ、カウントダウン出るだろ」
「『5』の次『1』で『危険』なんですよ」
「どんだけ無茶して飛んでるんだよ、バカだな~」
「うう、言わないで」
「バーカ、バーカ!」
「むー!」
隆子は個室を出てきて、濡れた便所タワシをちらつかせた。
「憲史さん、いつもおしっこ、もらしますよね」
「え!」
「やーい、おもらしー!」
言いながら、まずはズボンの裾にタワシを押し付ける。
「ちょっ!」
「やーい、おもらしー!」
今度はお尻に押し付けた。
「ちょっ! なんて事を!」
「バカバカ言うからです、バカじゃないもんっ!」
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NCP2.5(2016)
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