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とある女の夜語り

作者: 紺野たくみ


 さて、いよいよ更けて参りましたんで

 ここらでうちの若けぇ頃のお話しをばひとつ。


         ※


 このへんで一番の地主さまといえば、知らんもんはない。

 家永さまんとこにご奉公に上がったのは、うちが十ほどの時だった。                

 家永の旦那さまには四人の幼い坊がおって、奥様はほとほと手を焼いとんなった。

 そこでうちが子守として雇われたんだけども、これがまあたいそういい賃金で、母やんは大喜び。

 聞いたこともないくそ明るい声で「ようけ、きばれよ」って励まされたのを今でもよう覚えとる。


 その頃、うちはほんに貧乏で、出稼ぎに行ったふたつ上の姉やんがいっしょけんめい仕送りしてくれても、ようやっていけんほどに食い詰めとった。


 なんでって、じいやんの酒代に消えるだけん。


 じいやんも前は腕のいい大工だったらしいのに、よいよいになって今じゃ近所のおばちゃんに「博打打たずに釘打てよ」などと笑われる始末。

 しかも、この頃じゃ姉やんの仕送りが来んようになっていた。

 だけん、ただ飯食いのうちが思いがけず金儲けれるようになって母やんはよっぽど小躍りしたに違いない。

 言われんでも頑張ったわい。

 毎日毎日、やんちゃくそらについて走り回った。

 そんでも「姉や、姉や」って懐いてくれるようになると情もわく。

 特に一番下の坊のことは、まったくもって忘れがたい。

 思い出しても解釈がつかんことがようけあった。


 この末っ子は、瞳あきらかにして物事がはっきりと見えるように「瞭」という名が付けられた。

 確かに黒目のつやつやと綺麗な男ん子だった。


 奥様の仰るには

「りょうは生まれた時に息をしとらんかった。産婆が尻を思い切り叩いたら、ようやっと泣いて安堵した。今も他の子より身体が弱いけん、外連れ出して遊ばせたってね」

 そんなふうに頼まれたこともあった。


 そういえば、うちがはあはあ言って坊たちと鬼ごっこしとる時も、りょうさんは家んなかで絵を描いたりして過ごすことが多かった。

 ある時、りょうさんが絵を見せてくれたことがある。


 鳥肌が立った。 


 なんとも言えんけど、ともかくおそろしい絵だった。


 真っ黒に塗りつぶされた人間みたいな形が描かれていた。


 青白い顔をして、りょうさんが言った。

「これ、あげる。あげるけど、夜がくるまえに破って。焼かんといけんよ」


 うちは、ひとにもらったもん破くなんてできんよと言って笑った。

 どんな不気味な絵でも五つほどの坊が描いて、うちにくれると言う。嬉しいじゃあないか。

 だから、その絵を自分の部屋の襖に張ったんだ。


 他の坊たちは、りょうさんの絵をとんでもなく気味悪がって

「あいつ、やっぱりかわっちょる」

「だけん、こんな絵かくんだ」などと言うけん、ちょっこし話を聞いてみた。


 近所の子供が何人か遊びに来たときのこと。

 そのなかに寺の娘がおって、その子をやたらと怖がって火がついたみたいに泣きじゃくった。誰にもなんでだかわからんかった。


 ある時は、なんもない道っ端でぎゃあぎゃあと手を振り回し叫んで、畑に転がり落ちた。

 またある夕刻などは、便所に行く途中の草むらで倒れてたこともあったんだとか。

 凄い形相で小便もらして気い失っとったらしいから、よっぽど怖いもんでも見たのかと大人たちは首を捻っとったそうだ。


「ふうん」うちも首を捻った。

 そん時のこと、奥様に聞いてみようか。

 怖いもん見たさってえか、好奇心ってやつかも知れないが、ともかく気になった。


 ところが、その夜になって高熱が出た。

 あんなに苦しかったことはない。

 どうにもこうにも起き上がれんで、ただ胸が詰まって息が出来んかった。

 これは死ぬんじゃなかろうかと思ったものだ。

 旦那様が、小児科のお医者様を呼んでごしなったけども熱の原因が見当もつかん。

 しまいには「今夜が峠ですな」と仰った。


 さあ、家永の家から原因不明の人死にが出るなどもってのほか。雇った子守がその当人とあっちゃ、なおさら世間の体裁が悪い。

 なんてね。

 旦那様も奥様も善いお人ですから、ただまっすぐに姉やの身を心配くださったのに違いない。

 お家柄はお人柄。まあそん時のうちがそんな世知辛いこと思ったわけもありません。


 そんなこんなで、今夜が峠。

 うちはもうえらくてしんどくて、

 こんなことならもっと団子を食っておけばよかった。

 ああ、餡ころ餅もいいな。

 しょうこともない。熱でとりとめなくなっていたからな。


 うちはたぶん死ぬんだ。

 でもなんでだろう。

 死ぬって凄いことだわいね。だのに、なんでだかわからんなんて合点がいかん。  

 そう思ったら、なんだか怒りが沸いてきた。

 鼻の奥がつうんとして悔し涙がこみ上げた。


 なんでだ!なんでうちは十やそこらで死なないけんの!

 目を強く見開くと、胸の上に黒い塊が見えた。

   

 息を呑んだ。

 りょうさんが描いてくれた絵にそっくりだった。


 その黒い人がうちになにかを囁いた。

 その声に肝を潰しそうになった時、勢いよく襖が開き、小さい人影が枕元に立った。

 りょうさんだった。

 にこりと笑うと、

「姉やは思ったより強いひとだったね」と言い、次の瞬間には鬼のような気迫をして黒い人を凝視した。

 一言

「去ね」と言い放つ。


 すると、紙の破れる音がして、うちの胸の上におった黒い塊が塵と消えた。


 息が楽になって、とたんに深い眠気が訪れる。

 泥のなかに沈み込んでいくようだ。


 お休みと聞こえたかも知れないが、もう定かじゃない。


 黒い人は「ごめんな。ほんにごめんな」と、蚊の鳴くようなか細い声で言った。

 懐かしい、姉やんの声だった。


 うちはすぐに元気が出て、お見舞いの餡ころ餅をようけ食った。

 なんでだか涙が出た。

 姉やんはもう、こんな美味いもんも食えんとこにいったんだ。


 りょうさんは、相変わらず奇妙なお人だった。

 その小さい坊は、一体全体どうした世界を視ておられるのか。

 果して、魍魎の類を、その領域を、覗いているんだろうか。


 まあ、貧乏人の娘の妄想にすぎぬから、こんなことは誰に話したこともない。



 いい賃金貰って、雨風防げるいい寝床と、お優しい皆さんに囲まれて、この上ない幸せ。

 ひとり姉やんの供養の真似事をしてるのを、りょうさんが見てたのに気がついたけど、気がつかん振りをした。


 だいぶん月日が経って、うちは家永の家から嫁に出た。


 その後も、あの頃のりょうさんのことは忘れたためしがない。

 ほんに、今でも解釈がつかん。

 そう言って、うちが問いただすと決まって涼しげに笑って煙に巻くんです。 

「そうだったかいな。昔のことわすれてまったわい」


 うちのひと。

 名前は瞭。


          ※



 夜語り、ここらで終いと致します。

 何方様も、ご静聴有り難う御座います。




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