9 軍師姫
ラーノから受けた晩餐の誘いをマリアは快く承諾した。
レデンも一緒らしい。その方が好都合だ。
ユリウスの勧めで、ドレスを着ることにした。皇族の晩餐へ正式に呼ばれたのだ。盛装するのが当然だろう。怪我人だというのに、彼はご丁寧に服まで選んでくれた。
マリアが「そんなことに気を遣う暇があったら、さっさと怪我を治せ」と言うと、ユリウスは得意げに笑って「完治してからは、またコキ使われるんだ。勘が鈍らないようにしなきゃならない」と言った。
そんな勘など磨かなくてもいいと思ったが、レーヴェ宮廷では身だしなみや流行にうるさい。普段は軍服さえ着こなしていれば問題なかったアドラとは大違いだった。
鮮やかな青のドレスと甘い香水を纏って、マリアは颯爽と晩餐の間へ足を運んだ。
晩餐の間も見事な造りだった。
壁は一面フレスコ画で埋め尽くされており、随所に色とりどりの果実や花が細やかに彫刻されていた。四隅の柱も金で飾られており、鮮やかで煌びやかな印象を受ける。
部屋の中央に置かれたテーブルの奥に、城主であるレデンが不機嫌そうに座っていた。
左にはラーノ、右にはマリアの見知らぬ青年が控えている。
「本日はお招き頂き、大変光栄です」
「俺が招いたわけではない」
型通りの挨拶をすると、レデンが鼻で笑う。
ラーノが肩を竦めたあと、マリアに着席を促した。
「気にしないでください。陛下は賭けに負けて拗ねていらっしゃるのですよ」
右側に座っていた青年が快活に笑った。
「よ、余計なことを喋るな!」
レデンが慌てて注意するが、青年は素知らぬ振りで立ち上がる。
「お初にお目にかかります、マリア様。自分の名はヤン・ヴァーツラフ・ラウドン。レーヴェ陸軍元帥です。お噂は聞いておりますよ。想像以上にお美しいご婦人で緊張しています!」
「元帥じゃなくて、元帥の息子じゃないか」
「細かいことはどうでもいいではありませんか」
ラウドンの挨拶をレデンが無愛想に訂正する。見たところ、レデンとかなり親しい男のようだ。
大きく見開かれた淡青の瞳と柔らかそうな栗色の髪が印象的で、美男ではないが軍人らしい好青年だ。背が高くて精悍な体躯を包む服も趣味が良い。
「賭けとは?」
マリアが問うと、ラウドンは軍人らしい顔にニッと笑みを浮かべた。
「貴女がズボンを穿いて来るかどうかです」
「別に賭けていたわけじゃない!」
「自分の勝ちですからね。全く、陛下は女心というものがわかっていらっしゃらない」
「うるさい」
マリアは不貞腐れるレデンを見て、思わず笑みをこぼす。
意地の張り方が子供のようでおかしい。早朝に庭を覗いたときも、似たような表情をしていたことを思い出す。
「生意気な田舎娘ゆえ、今日くらいは見栄を張ってしまった。陛下には申し訳ないことをしましたね」
皮肉をたっぷり込めて言うと、レデンが一層唇を曲げた。一方、ラウドンは大きな笑声を上げて盛大に肩を震わせる。
「面白い方だ。陛下、貴方の相手をしてくださるご婦人なんて、そうそういませんよ。いっそのこと、当初の予定通り結婚してみてはいかがですか」
「嫌だ、こんな馬鹿女」
「断る、こんな馬鹿男」
ラウドンの冗談を聞いて、マリアとレデンが真顔で身を乗り出す。
だが、お互いの言動を見て、咳払いをしながら席に座り直した。
食事は前菜にはじまり、スープや魚など十皿以上ある料理をたっぷりと時間をかけて味わうのがレーヴェの流儀らしい。
宝石箱のように美しく飾り付けられた皿の一枚一枚を片付けて、マリアは大いに満足する。西側と東側の文化が混在するレーヴェでは、珍しい料理や食材も多くて楽しい。
ふと、食事中だというのに、ラーノへと視線が吸い寄せられてしまう。
ヘルマンと同じ左利きのようだ。
左手を使って器用に振舞っている姿を見て、「武器を扱うのに不便だから、右利きに矯正した方が良い」と忠告したことを思い出してしまう。結局、ヘルマンは爽やかに笑って流すばかりで、左利きのままだった。
「自分は先日まで東方での守備に就いておりましたので、実戦経験はあります。我が隊は、レーヴェ一の精鋭でしょう」
自分から喋ろうとしないレデンに代わって、ラウドンが話題を振り、ラーノが優しく受け流す。レデンは相変わらずの仏頂面だったが、機嫌は悪くなさそうだ。
やろうと思えば十頭の馬だって持ち上げられる、とか。初陣では、一人で百人の兵士を打ち負かした、とか。ラウドンの話はデタラメだが、洒落が上手く、語り口にも嫌味がない。
「明日はいよいよ、陛下自ら出陣なさる。陛下が自分の勇姿を見たら感動することでしょうね」
「では、墓標にはこう刻んでやろう。カッコイイ姿を見せようと、一人で敵陣へ突っ込んだアホな男ここに眠る、とな」
「これは手厳しい。そうならないように、充分気をつけることにしますよ」
明日の出陣。
その話題を待っていたとばかりに、マリアは皿の上にナイフを置いた。
「二万三千のアドラ軍に対して、一万四千の兵力で挑むそうだな。勝算はあるのか」
マリアの言葉にレデンが眉を寄せる。
ラウドンは一瞬言葉を失ったが、すぐに人の良い笑みを取り戻した。こう言った話題に女が切り込むとは思わなかったようだ。
「マリア様は我が軍の力を知らないのです」
「だが、私はアドラ軍を知っている」
マリアは食器を皿の上に置くと、一呼吸間を置いた。そして、全員に聞こえるよう声を張る。
「断言しよう、並みの戦略では全滅する」
レデンがあからさまな敵意を見せてマリアを睨みつける。
「なにが言いたい?」
だが、マリアは怯むことなく続けた。
「私を戦場へ連れて行って欲しい」
単刀直入に切り出すと、三人の表情が変った。
「アドラへ出した使者の報告は、そちらにも回したと思う。レデン陛下は無実の罪で国を侵されかけている。それは開戦の理由に過ぎないが、理不尽でならないと思わないか。それに、私は祖国の地を踏みたい」
マリアの言わんとすることを汲み取って、レデンが額に手を当てる。彼は正面からマリアの言動を観察すると、ゆっくりと息を吐いた。
「アドラの情報を提供する代わりに、政権の奪還を手伝えと?」
「いや、違う。この四面楚歌の状態を脱却し、帝国の勝利を約束してみせる」
「随分と大きなことを言う」
大見得を切ったが、勝算がないわけではない。
それに、ハインリヒから政権を奪い、アドラへ戻るためには大きな後ろ盾が必須だ――帝国の力を借りなければならない。
「どちらがお前にとって有益か考えると良い。それに、ここで負けて帝国の脆さを露呈すれば、他国は更につけあがる」
「お前の言う通りだ。けれども、その主張には根拠がない。お前の力で本当に勝てるとでも? それに、裏切る可能性もある。こちらの情報を流す代わりに、国へ帰ろうと交渉するつもりかもしれない」
レデンの主張はもっともだ。しかし、マリアは予想通りの言葉を受けて不敵に笑った。
「私に能力があるかは、お前が判断しろ。そうだな……現状から言える戦法は騎兵戦か。レーヴェは歩兵の質ではアドラに劣るが、東方の蛮族との戦いで鍛えられた騎兵はなかなか使えそうだ。アドラ産の馬は大きく、小回りが利かず機動性に乏しいという弱点がある」
「我が国の騎兵をお褒め頂き、光栄です。しかし、マリア様。騎兵で突撃するばかりでは、銃で狙い撃ちにされて終わりです」
マリアの言葉にラウドンが苦笑いした。けれども、マリアは不敵に笑って続ける。
「レーヴェ軍が使用している銃はアドラに比べて随分と旧いものだ。あんな銃は西側では、もう骨董品扱いだよ。訓練の質も悪い。実績のある騎兵を使った戦いになるよう仕向けるしか、数の差を覆すことは出来ないだろう? 騎兵の突破口を開く弾薬量を確保出来るという点では、レーヴェに分がある。使える財源が違うからな。それに、レーヴェ軍が使用している武器は確かに旧式だが、量産に適したものだ。特に考えもなしに、阿呆のように作って持って行っているのではないか? 有効な配置をしてやれば、弾薬を腐らせずに済むぞ?」
反論の隙も与えぬ間に、持論を一気に語る。
城内を自由に歩けるようになってから集めたレーヴェ軍の情報を自分なりに分析し、導き出した結果だ。
勿論、武器庫や兵の訓練を見たわけではない。城内の兵の様子や装備を細かく観察して、推測した部分が大きかった。
アドラで女に生まれたことを嘆かれた軍才を発揮するときは、今しかない。
「情報漏洩が心配なら、私に監視をつけてもいい。なんなら、何処へも行かないようにお前と身体を紐か鎖で繋いでみるか」
マリアの弁にレデンが言葉をなくす。一同も沈黙し、部屋に静寂が落ちる。
だが、やがて室内に明るい笑声が響いた。
「思った以上に面白いご婦人だ。どうでしょう、陛下。試しに彼女を同行させてみましょう。駄目だと仰るなら、自分が私的に連れて行っても構いません」
ラウドンの言葉にラーノが腰を浮かせて反応する。彼は優しげな顔に不安の色を浮かべていた。
「しかし、マリアさんは女性です。同行させるのは危険ではないでしょうか」
「女だからと言って遠慮しなくてもいい。仮に私が戦死しても、咎める者はいないだろう?」
「けれど」
「――わかった、好きなようにしろ」
ラーノの言葉を遮って、レデンが低く呟く。彼は静かに席を立つと、夜色の眼をマリアに向ける。
「ただし、監視はつける。これだけの大見得を切ったんだ。使い物にならないようなら、それなりの処罰は覚悟しておけ。お前の要求を呑むかは、功績次第だ」
「それで充分だ。私が失敗したら、処刑でも追放でも好きにするといい」
マリアの言葉を背中で聞いて、レデンは晩餐の間を後にした。ラーノとラウドンもそれに続く。
「期待していますよ、マリア様」
去り際にラウドンがかけた一言にマリアは微笑する。
「もう、負けはしない」
やってみせる。
なにも出来ずに終わるくらいなら、精一杯抗って死ぬ方がマシだ。
† † † † † † †
「兄上! 何故、あんな許可を出したのですか」
「あの女が言い出したことだ。俺に非はない」
レデンは責め立てるラーノを振り返りもせず、自室へ続く回廊を大股で歩いた。
彼自身も未だに疑心暗鬼だった。
マリアは信用するに値する人物かもしれない。しかし、彼女の言う通りに上手くいくだろうか。
アドラでは軍人の教育を受けたことは聞いている。先ほどの弁論もよく出来ており、レーヴェで優秀な将校と評価されるラウドンも圧倒されていた。
女に助けを求めるとは、些か情けないかもしれない。それも、敵国から来た王女である。
けれども、今のレーヴェに頼れる人材がいるだろうか。大臣たちは保身に走り、レーヴェのことを考えて行動する者などいない。
試してみる価値はある。
ようやく、メインキャラ出揃いました。
改めて人物整理。
・マリア……アドラ王女。軍事教育を受けて男のように育った。祖国から捨てられ、予定されていた婚約も破棄された。
・レデン……レーヴェ皇帝。前皇帝殺害の嫌疑がかけられ、他国から領土を侵略されている。
・ユリウス……マリアの従者兼友人。女装にハマっている。
・ラーノ……レデンの弟。死んだマリアの友人に似ている。基本的に紳士。
・ハインリヒ……マリアの弟。国王を薬漬けにして、アドラの実権を握っている。
・ラウドン……レーヴェの軍人。騎兵部隊の隊長で、言うことがデタラメ。