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8 決意の朝

 なんとなく、時間が経ったのだと思ってください。


 途中で視点が変わります。

 

 

 

 朝靄の向こうに暁の橙が広がりはじめる。

 目覚めの朝を迎えたばかりの城内をレデンは人目を偲んで歩いた。そして、目的の花壇の前に立つ。

 綻びはじめた薔薇のつぼみが朝露を纏って美しく輝いていた。レデンの仕事は、花たちが一層美しく見えるように整えてやることだ。


 幼い頃は義務で覚えさせられた園芸や剪定も、今では半ば趣味のようになっていた。

 温かい土に触れていると落ち着く。昔から、苛立ちを抑えるには土弄りが丁度良かった。自分が手を入れた庭が美しくなるのを見ると、尚気分が良い。


 本当はこんなことをしている場合ではない。

 アドラとの会戦を控えている。三日後には、レデンが軍を率いて出陣することになっている。他の連合国も着々と侵攻の準備を進めつつあった。

 国境を越えた敵軍が二万三千に対して、現状で動員出来るレーヴェ軍は一万四千。レーヴェは急いで軍を掻き集めたため、周到に用意していたアドラ軍よりも数が下回ってしまった。

 保身に走る大臣たちも当てにならず、レデンの周りには誰一人頼れる者がいなかった。

 レデン自身も、国も、完全に孤立している。

 希望はないのだろうか――。


「ふん、朝早くから精が出るな」


 一通り作業を終えた頃に、バルコニーから声がかかる。

 マリアがしたたかな微笑を浮かべてこちらを見下ろしていた。既に夜着ではなく、生意気な男装姿だ。

 レデンはばつが悪くなって顔を背けた。


「覗き見など……趣味の悪い田舎娘め」

「お前が勝手に私の部屋の前にいただけだろう? 窓の外を見ることを禁止するか?」

 口答えのうるさい小娘だ。

 レデンは舌打ちすると、そのまま立ち去ろうと園芸道具を担ぎ上げる。


「お前が手入れしてくれていたのか?」

「……悪いか」

 マリアを見ようともしないまま、レデンは不貞腐れた返事をする。

 どうせ、皮肉を言って笑うつもりだろう。皇帝が庭弄りを趣味にするなど、他国からは理解されない。

 だが、マリアは真っ直ぐにレデンを見下ろすと、意外な言葉を発した。


「ありがとう。その庭を見ていると、いつも励まされる」

 皮肉も偽りもない言葉に、レデンは慌てて顔を上げる。

「別に、お前に見せるための庭じゃない」

「それでも、私がこの庭が好きなのは事実だ」

 徐々に朝靄が晴れ、朝日がプラーガ城を包みはじめる。

 城の白亜が燃えるように輝き、マリアの立つバルコニーにも光が射した。

 朝陽を受けてマリアの髪が黄金の光をはらみ、男装に身を包んでいようとも損なわれることのない美しさを映し出す。


「一つ聞いてもいいか」

 発せられた言葉に、レデンは息を呑んだ。

 マリアは躊躇うように眼を伏せていたが、やがて、決心して口を開く。

「陛下を殺したのは、お前ではないんだな?」

 ぶつけられた疑念に、レデンは押し黙る。

 まだ父を殺した犯人は見つかっていない。もしかすると、見つからないかもしれない。真実が明らかにならない限り、レデンに関する疑惑は晴れないだろう。

 それでも、何故だ。

 この娘は、自分を信じてくれる気がした。根拠はない。ただ、彼女の抱えるものは、恐らく、自分が抱える孤独と似ている気がする。

 レデンは夜を宿した瞳でマリアを見据えた。


「俺はやっていない」

 マリアが少しだけ微笑んで、バルコニーの柵から身を離す。

「そうか」

 返ってきたのは一言だけだった。それでも、彼女の心がわかった気がした。

 レデンは踵を返して庭から去る。

 昇りゆく朝日に輝く帝都の街並みが眩しかった。




 † † † † † † †




「ユーリが?」

 使者の報告を聞き、マリアは思わず椅子から腰を浮かせる。

 アドラへ発って以来、連絡がなかったユリウスが帰還した。それも、負傷しているらしい。

 マリアは真っ先に彼の身を案じ、すぐにユリウスがいる部屋へ案内させた。最近では、城内であればある程度の自由が認められているので、行動は楽だった。


「ユーリ」

 寝台に横たわっているユリウスを見て、マリアは我を忘れて駆け出した。ユリウスの元々白かった寝顔からは血の気が引いており、酷く青ざめて見える。

「……マリ、ア……?」

 閉じられていた若草色の瞳がゆっくりと開く。

 ユリウスが意識を取り戻し、マリアは安堵の笑みを漏らす。ようやく友人が自分の元に帰ってきてくれたことを実感した。


 ユリウスは身を起こそうとするが、傷口の痛みに表情を歪める。

 マリアは彼の身体を支えて、ゆっくりと寝台に倒した。アドラから馬に乗っていたせいで、随分と疲労しているようだ。まだ動いてはいけない。


「君、その格好どうしたんだよ。もう猫被るの飽きちゃったのかい?」

 男装したマリアに対して、ユリウスは皮肉っぽく笑った。マリアは改めて自分の姿を見下ろした後、開き直って肩を竦める。

「私に一番似合う服を探していたら、これしかなかった」

「そうだね。君には、それが一番似合う」

 ユリウスは軽口を叩くと、悪戯っぽく笑った。

 だが、すぐに真剣な表情を浮かべてマリアを見据える。


「アドラで事実を確認してきた。最悪だ……ハインリヒ殿下が謀反を起こしている」

 ハインリヒが国王を操り、戦争を仕掛けた。レーヴェ皇帝の暗殺も、全て彼が裏で糸を引いていたのだ。ユリウスも殺されそうになりながら逃げてきた。

 ユリウスの報告を、マリアは信じることが出来なかった。

 頭が良いせいか生意気なところはあったが、彼女の知るハインリヒがそのようなことをするとは思えない。彼はまだ十二歳の少年ではないか。

 だが、ユリウスは事実だと言い張った。


「ハインリヒ……!」

 マリアはきゅっと唇を噛み締めた。

 恐ろしいほど冷静にユリウスの言葉を飲み込んで、空色の眼を伏せる。


 自分はまだ捨てられてなどいないかもしれない。もしかしたら、祖国へ帰れるかもしれない。そう思っていた幻想が一気に崩れた。

 祖国はマリアを捨てた。帰り着いたとしても、懐かしいと思っていた家族もいない。もう、あそこにマリアの味方はいないのだ。


 もう何処にもない。


 マリアの帰る場所は何処にもない。

 家族さえもいなくなってしまった。

 たった一人残された弟は反逆の玉座に就いている。

 そうまでして、ハインリヒは権力が欲しかったというのだろうか。父を貶め、母や兄を退けてまで、玉座を望んでいたというのだろうか。


 許せなかった。


 そこまでして権力に固執した弟が許せなかった。

 彼は自ら平和を乱し、争いを巻き起こした。レーヴェやアドラの多くの民を巻き込むことも厭わないというのだろうか。


「マリア」

 ユリウスが心配そうにマリアの顔を覗き込む。

 だが、マリアは小さく首を振って彼の視線を振り払った。

「同情はよせ。国を追われたのは私だけじゃない」

 マリアの従者であるユリウスも境遇は同じだ。彼だって、国から逃げ延びてきた。

 マリアは決意を固め、機敏な動作ですっと立ち上がる。肩を掠める空気が軽く、心地よく感じた。


「私は絶望などしない……必ず、再びアドラの地を踏む」


 決めたのだ、強くなると。

 マリアはまだ弱い。

 しかし、なにもしなければ変わらないし、なにも守れない。

 なにもしないことは、死んでいるのと同じだ。

 マリアは生きている。


「今度こそ、運命を変えてみせる」

 

 

 

 次回、ようやくあらすじの場面へ。

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