7 兇王
ユリウスのフルネームと男装がお披露目です。
アドラ王国、首都ベルジーナ。
曇天が垂れ下がる石造りの王都を、冷たい風が吹き抜ける。
四月に入ったとは言え、大陸北西に位置するこの国では、まだまだ寒い日々が続いていた。
灰色の流れを湛える大河に臨むベルジーナ宮殿の長い回廊を、ユリウスはせっかちに歩く。ただでさえ寒いと言うのに、大理石の回廊は熱が篭らずに底冷えする。
先日までレーヴェにいたせいか、ベルジーナ宮殿の飾り気のなさを物足りなく感じた。
石壁の彫刻や、銅製の置物は見事なものだが、華やかさには欠ける。なかなか気に入っていたドレスを脱いで、堅苦しい濃紺の軍服を着なければならないのも味気ない。
文官よりも武官の優位が認められているアドラでは、擦れ違うのは軍人ばかり。マリアはレーヴェに馴染めない様子だったが、ユリウスとしては、あちらの方が心地良い。
「生まれてくる国を間違ったに違いないね」
意味もなく独りごちて、深い溜息を吐く。
やがて、長い回廊の突き当たりに差し掛かる。他とは違う豪奢な彫刻が施された胡桃材の扉の前に立つと、ユリウスは改めて姿勢を正した。
「ユリウス・フォン・カイザーリング、只今到着いたしました」
ユリウスの名乗りに応じて、衛兵が胡桃材の扉を開く。
いつもなら、国王が無愛想な声で「入れ」と命じるのだが、この日は例外らしい。
それとも、マリアの遣いであるユリウスになどに声をかけたくないと言うのだろうか。
いずれにせよ、冷遇は覚悟しなければならない。ユリウスは表情を引き締め、中から歩み出た赤毛の青年の先導に従って謁見の間へ足を踏み入れた。
「こちらへ」
侍従を変えたのだろうか。
ひょろりと背が高く、表情に乏しい青年は確か、第二王子ハインリヒ付の従者アイヒェルだ。
アイヒェルは一瞬、ユリウスを睨んだように見えたが、すぐに無表情に戻る。
大きな暖炉が備え付けられた部屋の最奥に、国王は座していた。
恰幅の良い身体を軍服に押し込み、杖を持つ姿は玉座であっても変わらない。褐色の巻き毛に囲まれた顔は厳かに引き締まっており、無愛想をより一層強調していた。
「ご機嫌麗しゅう、陛下。久方ぶりですが、お身体の方はいかがでございますか?」
国王の前でユリウスは機敏な動作で跪き、頭を垂れる。
だが、国王の返答がない。余程機嫌が悪いのか、嫌われているのか、ユリウスは不安になって、ゆっくりと視線を持ち上げた。
国王は心地良さそうな肘掛に身を委ねたまま、姿勢を直そうともしていない。それどころか、ユリウスの方さえ見ていないようだった。
「陛下?」
違和感を覚え、ユリウスが身を起こす。
「あっはは! 残念でした!」
玉座の後ろから甲高い子供の声が上がった。瞬間、耳をつんざく雷鳴のような破裂音が室内に響き渡る。
部屋の片隅で白い硝煙が上がった。
火を噴いた銃を下げるアイヒェルを見て、ユリウスは若草色の瞳を丸める。
左肩を貫いた激痛に耐え切れず、その場に膝をついて蹲った。
「なに、を」
溢れ出る血液が濃紺の軍服に染みて黒く濡れる。一瞬で視界が暗転して意識を手放しそうになったが、なんとか歯を食いしばって耐え切った。
傷口を押さえても、緋色は止まることなく流れ出し、床に敷かれた絨毯を濡らしていく。
「意外としぶといね、カイザーリング卿。噂では、軍人らしくない遊び人だって聞いていたのに」
ユリウスは荒い呼吸を繰り返しながら身を起こす。そして、玉座の後ろから歩み出た人物を睨みつけた。
「ハインリヒ殿下」
驚愕しながら、ユリウスは玉座の人物の名を呼んだ。
「なぁに? ぼくじゃ不満かい?」
齢十二の第二王子は楽しそうに哄笑しながら、ユリウスの前に歩く。
姉と同じシルバーブロンドの髪に取り囲まれた白い顔は無垢な笑みを浮かべており、状況が違っていたなら天使に見えるほど愛らしい。
しかし、今は無垢な顔がとてつもなく恐ろしく感じた。
「陛下になにを……」
「口を慎め、カイザーリング卿。ぼくを誰だと思っている。跪いて頭を垂れろよ」
立ち上がろうとするユリウスの右太腿を銃弾が撃ち抜く。
背後でアイヒェルがもう一発銃弾を装填する音が聞こえた。
「あぁッ、ぐッ」
激痛の走る足ではバランスを取ることが出来ず、ユリウスは呆気なく床に転がった。
ハインリヒは噎せ返るような血の香りに臆することなく、亜麻色の髪に覆われたユリウスの頭を踏みつける。
「おまえ、この間までぼくを子供扱いしてたでしょ。姉上のおまけみたいに扱って、玩具なんて贈ってさ。気に入らなかったんだ。いい気味だよ」
肩の傷口を踵で蹴りつけられ、ユリウスは呻き声を上げる。
「いったい、どういう」
「わかってないなぁ。おまえ、馬鹿じゃないの?」
ハインリヒは血のついた靴底を汚らしく絨毯に擦り付けながら、唇を尖らせる。
「……ハイン、リ……」
背後の玉座で、今まで微動だにしなかった国王が小刻みに身体を痙攣させる。
ハインリヒは面倒くさそうにポケットに手を突っ込んだ。
「父上があんまりにも馬鹿だからさぁ。ぼくが、がんばってるんだよ」
ハインリヒはあっさり言うと、国王の膝に飛び乗る。
彼がポケットから取り出した小瓶の蓋を開けると、国王は興奮した様子で息子の手を握った。
「はや、早、く!」
震える手で小瓶を掴み取ると、国王は中に入っていた小粒を飲み込むように口へ運び入れる。
「……麻薬か」
王の様子を見て、ユリウスが低く呟く。すると、ハインリヒが甲高い笑声を上げた。
「そうだよ。父上はぼくの言うことを聞くしかないんだ」
ハインリヒは国王を薬漬けにして傀儡にしている。それも、大陸東方で生産されるかなり中毒性が高い種の薬のようだ。国王は自分ではほとんど身体を動かすことも出来ず、ただ幼い息子の言いなりとなっている。
「どうして」
「言ったでしょ? 父上が馬鹿だからさ。レーヴェと同盟なんて、アドラの軍事力を良いように使われるだけだよ。今の時代、何処の国もあそこの領土を狙ってるってのにさ。あんなデカイだけの古臭い国、格好の餌食だと思わない? 他国や貴族たちに打診したら、アッサリとアドラの味方をしてくれたよ」
「レーヴェ皇帝を暗殺したのは」
「言ったでしょ。ぼくには協力者がたぁーくさんいるんだよ? 撒いた駒が上手く動いてくれて、とっても満足しているよ」
確かに、同盟に反対する勢力はあったし、他国と結んでレーヴェへ攻め込んだ方が利益は大きいだろう。
しかし、国王は飽くまでも侵略による繁栄は望まなかった。軍備の拡張は小国が生き残るための自衛であり、武器ではないと宣言したのだ。
だからこそ、マリアがレーヴェに嫁ぐことになった。争いによらない平和的な国家の繁栄のために。
それなのに、ハインリヒは国王を操った上にレーヴェ皇帝を暗殺し、戦争を引き起こした。
「マティアス殿下は……マティアス殿下や王妃陛下は国王の意思に賛同していた! こんな事態を許すはずがない!」
「兄上と母上? ああ、そうか。まだ公表してなかったもんね。ごめんごめん。そんなの、とっくにいなくなっちゃったよ。母上は事故に見せかけて、馬車で谷底に真っ逆さま。兄上は気づいて国外逃亡しちゃったから、捕まえておかなきゃね。父上だって用が済めば、もう要らない」
「貴様……ッ!」
わざとらしく肩を竦めるハインリヒに、ユリウスは激しい怒声を浴びせる。だが、立ち上がる力など残されておらず、血溜まりに沈む。
「そんなに怒らないでよ。最初は、もっと平和的に解決しようとしたんだよ? 姉上を好きだとか言っていた物好きを唆してね」
「平和的……? 唆す……?」
「結婚するはずの王女が従者と駆け落ちなんて聞いたら、向こうから仕掛けてくれるかなって? なのに、事が露見する前に誰かがダメにしたんだよ」
ヘルマンのことを聞き、ユリウスは血の気の引いた顔を更に青くする。そして、聞きたくないと言いたげに額を床に擦り付けた。
「やめ……」
「上手くいけば姉上はしたくもない結婚だってしなかったし、ぼくもこんな手段は使わなかった……駄目にしたのは、いったい誰だったかな?」
「やめてくれ……やめて、くれ!」
「父上に密告して、その上、今ものうのうと姉上の傍に居座り続けている裏切り者は――」
「違うッ!」
違う。
あれは、違う。
間違ってなんかいない。
「違わないでしょ? 国の政策を守った英雄気取りだったの? それとも、姉上を盗られるのが嫌だったの?」
「違う……違う! 僕は……違、う。マリア……ッ!」
絨毯に滲むのが血なのか、涙なのかわからなかった。
痛みで泣き叫ぶことはしなかったのに、音を立てて震える奥歯の間から漏れる嗚咽は抑えることが出来ない。
「あれ、ごめんなさぁい。言い過ぎた?」
ハインリヒは軽やかに歩み寄り、ユリウスの前髪を無理やり掴み上げる。
「お前みたいな男に、姉上は相応しくないよ」
ユリウスの虚ろな視線の先で、天使の皮を被った悪魔が唇の端を吊り上げた。
ユリウスが女装していないと落ち着きません。