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5 開戦

 途中で視点が変わります。

 

 

 

 我がレーヴェ帝国に交渉の意思はない。

 第十七代レーヴェ皇帝レデン・ベドルジィヒ・プフェミスル=レーヴェは、他国に侵されることのない正統な帝位継承者である。貴国が武力による侵略に及ぶのであれば、帝国は全力をもってこれを制圧するであろう。



「馬鹿な」


 帝国は領土割譲に応じない意思の文書を書き送り、アドラ国境の軍備を強化した。

 しかし、間もなくして、レーヴェと国境が隣接する西側諸国が次々と宣戦布告。アドラとの同盟を表明しはじめた。

 たちまち、広大な帝国西側を敵国によって包囲される形となってしまった。

 皇帝となったレデンは各国から寄せられた書簡を握り潰しながら、苛立ちを露わにする。

「兄上……」

 玉座の傍らでラーノが不安げに声を漏らす。


 レーヴェの総軍事力は十五万。

 対して、軍事国家であるとは言え、小国のアドラは七万程度。

 当初は容易い戦争だと思われていた。

 しかし、そこへ西側諸国がアドラへの加勢を決めたことで事態は一変。敵連合軍の総兵力は十四万まで跳ね上がったのだ。

 こうなると、国境線が大きく、兵力を分散させなければならないレーヴェが不利となる。西側の戦にかまけて帝国東側の軍備を削げば、今度は東方諸国に背後を突かれかねない。


 広大な帝国領は、それだけで大きな勢力として充分な威嚇効果を持っていた。しかし、攻め込めるだけの理由と勢力が整えば、呆気なく蹂躙される格好の餌食でもある。

 今回の件で、レーヴェの脆さが最悪の形で明るみに出てしまった。


「ブランフォコン国王からの回答はないのか。あそこには叔母上が嫁いでいる。あの国が協力するなら、アドラを挟撃できるかもしれない」

「残念ながら、回答はございません」

「グリューネは?」

「陛下、グリューネ国王からは中立を表明する文書が届いております」


 他国は当てにならない。

 レデンは舌打ちし、玉座を囲む大臣たちを一瞥した。

 頭に白髪を生やした老人たちは、国家の危機だというのに暢気に落ち着き払っている。必死になっているのは、侵略によって自分の領土が侵される可能性があるシロンスク州の貴族たちばかりだ。

 どいつもこいつも、自分の保身しか考えていない。レデンは漆黒の髪を掻き毟った。


 自分を見る視線が冷たい。

 こんな茶番に騙される者はいないだろうと思っていたが、違うらしい。

 レデンが父親に反発する姿は、以前から頻繁に見られていた。母である皇妃が病死してからは顕著になり、城にも寄りつかず、郊外の離宮に引き籠ることも多かったほどだ。

 アドラとの政略結婚が取り決められてからは、親子の対立は激化。一時期は、レデンの帝位継承権を剥奪するかもしれない事態に陥っていた。


 だが、だからと言って、帝位の略奪など画策しない。しかも、このような茶番じみた方法など取るはずがないではないか。

 そんなことは誰が見てもわかる。されど、確証がない限り疑念は晴れない。

 小さな疑惑が揺らぎとなり、国家の足並みを乱していた。


 誰も自分を信じてくれないし、誰のことも信じることが出来ない。

 誰も頼れないのだ。


「兄上」

 大臣たちとの会議を終えて、ラーノがレデンへ歩み寄る。近衛騎士団長を務める皇子をレデンは横目で睨む。

「どうなさるおつもりですか」

「……領土をくれてやるつもりはない」

「しかし、この状況で戦うのは、あまりに無謀ではないでしょうか。ここは、領土を割譲して戦いを避けるべきかと――」

「易々と領土割譲など出来ない。味を占めて、つけあがるに決まっている。相手の思う壺だ」

 しつこく食い下がるラーノを押し退けて、レデンは肩で風を切った。


「あの女は、どうしている?」

「アドラの王女は宛てがわれた部屋で大人しく過ごしているそうです」

「そうか」

 敵国の王女。

 同盟の証として、レデンの妃となるはずだった娘だ。彼女は祖国に裏切られ、捨てられたも同然の立場だった。


 不意に、美しい容貌と裏腹に見せる気丈な態度と、強い眼差しを思い浮かべる。

 祖国に捨てられ、彼女はどうしているだろう。並みの女のように泣いて慈悲でも乞うだろうか。


 単純に興味が湧いた。


 晴れていた青空は闇に侵食され、夜が近づきつつある。

 藍色の黄昏に一つだけ輝く宵の明星が、やけに美しく思えた。




 † † † † † † †




 ユリウスをアドラへ送った矢先、マリアの元に使者が寄越される。

 戴冠式は見送られているが、皇帝として即位したレデンがマリアを自室に招きたいようだ。

 その招待を聞いたとき、マリアは思わず眉を寄せた。


「断る。私は慰みものではない!」


 そう言い放って使者を追い返す。

 レデンの置かれた状況は危機的だ。その気を紛らわすために、敵国の王女を蹂躙しようというのだろうか。

 祖国に捨てられたマリアの心を痛めつけて楽しむつもりか。それとも、今更マリアが媚びて慈悲を乞うとでも思っているのだろうか。

 屈して堪るか。


 その後も、何回かレデンからの誘いがあったが、マリアは全て断り続けた。

 マリアは更に反抗の意を示そうと、動きにくいドレスを脱ぎ捨てる。そして、アドラにいたときと同じように男の服を身につけるようになった。

 男の服を着て足組みして座るマリアを見て、女中たちは奇妙な視線を向けた。

 マリアは気にせぬ振りをする。


 男の女装は流行っているくせに、女の男装が奇異に見られるなんて、変わった国だ。軟弱で女々しい印象すら受ける。こんな国に嫁ぐ予定だったのかと思うと、マリアは心底吐き気がした。

 ユリウスがいてくれれば、愚痴の一つも吐けるのに。友人の有難さを痛感し、マリアは氷のように冷たい窓にそっと触れた。

 暗い夜空から降り注ぐ雨が薄いガラスを叩き、水の音色を奏でている。

 きっと、暗い庭では花々が露を纏って輝いていることだろう。この国は嫌いだが、窓から見える庭や街の風景は好きだった。


 だが、次の瞬間、窓の外に気配を感じる。

 マリアは暗い部屋にたった一つ灯された燭台を掴んで、バルコニーの窓を開けた。雨と共に冷たい夜風が室内に舞い込み、カーテンが船の帆のように膨らむ。


「なんの用だ」

 バルコニーに立った人物を見て、マリアは敵意を剥き出しにする。

 その反応も見通していたかのように、レデンは漆黒の瞳に不敵な微笑を浮かべた。そして、まるで夜闇から這い出るかのように、無遠慮な動作で部屋の中へ踏み込む。


「呼んでも来ないから、訪ねてやった」

「夜中に女の部屋に窓から入るのが帝国の礼儀なのか」

 気丈に振舞いながら、マリアは一歩ずつ部屋の奥に下がった。遠くの空で燻るように、雷鳴が唸っている。

「礼儀を知らない田舎娘に、礼節を守ってやる義務などない……本当に男の服を着ていたなんて驚きだな。だが、そっちの方が無礼な田舎娘には似合いだろうさ」

「ふん。大方、田舎娘一人落とせない皇帝だと笑われるのが嫌で、人目を避けたのだろう? 新しいレーヴェ皇帝は『隠し事』がお好きのようだ」

 隠し事、の部分を強調してやると、レデンは押し黙った。

 マリアは構わず続けた。


「私が泣き寝入るとでも思ったか。まさか、私が落ちれば事態が好転するとでも? お前がやっているのは、ただの気休めに過ぎない。国よりも小さな誇りを守りたいと思っているのなら、お前の器も知れているな」

 相手の身分も考えずになにを言っているのだろう。

 ユリウスが傍にいたら、仲裁に入っていたに違いない。自分でもわかっていながら、マリアは整った顔に冷笑を浮かべた。

「それ以上言ったら」

「どうする? この前のように殴るか。泣いて詫びるまで犯してみるか。それとも、不逞者として処罰するか。どうする、皇帝陛下?」

 今のマリアは媚びる必要もない。それが原因で処罰されたとしても、一向に構わなかった。

 どうせ、捨てられた敵国の王女の扱いなど知れている。それなら、自分の誇りを守っても良いではないか。


 結局のところ、マリアもつまらない誇りに固執しているだけだ。きっと、レデンが守ろうとしたものと同じくらい、小さくてつまらないだろう。


「なにか言い返さないのか?」

 言葉を重ねるごとに、レデンが拳を握り締め、顔に怒りの色を滲ませていく。

「言わせておけば」

 ついに華奢なマリアの胸倉を掴み、突き飛ばすように寝台へ押し倒す。

 床に投げ出された燭台の灯が消え、室内が暗闇に包まれた。


「お前に俺のなにがわかる!」


 殴りつけるような怒声が降り注ぐ。

 だが、マリアも負けずと声を張り上げた。


「お前こそ、私のなにがわかる!」


 互いの胸中を吐露する叫びが室内に響き渡る。

 レデンの雨で濡れた髪から滴る雫が、涙のように冷たかった。


 レデンはマリアのことをなにも知らない。

 同時に、マリアもレデンのことをなにも知らない。


 それでも、レデンの痛みを感じ取ることが出来た。

 マリアは国の駒にされ、捨てられた。レデンは皇帝暗殺の嫌疑をかけられ、国を蹂躙されようとしている。

 同じではないが、似た孤独。

 きっと、マリアが彼なら、同じことをしたかもしれない。まるで、自分を見ているみたいで、マリアは逃れるようにレデンから顔を逸らす。


 なにも変わっていないじゃないか。


 強くなると誓ったはずが、いつの間にか、ただ強がることを覚えていた。そのことに気づいて、マリアは悔しくて堪らなくなった。


「さっきの威勢はどうした」

 いつの間にか沈黙していたマリアを見下ろして、レデンが呟く。マリアは力なく唇を噛み締めると、レデンの手を払い除けた。

「うるさい」

 首を起こすと、頬を雨の雫が滴り落ちた。

 だが、それが自分の涙だと気づいて、マリアは愕然とする。


「今更泣いてどうする……」


 本当に、どうして今更泣いているのだろう。

 痛いほどの沈黙の中で嗚咽を漏らさぬように、マリアは歯を食いしばって涙を流し続けた。


 私は本当に馬鹿だ。


 心中で叫び続けた言葉が、いつまでも響くようだった。

 

 

 

※レデン陛下は据え膳を食わずに帰りました※

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