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4 愚かな姫

 

 

 

「まったく、貴女は……内緒ですからね」


 そう言って笑う黄昏色の瞳が、マリアはとても好きだった。


 ヘルマン・フォン・カイトはマリアの近習であり、頼れる友人の一人だった。

 いつも優しくて控えめで、それでいて、一度決めたことは曲げない頑固さを持っていた。マリアの我侭や弱音を一番傍で聞いて、いつも慰めの言葉をくれる。


 市街の様子に興味を持ったマリアのために宮殿を抜け出す手引きをしたり、時には街の若者のようにくだらない遊びに付き合ったり。

 マリアにとって、ヘルマンは失いたくない親友だった。


 しかし、


「ずっと、お慕いしておりました」


 マリアの婚約が決まった昨年の秋、へルマンが頭を垂れた。そして告げられた言葉に、マリアはどうすれば良いのかわからなくなってしまった。


 隣国の皇子との婚約が決まって、マリアは不満を覚えていた。

 女でありながら軍人の教育など受けさせられたというのに、結局、最後は外交の駒として結婚させられてしまう。父王の都合の良いように扱われ、幾度も自分の運命を呪った。

 どうして、神はこのような運命を与えるのか、何度も何度も問い続けた。

 恐らく、ヘルマンはマリアの気持ちを読み取っていたのだろう。


「もしも、殿下が望まれるのであれば、私が何処までもお供します」


 国外への逃亡。しかし、マリアはヘルマンの提案を受け入れることが出来なかった。

 いくら結婚したくなくても、マリアは一国の王女だ。我侭が通るとは露とも思っていない。

 それに、マリアには彼の想いに応えることが出来なかった。マリアは彼に友情を抱いても、愛情を抱くことは出来なかったのだ。


 それなのに。


 それなのに、マリアはヘルマンになにも言えなかった。

 答えは出ている。けれども、マリアは彼の申し出を断ることが出来なかったのだ。


 はっきりとした理由はマリア自身にもわからない。

 きっと、何処かで迷っていたのかもしれない。

 ヘルマンの愛を踏みにじることが怖かったのかもしれない。

 彼の提案に惹かれる自分がいたのかもしれない。

 なにもかも捨てて逃げ出してしまいたいと思う弱い自分がいたに違いない。

 与えられた運命を変えたいと願う自分がいたに違いなかった。


 愚かだった。


 マリアの行為は矛盾に満ちていた。それが国だけでなく、友人だったヘルマンをも裏切る行為だとわかっていたのに。


 だが、所詮は浅はかな計画だった。

 あっさりと露見し、国外への逃亡を計ろうとした反逆者として、二人に追っ手が迫った。ヘルマンはマリアを必死に庇って抵抗した。


「ヘルマン!」

 マリアのために抵抗したヘルマンの首筋を兵士の剣が掠める。命に別状はないが、傷跡として残る深いものだった。紅い血を流しながらも、懸命にマリアの手を引くヘルマンの姿が今でも忘れられない。


 やがて、捕らえられたマリアはヘルマンと共に国王の前に立たされた。

 口を噤むマリアに王は罵声を浴びせる。マリアは沈黙を守り続け、やがて、逆上した王が手を上げた。


 そんなとき、最初に口を開いたのはヘルマンだった。


「真実を申し上げます。私が王女殿下を誘拐しようと計画しました。お優しい殿下は、私を庇ってくださっているだけです」

 マリアは即座に反論しようとした。だが、一瞬、ヘルマンと視線がぶつかった。


「内緒ですよ」


 まるで、子供の悪戯を見逃す大人のような微笑。

 優しくて温かいが、意志の強さをはらんだ表情が瞳に焼きついた。

 いつものように笑うヘルマンを見て、マリアはなにも言えなくなった。なにも言えないまま、兵士たちに連行されるヘルマンの背中を見送った。


 ヘルマンが処刑されたと聞いたのは、それから一週間後だった。マリアは軽い罰則を受けて数週間、幽閉されるだけで済んだ。

 国を捨てる幻想を抱き、友人を死に追いやった愚かなマリアには、軽すぎる罰だ。


 最低だった。


 どうして、あの時、なにも決断出来なかったのだろう。

 国に残ることも、王女として生きることも、ヘルマンを受け入れることも、なにも決断出来なかったマリアの愚かさが招いた結果だった。




 † † † † † † †




「なんだよ、あれ。従者が部屋に入るのも渋ってやがる」

 ついつい口汚い言葉を吐くユリウスに、マリアは苦笑いした。そして、余計なことは考えないように頭を軽く横に振る。


 レーヴェに来てから馴染みとなっている真紅のドレスとリボンが揺れる。どうやら、ユリウス本人も気に入っているようで、脱ぐ気はないらしい。

 ユリウスは窓際に座っていたマリアの傍まで歩み寄ると、柔らかく微笑んだ。


「またロクでもないこと考えてただろ」

「……ロクでもないことを考える暇があるように見えるか」

「ないね。今は、書簡の真偽と新しい皇帝の出方を探るべきだ。それ以外のことは、ロクでもないことじゃないか」

 見透かされていたようだ。

 マリアはユリウスから視線を逸らした。


「ラーノ殿下か……びっくりしたよ。僕が見ても、あれはヘルマンに似すぎていた」

「気を遣ってくれる必要はない。私は大丈夫だ」

「大丈夫なようには見えないよ」

「大丈夫だ」

 振り切るように言いながら、マリアは椅子から立ち上がろうとする。

 しかし、ユリウスは彼女の肩に手を置き、それを阻んだ。


「いいか、マリア。よく聞けよ」

 息がかかるほど間近でユリウスに顔を覗かれ、マリアは辟易する。

「もしかすると、誰も信じられなくなるかもしれない。帝国の連中も、アドラの人間も……でも、これだけは覚えておいてくれ。僕は君を裏切ったりしない。誰が敵になっても、僕だけは信じて」

「なにを言って――」

「僕は君がとても気に入っている。だから、あんまり自分を追い詰めるなよ。僕を頼れ。大いに使ってくれて結構だ」

 いつになく真剣な表情で言われ、マリアは息を呑む。ユリウスは近づきすぎていた顔を少し離すと、唇に明るい笑みを描く。


「アドラへは僕が行く。皇帝さんは君を解放する気はないようだ。でも、従者の僕は違う」

「だが、ユーリ」


 ユリウス一人に任せるのは危険だ。

 もしも、書簡の内容が正しいならば、アドラはマリアを切り捨てたことになる。

 実際にマリアに関して一切の救済要請はなかったし、祖国に向けて何通も書いた手紙の返事はなかった。

 今はなにが正しくて、誰が裏切っているのかもわからない状況だ。そんな中に、友人を一人で向かわせるなど、マリアには出来なかった。


「一人で行かせるなんて、出来ない」

「大丈夫さ。何処かの兵隊馬鹿と違う」

「駄目だ、私も行く」

「状況を考えろよ。安心しろ、すぐに帰ってくる。君みたいなのをいつまでも放っておくと思うと、心配で仕方ないからね」

 ユリウスはマリアの美しいシルバーブロンドを優しく撫でた。

 現状では、ユリウスの言う通り、マリアがアドラへ向かうのは難しい。彼を使って事情を確かめるのが得策だった。


 マリアは静かに目を伏せて、ゆっくりと頷くしかなかった。


「……必ず帰ってこい、ユーリ」

「わかっているよ」

 

 

 

 今日の更新は、ここまで。

 明日からは1話か2話ずつだと思います。

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