32 闘争と発展
夜明けの朝陽が空を黒から藍へ、藍から蒼へと染めていく。
陽の光に照らされて、戦場の様子が鮮明になってきた。
「前進、一気に敵を叩け!」
レデンの掲げる旗を合図に、雄々しい叫び声が上がる。そして、レーヴェの兵士たちは丘を駆け上がるアドラ軍の側背目掛けて前進をはじめた。
ユリウスたちが粘っている間に、レーヴェの本隊は丘を下ってアドラ軍の側面に回りこんでいた。ここならば、騎兵も活用出来るし、虚を突かれたアドラ軍を粉砕することも可能だ。
マリアはレデンの後ろで馬を馳せ、戦場を睨みつけた。
ここにハインリヒがいる。
この一戦で全てが終わるのだと、予感していた。
マリアはキュッと手綱を握り締め、朝陽を睨む。
星の光を食い尽くす夜明けの光を、ハインリヒも見ているだろうか。そうだとすれば、彼はどんな想いだろう。
「これで終わる」
呟いた言葉は、馬上の風に溶けてしまう。
前を走るレデンの背で漆黒の髪が乱れながら揺れていた。夜色の瞳は、今どんな光を宿しているのだろう。
全てが終われば、マリアは祖国へ帰る。もうレーヴェにいる必要がないのだ。
――お前の答えを聞きたい。
結局、答えることの出来なかった問いを思い出し、マリアは青空色の瞳を伏せる。
だが、程なくして、自然と唇が綻んだ。
軍服に身を包み、男のように生きているマリアが恋をするなど、考えれば滑稽ではないか。
マリアには背負うものがある。守るものがある。それらを投げ出すことなど出来ない。
迷う必要など、何処にもない。
「さあ、どう出るかな」
戦況を見て、レデンが漏らす。マリアは彼の問いに答えず、静かに戦場を睨みつけた。
側背からの攻撃に、アドラ軍は混乱を来たしており、敗走する隊も出ている。この一手で、戦局は大きくレーヴェに傾いたと言ってもいい。
だが、ハインリヒがこれで終わるだろうか。
この場合、最も恐れるべき事態は――。
「突撃!」
レーヴェ軍本隊に向けて、流れ込むように突進する騎兵部隊。
一点集中突破を狙ったアドラの騎兵部隊に、レーヴェ歩兵が見る見るうちに蹴散らされる。
「決死隊か!?」
騎兵による一点集中攻撃だ。リスクは大きいが、これが成功すれば厄介だ。
先発した騎兵はほとんど生き残らないが、深く切り込んだところに後発の部隊が突っ込むことになる。自殺行為だが、戦況を覆すほどの効果を上げる場合も多い。
「散兵は前に。横隊は騎兵を挟撃しろ!」
騎兵部隊を深く切り込ませてはならない。マリアは順次、中隊に出撃命令を下す。
それでも、不意を突いて突撃した騎兵たちを止めることは出来ず、後続の騎兵部隊が本隊へ雪崩れ込んでしまう。
突撃した先発に続いて、機動性に優れた後発の騎兵部隊がレーヴェ軽騎兵を粉砕してしまう。
恐らく、休戦中にハインリヒが強化したのだろう。マリアの知らない部隊だった。
無数の銃弾を受けて身体中を穴だらけにした兵士たちが地に転がる。
先頭で突撃を敢行した兵たちは壊滅に近い状態で叩いたが、後続部隊の侵入を許してしまったのが痛い。
マリアは濃紺の軍服を着た騎兵の一団を睨んだ。
だが、その先頭に進み出た白い騎馬を見て、マリアは眉を寄せる。
警護兵をつけ、白銀に輝くシルバーブロンドを揺らす少年。濃紺の軍服を纏って馬を駆る少年の姿を、マリアは知っていた。
朝陽を受けて、アドラの黒鷲紋章がはためく。
「ハインリヒ」
そうか。
ハインリヒはマリアに会いに来たのだ。そのために危険な策を取り、敵陣に突き進んだ。
まるで、糸で引き寄せられるかのように、三年ぶりに相見えた姉弟の視線が宙でぶつかる。
互いの表情は見えない。それでも、マリアはハインリヒを認め、ハインリヒもマリアを認めた。
ほんの一瞬の時間が、永遠のように長く思えた。
されど、静止する時は続かない。
「マリア」
レデンの呼びかけに、マリアは現実へと引き戻される。
そのままマリアは腰から軍刀を抜いた。
「構え――発砲!」
号令と共に歩兵が一斉射撃を行って、迫り来るアドラ騎兵を牽制する。次いで、レデンが銀獅子紋章の描かれた真紅の軍旗を高々と振り上げて騎兵の前に進み出た。
「蹴散らすぞ!」
鼓舞する旗に続いて、レーヴェの大隊が一斉に突撃する。マリアもレデンの後に続いて馬を馳せた。
耳元で風が唸りを上げ、銃砲声以外はなにも聞こえない。時折、銃弾を受けて倒れる兵たちが視界に入る。
「ハインリヒ!」
軍刀を振り上げて、手前に迫る騎兵の喉を掻き切る。生暖かい返り血が白い軍服を染め、頬をゆっくりと垂れた。
マリアの姿を見て、ハインリヒが馬の向きを変えるのが確認出来る。
馬の蹄が地を抉り、土煙が上がる。
互いに攻撃の間合いに入った。
振りかざした軍刀がハインリヒに吸い込まれる。ハインリヒの構えた短銃が、至近距離でマリアの額を捕らえた。
「ハインリヒ!」
「姉上!」
雷鳴のような銃声と同時に、握った軍刀にわずかな手応えを感じる。反動でマリアは手綱を放してしまい、馬から地面に投げ出された。
銃口を避けた拍子に刃の軸がずれたようだ。マリアの突き出した刃はハインリヒの脇を掠めるに留まった。
朦朧とする意識の中で、マリアは強打した左肩を庇いながら緩慢に立ち上がる。血の香りがする泥を吐き出すと、腰帯に差していた短銃を抜いた。
ハインリヒも落馬していたが、なんとか予備の短銃を腰から抜く。
二人を救出しようと、レーヴェとアドラ両軍の兵たちが取り囲む。
「手出しするな!」
近寄ろうとする側近のアイヒェルに向かって、ハインリヒが強く怒鳴りつける。マリアも、彼女に近づくレデンを横目で睨んだ。
姉弟の再会は戦場だった。
かつて、ベルジーナの宮で戯れた姉弟は、互いに銃口を向け合って対峙している。
朝陽にシルバーブロンドが輝き、血と硝煙、土埃が入り混じった風が緩やかに流れた。
戦場独特の死の香りが占める場で、姉弟は一歩も動かない。
されど、静寂を掻き消すように、背面から猛る軍歌の音が聞こえる。
それが、リオン王国軍のものであることを確認し、マリアは唇に薄く笑みを描いた。
「やっと来たか」
リオンはアドラと共に同盟して、レーヴェに侵攻した。しかし、レーヴェに首都を落とされ、降伏している。
首都陥落に際して、リオンは同盟国であったアドラに何度も応援を要請していたが、アドラはそれらを全て拒否して自国の国力回復に専念していた。
そこへ、今度はレーヴェとの同盟を持ちかけたのだ。
敗戦したリオンから領土を取らない代わりに、援軍を要求した。そして、会戦の明朝に落ち合う密約を交わしていたのだ。
夜明けまで粘ったお陰で、援軍の到着が間に合った。
勝負は決まった。
「……あは、はははっ!」
だが、完敗したにもかかわらず、ハインリヒは甲高い笑声を上げていた。彼はしばらく笑い続けた後で、改めてマリアを見据える。
マリアが眉を寄せると、ハインリヒは白い顔に満面の笑みを浮かべた。天使のような愛らしい笑みは三年前と変わらず、確かにマリアの知るハインリヒだとわかる。
「どうして、こんなことを」
静かに問うと、ハインリヒは顔に貼り付けた笑みを剥がし取る。
愛らしい少年の裏に隠れた冷たい眼差しを見て、マリアの背筋に寒気が走った。
「姉上……なんでそんなこと聞くの? 国の発展に必要な争いはある。それなのに、父上はなにもわかってなかったじゃないか。これだけの兵力があるのに、これだけの好機があるのに!」
「争いが全てじゃない」
「姉上もわかっているんでしょう? 姉上だって、ぼくを倒すために武力を活用しているじゃないか。敵国で指揮を執って、ぼくを追い詰めた。その手に持った銃で、ぼくを殺そうとしてる。違うの?」
いくら秀逸な譜面があろうとも、楽器がなければ奏でることは出来ない。闘争なくして有り得ない発展もある。
わかっている。
口では、父が目指した平和主義を讃えながらも、マリアの行動はそれを否定していた。
戦時中、レーヴェでは軍制の他にも様々な改革が行われ、以前とは比べ物にならないほどの国力と統治を実現した。最早、レーヴェは脆弱な帝国ではない。争いが国を成長させたのだ。
アドラでも同じだろう。
特に、軍事国家でありながら、小国としか見なされていなかったアドラは、この数年で国際的立場が飛躍的に上昇した。今や、誰もアドラを田舎の小国だとは思っていない。
綺麗事を並べても、事実を否定することは出来ない。結果的に、ハインリヒの行ったこと全てが間違っていると、マリアには言い切ることが出来ないのだ。
マリアは自分の道を貫いた。彼女が選び、彼女が歩んだ道だ。
例え、それが間違っていたとしても、マリアには別の道があったとは思えない。違う道を歩む自分の姿を想像することすら出来なかった。
なにもしないことは、死んでいることと同じだ。
マリアは生きている。生きて、ここに立っている。
「愛しているよ、姉上」
「……私はお前を許さない」
互いに銃口を向け合い、静止する。
「うん。でも、ぼくは姉上が大好きだよ。姉上は?」
「私は――」
腕をギリギリまで伸ばし、照準を合わせた。
引き金に置いかれた指に力を込める。
擦れ違う一発の銃声が空高く響き渡った。
問いの答えを噛み締めて、マリアは肩で息をした。額から流れる大粒の汗が頬を伝う。
ハインリヒの細い身体が細かく痙攣しながら、ゆっくり、ゆっくりと地に倒れる。撃ち抜かれたこめかみに鮮血の花が咲き、白い肌を美しく彩っていた。
何処か穏やかな表情で虚空を仰ぐ瞳が最期に見たのは、なんだったのだろうか。
冷たくなっていく手に握られた銃が火を噴いている。
ハインリヒは自らの頭を撃ち抜いていた。
マリアは瞳を見開いて、自らの銃を見下ろす。震える指には、引き金を引く力などなかった。
弾の入った銃の重みが肩に圧し掛かる。
「私は」
低く呟いて、マリアは俯く。
「私はハインリヒが憎かったよ……でも、同じくらい愛していた」
殺すと決めたはずだ。国を追われ、家族を奪われた復讐をしたかった。
そのために、今まで歩んできたのに――結局、マリアには弟を撃てなかった。
「それでいいんじゃないのか」
肩を抱いたレデンの言葉が、心に幾重にも幾重にも響いた。
戦場パートは今回が最後です。
もうしばらく、物語の続きにお付き合いください。




