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29 渓谷と古城

 

 

 

 八月。


 ルリス追撃のために南下していたレーヴェ軍は、予測に反して即座に引き返して反撃を行った。

 アドラ軍は協定前と同じ焦土作戦に悩まされることとなる。更に、レーヴェは軍内の改革によって統率が強化され、これまでのような脆弱さが軽減されていた。

 思わぬ反撃にアドラ軍は次第に勢力を弱め、シロンスク州まで後退していった。これを好機と見てレーヴェ軍もアドラを追撃してシロンスク州へ進軍する。


「アドラ軍は三万まで減り、後退している模様です。別部隊と合流する前に一気に叩くのがよろしいかと」

 ラウドンの進言にレデンが頷く。

 その隣でマリアは眉を寄せて一人押し黙っていた。

 確かに、叩くなら今だ。反撃の隙を与えず、一気に叩かなければ戦争が無意味に長引いてしまう。

「用心は必要ですが、ここは正攻法でも勝てるでしょう」

 ラウドンの言葉にレデンも同意の素振りを見せる。

「疲弊したアドラ軍三万はシュトリーガウ近郊で野営中です。二、三日の休養を取った後で、移動するものと見られます。野営地の北にアドラ軍を見渡せる丘陵がございます。そこへ陣を敷き、平地に追い込むように隊列を展開させるのです。こちらの軍勢は六万」

 ラウドンが威勢良く地図を指差し、握り締めた両手の拳をガツンとぶつけて会戦を示す。

 マリアは地図を睨みつけて熟慮した上で、口を開いた。


「丘の上に陣を敷き、夜明けと共に一気に叩く。結果が出ている戦闘に時間をかける必要はない」

「そうこなくては。承知しました。では、早速移動を開始致しましょう」

「ああ」

「久々に活躍出来そうで、武者震いしますよ。早く、ユーリ様に自分の勇姿を見て頂きたいものです」

「そのことなんだが、実はユーリは男――」

「嗚呼、麗しの君よ」

 マリアは、ユリウスのことを訂正しようとラウドンを呼び止めたが、彼は意気揚々と天幕から飛び出して行ってしまった。

 忙しい男だ。

 マリアは追いかけようとするが、レデンがこちらを見ていることに気づいて足を止める。


「勝負が決まる」

 言い聞かせるように呟くと、レデンが肩を竦めた。

「いいじゃないか、それがお前の目的だったんだろう?」

「そうだ」


 マリアはレデンに約束した。レーヴェを勝利に導いてやると。代わりに、マリアは祖国へ帰る。

 この戦いに勝てば、目的が達成されるのだ。

 だからこそ、失敗したくない。このまま終わることは許されなかった。


「今、リオンの件はどうなってるんだ?」

「ユーリの報告では心配要らないらしいが、相変わらず腰が重いようだ」

「今となっては、続ける意味もないように思うけどな」

「いや、意味はある。むしろ、必要だ」

 断言しながら、マリアは隣に立つレデンを見上げた。レデンは仏頂面で眉を寄せていたが、やがて、首を縦に振る。

「お前がそう言うのなら、必要なんだろう」

「策はもう講じてある。あとで準備に協力してほしい」

 得意げに言うと、レデンが息をついた。

「相変わらず、可愛げがないな」

「お前には関係ない」

 不貞腐れて顔を背ける。

 しかし、レデンはマリアの視界を追うように立ち位置を変えた。そして、強く腕を掴む。


「なにする」

「付き合え」

 強引に腕を引かれ、マリアは困惑した。だが、レデンは彼女を引き摺るように大股で歩いた。

「陛下、どちらへ?」

 愛馬の手綱を解くレデンの姿を見てラウドンが駆け寄る。すると、レデンはマリアを強引に馬に引き上げながら、唇をニッと吊り上げた。


「駆け落ち」

「はあ!?」


 マリアは思わず声を上げて、レデンの腕から逃れようとした。だが、レデンはマリアの腰に手を回して自分の方へ強く引き寄せた。有り得ないほど密着して、マリアの行動が鈍ってしまう。


「冗談だ、夕刻には帰るから安心しろ」

 間髪を容れずに馬の腹が蹴られる。マリアは舌を噛みそうになりながら、落馬しないようにレデンの服を掴んだ。

「良いですな、ごゆっくり!」

 豪快に笑うラウドンの声が蹄の音に重なる。


「降ろせ、何処へ行くつもりだ!」

「行ったらわかる」

 抗議しても、レデンはマリアを降ろす気はなさそうだ。

 それどころか、わざと荒っぽく馬を操るものだから、マリアは振り落とされないよう、レデンにしがみつくしかなかった。


 どれくらい走っただろう。

 ようやく、レデンが馬の足を緩めた。

 辺りを見渡すと、見慣れない景色が広がっていた。


 雄大な渓谷を流れる大河の水面が、空から降り注ぐ日光を銀色に照り返している。

 その畔には色とりどりの花々が咲き乱れ、山の高台には古い城が見える。吹き抜ける風が気持ちよく、マリアの長い髪を緩やかに梳かした。


「ここは」

「近くに俺の別荘がある。せっかく、ここまで来たんだ。久しぶりに寄ってみたくなったんだよ」

 レデンは即位する前、離宮に住んで帝都に寄り付こうとしなかった。きっと、その頃に使っていたのだろう。


 彼は馬で小高い山の頂上に続く狭い道を走る。

 やがて、木々の間から赤い石の積み上げられた門が見えた。崩れかけた古い門を抜けると、人気のない城へと辿り着く。

 放置された廃墟のようだ。

 崩れた壁に青々とした蔦が張り、草花がうねって絡み付いている。壁が倒壊して中が剥き出しになった丸い火薬塔は、かなり古い建築様式を成しており、数百年の歳月を感じさせた。


 今は人も住まない廃墟に美しさを感じ、マリアは思わず言葉を忘れていた。

 マリアが呆然と情景に魅入っていると、レデンが馬から飛び降りる。つられて、マリアも地面に降り立った。

 石畳の間を割って咲いた白いウスユキソウが揺れ、周囲に清らかで甘い香りが舞い上がる。マリアはその空気を胸いっぱいに吸い込んで表情を緩めた。


「気に入ったか?」

「……お前が好きなのは、庭の花だけだと思っていた」

「ここだって、庭みたいなものだ」

 レデンは気持ち良さそうに背伸びをすると、瓦礫の上に飛び乗った。


「皇帝のくせにみっともない奴だ。行軍中に陣を離れて、こんなところで昼寝でもするつもりか」

「大臣みたいなことを言うな。お前も来い、気持ちが良いぞ」

「遠慮す――おい!」


 マリアの手を、唐突にレデンが掴んだ。マリアはそのまま引き上げられるように、瓦礫の上に飛び乗った。眼下に床が崩れて地下まで吹き抜けた高い城壁が広がって、思わず小さく声を上げる。

 隣から聞こえるレデンの笑声が、とても楽しそうだった。こんな風に笑う彼を初めて見たかもしれない。


「たまには悪くない」

 まるで子供のように笑うレデンが眩しく思えた。重い鎖から解放されて自由を得た鳥が大空を羽ばたくかのようだ。

 きっと、父帝の死を聞いて以来、一度もこんな顔をしていないに違いない。ずっと、皇帝という重圧に耐えてきていたのだ。


 元々、レデンに君主の自覚などなかった。自分勝手に育ち、国を背負う皇子である自覚などなかったのだ。

 だが、唐突に玉座を押し付けられ、戦争をしなければならなかった。当初、味方は誰もおらず、孤立していた……投げ出したかっただろうが、それは許されない。

 レデンは成長しなくてはならなかった。危機を脱するために民や臣下を導く君主でなければならなかったのだ。


 けれども、彼は変わっていないのかもしれない。

 救国の君主として国民の信頼を集めようと、勇敢に軍を率いていようと、レデンはレデンだ。

 マリアがいつまでも弱いままであるように、彼も根本は変わっていない。


 渓谷を駆ける清涼な風が草花を揺らし、廃墟の間を抜ける。

 太陽に美しく反射するマリアのシルバーブロンドが広がり、軽やかに舞い上がる。

 レデンは、それをおもむろに手で押さえてやりながら、小さな声で一言呟いた。


「俺はお前が欲しい」


 白い頬に指が触れる。

 マリアは肩を震わせるが、夜色の瞳から視線を逸らすことが出来なかった。


「冗談は……」

「冗談ではない」

 レデンの言葉一つ一つが胸に響き、熱く溶けていく。心臓の拍動が次第に速くなり、息が苦しくなった。


「お前の答えを聞きたい」


 マリアはなにも言えないまま唇を噛む。


「今回の会戦に勝てば全てが決まる。ハインリヒを廃した後、国外へと逃亡していたマティアスが玉座に就くことになるな。そこで、レーヴェはアドラに和平を申し込むだろう」

「……そうだな」

「和平の証として、アドラ王女との婚姻を求めるのも悪くないと思うが、軍師殿はどう思う?」


 狡い質問だ。


 婚姻による和平の強化は悪い選択肢ではない。レーヴェの軍師としてのマリアなら、「悪くない」と答えるしかない。


 けれども、マリアの答えは――。


 ハインリヒを排した後、王位に就くのは国外へ逃亡していた長子マティアスだ。彼は無能ではないが、少々繊細な性格をしている。

 アドラはハインリヒによって変えられている。元々高かった軍事力は更に強化され、今回の戦争で国際社会の評価も上がっていた。以前のような、軍事力が高いばかりの田舎の小国ではないのだ。

 兄一人に任せるのは荷が重い。

 祖国のためを思うと、マリアが帰国して支えるのが一番である。兄もそれを望んでいた。


「……私は最初に言ったはずだ。祖国の地を踏むために帝国に協力すると。今更、契約を反故にする気か?」


 自分の責務から逃げることはしたくない。

 レデンだって、わかっているはずだ。それなのに、彼は黙ってマリアの答えを待っていた。

 いつの間にか、頬を熱い雫が流れた。マリアの涙をレデンが撫でるように指ですくい取る。


 沈黙の中で、ゆっくりとレデンの顔が近づく。

 マリアは抵抗せず、涙の滲む眼を閉じた。


 二度目の口づけは、少し冷たい気がした。

 その冷たさを忘れようと、互いの指を絡めてしっかりと手を握り合う。噛み付くように重なった唇から吐息が漏れ、甘い蜜が混ざり合った。


 決して口にすることが出来ない『答え』を伝えようと、マリアは必死でしがみつく。

 それを受け止めて、レデンも彼女の身体をきつく抱き締めた。


 許されるなら、このまま時が止まって欲しい。

 

 

 

 古城のイメージはハイデルベルク城から。

 場所は全然違いますが。

 とても趣のある良い古城です。ドイツの有名な観光名所。

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