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27 掴んだもの

 

 

 

「ユーリ!」


 ユリウスの姿を見つけ、マリアは精一杯の声で呼び止めた。

 風に煽られて真紅のドレスが翻る。ユリウスは驚きながら振り返って、マリアを見る。


「マリア」


 目と目が合った瞬間、彼は逃げるように顔を背けた。そして、そのまま身体を後ろへと傾かせていく。

 花弁のようなドレスが風をはらんで膨らむ。


 マリアは狭い出口から飛び出し、懸命に手を伸ばした。


「待て、ユーリ!」


 伸ばした腕が、しっかりとユリウスの手を掴み取る。

 マリアは勢いで石柵に身をぶつけたが、ユリウスを掴んだ手だけは放さなかった。しかし、柵の外へ引き摺られて身を乗り出してしまう。

 このままでは、二人とも落ちるだろう。

「いきなり、なんなんだ!」

 寸でのところで、後から追いついたレデンがマリアの身体を押さえて引き止める。

 マリアは安堵し、もう片方の手もユリウスに差し伸べた。


「ユーリ、掴まれ!」

 宙にぶら下がったユリウスが顔を上げる。彼はマリアの顔を確認すると、哀しげな眼で首を横に振った。

「放してよ」

「放さない!」

 風に煽られてユリウスの身体が揺れるたびに腕が軋み、身体中が悲鳴を上げる。ルーデルスドルフで負った足の傷が今更のように痛みを再燃させた。

 それでも、マリアはユリウスの手を掴み続けた。


「僕は君を裏切ったんだ」

「なにを言っているんだ! ユーリの言う通りだった。ラーノは連行した。ユーリが罠を仕掛けてくれたお陰だ……こんなことをする必要なんてない。すまなかった。最初から信じてやれなくて、本当に悪かった。ユーリは、こんなに……」

「違う! 違うんだよ、マリア……ヘルマンを殺したのは僕なんだ。僕が計画を密告したんだ」

 ユリウスが嵌めた手袋が滑り、マリアの手から逃げるように落ちていく。

「ユーリ」

 マリアはユリウスの指先を懸命に掴み取り、歯を食いしばった。額から流れる汗が雫となって落ちる。


「僕は卑怯だよ。なにを犠牲にしても、君の傍にいたかったんだ。君が傷つくとわかっていて、僕は君を裏切った……ハインリヒ殿下に言われたよ、裏切り者だって。その通りだ」

 手袋が滑り、ユリウスの手が零れ落ちる。マリアは更に身を乗り出して、両手で彼を掴んだ。


「おい、早く引き上げろ。これ以上は」

 マリアを掴んで踏みしめるレデンが限界の声を上げる。

 マリアはユリウスを引き上げようと腕に力を入れた。だが、ユリウスは拒否するかのように首を振る。


「マリア、ごめん。もう、傍にいられない」

 無理に引き上げようとするマリアを拒んで、ユリウスは身体を揺らした。そして、宝石のついた指輪でマリアの手を殴る。

 ユリウスが履いていた靴が片方脱げ、遥か下の地面へと吸い込まれていく。

「くッ、ぅ」

 手の甲に激痛が走り、マリアは思わず呻き声を上げる。

 腕が痙攣し、手から力が抜けた。


「……この大馬鹿!」


 だが、出せるだけの声で叫んで、腕に力を込め直した。


 もうなにも失いたくない。手放してしまいたくなかった。

 せっかく、この手に掴んでいるものを手放すなど出来ない。ここで放せば、必ず後悔する。


 一度手放せば、もう二度と手に入らないのだから。


「ああ、確かにお前は自分勝手の卑怯者だ! 私は傍にいろと言ったのに、それも破るのか!」


 ユリウスが呆然とマリアを見上げる。

 だが、マリアは構わずにユリウスの身体を引き上げた。細かいレース飾りやドレスの生地が悲鳴を上げるように軋んでいるが、構わずユリウスの胸倉を掴んだ。


「私はそんな犠牲など望んでない。死んでも罪は贖えないし、ヘルマンは帰らない! 私はお前を逃がしてなんてやるものか! 贖うというなら、私の傍で一生贖え! ずっと赦してなどやらない!」


 ユリウスのしたことは赦されない。彼はマリアを裏切り続けてきた。


 だが、ユリウスはマリアの唯一の親友だ。


 周囲は皆、王族の機嫌を取って媚びへつらう者ばかりだった。

 なにかにつけて擦り寄ってきて、マリアの周囲にいることを傘に着たがる連中ばかり。そうかと思えば、婚約が決まった途端、すぐに羽虫が飛び立つようにいなくなった。


 本当の友人と呼べる者なんて、一人もいなかった。

 初めて出来た友人だった。

 ヘルマンや他の者と交友をはじめても、ユリウスはずっとマリアの傍に居続けた。

 今更、失うことなんて出来ない。


「馬鹿野郎」

 ユリウスを柵の内側まで引き上げて、マリアは荒い呼吸を繰り返しながら呟いた。

 未だに呆然としているユリウスの胸に拳を叩きつける。


「私から逃げられると思ったら、大間違いだ。簡単に縁など切ってやらないと、言っただろう?」


 軽く笑ってやると、ユリウスが眼を伏せる。だが、やがて、唇を綻ばせて力なく溜息を吐いた。


「馬鹿はどっちなんだよ……君がそんなに馬鹿で執念深いとは思ってなかった」

「私もだ」


 マリアは笑ってユリウスの肩を強く抱き寄せる。

 ユリウスは驚いて動きを止めるが、すぐに表情を和らげた。




 翌日、机の上に広げられた地図を指差して、マリアが笑った。

 久しぶりに生き生きとした姿を見せるマリアにレデンも安心したのか、相変わらずの仏頂面を少しだけ綻ばせた。

 元婚約者と二人きりで部屋にいるというのに、マリアの注意は目の前の地図にばかり注がれている。


「当初の予定では、アドラ軍を壊滅に追い込んで後退させ、同時にリオンの首都を落とすと言った」

 マリアは以前に描いたときと同じ軌道で指を動かしてみせる。

 だが、この策はルーデルスドルフで敗戦したために、効力を持たなくなってしまった。レーヴェはシロンスク州を占領されたも同然だ。

 現状、ルリスとリオンを押え込むと同時に、アドラとも正面から戦わなくてはならない。

 だが、それは不可能なことだった。

 戦力を分散しすぎては意味がないし、慢性的に総力戦を行っていてはレーヴェの金庫が持たない。


「基本的な方針は変えない。まず、最初にリオンを落とそう。その間、アドラには手を引いてもらうことにする……不満かもしれないが、餌を与えよう」

 マリアの言葉を聞いてレデンが顔を顰める。

「領土を割譲しろと?」

「嫌か?」

 あまり良い顔をしないレデンに対して、マリアは唇の端を吊り上げた。

「安心しろ。必ず返す」

「……政権を奪還した暁に返還するという約束で良いんだな?」

「ああ、約束する。なんなら、今から契約書を作っておくか?」


 現在、戦闘が行われているシロンスク州を丸々アドラに与え、休戦協定を結ぶ。


 いくら軍事国家であると言っても、アドラの財政は火の車だろう。休息期間が必要だ。恐らく、ハインリヒも休戦に応じる。

 アドラと休戦する間にリオンを降伏させ、ルリスを牽制するのだ。その後に、改めてアドラとの全面戦争を行う。


 一時的にシロンスク州は諦めなければならなくなるが、その間にレーヴェも軍制を改革し、強化することが可能になる。

 やはり、火器を買い換えて、教練の質を高めただけでは物足りない。今後のことも考えると、内政を含めた大掛かりな改革が必要だった。


「リオンが降伏したら、援軍要請をしよう」

「リオンに援軍を? 首都を陥落させるとは言え、同盟国のアドラを易々と裏切るのか?」

「まあ、見ていろ。アドラ財政はレーヴェほど余裕がない。きっと、先にリオンを見捨てるのはアドラの方だろうさ。領土を割譲してやれば、そちらから利益をとって国力回復に努めようとするだろう。他国の援助などしている余裕はない」

「なるほど……確かに、餌だな」

「そういうことだ。決して、負けたから割譲するわけではない。これは布石だと思ってほしい。リオンには頃合いを見て、こちら側に引き込むか、大人しく中立条約を結んでもらう」

 マリアは饒舌に語りながら、地図を叩いた。ルーデルスドルフ以降、こんな風に語るのは久しぶりだ。


「楽しそうだな」

 レデンに言われ、マリアはいつの間にか笑っていたことに気がついた。気分が高揚して、つい夢中になっていたようだ。

「悪いか……」

「いや、そっちの方がお前らしくて良い」

 どうせ、また「女らしくない」とかなんとか言われるのだろうと思っていたら、意外だった。

 レデンが夜色の瞳に少しだけ微笑を描く。


 瞬間、レデンの顔がすぐ間近まで迫ってくる。マリアは眼を見開いて逃げようとしたが、壁に手をついて退路を断たれてしまった。

 互いの息が顔にかかり、心臓が驚くほど速く脈を打つ。このまま呼吸が止まりそうだった。


「お、おいっ」

 とっさに退けようとすると、逆に手首を掴まれてしまう。マリアだって軍人のように鍛えているが、筋力にはどうしても差が出る。呆気なくレデンに押さえ込まれてしまった。


「マリア」


 名前を囁かれ、頬が赤く染まる。

 そう言えば、レデンに名前を呼ばれたのは初めてだ。


 レデンはマリアの顎に指を添えると、軽く視線を持ち上げる。

 真っ直ぐ注がれた眼差しから逃れることが出来なかった。

 夜を溶かしたような瞳の奥には、自分が映っている。黒いばかりだと思っていた瞳に繊細な光を見て、息を呑んだ。長くて力強い指からは微かに土の香りがしている。


「ま、待て……な、なんの真似だ?」

「嫌か?」

 甘くて熱を持った声で問われて、マリアは一瞬言葉に詰まる。どうして、「嫌だ」と即答出来ないのか。

 レデンとの距離が更に近づいて、マリアは戸惑いながら目をギュッと閉じる。次になにが起こるのか想像するだけで、顔から火を噴きそうだ。


「マリアぁ! 明日のリボン、どっちが良いと思う~?」


 場の空気をぶち壊してユリウスが元気よく扉を開いた。

 ユリウスは明るく笑いながら、驚いて硬直したレデンを突き飛ばすと、わざとらしくマリアと腕を組む。


「早く来いよ、夜更かしと悩み事は肌に悪いんだよ」

「あ、ああ……」

 ユリウスに引き摺られるように、マリアは部屋を出た。


「残念でした」


 去り際に言い捨てたられた台詞に、マリアは首を傾げた。しかし、ユリウスは「気にしなくていいよ」と満面の笑みで誤魔化す。

 振り返ると、独り取り残されたレデンが失意で頭をガクリと下げていた。まるで、少ない給与を使い果たして項垂れる一兵卒だ。

 なにはともあれ、よくわからない展開を脱することが出来て、マリアはホッと一息ついた。


 執務室を後にして、ユリウスと回廊歩く。

 暗い大理石に明るい満月の光が差し、静けさが降りていた。

 マリアは隣を歩くユリウスを見る。


「どうした?」

 先ほどとは打って変わって、ユリウスは寂しげな表情をしていた。彼はマリアを見ると、黙って足を止める。

「まだ気にしているのか」

「僕のせいでヘルマンは死んだ。殺したのは、僕だ」

 ユリウスが密告しなければ、ヘルマンは命を落とさなかった。それは事実だ。揺るがしようのない事実だった。

 そのせいで、マリアは長い間苦しめられ、ヘルマンの呪縛に怯え続けた。ラーノに付け入られる理由を作ってしまった。


「僕は君を苦しめた」

「ユーリ」

 ユリウスは若草色の瞳を伏せて拳を握る。

 だが、マリアは向き直ると、月明かりの下で不敵な笑みを浮かべた。

「そうだ、私はお前に苦しめられた。お前は、私を苦しめて楽しいか?」

「……そんなはずがない。自分が裏切られた方がマシなくらいだよ」

 マリアは握り締めたユリウスの拳を包み、真っ直ぐに彼を見る。


「なら、一緒に苦しもう。お前も、私もこの痛みを背負って生きよう。私たちは、傷を癒せるほど強くはないのだから」


 ユリウスは黙したまま、なにも言わなかった。ただ俯いて、マリアの言葉を聞いているだけだ。

 それでも、彼の心がマリアに寄り添っていることはわかった。

 

 

 

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