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26 同じ色の空

 

 

 

 大聖堂から伸びる塔の頂上へと続く、暗い螺旋階段。

 明り取りの窓から差し込む光だけが、足元を照らしていた。幾重にも反響する足音が寂しい。

 狭い階段では、広がったドレスの裾が少しばかり煩わしく思えた。せっかくのリボンもずれてしまいそうだ。

 ユリウスは長い階段の先を見上げる。

 まだ頂上は見えそうにない。


「マリア、ごめん」


 呟いた声が壁に跳ね返り、冷たい空気の中で重なり合って聞こえる。

 こうして、薄暗い空間にいると、幼年学校時代を思い出す気がした。




 士官教育が肌に合わなかったユリウスは、度々、学生寮の地下牢に押し込まれていた。軍人を目指す連中と話しても大して楽しくなかったし、厳しい教練も嫌気が差した。


 アドラでは貴族の男子は例外なく幼年学校へ入学させられてしまう。

 ユリウスは反発するように規律を破ったり、同輩に喧嘩を仕掛けたりする問題児だった。


 二つ下に王女が混じっていると聞いても、あまり興味は湧かなかった。

 成績優秀の天才だと言っても、大方、王家の機嫌を取るために教官が大袈裟に褒めているだけだろうと思っていたくらいだ。どうせ、すぐにやめて王宮へ帰るだろう。


 王女のことを褒め称えなかったのがいけなかったのだろう。

 ユリウスの反抗的な態度を聞きつけた王族の取り巻き連中が、集団で言い掛かりをつけてきた。

 ユリウスとしては不遜な発言をしたわけでも、なんでもないのに。迷惑な話だ。


「お前には、マリア様の素晴らしさがわからないんだ」

「今、ここで謝罪しろ」

 理不尽な理由で殴られ、ユリウスは毒づいた。

「別に……僕には関係ないよ」

 その態度が彼らの癇に障ったのか、主犯格の学生に腹を蹴られる。ユリウスは反撃しようとしたが、次々と殴られて、呆気なく地面に転がった。

 腹や顔を蹴られ、口の中に鉄臭い血が滲む。噴出した鼻血が顔に散る。


「お前たち、なにをしている?」


 後方から声をかけられ、学生たちに動きが止まる。彼らは互いに顔を見合わせたが、すぐに声の主に向き直った。


 立っていたのは少女だった。


 幼年学校の紅い制服に身を包み、シルバーブロンドを一つに束ねた立ち姿は一見して少年だ。だが、丸みを帯びた頬や、大きな青空色の瞳は少女のそれである。


 直感で、これがマリア王女だと思った。


「こいつが、マリア様の陰口を言っていました」

 別に陰口を言ったことなどない。酷い脚色だ。

 学生たちの報告を聞いて、マリアが眉を寄せる。彼女は学生たちを一瞥した後、地面を這っているユリウスを見下ろした。


「それで、お前たちがやったんだな」

「はい。このような出来損ないがマリア様を侮辱するなんて、もってのほかです」

 学生たちが声高らかに言って笑う。まるで、それが正しいことのように。いや、彼らにとっては正しいのだろう。

 一種の宗教のようで、吐き気がする。そういうのは、教会でやってもらいたい。


「そうか、ご苦労。では、そこに全員で一列に並べ」


 マリアの言葉に学生たちが口をぽかんと開ける。マリアが「早くしろ」と促すので、彼らはわけもわからず五人で横一列に並んだ。

 すると、マリアは端に立った学生から順に顔面を一発ずつ拳で殴りつけていく。容赦のない一撃を受けて、前歯を折ってしまう者までいた。

「マ、マリア様!?」

 学生たちが驚いていると、マリアは腰に差していた練習用の軍刀を彼らに向ける。


「宿舎での喧嘩や決闘は厳禁のはずだ。教官への報告をしない代わりだと思え。学生牢に押し込まれるよりマシだと感謝するんだな」

 拳よりもこちらが良いかと言わんばかりに、マリアは練習用の軍刀を振った。硬い木がヒュンッと風を斬る音が響く。

「し、しかし……」

「私はこんなことを頼んだ覚えはない。陰口がなんだ? そんなもの、そこらじゅうの連中が囁いているぞ? 貴様らは、そんな連中を片っ端から吊るしていく気か。さぞ骨が折れることだろう。ご苦労さまだな!」

 マリアが学生たちを一蹴する。学生たちは顔を見合わせていたが、やがて、誰からともなくその場から逃げていった。


「すまなかったな」

 マリアはユリウスの前へ歩み寄った。寂しげに眼を伏せて、ユリウスに手を差し伸べる。

 ユリウスは、そんな彼女を睨んで口の中に入った泥を吐き出す。

「大丈夫か?」

 心配そうなマリアの声を聞いて、ユリウスは冷笑する。


「良いんですか? 僕に構っていると、友達失くしますけど」

 不貞腐れて言うと、マリアはフッと笑って肩を竦めた。

「あいにく、失くして困るような友人がいない」

 先ほどの連中は、いつもマリアの周りにいる取り巻きだ。いや、マリアは常に人の輪の中心にいた。

 それなのに、彼女は友人がいないと言う。

 マリアは笑っているが、本心からの笑みではないと思った。


 そんな彼女を見て、ユリウスは自問する。

 どうしても、この王女を憎むことが出来なかった。こいつのせいで、僕は殴られたのに、と。


「寂しいんですか?」

「どうだろう。もう慣れた」


 マリアは自嘲しているのか、楽しそうな笑みを浮かべる。きっと、言葉通りに慣れているのだろう。

 いつも人に囲まれて、褒め称えられるお姫様。ユリウスの嫌いな人種だ。けれども、彼女には心を許せる相手が一人もいないのだと気づいてしまった。

 マリアは女だ。男ばかりの環境では、満足に友人が出来ないのは当たり前だった。王族という隔たりもある。


「じゃあ、僕がなろうか。ただし、こんな頑固で強情な兵隊馬鹿、絶対にお姫様扱いしてやらないけどね」


 気がつけば、ユリウスは悪戯っぽく笑っていた。まるで、彼女とずっと親友だったかのような態度で、言葉を砕く。

 どうして、そうしてしまったのかわからない。今度こそ、本当の不敬罪で半殺しになるかもしれないと思った。


「……私にそんな風に言葉をかけるのは、王族くらいだぞ。お前、相応の罰を覚悟しろよ?」

 マリアはビックリして言葉を失くしていた。

 だが、やがて、不敵に笑ってこう続ける。


「私は執念深いんだ。一度、友と呼ぶと決めたら、簡単に縁など切ってやるものか」


 皮肉めいていて、素直ではない。

 けれども、そのときの表情が本当に嬉しそうだったことを、ユリウスは後々ずっと覚えていることになる。


「おっと、軽はずみなことを言うもんじゃないな。酷い罰だね、それは」

 ユリウスはわざとらしく嘆く振りをしてみたが、耐えきれずに肩を揺らして笑ってしまう。

 こんなにおかしいと思ったことは、初めてだ。マリアも同じだったのか、声をあげて笑った。


「ユリウス・フォン・カイザーリングだ。君とは違って、成績は中の下かな。砲術だけは何故か得意だよ」

「そうか。よろしく頼む、カイザーリング」

「……君は『友達』を家名で呼ぶのかい?」

 指摘してやると、マリアはバツが悪そうに視線を逸らした。

 恥ずかしがっているのか、初めて女らしく頬を染めていた。これがドレスを着た「お姫様」だったら最高だったのに、と不覚にも感じてしまう。


「私は同級の者も家名で呼んでいる……こういう場合、なんと呼ぶのが正解なんだ? ユリウス、と呼んでしまっても良いのだろうか……?」

 本当に友人が一人もいなかったようだ。マリアは戸惑いながら、ユリウスを見据えていた。

 ユリウスは面食らったが、やがて唇を綻ばせた。


「ユーリで良いよ。最上級に親しい呼び方だ」

「わかった……ユーリ。私のこともマリアと呼んでくれて構わない」


 照れくさそうに「ユーリ」と呼んだマリアを見ていると、なんだか、こちらまで照れてくる。

 ユリウスは噛み締めるように、小さな声で「マリア」と呼んでみた。

 初めて呼んだお姫様の名前は、古い付き合いの親友のように、スッと胸に落ちる響きだった。




 マリアとの付き合いがはじまったのは、それからだった。

 思えば、おかしな出会い方だ。

 それでも、マリアはユリウスを友と呼んでくれたし、ユリウスもマリアが気に入った。頑固で頭に血が上りやすく、女らしさの欠片もない兵隊馬鹿だが、傍を離れたくないと思えた。


 マリアを好きになっていたのだと思う。いつからかはわからないが、ユリウスはマリアに友人以上の感情を抱いていた。


 ずっと傍にいたかった。


 マリアの婚姻が決まったとき、ユリウスは絶望した。

 結婚政策は外交だ。ユリウスにはどうすることも出来ない。

 それならば、せめてマリアの傍に仕えていようと思った。どうせ、最初から身分が違っていたのだ。諦められる。そう思った。


 けれども、ヘルマンがマリアとの逃亡を決意したとき、ユリウスは嫉妬した。


 マリアとアドラのためを思い、ユリウスは身を引こうとした。

 だが、ヘルマンはそうしなかった。

 自分が出来ないことをやろうとしたヘルマンを妬ましく思い、同時に憎しみを抱いてしまう。

 マリアを傷つける。そんなことはわかっていた。それでも、ユリウスにはヘルマンが許せなかったのだ。


 ユリウスは逃亡の全容を国王に密告し、ヘルマンは処刑された。


 自分を責め続けるマリアを見るのが辛かった。彼女はなにも悪くない。悪いのは自分勝手なユリウスだ。

 勿論、国のためを思えば、ユリウスは当然のことをした。一国の王女を連れて逃亡など、あり得ない。


 しかし、自分がヘルマンを陥れるつもりで密告したことに変わりはない。アドラのためではない。ユリウスは自分勝手な嫉妬に任せて、ヘルマンを殺したのだ。

 あのとき、ユリウスは確かにヘルマンへの殺意を抱いていた。


「ごめん、マリア」


 視線の先に光が見える。

 長い階段が終わり、塔の頂上に辿り着いた。狭い出口を潜ると、巨大な鐘楼が吊るされた踊り場へと出る。

 塔に吹き付ける冷たい風がユリウスを包み、ドレスの裾を軽やかに舞い上がらせた。


 柱につかまって、石造りの柵に足をかける。

 帝都を見下ろす景色は城の庭と比べ物にならないほど美しく、遠くにそびえる山々まで見渡すことが出来た。

 足元を見ると、地面が恐ろしく遠く、人の姿が面白いほど小さい。

 これだけ高いのだから、さぞ天に近いのだろうと思って頭上を仰ぐと、青い空は手を伸ばしても届かないほど遠くに広がっていた。


 マリアの瞳と同じ色の空には、どうやっても届かない。

 自嘲の笑みを零し、ユリウスは柱から手を放す。

 

 

 

 アドラ王国のモデルにしたプロイセンは、あまり土地が豊かではなく、普通に領地経営していたのでは暮らしていけない&そもそも領地などない貧乏貴族大量発生でした。彼らにとって、将校となると給料が貰えて一定の暮らしを約束してもらえるため、魅力的なものだったようです。そんなに良い暮らしではなかったけど、昇格・昇給のチャンスもあります。

 所謂、社畜のようなものげふんげふん。

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