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24 毒杯

 

 

 

 後ろ手で、ゆっくりと扉を閉める。

 自室を後にして、ラーノは静かに歩を進めた。


 握りしめた小瓶の存在を確かめ、服に隠す。父帝を暗殺する折りに使用した毒だ。

 一刻も早くユリウスが掴んでいる書簡を処分したい。しかし、ラーノには所在がわからない以上、どうにもならない。

 これを使って、マリアを殺す。

 ユリウスが書簡の場所を話すとしたら、マリアだろう。証拠がレデンの手に渡る前になんとかしなければ。

 それに、あれはハインリヒに対して誓約を守るよう促す効果もある。易々と手放すことなど出来ない。


 従者を撃ったマリアの顔を思い出すと、気分が良かった。

 信じていた友人に裏切られ、絶望した顔。疑念と困惑の間に揺れ、なんの言葉も出ないあの表情を見ていると、清々しくなる。


 自分のせいでアドラ軍に大敗し、その上、従者が間諜を務めていた。これほど、屈辱的なことはないだろう。

 本当は、もっと苦痛を味わって貰うはずだった。

 後悔と自戒の念に苛まれた後で、苦しみながら死ねばいい。そう出来ないのは残念だが、仕方がない。元々殺すつもりだったのが早まっただけだ。


 彼女さえいなくなれば、全てが上手くいく。

 きっと、昔のように――。


「部屋で休まなくて良いのか?」

 唐突に声を投げられ、ラーノは急いで立ち止まった。

「すみません。あまり落ち着かなくて……」

 振り返った先にマリアの姿を見つけて、思わず顔をしかめそうになる。だが、悟られないように優しげな微笑を貼り付けた。

「マリアさんこそ、どうしましたか」

「ユーリの部屋に入ろうと思う」

「なにか探しているんですか?」

 問いに対して、マリアは口を噤んでしまう。

 ラーノは眼を伏せた後に、唇に少しだけ微笑を描いてみせる。書簡を探しに行くに違いない。それならば、好都合だ。


「よろしかったら、お手伝いしますよ。お役に立てるかもしれません」

「だが……」

「すみません。もしかしたら、私が嘘をついているかもしれないと思われても仕方がありませんよね。配慮に欠けていました……ただ、お役に立ちたくて」

 急いで頭を下げると、マリアが複雑に顔をしかめる。しかし、彼女は程なくして首を横に振った。


「いや、そんなことはない。いくらなんでも、動機がないからな……私はユーリの勘違いじゃないかと踏んでいる。間諜は別にいるんだ。それを探りたいと思ってる。ラウドンにも協力して貰っている」

 なるほど、無難な解決法だった。

 ユリウスでも、ラーノでもない第三者であれば、彼女はどんなに気が楽だろう。


 だが、世はマリアが思っているほど甘くはない。

 彼女が求めるような希望など、何処にも存在しないのだから。


「だったら、私もお手伝いします。よろしいでしょうか?」

「……ああ、好きにしろ」

 書簡を見つけた後に始末してしまえば問題ない。現場に居合わせた方が好都合だ。

 思わず浮かびそうになる笑みを隠して、ラーノはそっとマリアの後ろをついて歩いた。そして、ユリウスの部屋へ入る。


 部屋は整然と片付けられていたが、仄かに香水の甘ったるい匂いが漂っている。鏡の前には高価なラピスラズリの置時計や、派手な髪飾りが置いてあった。衣装棚を開けると、男物の衣服は数着あるだけで、ほとんど女物のドレスが詰まっている。

 まるで、女の部屋だ。主人が男装趣味なら、従者は女装趣味か。レーヴェ宮廷で女装を嗜む男は少なくないが、ここまでの者はなかなかいない。いっそ悪趣味だ。

 ラーノは横目でマリアを観察しながら、部屋の中を探索する。


「本当にご友人のことを信頼していらっしゃるのですね」

「……ああ、ユーリは大切な友人だよ」

「羨ましいですね。私には、兄上だけでしたから」


 ラーノは寂しげに眼を伏せる振りをして笑った。

 幼い頃から、傍にいたのはレデンだけだった。次男という立場から、周囲はラーノに期待を寄せることはなかった。いつも人に囲まれている兄を見ながら、独りで過ごすことが多かった。

 それでも、レデンはラーノを見捨てないでいてくれた。弟として、大切にしてくれた。

 口が悪くて不器用だったが、本当は優しい人間だと知っていた。庭弄りや花が好きで、少し子供っぽい人だと知っていた。

 レデンを一番近くで見て、理解していたのはラーノだった。


「お気持ちはわかりますよ」

 マリアに対して笑顔を貼り付けるのもうんざりする。

「背負った想いというものは、その人にしかわからないものです。私がどんなに頑張っても、マリアさんの気持ちは想像することしか出来ませんけれど」

「そうだな」

 低く呟きながら、マリアは窓辺に視線を移す。昼下がりの日差しが黄金に輝き、鳥のさえずりが聞こえた。


 ラーノはマリアの隣で引き出しの中を覗き込みながら、焦りを感じる。

 マリアはユリウスから書簡の場所を聞いているはずだ。けれども、彼女がそれを手にする気配はない。それとも、詳しい場所までは聞かされていないのだろうか?

 妙な苛立ちが顔に出ている気がして、ラーノはマリアから視線を少しだけ逸らした。


「お前はどう思う?」


 わけがわからない問いにラーノは視線を上げた。どうやら、マリアの問いを聞き逃していたらしい。


「ルーデルスドルフの伏兵。私なりに考えてみたんだが……お前は、どの段階で情報が漏れたんだと思う?」

「え? ……はあ……なんのお話ですか?」

 何故、この話題が唐突に切り出されたのか、わからない。ラーノは眉を顰めて、マリアを凝視するのだった。

 

 

 

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