23 主従の心得
「ユーリ」
独房の中に押し込まれたユリウスを、マリアが見下ろしている。
静かに呼ばれた名前が、暗い石壁に冷たく響く。それを受け止めるように、ユリウスは顔をあげた。
鉄格子越しに、マリアの辛そうな表情が見て取れる。もしかすると、彼女がヘルマンとの一件で捕らえられていたときのことでも思い出しているのかもしれない。
ユリウスは傷ついた右腕を押さえ、ぎこちない笑みを浮かべた。
「マリア、ありがとう」
静かに放った言葉にマリアが眉を寄せる。
「なんのことだ」
「僕を少しは信じられると思ってくれたんじゃないのかい?」
あのとき、マリアはユリウスを仕留めることが出来た。あの距離であれば、彼女が的を外すことはほとんどない。
恐らく、マリア一人がユリウスの無実を訴えても、無駄だった。あの場で射殺されていてもおかしくないだろう。
事実、ユリウスは他の間諜を探し出すためとは言え、アドラにレーヴェの情報を流している。
拘束しておけば、ユリウスの口を封じようとする敵から守ることにもなる。
マリアがユリウスを完璧に信じていないなら、あの場で射殺していただろう。
しかし、同時に虚しさが心を占める。
マリアはユリウスの望みを捨てないでくれた。だが、ユリウスは――。
「マリア」
牢獄の前から去ろうとするマリアの背を呼び止める。
マリアは黙って横目で振り返っただけだった。
「大好きだよ」
この場には似つかわしくないが、ユリウスは両手を伸ばして笑みを浮かべた。
† † † † † † †
「おお、ユーリ様。まさか、貴女がこんなことになるなんて……! この試練は神によって運命付けられていたというのですか?」
天を仰いで号泣しはじめたラウドン。
その様を見て、レデンは表情を引き攣らせた。
「……マリアの従者は男だったと思うんだが」
「陛下、寝言は寝てから言ってください。自分は真剣なのですよ! あのような可憐なご婦人を男性呼ばわりするなんて……これだから、陛下は女性というものが理解出来ないのです!」
「お前には言われたくない!」
いくら言っても聞かないラウドンに愛想を尽かして、レデンは漆黒の髪を掻き毟った。
ユリウスが間諜として処罰されるようなことがあれば、マリアにも疑惑がかかる可能性がある。だが、現状では、ユリウスの主張を聞き入れることは出来ない。
彼の言うことが正しければ、皇子であるラーノが間諜行為をしたことになってしまう。証拠もないのに、そんなことを認めるわけにはいかない。
ラーノは無傷だったが、一応、自室で安静にさせている。
「嗚呼……ユーリ様ぁ」
ラウドンは、未だに滂沱の涙を流して両手を握り合わせている。だが、程なくして、背筋をピンと張って立ち上がった。忙しい男だ。
「待っていてください、ユーリ様! このラウドンは諦めません! 必ずや、貴女の無実を証明してみせましょう!」
鼻水を垂らしたまま言い放つと、ラウドンはそのまま何処かへ走り去ろうとする。
そのとき丁度、マリアが面会を終えて部屋に帰ってくるところだった。
ラウドンは危うく、マリアと擦れ違いそうになったが、急いで引き返して彼女の手を握り締める。
「マリア様、どうでしたか!」
無意味に大声で放たれたラウドンの問いに、マリアは黙って眼を伏せる。その瞳は、迷いと悲しみの色で溢れており、なにも言葉が出ないようだった。
無理もない。レデンにも、彼女に掛ける言葉が見つからなかった。
だが、そのまま立ち去ってしまおうとするマリアをラウドンが無理に引き止める。
「諦めないでください、マリア様! マリア様がユーリ様を信じなくてどうするのです!」
鼻水を垂らしたまま力説するラウドンを見上げて、マリアは唖然としていた。
「だが」
「自分は陛下を裏切ることなど、絶対に有り得ません。陛下にお仕えし、生死を共にする覚悟です。幼いときより、陛下を見ておりますからな。その覚悟こそが臣下の心得。ユーリ様も、絶対に自分と同じはず! 自分には、わかります。信じましょう! 自分は信じます!」
ラウドンは鼻水を一気に啜り上げると、いつも通りの快活な笑みを浮かべた。
口を半開きにしていたマリアの表情が動く。
「そうだな……『彼女』は幼年学校以来、私の良い親友だった。私が信じてやらなければならない。ラウドン、協力してくれるか?」
「勿論でございます!」
『彼女』という部分を妙に強調して、マリアはガッシリとラウドンの手を掴んだ。そして、二人で何処かへ行こうとする。
「ちょっと待て」
レデンは透かさず口を開いたが、マリアに睨まれて閉口する。
「お前はついて来なくて良い」
「そうです、そうです。陛下は黙ってユーリ様に贈る花束でも作っておいてください」
レデンの身分を配慮してか、きっぱりと同行を断られてしまう。
仲間外れにされた気がして、レデンは面白くなかった。