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22 真紅の騎士

 

 

 

 見上げるほど高い大聖堂の天井に、足音が反響する。

 宗教画が描かれたステンドグラスから差し込む数多の光が、足元を照らしていた。

 ドレスの裾を上品に持ち上げて、祭壇へ続く短い階段を一歩一歩上がる。薄暗く、厳かな大聖堂において、薔薇のような真紅が鮮明に浮かび上がっていた。

 ユリウスは内陣に射す光を見上げる。微かに舞う埃が光を纏い、輝いて見えた。


「マリア、ごめん」


 ぽつりと呟いた声が壁に跳ね返り、冷たい空気の中で幾重にも木霊する。

 それを遮るように、扉が重く軋む音が響いた。

 大聖堂の入り口に一筋の光が切り込んでいく。


「こんなところに呼び出してなんの用でしょうか?」


 優しげな声の主を睨みつけながら、ユリウスは亜麻色の髪を肩から払った。

 鋭い若草の瞳にとらえられて、声の主――ラーノが不安げな表情を作る。彼は黄昏色の瞳を少しだけ伏せると、儚さを纏った柔らかな微笑を浮かべた。


「どうかしたんですか? お話というのは、なんでしょう?」

 ゆっくりとした靴音がカツカツと共鳴する。ラーノが目の前まで歩み寄ると、ユリウスは重い唇を開いた。


「……殿下、襟のタイを外して頂けませんか?」

 唐突に投げられた要求に、ラーノは眉を寄せる。

 戸惑ってばかりで一向に動かない皇子に対して、ユリウスはスカートをゆっくりと手繰り寄せた。そして、ペチコートの膨らみの中に隠し持っていた短銃を取り出す。

 ラーノは目を丸くして、喉から低い声を漏らした。


「早くタイを外してください」

 ユリウスは低く、静かに言葉を重ねながら、引き金に指をかける。

「外すだけで結構です」

 銃を突きつけられては、従うほかない。

 ラーノはゆっくりと、右手を襟のタイにかけた。そして、丁寧に結ばれていたタイを解いて引き抜く。

 普段は高い襟に隠れて見えない首筋が露になった。


「やっぱり、本来は右利きなんですね。騎乗の姿勢も右利きのものでした。鍛錬でついた剣だこも右掌にしかない」

「え?」

 ラーノが黄昏色の瞳を見開き、自分の右手に視線を移した。そこには、くっきりと、右手で剣を握ってきた痕が刻まれている。


「どうして、マリアの前でだけ『左利きの振り』をしていたんですか?」

「左利きの振り? どうして、私がそんなことをする必要があるんですか……」

「貴方がヘルマンに似ていなくてはならないから、ではないですか?」


 静寂が降った。

 ラーノは戸惑いの表情を浮かべたまま立ち尽くす。だが、ユリウスは銃口を向けたまま動かなかった。


「宣戦布告があった後、僕はアドラへ行きました。そこで、ハインリヒ殿下はレーヴェに皇帝を殺した内通者がいることを示唆した。ルーデルスドルフでも、明らかにこちらの作戦が漏れていました……貴方でしょう?」

「なにを仰っているんですか! どうして、私がそんなことを!」

 ユリウスはニヤリと唇を吊り上げた。

「……貴方は、ハインリヒ殿下のことを『陛下』と呼んでいた。実質、アドラの権力を握っているのは彼ですが、国王に即位したわけではない。そのような身分の、しかも、敵国の人間を『陛下』と呼ぶでしょうか?」

 ユリウスが言葉を重ねる。

「貴方はハインリヒ殿下から、ヘルマンのことを聞いて、マリアに揺さぶりをかけようとしていたんだ。そして、ヘルマンを演じた……マリアを心理的に追い詰めるために」

 ラーノは黙ったまま、ユリウスから視線を逸らした。

「どうして、そこまでするんですか。レーヴェの帝位が狙いですか?」


「――黙れ、カス。なにも知らないくせに」


 恐ろしいほど低い声に、空気が凍りついた。

 ラーノはセピア色の前髪をかき上げると、微笑を浮かべる。ヘルマンとよく似た優しく穏やかなものではなく、冬の湖のような静かで冷たい眼差し。

「私が帝位を狙っている? 笑わせないで欲しい」

 ラーノは口の中で小さな笑声を転がすと、大聖堂の柱に身を寄りかけた。


「……書簡を見つけました。ハインリヒ殿下と貴方のサインが入った書簡です」

 ラーノから急に表情が失せ、ユリウスを睨みつける。

「何処でそれを」

「貴方の部屋で。本棚の裏の隠し金庫にありましたよ」

「出せ」

「今はありません。他の場所に隠しています」

 ラーノが奥歯をギリと噛んで顔を歪める。だが、程なくして肩を竦めて唇に笑みを描いた。

 ユリウスは銃を握った手が汗ばむのを感じるが、表情に出すまいと努めて、ラーノの方へゆっくりとにじり寄る。


「それで、あの女を守っているつもりか?」

「どういうことだ」

「邪魔なんだよ、あの女が。だから、アドラ側から打診があったとき、素直に乗ってやることにした」

 歪んだ表情を左手で覆いながら、ラーノは天を仰ぐように首を反らした。

「全部あの女が悪い!」

 レーヴェ建築の特徴でもある高い天井に、激しい怒声が木霊する。


「どうして……」

「どうして? 理由など、お前に話す義理もない……面白かったよ。戦場では全く物怖じないくせに、私が近づくとすぐに泣きそうになって、歯を食いしばるんだ」

 ラーノはニヤリと唇を吊り上げる。

「なにがおかしいんだよ、笑うな」

「寝ているときには、うわ言で死んだ人間の名前まで呼んでいた。最高に楽しかったな」

「笑うな!」

 悲痛に歪むマリアの顔を思い出して、ラーノが笑声を上げている。彼に銃を向けたまま、ユリウスは敵意を剥き出しにして叫んだ。

 引き金に力をかける。


 この男は、マリアを貶めた。彼女の心を弄んだのだ。

 許せるはずがない。


「そう怒らないで。お前だって、似たようなものだろう?」

「僕はお前とは違う!」

「違わない。目的はどうあれ、お前は裏切り者だ。友人を殺したときとなにも変わらない、ただの裏切り者だろう? 私となにが違う?」

「違う!」


 塔の上で鳴らされた鐘の音が大聖堂に満たされる。

 巨大な鐘によって奏でられた音色が空気を揺らし、大地へ響く。


「ユーリ?」


 永久のように長く、刹那のように短い鐘の余韻に重なる声。

 振り返ると、出入り口に人影が立っていた。眩しい光を背にした人物の顔は見えないが、瞬間的に誰だかわかった。


「マリア……?」




 † † † † † † †




「ユーリ」


 ユリウスの姿を見つけ、マリアは急いで広い大聖堂へ駆け込んだ。

 親友の手には短銃が握られており、その先にはラーノがいた。

 状況を把握しようとするが、全くわからない。後に続いたレデンや警護の兵士たちも困惑していた。


「助けてください!」

 唐突にラーノが縋るような声を上げて、マリアに視線を送る。

「ユリウスさんがアドラの間諜だったんです。それで、私を口封じに……」

 必死の形相でラーノが捲し立てる。けれども、ユリウスも横目でマリアを見て、口を開いた。

「違う。マリア、間諜はこいつだ。皇帝暗殺も、ルーデルスドルフで作戦の情報を漏らしたのも、全部こいつの仕業だ!」

「どうして、私がそんなことを!」


 ユリウスもラーノも声を張り上げて、互いに主張する。

 レデンたちも混乱しているようだった。

 だが、レデンたちにユリウスの主張が受け入れられないことは見えている。相手は皇子だ。彼らにとって、どちらが信頼出来るかは明白だった。

 おまけに、皇子であるラーノに対して、ユリウスは銃を向けている。状況は完全にユリウスに不利だ。


「マリア、僕を信じてくれ!」

「マリアさん、聞いてはいけません。見たのです。彼がレーヴェの行軍進路を漏らしている現場を……」


 ユリウスが希望を託してマリアを見る。だが、マリアは戸惑いながら、ユリウスから視線を下げてしまった。


 この場で、ユリウスを信じてやれるのは、マリアだけだ。

 マリア以外に、彼を信じられる人間はいない。


 しかし、ルーデルスドルフの敗戦以降、ユリウスの言動は明らかにおかしかった。なにもないとは考えられない。


 皇帝の遺体が発見されたとき、マリアはユリウスの傍を離れていた。あの日の行動を全て把握していたわけではない。

 彼は、どうやってハインリヒから逃れて帰還したのだろう。あんな大怪我を負っていたのに、何故、レーヴェへ帰って来られたのだろう。

 ルーデルスドルフでマリアの身を案じたのは、何故だ。昨晩、彼が謝っていた理由は――。


 今更のように、疑惑が泉のように湧き上がった。


 されど、マリアには動機がわからなかった。

 ユリウスがマリアを裏切るはずなどない。ずっと、傍にいると約束したではないか。


「ユーリ、本当のことを話せ」

 なにを言えば良いのかわからなかった。

 精一杯搾り出した言葉は、マリアが本当に望んだものだろうか。


「……行軍進路を漏らしたのは、事実だよ」

 耳を塞いでしまいたかった。身体から力が抜けて、立っているのも辛くなる。

「でも、作戦内容は教えていない。あの状況でも、君なら覆すことも可能なんじゃないかと期待した」

 ユリウスはラーノに向けた銃口を下げない。

「ハインリヒ殿下はレーヴェに皇帝を殺した内通者がいると言った。僕はそいつを炙り出すために、間諜役を引き受ける振りをした。勿論、機密事項を漏らしたんだ。相応の罰は受けるつもりだ……マリア、信じてくれ。お願いだ」

「証拠は?」

「……今、ここにはない」


 そんな話を信用出来るはずがない。

 しかし、信用されないとわかっている話を信じろと言うほど、ユリウスは愚か者だろうか。彼のやり方ではない。

 だが、現状ではユリウスの話を証明する術はないのだ。

 マリアは拳を握り締めた。


「ユーリ、銃を渡せ」

「……嫌だ。この男を殺した後に撃たれたって、僕は構わない。こいつだけは、許せない」

「銃を下げろ! 命令だ!」

「嫌だ!」


 怒号が擦れ違い、音響効果に優れた聖堂内に反芻する。

 マリアは近くの兵士から長銃を奪い取り、素早く構えた。


「これで最後だ。ユーリ、頼むから銃を下ろしてくれ」

「……出来ない」


 乾いた銃声が幾重にも幾重にも響き渡る。

 噴出された白い硝煙が視界を覆った。


「う……ッ」

 低い呻き声が上がる。

 右腕に被弾し、ユリウスは銃を手放してしまう。


「拘束しろ」


 負傷したユリウスを兵士たちが取り囲む。マリアはなにも言わないまま立ち尽くし、連行される友人の背を見ていた。


 ユリウスは一度も振り返らなかった。

 

 

 

 伏線が細かすぎて申し訳ありません。


 想定年代の銃は一発撃つと、びっくりするほど硝煙が上がります。モクモクと。

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