20 裏切り者
途中で視点変わります。
仕事始まる前に、あと1、2話更新……したいっ!(笑)
ルーデルスドルフでの敗戦はレーヴェ軍に大きな損害をもたらした。
レーヴェ軍は追い立てられるように敗走し、アドラと隣接するシロンスク州のほぼ全域が制圧されてしまう。
壊滅状態に追い込まれた軍を立て直すために、レデンはプラーガに帰還する。
マリアは是が非でも戦場を離れないと言い張ったが、ルーデルスドルフ以降の戦績が揮わないことを理由に無理やり連れ戻されてしまった。
「歩兵でも、なんでもいい。私を戻してくれないか」
マリアの訴えを聞いても、レデンは首を縦には振らなかった。レデンはもたれかかっていた窓枠から身を剥がす。
「駄目だ、許可出来ない」
「このままでは、レーヴェは負ける」
「今のお前が行っても同じだ」
「私が使えないと言いたいのか」
「ああ、そうだ。今のままじゃ、なんの役にも立たない」
はっきりと断言されてしまい、マリアは思わず黙ってしまう。レデンは立ち尽くすマリアの傍に歩み寄ると、正面から彼女を見下ろす。
「少し頭を冷やせ。どうせ、冬に入ればロクに動けやしない」
マリアは拳をきゅっと握り締めて口を噤む。
冷静さを欠いて失敗を重ねる指揮官などいらない。マリアを連れ戻したレデンの判断は正しい。わかっていたが、それでもマリアは戦場から離れたくなかった。
戦果を上げなくては。
けれども、焦れば焦るほど空回りし、失策した。
マリアのせいでルーデルスドルフの戦いで敗北した。レーヴェ軍の主力は甚大な被害を受け、シロンスク州が占領される要因を作った。多くの士官と兵士が戦死した。
「責任でも取るつもりか?」
マリアの心を見透かしたように、レデンが口を開く。しかし、彼はマリアに反論の暇を与えなかった。
「お前一人で償えるとでも思っているのか。お前が犬死にすれば、レーヴェが勝てるとでも? そんなことをしたって、なにも変わらない。わかっているんだろう?」
「私は……」
「そんなことで死んだら、お前の目的だって果たせない。俺にはお前が必要だ。無駄死になんてさせて堪るか。俺は――」
「私は……お前みたいに強くなんかない!」
レデンの言葉を遮って、マリアが声を荒げる。
不意を突かれたのか、レデンは夜色の瞳を見開いた。マリアはそれ以上なにも言わず、逃げるように部屋を出る。
マリアはそのまま自室へ向かう。明るい光の差し込む長い回廊を押し進み、部屋の扉を開けた。
あまり物を置いていない殺風景な部屋に踏み込むと、窓辺に立っていたユリウスが振り返る。プラーガに帰ってからは相変わらずのドレスに身を包んでおり、大きなリボンとフリルを揺らしていた。
「どうしたのさ」
ユリウスの問いを無視して、マリアは手袋と軍靴を脱ぎ捨てて寝台に身を投げる。脱ぎ散らかした手袋を拾いながら、ユリウスが溜息を吐いた。
「陛下と喧嘩したの? 二人とも短気すぎるよ」
「今は誰とも話したくない」
マリアは柔らかい枕に顔を埋める。
しかし、ユリウスが出て行く気配はない。マリアは彼を無視することにして沈黙した。
「マリア」
ユリウスが寝台の傍に歩み寄り、腰掛ける。二人分の体重がかかり、寝台のスプリングが深く沈み込む。
「泣いてる?」
泣いてなんかいない。
反論しようとしたが、その瞬間に目頭がジンと熱くなる。声を上げようとしても、言葉が出ない。
ユリウスの指がマリアの髪を撫でる。
その動きがあまりに優しくて、マリアは声を噛み殺す。けれども、やがて耐えられなくなって小さく嗚咽を漏らしてしまう。
「マリア、ごめんね」
「……なんで、お前が謝るんだ」
「なんとなく。でも、ごめん」
マリアは頭を撫でるユリウスの手を掴み、弱々しく握り締める。
人肌の温かさが心地良く、優しさが溶けるように胸に染み渡るようだった。それに甘えるように、マリアは枕に顔を伏せたまま目を閉じる。
「お前だけは何処にも行くなよ」
涙が枕に染みる。それでも、泣いている顔を見せまいと、マリアは頭も上げずにユリウスの手を握り続けた。
「ありがとう、マリア」
ユリウスがどんな表情をしているか知らずに。
† † † † † † †
「あーあ、また派手に言い合っていましたね」
「うるさい……お前には関係ないだろ」
肩を竦めて入室するラウドンを睨みつけて、レデンが庭に視線を移した。明るい日が差し込む庭には、彼の育てた花や木が植えられている。しばらく留守にしていたが、本職の庭師がきちんと仕事してくれたようだ。
先日、薔薇が枯れた。朝方降りた霜のせいだ。
レデンは枯れた薔薇に目を遣る。
固い蕾の中に閉じられた花弁の色を、レデンはまだ見ていない。この花はどんな色を持っていたのだろう。花が開けば、どんなに美しいことだろう。
すぐそこにあるのに。
「まったく、陛下は女心が少しもわかっていらっしゃらない。困ったものです」
「そんなもの、簡単にわかったら苦労しない」
――私は……お前みたいに強くなんかない!
傍にいるのに、どうして互いが見えてこないのだろう。
マリアは勘違いしている。レデンは強くなどない。
背負うものの大きさに、いつも押し潰されそうになっている。でも、――。
「俺は一人じゃなにも出来ない」
すぐ傍にいるのにわかり合えない。手を伸ばせば、触れられるのに。
「そうですね。だから、自分が傍でお仕えしているのですよ。一人では国は治まらない」
ラウドンが軽く微笑むので、レデンも表情を緩ませた。そして、逞しい臣下の肩を軽く叩く。
「頼もしいな」
「当然ですよ。自分はレーヴェの英雄ですからな!」
ラウドンはニヤリと唇の端を吊り上げて豪快に笑う。
「そのためにも、マリア様に調子を戻して頂かなくては。陛下は策もなく敵陣に突っ込むことしか能がありませんからな!」
「余計なお世話だ」
「人にはそれぞれの才があります。陛下は、そのままで良いのですよ。そんな貴方だから、我々は従っていけるのです」
さり気なく誤魔化された気がする。レデンは煮え切らないまま、ラウドンから顔を背けた。
確かに、レデンにはマリアのような軍才も、ラウドンのような力もない。誰かに頼るほかないのだ。
マリアの才は秀でている。今のレデンには、必要な存在だ。
「ラウドン……お前は、ルーデルスドルフの敗戦をどう思う」
戦でマリアに勝てる将はいない。少なくとも、今までは存在していなかった。その彼女が伏兵を読めずに敗戦へ追い込まれた。
ラウドンは数秒、大袈裟に唸って腕を組んでいたが、やがて、淡青の眼を細める。
「自分にも解せません。あの位置への伏兵は、事前に配置する意味がありませんからな。しかし、騎兵による奇襲を受けてから策を考えて配置したのでは、間に合わないでしょう」
「どういうことだ」
「あれは我々が右翼から攻めることを知っていてこそ、活きる配置……情報が漏れていた可能性があります。ルーデルスドルフまでの会戦を避けられていたのも気になりますし」
レーヴェ軍に間諜がいる。
マリアの作戦を詳しく知ることの出来る指揮官か、その直属の部下に内通者がいるのかもしれない。
前帝を殺害した実行犯も、まだ見つかっていないのだ。可能性は大いにある。
冬季は基本、戦局が滞ります。
冬の戦争は消耗が激しく、備品が凍ることもあります。また、充分な食料を用意することも難しい。かと言って軍を解散させても、再び招集させるのに時間もお金もかかったりするので、大概、一般兵は冬営地で冬を越すことになります。