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2 黒鷲の姫君

 

 

 

 レーヴェ帝国第一皇子レデンと、アドラ王国の王女マリアの婚姻が決まっている。

 大陸中央を支配する大帝国と同盟することは、小国ながら軍事を中心に勢力を伸ばしつつあるアドラにとって重要な外交である。

 通常の政略結婚では、結婚するその日に初めて相手と対面することがほとんどだ。

 しかし、今回の場合はアドラとの同盟関係を推奨する貴族の勧めで、マリアは国王の代理としてレーヴェ宮廷で催される祝祭に出席することになった。


 この日、初めて自分が結婚する相手と会う。


 マリアとしては、どうせ結婚相手は選べないのだから、後で会おうが、事前に会おうが関係ないように思われた。

 それに、自分のような女を気に入る男など物好き以外の何者でもないことも自覚している。


 アドラ国王は、軍国主義を理想とし、兵隊王と渾名される君主である。

 そのため、自分の息子たちには当然のように武官であることを求めた。それどころか、王女であるマリアにまで男と同じ軍人の教育を施したのだ。

 しかし、質素で規律ある生活だけでも身につけさせようとした国王の意思に反して、マリアは見る見るうちに軍人としての才能を伸ばしてしまった。

 武芸や砲術だけでなく、布陣や作戦指揮などの方面にも精通し、若干十七歳で並みの将校では手に負えないほどの才覚を発揮した。


 男であれば天才である。


 だが、残念ながらマリアは女だった。ユリウスには「生まれてくる性別を完全に間違えているよ」とまで言われてしまったほどだ。


「人の話、聞いているのかい?」

 ドレスよりも軍服の方が楽だ。ん、あの門衛が持っている銃は珍しいな。一七二二年式のオルディネーレ・フリンタじゃないか。西側で流行った一七一七年式の複製版だ。えらく旧式の銃を使っているものだ。今じゃ、骨董品の類なのに……などと考えていると、ユリウスが不機嫌そうにマリアの顔を覗き込んでいた。

「マ・リ・ア!」

「聞いている、いや、聞いていますわ」

「嘘くさい。普通に嘘くさい」

「大丈夫だ……で、なんの話だった?」

「聞いていないじゃないか!」

 開き直ってみると、ユリウスは大袈裟に顔を歪めた後に、いつものようにグチグチと小言を零しはじめた。真紅のドレスで着飾っているものだから、その様子が余計に女のように見える。


「君さ、人がせっかくアドバイスしてあげてるのに、なんでそんなに集中力ないんだよ」

 マリアが身を乗り出そうとすると、ユリウスが不機嫌を露にして吊り上げた唇の端をピクピクと震わせていた。

「あれだけ教え込んだんだから、今から気をつけてしっかりやれよ? 帝国の重鎮は頭にカビの生えた古臭いジジイが多いんだから、第一印象で嫌われたら元も子もない」

「その例え方がよろしいとは、少しも思わないがな」

「だから、もっと女らしい言葉使えって」

「申し訳ありませんわ」

 マリアは棒読みで答える。


「いいかい、最初から徹底的に媚びとけ。それくらいの方が君には丁度良いだろうさ。第一印象が可愛く見えれば、多少のことは誤魔化せるもんだよ。最初から眼中にない女に男は優しくしようとは思わない」

「……つまりは、先制攻撃か。先に砲撃戦で敵兵を減らしつつ、陣形を崩さないと攻めようがない。整然と方陣が組んであるところに騎兵で突撃するのは馬鹿だからな……なるほど、なんとかしてみよう。いや、してみますわ」

「君の結婚は戦か、兵隊馬鹿!」

 上手く例えたつもりだったのに、逆に怒られてしまった。

 しかし、マリアは自分なりに納得出来たことに満足して背もたれに身を預ける。そして、指揮杖の代わりに羽根つきの白い扇子をパシリと鳴らす。


 今の自分を、あいつが見たらどう思うかな?


 そんなくだらないことが頭にチラつく自分に、吐気がした。




 プラーガ城は、古来より帝国の中心として栄え続けた由緒ある城である。

 帝国の成立以来、帝位が変わろうと歴代の君主たちが都を遷すことはなかった。そのため、広大な城の敷地内には様々な時代の様式で造られた建物が混在する。

 この日、皇帝の六十回目の誕生日を祝って大広間は様々な銀製品や、多くの賓客によって華々しく彩られていた。

 大抵の参加者は流行の黒や金を基調とした帝国風のドレスや上着を纏っており、華やかと言うよりも厳かな雰囲気を醸し出している。


 大陸の西側の影響を強く受けているアドラで育ったマリアにとって、大陸中央や東側の文化を持つレーヴェの宮廷は新鮮に映った。隣国だというのに、全く違う世界に迷い込んだ気分だ。

 だが、壁際を見ると、衛兵たちが雑談をしていた。軍人教育が厳しいアドラでは有り得ないことだし、戦争が頻発する西側諸国の宮廷でも、もう少しマシな状態だろうに。


 ふと、この国が西にあったら、どうなっていただろうと想像してしまう。


「まあ、ユリウス様ったら」

「そのドレスは何処でお作りになられたのですか?」

「とてもお似合いですわ。香水は西方のものですか? こちらでは、なかなか良い品が入らなくて困っていますの」

「そうですか、ありがとうございます。よろしかったら、今度、僕の知り合いを紹介しましょうか。幅広い品を扱っていますよ」

 気がつくと、ユリウスが帝国の貴婦人たちに囲まれていた。

 マリアには異様に映っていた真紅のドレスは好評のようで、誰も不審に思っていないようだ。それどころか、会場を見渡せば、女物の衣装や小物を身につけている男が結構な数いるではないか。

 帝国の文化は理解出来ない。これから暮らしていけるのか不安になりながら、マリアはげっそりと肩を落とした。


「どうしたんだい?」

「なんでもない……」

 貴婦人たちから離れたユリウスが首を傾げる。しかし、マリアは敢えて知らない振りをしてやった。

 この男こそ、生まれてくる性別を間違えているのではないか。


「そう言えば、陛下は遅いね」

「ああ」

 当初の予定では、夜会の前にマリアたちとも謁見の機会を与えられていた。

 だが、準備に時間が掛かっているという理由で引き伸ばされ、他に集まった賓客と同様に夜会の広間へ通されてしまったのだ。


 皇帝カレル六世は齢六十の高齢者だ。体調が思わしくないのだろうか。

 しかし、それでも、婚約者である皇子くらいは顔を出すのが筋のはず。それどころか、国の重鎮たちの姿も見えなかった。

 なにかあったのだろうか。


「どうしたのさ、顔色悪いよ?」

 ユリウスが顔を覗くが、マリアはわざと無視をした。

 先ほどから、ずっと立っているせいか、コルセットの締めつけが一層苦しくなってきたのだ。

 体力はある方だと自負しているが、内臓を締められているようで気分が悪い。胃がキリキリと悲鳴を上げていた。

 せめて、紐を少し緩めたいが、このような場所で下着を見せるわけにもいかない。

 そんなマリアの現状を察したのか、ユリウスは軽く息を吐くと、「さっさと戻って来いよ」と視線で合図を送ってくれた。


「ありがとう」

 マリアは小さく礼を言うと、こっそりと広間を抜け出して中庭へ出た。

 人の多い夜会の場と比べて、外はひんやりと涼しい空気が心地良く、それだけで幾分か楽になった。

 眼前に夜の都を展望することが出来る庭は、さながら物語に描かれた空中庭園のよう。花壇には季節の花が咲き誇り、仄かに甘い香りが風と共に舞い上がる。


 マリアは茂みに身を隠すと、素早くドレスの上半身を脱いだ。薄い肌着が露になると、手早くコルセットの紐に手をかける。

 鋼鉄製のコルセットを留める紐を少しだけ緩めてやると、キリキリ痛んでいた胃も楽になった。

「はあ」

 肩を回し、気持ちよく背伸びをした。上だけ脱いだドレスがペチコートの上を滑って、足元に落ちてしまう。


「誰かいるのか」

 最悪のタイミングで投げかけられた男の声に、マリアは身を屈めた。

 いくらなんでも、下着姿では不味い。マリアは脱げてしまったドレスを拾い上げる。

 その間にも、男が茂みへ近づいてくる。


「く、来るなッ!」

 声を上げながら、マリアは慌てて後すさりした。

 だが、不審者だと思われてしまったのだろう。男は大股で歩み寄りながら、腰に帯びていた剣を抜く。金属が擦れる重い音が響き、マリアは反射的に身構えた。


「抵抗しても無駄だ」

 相手が威嚇のために刃を煌かせると同時に踏み込み、軽く拳を叩き込む。

 この程度では、大人の男を倒すことは難しいだろう。しかし、相手がひるんだ隙に、マリアは全身を使って男の懐に飛び込んだ。

「なっ……!」

 男はマリアの突進を受け止め切れず、冷たい地面に押し倒される。

 だが、男の上に跨り、腕を押さえ込んだ後で、マリアはハッと我に返った。


「あ……」


 やってしまった……嫁ぎ先の宮廷でなんてことをしているのだろう。

 条件反射とは言え、これは不味い。一歩間違えば外交問題だ。

 しかも、今動いたせいで、またドレスが脱げてしまった。下着を晒したままでいるのが恥ずかしくなり、マリアは白い頬を真っ赤に染める。

 女らしいことに慣れていないとは言っても、マリアだって立派な女だ。それなりの恥じらいというものがある。


「ぐっ……」

 一人で後悔して羞恥心と戦っていたマリアをよそに、男が呻くような声を上げる。彼は油断していたマリアの腕を掴み、隠し持っていた短剣を突きつけた。

 天上の満月の光を、銀の刃が鮮やかに照り返す。

「女?」

 相手がマリアの姿を見て怪訝そうに目を細める。

 マリアも、月明かりに浮かんだ相手の姿を見据えた。


 闇を吸い取った黒髪が額に落ちる。

 簡素的な装飾が施された漆黒の上着に包まれた体躯はしなやかで、よく鍛えられている。

 年の頃は二十代前半程度だろうか。夜色の瞳に引き寄せられるように、マリアは息をするのも忘れていた。

 月明かりに浮かび上がる白い肌を除けば、すぐに闇夜へ溶けて消えてしまいそうな黒の青年。


 青年はなにか言おうと唇を開く。

 だが、やがてマリアから視線を逸らすと、再び唇を引き結んで黙ってしまった。

 そこで、マリアは自分が下着姿のままであることを改めて思い出す。しかも、先ほど少しコルセットを緩めたせいで、貧相な胸が半分ほど零れ出そうになっていた。


「そ、その!」

 マリアはとっさに胸元を隠しながら、茂みの中へ戻っていった。

「そ、そこでなにしてた」

 マリアから顔を逸らしたまま、青年がぶっきら棒に問う。マリアは慣れない手つきで重いドレスを身につけながら返答する。

「その……コルセットが苦しくなって、緩めていた……じゃなくて、いました」

 ここで嘘をついても意味がない。だいたい、上手い嘘も思いつかなかった。

 恥ずかしくて顔を覆うと、仄かに熱を持っているのがわかる。きっと、今鏡を見たら自分の顔は間抜けなくらい真っ赤になっているはずだ。


「勘違いするなよ、覗いたわけじゃない!」

「わ、わかったから、こっちを見るな! いや、見ないで!」

 懸命に動揺を隠そうと努力すればするほど、ボロが出る。

 これでは、無防備な野営地を夜襲され、敗走しているようなものではないか。こういう場合は建て直しが非常に難しい。


「だいたい、こんなところで……十やそこらのガキじゃあるまいし、夜会の間も我慢出来ないなんて、田舎の農民か。おまけに、問答無用で男を張り倒す令嬢が何処にいる」

 あからさまな嫌味を言われるが、マリアには言い訳の言葉が見つからない。

 確かに、普通の王侯はこのくらいは耐えられるし、問答無用で男に殴りかかることもしない。


「いったい、どんな環境で育ったんだか。お前みたいな女は、嫁ぎ先も決まらず婆さんになるまで売れ残るのがオチだ」

「なっ……! と、嫁ぎ先くらい決まっている!」

 黙って聞いていれば偉そうに。マリアは思わず反論しながら立ち上がった。

 青年は相変わらずの態度で鼻を鳴らす。

「失礼した。顔だけは、なかなか美人みたいだ。となると、夫になる男は最高の不幸者ということか。容姿に騙されたそいつに同情してやろう」

 青年の言葉一つ一つが胸に刺さって、腹の底から沸々と怒りが込み上げる。

「…………」

 黙って耐えているマリアの姿を見て、青年は鼻で笑った。

「どうした? もうなにも言えなくなったのか。田舎女の誇りなど、そんなものか。どうせ、大した家でもないくせに。安っぽさが透けて見えるな」

 自分に対する罵倒なら耐えられる。だが、家のことに言及されて、マリアは青年を正面から睨み上げた。

 気がつけば、夜の庭に鈍い音が響いた。


「私の名は、マリア・ツェツィーリア・フォン・アドラだ。貴様に我が王家を侮辱する資格などない!」


 相手の顔面に叩き込まれた拳がジンと痛む。

 ああ、なにをしているのだろう。


 決めたのに。

 自分の運命から、家から、祖国から逃げないと。

 例え結婚しても、自分の運命から逃げることはしないと決めた。

 それなのに、自分は嫁ぎ先の国でなにをしているのだろう。


 あいつが見たら、なんと言うだろう?


「お前は……」

 マリアに殴られた頬を押さえながら、青年が口を半開きにする。そして、訝しげに彼女を睨んだ。


「殿下! レデン殿下!」

 静止した時間を破るように、衛兵の声が響く。青年は顔から表情を消して、素早く兵士を振り返った。

「どうした」

「はっ、申し上げます!」


 一連の遣り取りを聞き、マリアの顔が青ざめた。

 衛兵は、青年のことをなんと呼んだ?

 レデン。その名前は、――。


 だが、次の瞬間、一人で青くなっているマリアを更なる混乱に陥れる一言が発せられた。


「地下の宝物庫にて――カレル陛下のご遺体が発見されました」

 

 

 

 今日はあと一回くらい更新したいです。

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