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12 銀獅子の帝

 みなさま、よいお年を。

 正月中は1日1話の更新です。

 

 

 

 覗いていた望遠鏡を筒に収めると、マリアは得意げな笑みを浮かべた。

「これで、敵軍の左翼は総崩れだ」

 言いながら、マリアは馬上に跨るレデンに望遠鏡を投げた。


 わざと隊の展開を終えさせず、敵の油断を誘った後に砲撃。最初は届かないと思わせ、次いで、森の中から撃って動揺を誘った。

 当たるか当たらないかは問題ではない。

 要は騎兵の突撃を予測されない程度の混乱を誘うことが出来れば、それでいいのだ。

 アドラ軍は優秀な歩兵を持っている。故に、士官たちは自軍を過信している節があった。予期せぬことが起これば対応に遅れ、命令に従順な兵士たちは上官の指示がなければなにもすることが出来ない。


 突撃してきたレーヴェの騎兵によって、敵陣は騒乱している。

 東方の蛮族との戦いで鍛えられた騎兵は機動性があり、相手を翻弄していた。対して、アドラ産の馬は大きく、乗り手も大柄の者が多くて、レーヴェの騎兵に対応することは難しい。


 騎兵の指揮を任せたラウドンは口だけでなく、なかなか優秀らしい。短時間でアドラ騎兵を撃破し、歩兵戦列まで崩し始めていた。

 マリアが予想した以上の成果を上げている。これなら、歩兵戦に入っても、対応出来そうだ。


「おい」

 レデンに呼ばれ、マリアは視線だけで振り返る。

「なにか?」

「その、だな……」

 何事もなく返答するマリアに、レデンは戸惑っているようだった。

 レデンとは、作戦の指示以外で一言も会話をしていない。

 マリアは彼の言わんとすることを読み取ると、敢えて無視して自分の馬に跨った。足場が高い方が見通しもよく、戦場をよく見物出来る。


「忘れろと言ったのは、そっちだ」

 言い放つと、レデンはなにも言えないまま顔を逸らした。

 マリアはレデンの信頼を得なければならない。だが、それは目的のために協力関係を築くためだ。


 他のものは要らない。


「陛下!」

 伝令が只ならぬ様子で駆け、レデンの前に傅く。

「どうした」


「はっ、申し上げます! 先ほど出されました歩兵部隊の前進命令が……拒否されました」


「は? 前進命令を拒否? ふざけているのか?」

 マリアは思わず伝令を睨んで問い質してしまう。彼女があまりに険しい顔をしているものだから、伝令は委縮して声を窄めていった。

「もう部隊の編成は完了しているはずだ。前進出来ないとは、どういうことだ?」

「そ、それが……」

 レデンが聞き返しても、伝令は口篭る。


 マリアは即座にレデンから望遠鏡を取り上げ、長い筒を覗いた。

 確かに、アドラ軍は騎兵の奇襲によって損害を受けている。しかし、それでも健在な歩兵部隊を再編成し、前進を続けていた。


 ここまでは、マリアの予測していた通りだ。

 いくらレーヴェ騎兵が優秀でも、これだけの歩兵を撃破することなど無理だ。ここからは歩兵戦をするしかない。もっと陣形を崩さなければ、騎兵を突撃させても狙い撃ちにされるだけだ。

 それなのに、味方が前進を拒否している。


 敵や味方の屍を踏み越えて、一糸乱れぬ動作で進む濃紺の軍服は黒い塊となり、着々とレーヴェ軍に迫っていた。

 あれだけの被害を受けながら、彼らは怯むことなく進み続けているのだ。

 ここまでの軍は、なかなかない。

 レーヴェ軍が弱いだけではない。アドラ軍が強すぎるのだ。


 マリアは両軍を甘く見ていたようだ。


 長い平和の間、レーヴェ軍は実戦をほとんど経験していない。当然の如く、兵士たちは迫り来る敵軍に恐怖するだろう。

 ましてや、相手は国境で小競り合いを目的とする小隊などではない。侵略の兵だ。


 マリアが歯噛みすると、レデンが馬の手綱を握り締める。彼は伝令に下がるよう指示を出すと、鐙に足をかけなおした。


「なにをするつもりだ」

「兵が動かせないんじゃ意味がない。やれるだけやるしかないだろ!」

 そう叫びながら、レデンは馬の腹を蹴った。

「待て、無闇に飛び出しても……!」

 マリアは一拍置いてから手綱を強く握って、レデンの後を追う。

 戦場は既に砲撃圏内にあり、辺りで頻繁に砲弾の黒煙が上がっていた。それでも、二人は風を裂いて突き進む。


 本隊へ到着すると、兵士たちと将校が小競り合いをしていた。

「あんな化け物どもの中へ突込めって言うのかっ!?」

「命令は命令だ、軍規違反は厳罰に処すぞ!」

 階級意識の強い将校たちは兵士が自分の命令を聞かないことに対して逆上し、顔を紅くしながら声を張り上げる。

 それでも兵士たちは命令を無視し、逃げ出そうとする者まで現れた。


「貴様ッ!」

 逃げる兵士を見て、将校は軍刀で彼の背を斬りつけようとしていた。

 こんなところで、脱走兵を斬り殺してなんになる。普段から厳しいアドラ軍なら日常だが、ここでは無駄に兵たちの恐怖心を煽って逆効果だ。

 マリアは止めさせようと、馬を進める。


「刃をおさめろ」

 思いのほか力強いレデンの声に、将校が踏み止まった。

「しかし、陛下。このままでは……」

「直ちに隊を組みなおせ。すぐに前進する」

 将校の声を遮って、レデンが命じる。

 将校はなにか言おうと口を開くが、やがて、諦めて部下の統率を再開する。


 レデンは旗手から軍旗を奪い取ると、片手で手綱を操りながら高々と掲げてみせた。


 真紅の軍旗に描かれたレーヴェの銀獅子紋章が勇ましく揺れる。


「陛下だ」

「陛下がいらっしゃった……」

 予期せぬ皇帝の登場に兵士たちがざわめく。

 レデンは馬上で彼らを見下ろすと、ゆっくりと口を開いた。


「俺は……自分に続けとも、祖国のために死ねとも、皆には一切要求しない。逃げたい者は今すぐ逃げてくれて構わない」


 威嚇する敵軍の砲弾が野に降り注ぎ、地面を穿って煙を上げる。

 しかし、不思議とレデンの声は掻き消されず、澄み渡って聞こえた。兵士たちも、マリアでさえも、なにも言うことが出来ない。


「奴らは必ず来る。皆の町や村を踏み荒らし、国を奪いに来る……俺は国を守りたい。それは、土地でも権力でもない。ここに立つ者も含めて全てが国だと思っている」


 レデンは旗を振って、迫り来るアドラの軍勢を指す。


「だが、俺一人の力は弱い。力を借りなければ、なにも出来ない」


 黒い砲弾が間近で破裂し、大きく地面を抉った。もうすぐ砲撃の射程圏内だ。

 それでも、レデンは兵たちの前に立ち続ける。


「力を貸して欲しい。共に進み、共に生きて帰ってくれ!」


「陛下……!」


 レデンの言葉に呼応するように、誰からともなく声が上がる。

 それは次第に軍全体に広がり、夕陽に染まりつつある空へ猛々しく響き渡った。敵の砲撃をも掻き消す声は、兵士たちに前進の動力を与える。


 誰もがレデンに続き、戦う覚悟を決めていた。

 もう誰も、彼に対して疑念を抱いていない。自らの君主に付き従おうと雄々しく叫んでいる。


 その様をマリアは呆然と見ていることしか出来なかった。

 知略に富んだ者や、情報戦に長ける者は数多い。

 しかし、これだけの兵士の恐怖を取り除き、敵に立ち向かわせる指揮官など、そうそう存在しない。


 マリアにはない才だった。


 即位して間もない若い皇帝の背に、雷雨の夜に見た面影は何処にもない。


 マリアと似ていた彼は、何処へ行ってしまったのだろう。

 どうして、そんなに強くなれるのだろう――。




 ヒューネルンで行われた会戦における死傷者はアドラ軍四千、レーヴェ軍二千となり、周囲の予測に反してレーヴェ軍の勝利に終わった。

 敵軍が撤退した戦場跡には幾多もの死体が並べられ、貧しい兵士や物取りが遺留品を漁っている。天幕には負傷者が溢れ、辺りは薄れぬ血と弾薬の臭いで満たされていた。

 それでも、レーヴェ軍では兵士たちが勝利を祝って酒盛りし、陽気な歌声が上がっている。


 マリアは死者を並べた戦場跡に立ち、漆黒の広がる夜空を見上げた。

 昼間はあんなに晴れていたというのに、今は分厚い雲が月も星も覆い隠してしまっている。

 祖国を取り返すと決めた。

 しかし、――。


「すまない」


 アドラの軍服を着た屍を前に、マリアは黙って自問する。


 涙は流れない。

 とうとう降り始めた雨粒が、代わりに泣いているようだった。

 

 

 


 参考にしたのはモルヴィッツの戦いです。

 前進拒否する歩兵なんて、本当にいるんですね!という衝撃が忘れられなくてネタにしました。天候や条件、過程がだいぶ違うので、実際はこんなのではなかったと思いますが。

 因みに、史実ではオーストリア軍が惨敗しています。

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