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10 行軍

 

 

 

 兵士たちの足音が地を轟かせ、軍馬の嘶きが天を裂く。


 アドラ軍は既に国境を越え、いくつかの城塞を攻略していた。レーヴェ軍はこれを迎え撃つために西へ進軍する。首都プラーガから出発したレーヴェ軍は八千。残りの六千は後に合流することになる。


 マリアにとって、この行軍は随分長いものに感じられた。

 ただでさえ、数多くの武器や弾薬、重軽砲、食料などを抱えての移動は時間がかかる。また、軍には兵士の他に商人や料理人、召使なども同行するため、行軍人数は兵士の数倍にまで膨れ上がるのだ。天候が悪ければ、更に減速した。


 プラーガを出て一週間。

 マリアは斥候部隊の偵察報告を聞き、ついに会戦が近いことを悟る。


「なんだと? 何故、軍を進めない」


 マリアは露骨に顔を歪め、レデンを睨み付けた。

 行軍中、マリアには監視がつけられていたが、それと同時に極力レデンの目の届くところにいるよう命じられている。皇帝の近くなら警備も厚く、外部との接触も取りにくくなるということだ。


「行軍中に兵が疲弊して集中力が途切れていると将官たちから要求が出ている。このまま強行するなら、領地へ帰るとまで言ってきた」

「馬鹿な、敵軍がすぐそこに迫っているのに」

「奴らは敵軍も休息を取ると予想しているんだ」

「そんなに都合良くいくはずがない。こちらが休んでいる間に、アドラ軍は着実に足を進める」


 マリアはレーヴェの白い軍服に包まれた腕を組んだ。

 アドラに比べて生地が上質で、装飾性に富んだ軍服は実戦向きとは言い難いが、敵軍の服を着るわけにもいかないので文句は言えない。

 そもそも白い軍服など実用的ではない。

 相手を萎縮させるために、「威圧色」と呼ばれる派手な色合いの軍服を採用する国が多いのは事実だ。だが、白は夜襲でも目立ち、的にされ易い。


「どちらにせよ、なにを言っても奴らは折れない。会戦を早めるのが嫌らしい」

「まったく、暢気だな。この軍には、無意味なものが多すぎる」

 マリアは諦めて息を吐いた。

「士官たちの指南書を読ませてもらったが、なんだあれは。未だに短槍(ハーフパイク)の教練を取り入れている軍なんて、初めて見たぞ。何十年前の軍隊だ……戦術教本も駄目だ。大砲一発で、戦列が丸々消し飛ぶ光景が目に浮かぶ。無駄な行動例ばかり挙げていて、側面からの攻撃や混戦については一切無視されている。それから、――」

「ごちゃごちゃうるさい女だな。もっと、女らしいことに頭使えないのか? 延々と聞かされる俺の身にもなれ」

「なんだと……とにかく、お前の軍は扱いにくい!」


 軍を進められないとなれば、会戦は当初の予測から大きく外れる。

 最初に立てていた戦術を一度白紙にせねばならず、マリアは苛立ちを露にした。


 マリアは皇帝であるレデンを差し置いて、天幕に用意されていた椅子に遠慮なく腰掛ける。

 改めて作戦を考え直す体勢に入った。その様を見て、レデンが呆れた溜息を吐く。


「だから、もっと女らしく出来ないのか」

「口煩い男は女から嫌われるぞ」

「お前が女に見えないのが悪い」

「それは、どうも。敵国の王女がいると知られると不味いから男の振りをしていろと、お前が言ったんだが?」


 プラーガに置いてきたユリウスと同じようなことを言われて、ムッとした。

 ユリウスはどうしてもついて行くと譲らなかったが、重傷人がなにを言い張っても無駄だった。悔しそうに寝台に横たわった友人の顔を思い出して、マリアは唇を曲げる。


 ただ、こうして遠慮なく話していると、少しは気が紛れた。

 レデンは妙な上下関係を押しつけてこないし、基本的にマリアの好きなようにやらせてくれる。

 今更、マリアに媚を売られても気持ちが悪いようだ。


「弟はあんなに人が良いのに、同じ親から生まれたとは思えないな」

「悪かったな。なんなら、監視役はラーノに任せてやろうか」

「遠慮する」

 マリアがぶっきら棒に言うと、レデンは唇の端をわずかに吊り上げる。

「弟を気に入っているくせに。それとも、女らしく恥らっているのか?」

 レデンは、まるで鬼の首を取ったかのように勝ち誇った様子でマリアの正面に立つ。マリアは鬱陶しく思って立ち上がろうとしたが、レデンが肘掛に体重を乗せてそれを阻止した。

「違う」

「嘘つけ、いつも見ているだろう」

「だから、違う」

 誤解されているようだ。マリアはしつこく迫るレデンの腕を払い除けると、吐き出すように呟いた。

「昔の友人に似ているだけだ。大切だった……でも」

 脳裏に浮かぶ顔がラーノなのか、ヘルマンなのか区別がつかなかった。


「もういない。私が死なせた」


 マリアの言葉を聞き、レデンから表情が失せる。

 彼はなにかを言おうと口を開いたが、結局そのまま閉ざしてしまった。そして、自分が言った言葉を後悔するように夜色の眼を伏せる。

「すまなかったな」

「気にするな、お前には関係ないだろう? これは、私の問題だ」

 マリアは顔に無理やり笑みを貼り付けてやる。これ以上、詮索されても後味が悪い。


 踏み込まれたくなかった。

 マリアはレデンを利用しているだけだ。再び祖国へ戻るために、一時的に手を結んでいるに過ぎない。

「私に構わないでくれ、同情なんて要らない」

 利害の一致以外になにが必要だろうか。

 マリアの父が彼女を外交の駒に使ったように。

 ハインリヒが政権を奪ったように。


 マリアは祖国へ戻るために、今戦おうとしている。


「だが」


 長い間沈黙していたレデンが口を開く。彼は立ち上がろうとするマリアの肩を瞬間的に掴む。


「お前を見ていると、辛そうだ」


 夜色の瞳に心の中を見透かされている気がした。その視線から逃げようと、マリアはとっさに眼を閉じる。


「――――」


 唇に温かいものが触れた。

 不器用だが、優しく包むような感触。

 甘く温かな熱が身体の奥底に沁み渡っていく。心の中を占めていた陰が薄れ、甘やかな波に飲み込まれてしまいそう。


 しかし、触れていたのがレデンの唇だと気づいて、マリアは青空色の瞳を見開く。

 レデンも我に返ってマリアから顔を離した。


「……悪かった、忘れてくれ」


 気まずそうに言い放つと、レデンは呆然としているマリアを置いて天幕の外へと出る。

 独り残されたマリアは、おもむろに自らの唇に触れた。

 まだ先ほどの熱が残っているような気がして、今頃になって胸の鼓動が高鳴った。




 † † † † † † †




 どうして、あんなことをしてしまったのだろう。


 レデンは天幕の外に出ながら、自分の行動を深く後悔した。

 マリアのことを気にかけていたのは否定出来ない。そうでなければ、こうして彼女の要求を呑むことなどしないだろう。


 ――私に構わないでくれ、同情なんて要らない。


 そう言ったときのマリアを思い出した。

 自嘲の笑みをこぼし、レデンのことを突き放していたようだ。しかし、その裏では隠し切れない孤独が滲み出ていた。


 きっと、彼女はずっとそうしてきたのだろう。


 レデンとの結婚が決まったときも、友人の死に出会ったときも、祖国に捨てられたときも、帰ろうと決意したときも。

 十七歳の娘の心では壊れてしまいそうなくらい、なにもかも背負おうとしたに違いない。


 雷雨の夜に見せた涙も全部。


 彼女は強い娘なのだ。しかし、余りに多くのものを背負おうとしている。可愛げがないあの顔の下に、いくつの苦悩を抱えているのだろう。

 マリアはレデンに似ていると思っていた。

 今では違うとわかる。


 父が死に、皇帝に即位しなければならなくなった。

 自分の境遇を恨んでいた。投げ出してしまいたかった。逃げようとしていた。

 君主としての覚悟なんて、なに一つ出来ていなかったのだ。

 ずっと、逃げたいと思っていた。


 死んだ父がレデンを疎み、退けていた意味がようやくわかる。

 そんなこともわからず反発して、結果的にそれが今回の戦争に利用される形となったわけだ。


 レデンとマリアは違う。

 違うものを背負い、違う苦悩を抱え、違う道を歩んだ。


 だからこそ、触れてみたいと思った。

 もっと、彼女の心に近づきたいと思ったのかもしれない。


「だからと言って」


 流石に、衝動的に行動しすぎたとレデンは一人項垂れる。

 天幕の外では、兵士たちが休息の合間に賭け事や娯楽に興じており、賑やかな声が上がっていた。

 雲ひとつ見えない晴れ渡った虚空では、黒い鷲の影が弧を描いて舞っている。


「陛下ー!」

 賭けに興じていた兵士たちの集まりの中から、明るい声が響く。振り返ると、ラウドンが手を振っていた。

 貴族意識が強いレーヴェで、一般兵とつるむ将校など彼くらいのものだ。他の将校たちは、ラウドンのことを奇異の目で見ている。

 ラウドンはレデンの傍まで駆け寄ると、いつも通りの笑声を上げた。そして、よく鍛えられた腕で軽くレデンの肩を叩く。


「どうかしましたか。たった今、童貞捨てた少年みたいな顔をしていますよ?」

 軽い冗句のつもりで発せられた言葉に、レデンは眉間を指で押さえながら深く深く項垂れた。

 

 

 

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