1 姫と従者
※この作品はオーストリア継承戦争(+七年戦争)の人物や史実を参考に7年ほど前に書き上げた異世界ファンタジーです。設定や物語の進行など随所で参考にしておりますが、ほとんどオリジナルです※
※尚、当時使用した資料が半分ほどクーラーの水を被ってカビるという事故があったため、ご質問いただいても詳しい参考資料を提示出来ない場合があります。知識も、既にうろ覚え状態のまま改稿。あらかじめご了承ください※
神聖暦一七四〇年、三月――レーヴェ帝国、首都プラーガ。
石畳の地面を進む馬車の音が遠く感じた。
長時間揺られていたせいか、妙に腰が痛む。いくら金をかけたクッションとスプリングを使っていても、馬車の旅は楽ではない。慣れないドレスに身を包んでいれば尚更だ。
マリアは気だるく閉じていた青空色の瞳を開くと、窓の外を見た。
あまり身体を乗り出すと、コルセットの骨が腰に食い込んでしまう。首だけを動かすと、高く結い上げたシルバーブロンドを彩る金の髪飾りが耳元で微かな音を立てて揺れた。
レーヴェ帝国の首都プラーガは、大陸中央部で最も繁栄する都市の一つである。
長年、都を守ってきた堅固な城壁に囲まれた街は活気で満ちており、人々の顔には平和な笑みが耐えない。
街角では人形による道芸が盛んに行われ、何処へ行っても芸人たちが演奏する音楽や笑い声が聞こえた。
その中を進む黒塗りの馬車行列は華やかな帝都に比べると、やや地味で暗い影のように見える。馬車に掲げられたアドラ王国の黒鷲紋章がはためいた。
「スゴイな。見ろよ、マリア。アドラとは比べ物にならないくらい大きい」
「そうだな」
馬車の中から街を観察して、従者のユリウスが感嘆の声を上げる。それを横目で見て、マリアは無愛想に返答した。そして、街角で興行している芸人に視線を移した。
精巧な人形を糸によって巧みに操り、演劇や芸を行っている。レーヴェ国内では、ごく当たり前に見られる光景らしい。
「マリア……どうせ、またロクでもないこと考えてるんだろう?」
飛んだり跳ねたり自由自在に動く人形をぼんやりと見つめていたマリアに、ユリウスが肩を竦める。
「ロクでもないなんて、人聞きが悪い」
「そうかな? 大方、あれを作る技術があれば新型の銃を開発したり量産したりするのも楽なんじゃないか、とか思ってるくせに」
「…………」
「図星か、この兵隊馬鹿!」
「いや、普通に考えるだろ!」
「そんなこと考えるお姫様は、君だけだよ」
鼻で笑う友人であり従者の青年に、マリアは思わず声を荒げてしまう。だが、ユリウスは深い溜息をついて冷笑する。
「君も知っていると思うけど、レーヴェはここ百年間、一度も戦争をしていない。東方で慢性的に小競り合いしてるみたいだけど、それだけだ。だから、産業と軍事の結びつきが西側の国ほど強くない。特に娯楽はね。残念でした」
「なんで、ユーリがそんなこと知っているんだ」
「なんで? 今、なんでって、聞いたな? この兵隊馬鹿!」
マリアの一言に、ユリウスは満面の笑みを浮かべて身を乗り出す。そして、目つきの悪いマリアの白い頬を思いっきり両手で引っ張った。
「自分が嫁ぐ国の予備知識くらい集めろよ。下準備も全部僕に任せてさ! ロクでもないこと考える暇があったら、皇帝陛下と皇子様に気に入られるように、その言葉遣いを直す練習でもしたらどうなんだい? もっと王女らしくしてくれないか?」
「うっ」
「文句があったら言ってみろ」
「じゃ、じゃあ、聞く……じゃなくて、聞きますわ。どうして、陛下に気に入られなきゃいけない私よりも、従者の方が派手なのでしょう……というより、その格好は反応に困る」
マリアが盛大に目を逸らすと、ユリウスは無意味に威張りながら腕を組む。そして、大きなリボンが揺れる亜麻色の髪をかき上げた。豪奢な金刺繍やフリルがふんだんにあしらわれた真紅のドレスの裾が狭い馬車の中でふわりと揺れる。
どう考えても女物の装いに身を包んだ友人兼従者は、若草色の瞳でマリアを睨みつけた。男にしては少々細面なので、衣装が妙に似合っていて余計に困る。
「ユーリにそんな趣味があったなんて」
「なに言ってるんだよ。帝国の最新ファッションだよ?」
そんな馬鹿な。
平然と言ってのけながら、リボンの形を整えるユリウス。
レーヴェ帝国は大陸東西の文化が混在する交易の中心地でもある。多少の文化のズレは覚悟していたとは言え、やはり女装など物好きがするものではないだろうか。
マリアは友人付き合いを真剣に考えるべきではないかと悩みはじめる。
人口が密集しているために上へ伸びるように高く積みあがった家々。その間を縫うように続いた薄暗い道を抜けると、馬車の中が黄金の光で満たされる。
帝都を貫く大河の畔に出たようだ。遠くには輝かしい夕陽を背に受けた城山の影が見えている。
「まあ、頑張りな。婚約者と喧嘩なんかするなよ?」
「わかっている」
ユリウスの選んだ濃紺のドレスはなかなか趣味が良いが、心地が悪い。マリアは疲れた息をつき、窓の縁に頬杖をついた。
黙っていれば花に形容しても惜しくはないほど美しく整った顔立ちの王女だ。しかし、眉間に皺を寄せて近寄り難いオーラを放っていては台無し。おまけに、ドレスの下では男のように足まで組んでいる。
大河に架かった石橋を渡りながら、後方へ遠退く街を見据える。
強烈な夕陽を受けて、家々が金色に輝いていた。まさしく『黄金の都』の異称に相応しい光景だろう。
輝く都の向こうに見慣れた街並みを重ねながら、マリアは眩しさに眼を細めた。
本当に、本当に、眩しい夕陽だった。
・レーヴェ帝国……オーストリアがモデル。文化や言語などはチェコがモデルです。
・アドラ王国……プロイセンがモデル。
飽くまでモデルです。