公爵子息の甘い囁き
フランが隣の領土に越してくるということを知ってから一週間後、ダンス・パーティーが行われることとなった。
今回はキューベレの父であるダレン・グレゴリー公爵が珍しくも開催したとのこともあり、広間は大勢の人で埋め尽くされていた。
これ全部が公爵家とより親密になりたい人達であり、それに私達も含まれるのか、と今は隣に居ないお兄様やお父様を思いながら、一人壁の花となっていた。
壁の花となっているのには、理由がある。
本当だったら、私は屋敷にて、お母様と仲良くお留守番していたはずなのだが、公爵子息が是非にと望むので、と使いの者に言われたので、公爵家からの頼みを断れる筈もない我が家は、私を連れて公爵家へと来たというわけだ。
お父様はお兄様に私を任せ、単身で公爵の元に向かった。
お兄様は、私が心配だから、と片時も側を離れなかったのだが、ボーイから飲み物を貰ってしばらくすると、突然苛立ち始めた。
どうしようかとなにかを悩んでいる様子のお兄様だったので、「あの、お兄様、私はここで待ってますわ」と、言ってみた。私がなにかしら関与していなければ、お兄様はここまで悩まないと分かっていたからこその言動だった。
頭を抱えたお兄様だったが、決断はついたらしい。
「いいかいサーシャ。僕が戻ってくるまで、良い子でここで待っているんだよ? 誰かにダンスを誘われても踊らないようにね」
「はい、お兄様」
私はお兄様から一体何歳に見られているのかと思ってしまうほど念を押されてから、お兄様は去っていった。
お兄様が私から見えなくなってから、ダンスの誘いをしてくるものもいたが、「すみません、お兄様からダメと言われているもので……申し訳ございません」と片っ端から断った。
どこでお兄様の耳に入るか分からないのだから、言いつけは守るが吉だろう。
誘いに来る人がやっと途切れて一息吐いていると、隣から声をかけられた。
「もし、間違っていたのならすみませんが、貴方はブラッドリー侯爵令嬢ではありませんか?」
「はい、私がそうですわ」
「そうですか、いや、そうだとは思ったのですが、何分自信が持てませんもので」
「そうなのですか」
話しかけてきた男性は、見た目はこざっぱりとしているが、笑っている顔が胡散くさくて、どことなく好きになれないというか、生理的に受け付けそうになかった。
私とも父と子くらい年齢が離れていそうなので、早く離れてほしいと思っていると、男性の方は話しが終わったわけでは無かったようだ。
「私の娘も近々社交界デビューをするんですよ」
「まあ、おめでとうございますわ」
「それでですね、是非とも貴方のような美しいご令嬢が仲良くなっていただけたら、娘もきっと喜ぶだろうと思いましてね」
「娘さんが喜ぶかどうかなんて分かりませんことよ? そもそも、私に対して何を望んでいるのかしら?」
「下手になっていれば、良い気になるんじゃ「バーナード男爵、彼女と何を話しておいでですか?」
自分でも控えめにしたつもりなのだが、それでも激昂した男性が、私に詰め寄ろうとした時に、誰かがその男性を呼びとめた。男性、いや、男爵はその声を聞いて、見る間に顔色を変えた。ここが自分の優位に立てるような場所では無いことにようやく気付いたのか、それとも、声の主が誰か分かったからか。
詰め寄ろうとして私の方を見ていた男性が前を向いて、更に青褪めたことから前者だったことが見て取れた。
声をかけた人物は、この社交界の準主役。キューベレ・グレゴリーだった。
「いや、その、彼女に頼みごとを……」
「頼みごとですか? 彼女は私が無理を言って此処に来てもらったのです。そうでなければ、本日会う筈もなかった彼女にどんな頼みごとをしようとしていたのか、気になりますね」
「いえいえ! そんな、公爵子息様が気にするそうなことでは無いんですよ。はい。それでは、私はこれで失礼します」
そそくさと私とキューベレの元を去る男爵を、視界に入れたくもないと思い、キューベレの方へ視線を向けた。
男爵の方を睨んでいたキューベレだったが、私が向いたことで、厳しい顔から、甘い笑顔へと表情を変えた。
「すまないね。父が今回ばかりはどのようなものも来ることを拒まないと言ったもので……」
「構いませんわ、公爵子息様。ところで、私に何か御用があるんですの?」
「うーん、そうだね、ここじゃ少し話しにくいから、ついて来てくれないか?」
お兄様の言いつけを考えると、ここから動かない方がいいとは思うのだが、彼は何と言っても公爵子息だ。そんな人の言うことに反するのも考えものだ。
なかなか返答しない私に思うところがあったキューベレは、近くのボーイに話しをしてから、もう一度私に向き合った。
「アランには彼から話しが伝わるようにしたから大丈夫。一緒に行こう?」
「はい、分かりましたわ。ご配慮感謝いたします」
軽く一礼してから、キューベレにエスコートされながら、広間を後にした。
公爵家に来るのは初めてなのだが、異様に歩かされる。普通、休憩室は広間の近くに取るものだけど、此処は違うのかと思いながらも、キューベレにはなんとなく聞きづらく、そのまま歩みを進めた。
「はい、レディ。入って」
「失礼しますわ」
中に入ると、豪華な寝台があったり、キューベレが使うと思われる銃があったり、豪華な机があったので、やっと自分がどこに連れて来られたのか分かった。
お兄様に怒られることになるかもしれないと顔を青褪めると、キューベレはそんな私を見て面白そうに笑った。
「そんなに怯えなくても、何もしないよ」
「男は狼と思えとのお兄様のお言葉ですわ」
「アランならそう言いそうだね。でも、本当に今日は何もしないよ。信じてサーシャ」
「お兄様に怒られる時は、キューベレ様を盾にいたしますわ」
「それくらい予想済みさ」
キューベレに勧められるまま、椅子に腰かける。キューベレはその間に部屋についたベルを鳴らして、使用人を呼びだしていた。
その使用人はお菓子や茶器を乗せたカートを載せていたので、お茶会のようなものをしてくれるのかと見当をつけた。
使用人がお茶の支度をして、部屋を辞してから、紅茶とお菓子に手をつける。
ダンス・パーティーで所在なさげに突っ立っているよりも、今の方が断然いいと思いつつ、またお菓子に手を伸ばす。
「女性は甘いものが好きだよね」
「甘いものが嫌いな女性なんて、なかなかいませんわ。私も例外ではありませんわ」
「そうだね。アランなんて、一時期、お菓子を持って帰るために、我が家に来たこともあるんだよ」
「まあ、本当ですの?」
「表向きは同じ勉学に励む公爵子息を見て、自分にも刺激を与えたいなどと言っていたが、私なんかよりも、菓子を見ていた時間の方が長かったよ。彼がそんなことをするなんて、間違いなく君のためだろうね」
「知りませんでしたわ。後で、お兄様にお礼を言わねばなりませんわね」
「そこは、寛大な私の心に感謝しておくれよ」
「そうですわね、キューベレ様にも感謝いたしませんと」
「そう。大事だよ」
わざとらしく真面目な顔をするキューベレを見てくすくす笑う。それで私は幾分かキューベレに対して抱いていた緊張が解れた。その後も雑談を交わしていると、キューベレが急に静かになった。
「どうされたんですの、キューベレ様」
「この前は軽くかわされたけど、ちゃんと考えてくれた?」
「え」
「私が貴方を愛していると言ったこと」
「ご、御冗談では無かったんですの?」
「誰も冗談なんて言ってなかっただろう」
「ええ、そうでしたけど……」
「ねえ、サーシャ」
言い淀んだ私は、紅茶を持つカップをそのままに下を向いた。下を向くと、カップにまだ残る紅茶に、自分の顔が移っていた。
そのまま、自分の顔を見ていようとした私の手をキューベレが両手で包み込むように掴んだ。
「キュ、キューベレ様」
「私は本当に君を愛しているんだ。君と会うまでは、愛なんてものはただのまやかしに過ぎないと思っていたが、違うと知った。君に会えば嬉しいし、君に会えない時は悲しく思い、君の事を考えると胸が苦しく、張り裂けそうだ。君の傍に私以外が居るかもしれないと考えた時は、気でも違えるのではというくらいだ。でも、その分、会えた時の喜びは筆舌に尽くしがたい」
「キューベレ、さま……」
「ここに、私との愛の証を今すぐにでも嵌めてしまいたいよ」
つーっと、指輪を通すような仕草で、私の指をキューベレがなぞる。こしょばゆいやら、恥ずかしいやらでピクッと反応した私を見て、キューベレはごめんねと一言謝った。
良い人だとは思うのだけど、私は彼に恋していない。
実際の彼女だったら、そこに愛など無くても貴族の義務で了解したのかも知れないが。
私はきちんと自分の意思を表明することにした。
「謝らなくてはいけないのは、私の方ですわ。キューベレ様には悪いのですが……」
「待って。返答はまだいいよ。君が私を私と同じようには映って無いとは分かっているから」
「それなら、どうして今言ったんですの?」
「今だからこそ、だよ。君のところの侯爵家は恋愛結婚が多いからね。君は私だけでなく、私以外の人に対しても、その目の色を変えない。だから、君の目に誰も映っていない状態で、私をまっさらな目で、見てもらいたかったんだ。そしたら、もしかしたら、私に、その目を向けてくれるかもしれないだろう?」
私は何も答えられなかった。どうなるかなんて、自分でも分からなかったからだ。
「でも、もし、君が私をいつかパートナーに選んでもいいくらいには気に入ってくれているのなら、婚約してくれないか」
「ダメです、死んでしまいます!」
間髪いれずに断った私を見てキューベレが驚いたように見てくるが、それだけはどうしても出来ない。無理だ。どう考えても無理だ。
まさか、この時期に婚約をしようと言いだすとは思っていなかったので、とてもびっくりしてしまった。婚約するなら、この前の社交界の時だろうと勝手に判断していたので、もう婚約の話はされないとばかり思っていた。
早まる鼓動を元に戻そうと深呼吸をすると、キューベレが甘さの無い真剣な顔でこちらを見ていた。
「な、なんですの?」
「死んでしまうってどういうこと、サーシャ」
「な、んのことだかサッパリですわ」
「私の耳がおかしくなければ、確かにそう言ったよ」
「僕の耳も、おかしくなっていなければそう聞こえたね」
「お兄様!」
「アラン……いつ来た?」
「僕の可愛い妹が物騒な発言をしたくらいから。さて、僕に理由を教えてくれるかい、サーシャ」
二人に圧力をかけられた私には、最早逃げ場など無く、しょうがないので、ややぼやかしながら言うことにした。
「その、とある男爵がいましてですね」
「うん」
「その男爵に(乙女ゲームの主人公である)娘がいましてね」
「うんうん」
「その男爵の娘の身の振りよう(というか、誰ルートに入るか)では、私は死んでしまうかもしれない(ほどに狂愛される)のです」
「わかったよ、サーシャ」
「しょうがない、片が付くまでは君との婚約も後回しかな」
私が簡潔に、かなりぼやかしながら説明したところ、お兄様とキューベレは納得してしまった。自分でもこんな説明聞いたところで、は?と思うだけな気がするんだけど、一を聞いて百を知りそうな二人の事だ。なにか分かったのかもしれない。
それ以上私に質問は無かったので、どうして信じてくれるのか、などとは聞かないでおくことにした。
納得した二人は、そのまま話し続けるが、最初から雲行きがおかしい。
「サーシャは一度も婚約を了承していないからね」
「だが、サーシャの気持ちで断ったわけでもない。私には希望があるよ」
「サーシャの兄に対して、そんな態度でいいの?」
「兄として慕ったら、サーシャとの婚約を取りなしてくれるのかい?」
「まさか」
「だろうね。私は無駄なことはしない主義でね」
「奇遇だね、僕もだよ」
薄ら寒い会話をしながら、部屋中にブリザードを撒き散らす二人。フランとお兄様という組み合わせとは違って、この二人は素直な瞳で見ると、どう頑張っても仲がいいとは言えそうになかった。
ひとしきり相手を罵った後、お兄様が「帰るよ、サーシャ」と言うので、それに異論も無かった私は、キューベレに挨拶をしてから、屋敷へと帰った。
屋敷で社交界用のドレスから自室用の服へと着替える。社交界というのは、どうにも気疲れしてしまって、家に帰ったらすぐに眠くなるから困ったものだ。
寝台に入って、お休み五秒前くらいの時にお兄様が部屋を訪ねてきた。
「なんでしょう、お兄様」
「ごめんねサーシャ。もう寝るところだった?」
「まだ、だいじょうぶですわ」
半分頭が眠りながらも、お兄様に言葉を返した。返せていると思う。お兄様は寝台から起き上がろうとした私を制し、自分は椅子に、私は横を向くことで話した。
「さてサーシャ。今日はどうしてあそこを離れたの?」
「なんか、だんしゃくがきて……キューベレさまがいこうって」
「じゃあ、キューベレは嘘は言って無かったわけか。男爵はなんて?」
「娘をたのむって……ことわった」
「うん、それが正解だったよ。あそこに戻った時にサーシャが居なくて心の臓が止まるかと思ったけど、何も無くてよかったよ、サーシャ」
サラサラと髪を梳きながら、お兄様が私の頭を撫でる。その優しい手になんとか意識を保っていた私は、どんどん夢の世界へと沈んでいきそうになる。眠る前にこれだけは言わなくちゃと、消え入りそうな声でお兄様に「おやすみなさ、おにーさま……」と告げた。
お兄様が返事をしてくれたかどうかは、夢の世界に完全に沈んでしまった私には分からなかった。
「おやすみ、僕の可愛い妹」
主人公が出てくる前の間章としてか、番外編としてこの回のアラン視点は書く予定です。
本当はサーシャに「私はそのように下劣な思考の元にて築かれる友情なんて欲しくはありませんわ」と言わせようかと思ったのですが、流石に言い過ぎなので修正。
閲覧ありがとうございました。