アンナについて
アンヌと今後について展望を交えて話をしてから、アンヌに広間へ戻るように言う。アンヌは一緒に戻ろうと言ってくれたが、アンヌは泣きはらした顔をしている。一緒に戻ったら確実に私が泣かせただろうに、なぜ二人は共にいるのだと皆が疑問に思うに違いない。アンヌとの関係は一部の者を除いては秘密にしておきたい。だから、仲の良い場面などは見せたくないので、別行動とさせてもらった。
ハミルトン伯爵家の中庭をゆっくりと眺める。フランが私の屋敷に来ることが多かったが、体調がよければフランの屋敷に遊びに来るのも良いなと思った。そして、この中庭でお茶会をするのだ。風が強かったら一発で風邪を引いてしまいそうな自分が予想出来て少し気落ちしてしまったが。
現代ではこんなに病弱じゃなかったはずだ。それに、ゲームでのサーシャもこんなに病弱では無かったと思うのだが、どうして病弱キャラになってしまっているんだろうか。先程から吹いていた夜風が、急に冷たく感じ、ふるりと身体が震えた。これでは今日も風邪になってしまいそうだ。
アンヌももう戻っただろうし、広間へ私も戻ろうと踵を返そうとすると、私の肩に布が巻かれた。誘拐かと驚いて布を掴んだが、その布を前の方まで巻いてくれる人が誰か分かったので、大人しくしていた。布…ショールのおかげで夜風の冷たさは妨げられ、身体が暖かくなった実感はあったが、私は一言文句を言いたかった。
「お兄様、急にショールを巻くのはやめてくださいませ。私、とても驚きましたわ」
「お前がまた風邪になるんじゃないかと心配だったんだよ」
「誘拐かなにかかと思いましたわ」
「誘拐、ね。そんなことは絶対に起こさせないけど、もし、そんなことがあれば」
「…そんなことがあれば?」
「相手はとても後悔するだろうね」
首だけ後ろに向けて喋っていたが、その分お兄様の顔がいつも話す体勢より近かった。だから、お兄様が私を誘拐した相手のことを考えているだろう真っ黒な笑顔を直視してしまった。完全なヤンデレ顔でした、ありがとうございます……白目になりそうだと思いつつ、ぎぎぎと首を正面に戻した。
希望としては、そのままお兄様から距離を取って、広間へ戻りたかったのだが、お兄様はショールを巻くときに私の体の前に回していた手をそのまま私の腰にシフトさせている。そして、その状態が今も続いている。
……端的に言うと、私は現在お兄様から抱きしめられている。お兄様、最近スキンシップが激しくないですか。意識がサーシャ単体の時はこんなに密着した状態なんて無かった。せいぜい頭撫でたり、顔近づけたりするくらいだった。それも普通の兄妹としては距離が近すぎる気もしなくもないが、お兄様だからで許されそうだ。
しかし、この近さはいかんせん近すぎると思う。私がお兄様からの接触をまんざらでもないと思っていることが、お兄様にも伝わってしまったのか。…いやいやいや、それはないだろう、うん。もしそうだとしたら、お兄様はもっとすごいことをしてきそうだ。
距離の近さに対して考えていると、後ろから溜め息がした。
「どうしたんですの、お兄様?」
「サーシャが僕といるのに、意識が飛んでいるから寂しくてね」
「私は真面目に聞いてますのよ」
「それほど嘘でもないんだけど、そうだね……サーシャが広間から去った後に、少々疲れることがあってね」
「まあ、そうなんですの?」
「そう。だから、今はサーシャで癒されているところ」
「俺もサーシャで癒されたい」
「ふ、フラン!?」
「もう来たの」
「アラン、ひどい」
「いつものことでしょ」
「うん。でも、もっと俺に優しくしてくれてもいいと思う」
「僕としては優しいつもりだけど」
「どこらへんかくわしく」
「そんなの自分で考えなよ」
ぬっと現れたフランに私は驚いたが、お兄様は予想が出来ていたらしく、自分たちの元に来たことに対して文句を言っている。フランもそれに言い返すが、お兄様に鼻で笑われてしまうという可哀想な状態である。うん、フラン。お兄様がフランに優しくないのは╿いつものこと(ステータス)だから、変えるのは難しいと思う。でも、他の人に向けているのと比べたら、フランに対して優しいというのは間違ってない。当社比一割くらいだけど。幼馴染だから、だろうか。
話しながらも、必死に私に抱きついているお兄様をはがそうとするフランだったが、お兄様をはがすには私にも力を入れないとはがせないということに気づいたらしく、諦めた。そして、正面から私に抱きついてきた。
……何してるんだろう、この人たち。夜会に来た人たちには絶対こんな姿見せられないと私も二人が離れるように、今までしてこなかった抵抗をようやくしてみる。身体を動かしてみたり、手で押してみたりするものの、腰に手を回したお兄様は全く離れない。
首周りに手を回して抱きついているフランは、私が動いたら離れる。しばらくしたらもう一回抱きついてくるという無限ループをしてきた。全くもって不毛である。今の私はただのぬいぐるみかペットなのだと思うことにして、二人が離れるのを諦めた。私が抵抗を止めると、お兄様は中断されていた会話を再開した。
「サーシャは、男爵の話と簡単な男爵令嬢の言葉を聞き終わったら、颯爽と広間から去ったね」
「はい」
「だけど、男爵の娘の一人に同じ男爵や子爵連中の子息や令嬢が近づいていたのは見ただろう?」
「はい、それは見ましたわ」
「僕としては、どういう対応をするのか見てから付き合い方を決めようと思っていたんだ」
「俺は元から関わらないつもりだった。今もそのつもり」
「話しがずれるから、お前は口を出さないでくれる?」
「むっ」
「フラン、今はお口チャックですわ。しー」
「おくちちゃっく…うん、わかった」
フランが口を挟んだら、確かに脱線しそうなので、口元に人差し指を立てて、フランに注意をする。この口元は間違ってもフランの口元ではない。唇に人差し指を押し付けて、注意するだなんてそんな糖度の高いことはしていない。
だが、フランは珍しいものを見たというように目を瞬かせると、同じように口元に人差し指を立ててその口を真一文字に結んだ。
お兄様はどんな顔をしたのか、フランに抱き着かれているから見ることは叶わないが、もし驚いていたらサーシャらしくないことをしてしまったという証拠になるのだが。首を後ろに向けようとしてみたら、お兄様はいつもの笑顔で話を続け始めた。大事なところを見逃してしまった気分である。
お兄様が話してくれた男爵の娘…アンナは彼女を囲い込んでいた男爵子息たちに挨拶もなく、彼らをかいくぐってお兄様たちの元に走り寄ってきたそうだ。彼女の纏っているドレスはクリノリンスタイルであるから、かなりスカート部分が大きい。だから、例え纏っている女性が華奢だとしても走り寄って来られたら、かなりの恐怖を感じると思われる。お相撲さんが自分に向かって走ってきたといえば分かりやすいだろうか。そこまで怖くはないかもしれないが、走りにくいドレスで走ってきたのをプラスしたら、やはり同じくらいの怖さになるかもしれない。
アンナはお兄様たちの元に着くと、開口一番「私が貴方たちを更正するわ! 任せなさい!」と言い放ったらしい。お兄様たちはすぐには何も言わなかったらしい。その沈黙を勘違いした彼女はお兄様に向かって何か言ったそうなのだが、そこはお兄様は教えてくれなかった。だが、彼女の続く言葉で完全に見切りをつけたとのことなので、私に関連する事だったというのは明白だった。その後、まだお兄様に言い募るアンナを置いて、お兄様は私の元に来たそうだ。
そして、フランが続けて話すには、お兄様が去った後は目標をフランに変えて来たらしい。フランは特に何も言わずにそこを去ってきたとのこと。興味ない人に対しては態度があからさまなので、もしかしたら話の途中で去ったり、引き止める言葉を無視して出てきたということも考えられる。
フランは彼女が話す言葉を聞いていなかったそうなので、なんといったか分からないが、お兄様が語ってくれた部分の彼女の発言から察するにゲーム知識有り転生者の感じがかなりする。
普通、平民出身の子が男爵令嬢になったばかりだからといって、そんな粗相をしないだろう。ましてや、私が居なかったのだから男性三人しかいないところに女性一人で突っ込んでいくなど、非常識だということくらい分かるだろう。
また、爵位が上位の可能性もある、初対面の子息に向かって「更正する」なんて上からの目線の台詞は話にもならない。グレゴリー公爵、ハミルトン伯爵、加えて私のお父様であるブラッドリー侯爵を馬鹿にしているととられても無理のない行動である。
こんな彼女を転生者と断定するのはまだ時期尚早だろうか。私が主人公に対して過敏になっているから、簡単にそう推測する理由が挙げられるが、平民のときから少々…かなり痛い発言の多い子だったのかもしれない。やはり、断定するのは止めておこう。
なにが彼女を動かしたのか分からないが、アンナの方には接触しない方向でいこう。当初の予定としても、その方が合っている。
アンヌの方に接触したのは、今から思えば失策だったかもしれない。予定通り、接触しない方向で動向を探ればよかったが、憂いを帯びたアンヌの表情を見たら、彼女がそんな顔をする理由が気になって、思わず追いかけてしまった。
平民ルートのアンヌが好き過ぎたのがあだになってしまった行動だが、彼女の方からも情報がもらえるかもしれないと思っておこう。そう考えておかないと、彼女と今後話すときにも後悔が顔に出そうだ。彼女にそのことを悟られてしまった方がもっと後悔する気がする。
あれ、そういえば、お兄様とフランはここにいて、フランが来てから随分と時間が経っている。
……キューベレ、どうしたんだ。まさか、二人とも置いて来た? え、いや、そんな。だって、腐ってもキューベレは公爵子息である。そんなキューベレに面倒くさそうな彼女を押し付けただなんてそんな、そんなことは……。
自分の中で考えていても答えは出ないので、正解を持っている二人に聞くことにした。
「お兄様たちが大変だったのは理解できましたわ。だからといって、この体勢は理解できませんけど」
「╿僕の可愛い妹、そう意地悪を言わないでほしいな」
「だって、こんな体勢見られたら私、恥ずかしくて、恥ずかしくて堪りませんわ」
「ん、大丈夫」
「なにが大丈夫なんですの? 二人に挟まれて私が見えないから大丈夫とでも言いたいのですか、フラン」
「ううん、ここ入れない」
「え? 入れてますわ」
「俺が来るときに像の配置変えてきた。だから、中庭のここには今は来れない」
「まあ、そんなことも出来ますの?」
「うん。サーシャとここで過ごすことが出来たら、アランに邪魔されないように思って」
「じゃあ、もしも中庭に二人が出て行くようなことがあれば、ここを探すことにするよ」
「はっ」
私の首元に埋めていた顔を上げて、いたのかという顔をお兄様に向けるフラン。いや、いたからね。どっちかっていうと、後から来たのはフランの方だからね?
フランには残念だったけど、私は迫られなくてラッキーだわと思いつつ、お馬鹿なフランの頭をぽんぽんと撫でる。私がそんなことを思いながら撫でているだなんて知らないフランは素直に喜んでいた。
中庭は広く、迷路のように道が曲がっているところもあるとは思っていたが、まさか先に道があるのに行き止まりにすることも出来るなんて、とても考えられている。だというのに、あっさり教えてしまうとは抜けている。馬鹿と天才は紙一重といったところかもしれない。フランにかなり失礼なことを思いながら、私は本題を切り出した。
「それで、私、少々気になることがありますの」
「男爵令嬢に対してかな」
「男爵令嬢も確かに気になりますわ。だけど、そうじゃありません」
「他に何かあったかな」
「その、私が居なくなって、お兄様とフランだけで男爵令嬢に絡まれたわけではないでしょう? ですから、その、キューベレ様はどうされたのでしょうか?」
「ああ」
「キューベレ様は、尊い犠牲になったのである」
「そうなったのかもしれないね」
はい、そんなことあった。そうだと思った。そうだと思った!
だけど、実際にそんなことしていいのか? 相手は公爵子息なのだ。公爵子息に面倒を押し付けるなんて、そんなこと……。
私が静まり返ると、お兄様はフランを私から離してから、やっと自分も離れた。二人が離れたために、二人分の暖かさがなくなって、夜風が最初よりも冷たく感じる。
「それはただの予想でしかないよ。だから、そんなに心配しなくても大丈夫」
「でも、公爵子息ですのよ?」
「キューベレは一筋縄でいくような相手じゃないし、そもそも公爵子息、だからね」
やけに公爵子息を強調してから、お兄様は私の頭を撫でた。それで話は終わりだというように、お兄様は私の手をとって進みだす。私たちは広間に戻らず、そのまま玄関から馬車へ揺られながら帰路へ至った。ほんの少し何か見落としている気持ちになりつつも、次第にその気持ちはキューベレ様についての思考に埋もれて忘れてしまった。
次回は視点が変わります。
閲覧有難うございました。




