アンヌ
男爵が娘を紹介すると言って、暗がりから出てきた少女はゲームと同じたった一人ではなく、二人だった。
主人公の性格がどうなるか分からないと思ってはいたが、まさか性格ではなく、人数が違うだなんて、そんなことはまったく思いつきもしなかった。顔が瓜二つなので、一卵性双生児であるのだろう。だが、顔はそっくりでも、表情は全く違っていた。
バーナード男爵に紹介されるために、より前へと出てきた子は、自分に自信が満ち溢れていて、自分の魅力を自覚しているうえで自分をより可愛く見せていた。ふわふわとした長い栗色の髪は、彼女を愛らしく見えさせるために一役買っており、男好きしそうだなと感じた。
もう一人の子は、肩までのショートカットがその顔立ちとよく似合っているが、ドレスとはあまり似合っていなかった。彼女自身もそのことが分かっているのか、自信なさげに立っており、加えて、父親がやった行為を皆が白い目で見ていることで、かなり居心地が悪そうだった。
表情から察するに、後者はきっと謙虚タイプだろう。前者はどうなんだろうか。消去法で行くと、天然か知的ということになるが、天然と知的というタイプであるかもしれない。しかし、見るからに知的ではなさそうに見えた。
男爵の説明した名前では、前者がアンナ、後者がアンヌであった。正規ヒロインの髪型はショートカットであり、名前もアンヌであったことを考慮すると、後者の子が正規ヒロインなのだろうか。
彼女たちについて推測していると、男爵はべらべら喋るのをやめていた。やっとかという表情の客は、流れ始めた音楽に身を任せて、ダンスを踊り始めた。
アンナの方は父親からの紹介が終わると、辺りをきょろきょろし始めたが、アンヌの方は、広間を出て中庭に行こうとしていたので、気になった私は彼女のあとを追いかけた。
彼女を追いかけてやってきた中庭は、花々が月の光に照らされて、綺麗だった。庭に咲く花達は、種類に関しては庭師に一任されていたが、色についてはフランが指示したので、昼間に見る中庭はある種フランの作品となっている。だが、この風景も昼とは違った魅力がある。私よりも先に中庭へと出てきていたアンヌも足を止めて、その風景に見入っていた。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう!」
私が声をかけると、彼女は驚いたようだった。行方不明の間は、平民として過ごしていた自分が貴族から話しかけられるとは、思ってもいなかったのだろう。まして、なにかしら父親がやらかしたのだから、話しかけるとすれば悪意を持ってやってくるであると分かって、警戒もしたというところか。実際、アンヌを追いかけるときに、男爵の方をちらりと見たら、アンナの方に近づいて行く令嬢や子息が見えた。その人達はボロが出るのを確かめに行くといった人達ばかりだったから、彼女の警戒は正しい。
彼女の動揺に気付いてないふりをしながら、何でも無いような声で話を続ける。
「アンヌさん、で合ってますわよね」
「合ってますわ、よ?」
「慣れない言葉で話さなくてもいいですわ。貴方の話しやすい言葉で、私と話してほしいですわ」
「でも、不敬に当たるのではないでしょうか?」
「私が良いと言っているのですから、大丈夫ですわ」
「そうでしょうか? ……うん、ありがとう。それじゃあ、貴方の言葉に甘えるわね。先程の父の言葉を聞いてたかもしれないけど、私、アンヌって言うの。貴方の名前を聞いてもいいかしら?」
自分の言葉に自信なさげに話していた時とは違い、朗々と明るく話す彼女を見て、私は笑みを零した。平民ルートしか選べないときになる、彼女の性格が私は一番好きだったからだ。元気で優しくて、でも、誰かに頼ることが悪いことだと思ってしまって、一人でなんとかしようとする、控え目謙虚で、手助けしたくなるような、そんな彼女は見ていてとても好ましかったのだ。そんな彼女が目の前にいることがなんだか嬉しくて、それでいておかしくて笑ってしまった私をどうしたのかと視線で窺ってくるアンヌを見ながら、私は自らについて話す。
「私はサーシャ。ブラッドリー侯爵を父に持つ、サーシャ・ブラッドリーですわ」
「こ、こうしゃく!? それって、伯爵よりも上の爵位の……!」
「ええ、そうですわね」
アンヌはまたも驚いてしまった。公爵ではないのだから、そこまで思い詰めたような顔をしなくても良いと思うのだけれど、彼女にとっては違うようだ。
アンヌは自分の姿を見下ろして小さくため息をついた。それから、ぎゅっと口を引き絞って決意をしたように見えた。それから、大きく口を開けて、ハキハキと話した。
「私、侯爵令嬢に…先ほどのような口を利いて、本当に申し訳ありません」
「本当に私気にしていませんのよ?」
「しかし、私は侯爵令嬢とはあまりに違いすぎます。さきほど聞いたと思いますが、私は先日まで自分が平民だと思って暮らしてきました。そんな私が侯爵令嬢と親しげに話すだなんて、おこがましいにもほどがありました。それに……私の格好を見ても分かると思いますが、髪は男のように短く、綺麗なドレスだって、私は正に着せられているといった状態です……妹のアンナは似合っていましたが、私はとても……」
「あなたの格好は確かに似合っておりませんわ」
まさか私が肯定するとは思わなかったのか、傷付いた顔を浮かべるアンヌ。でも、私は決してそんな顔をさせたいわけではないのだ。私は乙女ゲームの主人公というのは、比較的どんな子でも好きなキャラになるのだが、アンヌの場合は色々と特殊だった。
貴族ルートでは自分頭いい、ワテクシステキと思っているような彼女が好きにはなれなかった。これはなかなかに珍しいことだ。
しかし、平民ルートでの彼女の場合は全く逆で、これほどまでに夢中になるのかと自分でも驚くくらいだった。「My Fair Lady ~今宵、君は僕の掌の上で踊る~」の非公式サーチである「レディ、ダンスはいかが?」で、アンヌ受けを探しまくるくらいには大好きだった。
だから、私は彼女を害そうと思って、今の言葉を言ったのではない。
「私が思うにですが」
「?」
「貴方にそのドレスは似合いませんが、貴方に似合うドレスがあるのですわ。その髪が映えるようなドレスだって勿論ありますわ。貴方のお父様が妹に似合うものしか用意しなかったように私は思えますわ」
「ドレスって、こういうものしかないんじゃないですか?」
「勿論、違いますわ。基本的には皆裾が広がったふわふわとしたものを着ていますが、そうでない方もいますわ。でも、貴方自身、自分がそんなものよりも似合うものがあると分かっているのではございませんか?」
彼女は押し黙った。今の台詞を言うのは自分でもかなり勇気が必要だった。普通に聞いたら、身の程を知りなさいと男爵令嬢を侯爵令嬢がいじめているようにしか聞こえない。だから、自分の気持ちが伝わるように、自分でもおおげさなほど気持ちを込めて喋った。
その甲斐あってか、彼女は私が自分のことを本当に考えてくれての発言だと分かってくれたようだった。これで彼女からの印象が悪くなってしまったらどうしようかと不安な部分もあったので、彼女に分からないように私は一息ついた。
実際ゲームでのアンヌのドレスは今日の装いとは違ったのだ。今彼女が着ているドレスはクリノリンスタイルである。クリノリンスタイルというのはスカートが広がっているドレスであり、イギリスがヴィクトリア朝だったときに流行ったものであるのだが、このドレスはかなり動きづらい。スカートを広げるために枠も身に着けねばならず、これが動きを制限している。
私が今日着ているのはルネサンス期に流行していたドレスである。イギリスで流行っていた、スカートをドラムの形にするものではなく、イタリアなどで着られていた円錐形を作るペティコートを着用した上でドレスを着ている。普段着と比べれば、多少動作が制限されるが、クリノリンスタイルほどではない。襟ぐりは大きく広がっているものが主流であるが、お兄様のお願いと言う名の命令により、私は年配者のように首まで隠すとまではいかないが、若い女性と年配者の中間くらいまで襟がある。
彼女がゲームの際に身に着けていたのもこれと同じタイプだったと思う。活動的な彼女に似合っていると思った記憶があるからだ。襟は私とは違い、大きく開いていたが。
色々な時代の服装があるのは、中世のような世界であるという設定しかゲームで決まってないためだろう。そのおかげで自分に合った服装ができるので、私としても嬉しい。
服に対して考えていると、彼女の中で結論が出たらしい。彼女は私にその結論を伝えるために口を開いた。
「私は、この前まで平民でした」
「はい、存じておりますわ」
「でも、私はそのことを嘆いたことはありません。私を大切にしてくれる母がいて、可愛い妹がいて、意地悪だけど本当は優しい幼馴染たちだっていましたから、本当に幸せだったんです。だから、だから、本当はここに来たくなかったんです」
アンヌは泣き出してしまった。私が彼女の方へ一歩近づくと、彼女はびくっと身体を震わせたが、私が近づくことには何も言わなかった。私はそのまま彼女の頭を自分の肩に引き寄せた。肩の部分の布が次第に濡れていく感覚があったが、構わなかった。
涙と一緒に彼女はこらえていたであろう言葉をぽろぽろと流す。
「一ヶ月、まえ、とつぜん、むかえが、来たんです。私、嫌だって言ったんです、けど、聞いてもらえ、なくて。しかも、アンナは、乗り気で、馬車に乗ってしまったから、降ろそうと、したら、そのまま、馬車が出ちゃって……。母は、二ヶ月前に倒れて、具合、悪くて、なのに、おいて、ちゃった。男爵は、大丈夫だって、言うけど、今まで、ずっと、私たちのこと、放っといたのに、信用、出来なくて、でも、会えなくて、おかあさん、あいたいよぉ……」
嗚咽交じりの言葉だったが、彼女の言葉はしっかり伝わった。私が予想していた以上に、彼女の現状が可哀想だった。ゲームだと迎えが来て、男爵の屋敷に着いて色々あった。というシナリオが流れたらすぐに彼女が訪れる最初の夜会の場面に変わるのだ。その間、一ヶ月も時間があり、病気の母に全く会わせてもらえず、母がどうなっているかも分からず、頼りになる人がいないとなれば、彼女はどれほど寂しく、つらかったことだろう。彼女を抱きしめる腕に、知らず知らず力がこもった。
「私が、力になりますわ」
「え……」
「私が、貴方の力になりますわ」
ゆっくりと顔をあげるアンヌ。泣きはらした目はウサギのように赤くなってしまっていたが、化粧はしていなかったようなので、彼女の顔はひどい事にはなっていなかった。
広間に戻ったときに、泣いていたことは分かるだろうが、男爵令嬢が侯爵令嬢に泣かされたと皆思うだけだ。私はそれくらいのことなら気にしないので、問題はないだろう。
希望に揺れた彼女の眼に自分のそれを合わせて、はっきりと言う。
「お母様に会いたいとおっしゃるなら、会わせて差し上げますわ。平民の暮らしに戻りたいというのなら、戻れるように工面しますわ。それとも、素敵な男爵令嬢になりたいとおっしゃるなら、私が完璧な令嬢にして差し上げますわ。貴方はどれがお望みかしら?」
「私、は、お母さんに会いたい、昔の暮らしに、戻りたい、です。それ以外は、なにも、望みません」
「私が助けになりますわ」
「ほ、んとうですか? でも、どうして……?」
「私が貴方を手助けしたいと思った。それだけでは駄目でしょうか?」
「……」
自分で言ってて胡散臭いと思ってしまったのだから、アンヌはそれ以上に信じきれないだろう。ゲーム知識があるから、彼女には親しみを最初から感じていたという理由が大半であるが、馬鹿正直にそれを話すわけにもいかない。だが、手助けしたいという気持ちは嘘ではないのだ。
彼女の瞳は揺らいでいた。私を信じるか、信じないか。どちらにするかで気持ちが揺れているのだろう。しばらくしてから、彼女は私から離れた。ずっと抱きしめたままだったので、嫌になったのかもしれない。そう自分で思ったが、本当にその理由だったら哀しいと自分でショックを受けていると、彼女は私の手を、両手でぎゅっと不安げに握った。この手を本当に取っていいのかとまだ彼女は悩んでいるのだろうが、早く言わなければと思ったのだろう。私の手に力を込めて、「助けて、ください」と言った。
消え入るような声だったが、それはきっと泣きそうになるのを堪えたんだろう。私は彼女の手に掴まれていない方の手も使って、彼女の手を包み込んだ。
「分かりましたわ、私は貴方を助けます」
「ありがとうございます」
感謝の言葉を告げる彼女の瞳からは、ほろりと涙が流れたが、彼女は片手で拭うと、スチルのように綺麗な、満開の笑顔を初めて私に捧げてくれたのだ。
ヒロインはやはり笑顔が一番だと再確認してから、彼女のこの笑みを守れるようにしようと思った。
アンヌ回でした。
更新が遅くなり、申し訳ありません。
明日も零時更新は無理だと思いますが、ご了承くださいませ。
閲覧有難うございました。




