主人公登場
馬車を走らせ、フランがいるハミルトン伯爵の屋敷へと向かう。フランがフールということを発表してから、幾度か伯爵家でフランが作成したフール名義の作品のオークションが行われたり、作品を作ってもらう権利を賭けたゲームが行われたりと、ハミルトン伯爵が夜会を開催する時は、毎回多くの人が集まったようだ。
権利を賭けたゲームの内容は、チェスであったり、トランプやウノなどのカードゲームであったりと、様々な遊戯をしたそうだ。
すべてのことが伝聞調なのは、私はあの日以来ハミルトン伯爵家で行われる夜会などに行っていないので、お兄様から聞いただけであるからだ。
どうにも、この身体はやや病弱らしく、香水の匂いで頭が痛くなる、自分の体調が万全でないと、風邪をすぐ移されるというほどだ。頭痛は我慢できないほどの痛みではないのだが、辛そうな顔をすると、すぐさまお兄様が察して休憩室へと連れて行かれてしまう。それならば、家族に迷惑をかけないためにも、夜会などは控えるということにしたのだ。
元から夜会に行って欲しくなかったらしいお兄様は、私が出席を控えるという旨を伝えると喜んでいた。ただ、夜会に来ないのなら自分で会いに行く、ということで、フランやキューベレがたびたび屋敷へと来るようになったので、機嫌を損ねる機会は多くなったが。
フランやキューベレもアポなしで来ることが大半というわけではなく、きちんと書状にて訪問する日を伝えてきてくれることが多い。二人が来るたびに、お兄様が嫌そうに顔をゆがめるので、その理由を分かっていながら、「お嫌ならお兄様はその日屋敷にいらっしゃらなくてもよろしいんですよ?」と伝えると、にっこりと大丈夫だと言われてしまった。
愛されているなと実感した瞬間である。色んな意味で。
ハミルトン伯爵が主催する夜会へと今回来たのは、やはり貴族であるものが、それといった用事も無く、あまり夜会に出席しないのは外聞が悪い。病欠であるといっても、何度も出席しないのが続くもあまりよくない。そのため、今回の夜会は出席したのだった。
ハミルトン伯爵が開催した夜会に出席することにしたのは、お父様が気心の知れたものが開催するところがいいだろうとのことで、フランがおり、お父様の親友のところにするべきだと主張したという理由。
……というわけではなく、お兄様がフランのところであれば、人が多く集まり、サーシャが出席したということが多くの人の目に留まりやすいので、出席した意味がある。また、具合が悪くなって帰る時に、他よりも屋敷が近いということを主張したからだった。
お父様も上記の主張を言っていたが、決め手になったのは、勿論お兄様の意見である。
自分のところで開催すれば良いのではと思うであろうが、自分で開催するとなると、ゲストの立場として夜会に出るのではなく、ホストの立場になるので、絶え間なく続く客からの挨拶に対応しなければならない。
挨拶のために人が来ている途中で広間から辞してしまえば、次に挨拶に来る者を厭がって退出したという解釈する人がいるので、自分の屋敷で開催という選択肢はなかったのだ。
やってきたハミルトン伯爵の屋敷では、フール名義の作品を手に入れるための人が予想通り多かった。
今回行われるのはオークションであるため、全ての人が集まるまでは、ダンスを行うものがいたり、食事をしたり、雑談を交わすものがいたりと様々であった。
私はというと、久しぶりの夜会ということで、少しは羽を伸ばしてダンスがしたいとお兄様に告げると、微笑んで私の手を取って、踊る人の中に連れたって入った。
踊っている間は、パートナー以外は見えなくなるのは私の視界が狭いせいか、それとも、お兄様に夢中になってしまっているのか、足を踏まないように気をつけながらも、頭は色々なことを考えてしまった。
一曲分踊り終えて、踊る人たちの中から出ると、ちょうどキューベレがいた。軽快な声で「やあ」と言ってきたが、ただお兄様の機嫌が急降下しただけだった。
返事をしないのは失礼なので、機嫌が悪くなったお兄様に変わって挨拶をしようとすると、お兄様は一歩前に出ようとした私を押しとどめて、キューベレに挨拶をした。
「こんばんは、公爵子息様。こちらの方から声をかけねばならないというのに、わざわざ声をかけていただき恐縮です」
「そう萎縮しなくていいよ。ブラッドリー侯爵子息も、侯爵令嬢も、なにも知らない仲ではないだろう?」
「そう言っていただけて光栄です」
「今日は夜会で会うことが嬉しいよ、ブラッドリー侯爵令嬢。ここしばらく会うことが出来なかったからね。……気分はどうかな?」
私からしてみれば、キューベレに対して全く心にも思ってもない事を言っていると、一目瞭然なお兄様を一瞥した。
一瞥した後に、わざわざ名指しで私の事を言ってきたキューベレに返事をするために、一歩前へ出てお兄様の横に並ぶ。今度はお兄様も私を止めなかった。
「グレゴリー公爵子息様、私もお会いできて嬉しいですわ。
具合は、今のところ大丈夫ですわ」
「そうか、それはよかったよ。でも、無理はいけないよ」
「グレゴリー公爵子息様のおっしゃる通りです。現在、我が妹は気丈な姿を見せていますが、彼女の周囲を心配させないための空元気かもしれません。もしくは、一曲踊ってばかりで彼女を立たせておいてはまた具合が悪くなってしまうかもしれません。ですから、公爵子息様には申し訳ありませんが、この場を退出するご無礼をお許しいただけないでしょうか」
「それはいけないね、確かに顔色があまりよくないようだ。ブラッドリー侯爵令嬢、どうぞ私の腕を掴んで下さい。休憩室まで共に行きましょう」
強引に、しかし優しくエスコートするために私の手を掴むと、その手をそのままに休憩室の方へと歩き出すキューベレ。え、あの、お兄様が、と思っていると、お兄様は何も言わずに私の横に立ってキューベレの進む方へと歩いて行く。何も言わないのが却って怖いと思うのは、お兄様の黒さに慣れてきた証拠だろうか。
休憩室の方へと向かう道のり。通り過ぎる人はほとんどいない。だが、それもそうだろう。オークション目当てで来た人がほとんどであるのに、休憩室に来てしまってはせっかくのオークションへの参加のチャンスを逃すことになる。こんな風に休憩室まで連れてくる方が普通ではないのだ。
じとーっとキューベレを見ると、その視線に気付いたキューベレが振り返り、にっこりと甘い笑顔を向けると、また前を向いてしまう。
不意打ちのように笑顔を向けられると、自己暗示をしていても赤くなってしまうのが止められない。赤くなった顔を見られないように、下を向いてキューベレがエスコートするまま歩いていると、キューベレと繋いでいない方の手が握られた。
ここに居るのは私とキューベレ以外にはたった一人しかいない。横を見ると、お兄様がいつもの笑みを向けてくる。手をここで繋いだのは、キューベレに対抗してか、それとも人が居ないと判断したからか。どちらか分からないが、恋人繋ぎを自然とやってきたお兄様の手際の鮮やかさに驚いた。
その手を振り払うのも怖いと思い、そのまま休憩室へ歩く。休憩室が準備されている場所近くに来ると、お兄様は繋いでいた手をそっと離し、その手を口元に運んで、人差し指を立てた。口元が音を立てずに、「ないしょ、ね」と動く。
その動作が一々色っぽくて、艶っぽくて、見てはいけないものを見てしまったイケナい気持ちになってしまった。
そんな複雑な感情の私に気付かないまま、キューベレは休憩室の扉を開けて中へと入っていく。
手を繋がれている私もそのまま入る。そこにはフランがいた。
「フラン!? なぜここにいますの!」
「……あ、サーシャ。 来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ招待いただけて光栄ですわ。長らく来られなくて申し訳ありませんでしたわ」
「ううん、今日来てくれただけでも嬉しい。体調大丈夫、サーシャ?」
「少し休めば治る程度ですわ」
「……なんでフランがここに居る訳?」
「あ、そうでしたわ」
「しかも、キューベレはわざわざここを選んで入ったよね?」
「そう睨まないでくれよ」
降参というように、キューベレは手を顔の横に置いた。
イケメン以外がやったら、そのポーズはどうにも恰好がつかないと思う。しかし、キューベレは漫画の一部のように、ちゃんと様になっている。
やはり、キューベレはイケメンのようだ。イケメンというのは本当に得だ。
キューベレはその体勢のまま、正直に理由を言った。決して、お兄様の睨みに負けてではないと思う。
「実は母がフランの作品を欲しいと言いだしてね。かといって、オークションで作品を賭けて争うのも、公爵家としてどうなのだと父が反対したので困ってしまっていたんだが、それをフランに伝えると作品の依頼という形で引き受けてくれるとのことでね」
「まあ。フランとキューベレ様は仲がよろしいんですわね」
三人が一緒にいる光景または、お兄様とフランかお兄様とキューベレが一緒にいるところしか見たことがなかったので、かなり驚いた。
ここは現実世界なのだから、誰と誰が仲良くなるなんて自由なのだが、攻略対象同士が仲が良いだなんていうのは、やはり違和感を禁じえない。
「キューベレ様困ってるみたいだから。それに、公爵家のお菓子には最近お世話になってる。だから、お礼」
「とのことでね。お菓子の礼だなんて釣り合わないにも程があるんだが、フランがお金は受け取らないと強情でね」
「ふふ、フランは頑固なところがありますから」
「そのようだね。だから、それ以外で何か手助けを、というわけだよ」
「きょーどーせんせーん」
「……この前のお茶会だけじゃなかったのか」
ふふーんと勝ち誇った顔で言うフランに対して、お兄様が苦い顔をしている。普段は逆の表情が多いので、なんだか新鮮である。どこか和んだ気持ちになりながらも、彼らとの会話を楽しんでいたが、フランのオークションの終わるくらいの時間になっていると気付いた。
フランはオークション中広間に居ないことが多いらしいが、競り落とした客はお礼を言いたがるので、終わり頃には必ず広間にいなければいけない、となっている。
嫌がるフランをなだめて、四人で広間へと戻ると、オークションは丁度終わりかけだった。二人の貴族が白熱して争っているので、そちらの方に大半が視線を向けていて、四人で入ってきた私達に注意は向かなかった。
注意を向けられていたら、私が有望株を一人占めしていると噂されてしまうところだったかもしれないが、見られていたとしても、フランとキューベレが珍しく二人で並んで歩いていたので、そちらに注意がいったかもしれない。
白熱した戦いが終わると、競り勝った女性が、うっとりとした表情で絵画を眺め、それからフランへ感謝の言葉を告げている。今回の絵画は花畑で遊ぶ子供を眺める貴婦人だった。
現在で見たことがあるものとよく似ていたので、無からこれを描けるフランはやはりすごいなと感嘆したものだった。
フランはというと、感謝の言葉に対して、ただ頭を下げただけであったが、女性は気にした様子を見せなかった。芸術家というのは大抵そんなものだと分かっているからだろう。
広間が、オークション用の設置から、ダンスを出来るように元に戻していると、銅鑼が鳴らされた。銅鑼を鳴らしているのは、ハミルトン伯爵では無かった。銅鑼は何か重要なことを話す時に使うが、自分が開催した社交界以外で使うのはタブーとされている。何か発表をするならば、自分が開催して、そして自分のところで発表するというのが筋というものなのだ。
どんな愚か者が叩いたのかと、良く見てみると、この前私に話しかけてきた男爵だった。確か、キューベレがバーナード男爵と呼んでいたのだったか。
横にいたキューベレとお兄様に視線を向けると、キューベレは恥知らずを見るような眼で、お兄様は冷え冷えとした侮蔑の視線で男爵を見た。話しかけようと思ったが、怖いのでやめておくと、男爵が話し始めた。
「本日は私、アラステア・バーナードから皆様のお耳にいれておきたいことがございます。実は、行方が分からなくなっていた、私の娘たちが見つかったのです!」
大仰に手を後ろへとやると、私と同じくらいの年齢の女の子が一歩前へと出てきた。暗がりから、光のあたるところへ出てきて分かった彼女の顔は、主人公の顔だった。「My Fair Lady ~今宵、君は僕の掌の上で踊る~」の主人公の顔だ。性格はどうなのかと思っていた私の目には信じられないものが飛び込んできた。
暗がりから彼女に似た少女がもう一人出てきたのだ!
二人の少女の姿は、瞬きをしても一人に変わるなんてことはなかった。
私はよく似た二人の少女を呆然と見つめることしかできなかった。




