俺の天使
きっと、天から落ちてきてしまったのだ。
サーシャを見た時に俺はそう思った。
俺は人とは違うらしいと、幼心に思ったのはいつだったか。子供心ながらに悟ったのか、それともある程度人を理解したからだったか、よくは覚えてない。
ただ、俺を人が避けるのは当然のことなのだということが分かれば十分だった。
親であるエルマー・ハミルトンは、子供として俺を愛しているのだと言ってくれたが、そもそも愛が分からない俺は、それを与えられようが、与えられなかろうがどうでもよかった。
そんな俺のもっぱらの関心事は絵画だった。父につれられて訪れた教会では、神父様と話している父の事など気にも留めなかった。飾られている絵画の前で飽きもせずにただただこれを描くときに作者はどんな気持ちだったのか、これは風景画か、それとも作者の望むものなのか、そんなものを考えているのが楽しかった。
父としては、教会が寄付を有効に使っているか見に行くついでに、孤児院としても機能しているその教会に居る子供と触れ合えばなにか影響があるかもしれないと思ったと後で聞いた。絵画を見ているときに、物陰から俺の方を見ていた子供の事かと分かったが、思い返してもなんとも思わなかった。
そんな俺について親が相談したのは、俺が五歳の頃であり、その相談相手は親の友人であるジェームズ・ブラッドリー侯爵だった。自分たちが管理する領土が遠いということもあって、手紙をやり取りしても自分たちの近況くらいしか書かず、相手を心配させるようなことは書かないのだが、あまりに俺が心配になり書いてしまったとのこと。当時の俺としては親はそんなに心配なのか。と何が心配なのかもわからず、無感動にその話を聞いただろうが、今の俺はそんな親へ感謝の気持ちでいっぱいである。
なんといっても、そのおかげでサーシャと会えたのだから。
自分達の息子も悩みの種だったが、妹が出来たら変わったということと、暫くぶりに遊びに来ないかという返事をもらった父は、俺に対する心配など忘れたかのように、すぐにブラッドリー侯爵の元へと旅立つ準備をしてからブラッドリー侯爵の領土へ向かった。俺という荷物も忘れずに持っていった。
思えば遠くに来たものだと、父がブラッドリー侯爵と話しているのを耳で聞きつつ、目は客室に飾られている絵画へと向かっていた。
絵画はよくある人物画だったが、描かれているのは女性ではなく、まだまだ年若い少女だった。今まで人物画は老年の男性や全盛期の男性や女性しか見たことがなかったので、珍しいなと思った。
自分たちの話に俺は全く関係ないということに気付かないまま、二人は話し続けている。少女の絵画は確かに珍しいが、しかし、それほど心動かされなかった。作者のタッチが俺の好みじゃなかったんだと思う。これなら家に居た方がまだよかったと思っていると、扉の方から俺を見ている視線があることに気付いた。
普段の俺だったら、そんなものちっとも気にしないのだが、そのときは気になった。きっとこれは神が彼女に会いに行けと言っていたのだと思う。
自分たちの会話に夢中になっている父親の元を離れて扉へ近づいて行くと、扉から覗いている子が引っ込んだ。俺は子供が気になったので、部屋を出た。部屋を出ると、綺麗に着飾った少女がそこにいた。少女というよりも、幼子といった方がいいくらい、彼女は小さく、また、無防備だった。
彼女を見た瞬間、天使という言葉が頭に浮かんだ。彼女の背には羽があり、また、俺の目にはとても神々しく見えた。俺という存在に光が当てられたように感じた。
彼女はその小さな口を開き、小鳥のように囀った。
「あなた、だあれ?」
「俺はフラン」
「ふらん? しらないわ」
「ここに来るのは初めてだから」
「そうなの? じゃあ、しらないひとなのね」
そう言うと、俺の元から走り去っていこうとする少女を思い切り抱きしめて引きとめる。抱きしめないと、彼女は飛んで行ってしまうのかと思ったのだ。
東洋の話だったと思うが、天女という存在についての話しを読んだことがある。天から落ちてきてしまった天女の羽衣。それを探してほしいと天女は言うが、男はその羽衣を隠してしまう。羽衣を返してしまえば、彼女は帰ってしまうからだ。
羽衣を隠した男の気持ちがよく分からなかったが、自分が欲しいと思っているのに、自分の手の及ぶ存在でないものに対しては、なんとしてでも手元に置くためにしたことなのだと今ならばわかる。
彼女に何をすれば俺は天に帰さないでいられるのか。天使は天女と違って羽衣なんて使わずとも、その羽で飛んで帰れる。
そんなことを考えながら抱きしめていると、彼女からお日様の匂いがした。このまま、抱きしめて持って帰りたいと思った俺はそのまま客室へと戻ろうとしたが、彼女から拒否されてしまった。
「やー! だっこやー! さーさはにいさまがいーのー!」
「ごめん。でも、俺、行っちゃうの嫌だったから」
「さーさがいなくなるのが、やーなの?」
「うん。さーさと一緒がいい」
「ちがうー! さーさじゃなくて、さーさなの!」
「さーさ」
「さーさ!」
本人から拒否されてしまってはしょうがないと床におろす。それにしても、どう聞いてもさーさとしか聞こえないが、本人は違うと言う。天使は不思議なことを言う。だが、彼女はどうにも舌ったらずである。もしかしてと思った俺は「さーしゃ」と言ってみた。
彼女は花が咲いたように満開の笑顔で「うん!」と言ってくれた。彼女の笑顔を見た時、俺はどうしても、どうしても彼女を帰したくなくなってしまった。彼女の背に羽があると言うのならば、その羽をもいでしまえばいいのだという声に導かれるまま、彼女の背に手を伸ばすと、俺の意思に呼応するように、羽が次第に消えて行く。
サーシャ自身は自分の変化に気付いておらず、後ろを向いて、そのままそちらの方へ走り去っていく。
「にーさま!」
「お前は今日も可愛いね。……うん? お客様かな」
俺とは違って片手でサーシャを抱き上げる。サーシャはきゃっきゃっと声を上げながら、彼にしてもらう抱っこを楽しんでいた。
肩よりも短い黒髪に、赤い瞳。彼女へと向ける顔は笑みであったが、俺へと向けるその瞳はとても凍てついていた。
彼を見た瞬間に、彼女から羽をもいでしまったのは、彼なのだと分かった。そして、そのことに安堵するとともに、嫉妬した。
彼女が天に帰らないと云う安堵と、彼女を帰さないのは俺ではないと云う嫉妬だ。
そんな俺の気持ちに気付いているのか居ないのか、その少年はサーシャを抱きしめたまま、二階へと上がっていった。
俺はこの湧き上がる衝動を形にしなければどうにかなってしまいそうだった。
客室へと急いで戻ると、扉に入ってくる音で今まで俺がいなかったことが分かった父が何か言っていたが、構ってられなかった。荷物の中から紙と羽ペンを引きずりだすと、客室にあった机に座り、羽ペンをインクの中へと浸けてから、紙へと衝動を叩きつけるように羽ペンを動かす。
そして描きあがった絵は、自分でもよく描けたと思えた。羽が無くなる前の少女の姿を描いたのだが、彼女の清らかさ、愛らしさなどをうまく表すことが出来ただろう。
描いている間も何か言っていた父だが、描き終わると俺を褒めてくれた。そういえば、父の前で絵を描いたのはこれが初めてだ。父と話していたブラッドリー侯爵は「娘に会ったか?」と聞いてきた。「天使に会った」と一言俺が答えると、「そうか、天使か。私も常々天使のようだと思っていたが、君も分かってくれるかね」と侯爵が嬉しそうに話す。
侯爵が勘違いしていると分かったが、訂正する必要性を感じなかったので、何も言わなかった。侯爵は「これほど上手に描いてくれたものなら、娘も気に入るだろう。見せに言ってきてはどうかね」と言ってきた。父もそれに同意したので、侯爵に案内されるまま屋敷を進む。
ある部屋の前まで来ると、侯爵が部屋をノックしてから中に入る。侯爵が俺達にも入るように言うので部屋へと入ると、先程会った天使が少年の膝の上に乗ったまま、積み木で遊んでいた。
侯爵が「こちらの少年がサーシャに渡したいものがあるそうだよ」と言うと、積み木に集中していた顔を上げて俺の方を見た。俺は自分が描いた絵を少女へと突き出した。少女は受け取って紙を広げていたが、彼女が腕を広げてもまだ全てが見えないほど大きい紙に書いたので、彼女を抱き上げている男性が紙を取り上げ、代わりに広げていた。
紙を見た少女は、少年の膝から下りると、俺の元へとやってきた。
「さーさ、かいてくれてありがとう! さーさ、いちばんこれがすき!」
「サーシャ喜んで良かった」
「だって、ふらんじょうずだもん! ふらんがかいたえ、さーさはすきよ!」
彼女が俺の絵を好きだと言った瞬間、俺の視界は開けたような、俺という存在に光がさしたような、そんな気がした。
それから、俺は彼女が好きと言った絵を描くようになった。彼女自身が俺の絵を好きだと言ってくれたので、幼女から少女へ、少女から大人へと変わりゆく今の今まで、彼女を残す絵を描くのに、侯爵は俺を指名してくれる。
彼女は少女になっても俺の絵を認めてくれた。それだけでなく、ほかの才能だって見つけてくれた。そして、俺が描いたものや、作ったものを見ては、俺を褒めてくれるのだ。俺はそのたびに俺がここにいてもいいと言われているような、おれがここにいる意味を与えられているような気がするのだ。
俺は彼女が導くその道を選び続ける。その道の先に彼女が待ってくれていると思いながら進むのだ。
フランの目はヒトとは違う。
一日一話執筆するのも時間的に難しくなってきたので、
そろそろ週一更新に移行するかもしれません。
閲覧有難うございました。




