『黒板の星と、石の論文』
気楽に読んで
『黒板の星と、石の論文』
目が覚めると、僕の体は動かなかった。
指先から足の先まで、感覚がすべて消え失せ、冷たく硬い質感だけが残っている。
窓から差し込む3つの月の光が、石化した僕の表面を静かに照らしていた。
「――そうか、そういうことか」声にはならなかったが、僕の思考だけは、冴え渡る月の光のように澄んでいた。
手元にあったあの古代魔法書。そこに載っていた「林檎を引き寄せる魔法」の効果の表。
その最後に小さく書かれていた一文を、僕は眠気に負ける直前に読んだことを思い出したのだ。
『等価交換:無から有を生み出すべからず。物質を移動させ、その身に宿す者は、その土地の理と融合する』僕が食べたのは、この世界に自生する原木種の林檎だった。未来の技術と、生い茂る自然、そして太古の魔法が混ざり合ったこの世界において、植物の生命力は僕たちの知る地球のそれとは全く違っていた。
林檎は、大地に眠る「星の記憶」を凝縮した結晶だったのだ。それを毒見したとはいえ、丸ごと一つ体内に取り込んだ僕の肉体は、この世界の強烈な「自然の理」に耐えきれず、完全に同化――つまり、結晶になってしまったのだ。
しかし、絶望はなかった。不思議なことに、石になった僕の意識は、部屋の壁を覆う蔦を伝い、窓の外へ、そして3つの月が浮かぶ夜空の向こうへと広がっていく。
思い出すのは、この世界に来る前に見た光景。何もない虚無の空間に浮かんでいた、ゴツゴツとした二つの大きな塊。
あれは、僕の「前世の記憶」などではなかった。あの二つの塊が衝突し、ビッグバンが起き、太陽が生まれ、水星、金星、地球ができた……。
僕が読んでいた魔法書に書かれていた図や効果の表は、まさにその「宇宙の創世記」を数式と魔導式で解き明かしたデータそのものだったのだ。
「僕が書くべき卒業論文のテーマは、これだったんだ」窓から見える3つの月が、ゆっくりと重なり合っていく。
石となった僕の足元から、部屋を埋め尽くす蔦が伸び、僕の手元にあった白紙の羊皮紙を包み込んだ。僕の意識から溢れ出る
「ビッグバン以前の記憶」と「太陽系の誕生、そしてこの3つの月を持つ世界の構造」が、蔦を通じて、魔力を持った文字となり、羊皮紙へと自動的に刻まれていく。
カタカタと、静かに論文が書き上がっていく。
異世界に飛ばされ、石になってしまった僕は、もう人間の姿へは戻れないかもしれない。
けれど、この世界そのものが僕の提出先なのだとしたら。
この星の歴史そのものに、僕の論文を刻み込むこと。
それこそが、僕がここに転生した本当の意味だった。
朝が来る。3つの月が沈み、あの「第一塊と第二塊」が衝突してできた眩しい太陽が、石になった僕の頬を温め始めた。
その足元には、完璧に書き終えられた、一冊の輝かしい「卒業論文」が残されていた。
(了)
気楽に読んで




