第8話:副社長の車で出社するなんて、全オタクの命を狙ってますか?
翌朝。
私は、神宮寺副社長の愛車――数千万円は下らないであろう漆黒の高級セダンの助手席に収まっていた。
(……詰んだ。私の人生、ここで最終回を迎えるかもしれない)
昨夜の鼻血未遂事件。その後、神宮寺さんは「……顔色が悪いな。今日はもう休め」と、紳士的に私を客間に押し込み、今朝は「秘書が遅刻しては困るからな」と、当然のように助手席に乗せられた。
横顔を盗み見る。
朝の光を浴びた神宮寺さんの横顔は、昨年の『SOLARIS』の朝露コンセプトのグラビアと完全に一致。……いや、実物の方が、肌の質感がリアルな分、破壊力が高い。
「……瀬戸さん。さっきから俺の顔ばかり見て。……そんなに、昨夜の続きがしたいのか?」
「ひゃっ! い、いえ! 信号機を見てました! 赤が綺麗だなって……っ」
「ほう。……赤か。君の顔も、その信号機と同じくらい赤いぞ」
神宮寺さんが、信号待ちの間にふっと身を乗り出し、私のシートベルトのねじれを直すふりをして、耳元で囁いた。
……供給。……至近距離での「朝の低音ボイス」供給。
そのまま車は会社に到着。
あろうことか、彼は役員専用駐車場ではなく、社員通用口の目の前で車を止めた。
「あ、あの! ここで降りるのはまずいです! 誰かに見られたら……っ」
「何がまずい。俺の秘書を、俺が送ってきただけだ。……それとも、俺と一緒にいるのが不満か?」
神宮寺さんは確信に満ちた目で私を見つめる。
彼の脳内では、【花音はあまりの幸福に、周囲の嫉妬を恐れて怯えている可憐な恋人】という設定が上書き保存されていた。
彼は車を降り、わざわざ助手席のドアを開けに回った。
その瞬間、出社中の社員たちの視線が突き刺さる。
「……えっ、瀬戸さん!? なんで副社長の車から……」
「嘘、昨夜から一緒だったってこと!?」
ざわつくフロア。その中に、例の西園寺エリカの姿もあった。
彼女は顔を真っ赤にして、私たちに詰め寄ってきた。
「湊様! どういうことですの!? こんな女と朝から一緒に……!」
神宮寺さんは、エリカの言葉を遮るように、私の肩を力強く抱き寄せた。
そして、全社員が見守る中、氷のような冷徹さと、甘い独占欲が混ざり合った声で言い放った。
「彼女は、俺にとって代えの利かない存在だ。……これからは、俺が彼女の生活のすべてを管理することにした。……文句があるか?」
(……生活のすべて!? それ、ただの秘書業務超えてませんかぁぁぁ!!)
神宮寺さんの言葉は、周囲には「同棲宣言」か「婚約発表」にしか聞こえなかった。
エリカは絶句し、周囲からは悲鳴に近い溜息が漏れる。
当の神宮寺さんは、私の耳元で楽しげにこう付け加えた。
「……ほら、君の望み通り、独占させてあげたぞ。……瀬戸さん」
(……ちがう。私はただ、推しを静かに愛でていたいだけなのに……このままだと、推しの『本命』になっちゃう……っ!!)
こうして、私の「オタバレ阻止大作戦」は、神宮寺湊の「天然な暴走」によって、さらなる修羅場へと突き進むことになった。




