第4話:引き出しの中の聖域(サンクチュアリ)が、侵食されています
専属秘書になって三日目。
私のデスクは、副社長室の片隅――神宮寺湊のデスクからわずか三メートルの位置にある。
(……地獄。ここは、天国という名の地獄だ)
神宮寺が書類をめくる音。ペンを置く音。時折漏れる吐息。
そのすべてが、私の脳内では『SOLARIS』のASMR(高音質音声)として変換される。
正気を保つため、私はデスクの引き出しを数ミリだけ開け、そこに隠した「聖域」を覗き込んだ。
そこには、KYLO様の限定アクリルスタンド(通称:アクスタ)が鎮座している。
漆黒の衣装を纏い、不敵に微笑むKYLO様。
(ああ、カイロ様……。本物のあなたは地球の裏側で輝いているのに、目の前にはあなたと瓜二つの『魔物』がいて、私を誘惑してくるんです……!)
「――瀬戸さん」
「ひゃいっ!?」
突然、真上から降ってきた低音ボイス。
慌てて引き出しを閉めたが、数センチ指を挟んで悶絶する。
「……何をそんなに慌てている。顔が赤いぞ」
いつの間に移動したのか、神宮寺が私のデスクに手をつき、上から覗き込んでいた。
ネクタイを少し緩め、シャツの袖を捲り上げたその姿。
……待って。その「腕の筋」。
昨年のライブツアー『Eclipse』で見せた、あの伝説の腕のラインと1ミリの狂いもなく一致している。
(……供給。……生の、前腕筋の供給……!)
「あ、あの……な、なんでもありません! 仕事に集中しすぎて、つい……っ」
「そうか。……だが、今、何かを隠しただろう」
神宮寺の目が、スッと細められた。
彼は私の制止を無視し、長い指を引き出しの取っ手にかけた。
「だ、ダメです! そこは乙女の秘密の花園なんです……っ!」
「秘密……? ほう、ますます気になるな」
力ずくで開けられた引き出し。
そこには、私の「命」であるKYLO様のアクスタが、堂々と立っていた。
終わった。
「副社長に似ている男をデスクに飾って悦に浸っている変態」として、私は今ここで解雇されるんだ。
沈黙が流れる。
神宮寺はアクスタをじっと見つめ、それから私を見た。
「……なるほど。そういうことか」
彼の声は、怒りではなく、どこか「慈しみ」を含んだものに変わっていた。
神宮寺はアクスタを手に取ると、愛おしそうにその表面を指でなぞった。
「……これを、特注で作らせたのか」
「えっ」
「わざわざ俺に似せた人形を作り、仕事中もこうして見つめていたとは。……君の愛は、俺の想像を遥かに超えていたようだ」
(……はい?)
神宮寺の脳内では、驚異のロジックが完成していた。
【花音が飾っているのは、自分(神宮寺)をモデルにした特注フィギュアである】と。
「すまなかった。そんなに俺が恋しいのなら、人形で我慢させる必要はなかったな」
神宮寺はアクスタを丁寧に引き出しに戻すと、私の椅子をくるりと自分の方へ向けた。
逃げ場のないゼロ距離。
彼は私の両肘をつかみ、逃がさないように固定する。
「人形ではなく、本物を見ろ。……俺は、ここにいる」
耳元で囁かれる、極上の低音。
至近距離で見る彼の瞳は、獲物を捕らえた肉食獣のように妖しく光っていた。
(……ちがう。それ、本物のKYLO様なんです! あなたはむしろ『実写版』なんです……!)
否定したい。全力でツッコミを入れたい。
けれど、推しと全く同じ顔にこんなに甘く迫られて、拒絶できるオタクがこの世にいるだろうか? いや、いない。
「……返事は? 瀬戸花音」
「……っ、……はい……っ」
結局、私は本日二度目の敗北を喫した。
神宮寺湊の「天然な傲慢さ」に、私の理性は今日もボロボロに溶かされていく。
次のお話は明日19時頃に更新予定です!
続きを待つ間の暇つぶしに、同じ恋愛ものの完結作もいかがでしょうか?
『花菱さんは「普通」がわからない! 〜跳べ、隠れ令嬢の商社奮闘記〜』
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