第2話:推しの顔で「僕のそばにいて」なんて、公私混同がすぎませんか?
給湯室で頭を冷やし、どうにか人間としての形を保って自席に戻った私を待っていたのは、信じられない宣告だった。
「――瀬戸さん。君、今日から副社長付の専属秘書に異動ね」
「…………はい?」
営業部長の軽い一言に、私の魂が口から抜けかけた。
専属秘書。それはつまり、あの「神宮寺副社長」と、一日の大半を同じ空間で過ごすということだ。
(無理。死ぬ。心停止する。労働災害だ!)
抗議の声を上げる間もなく、私は荷物をまとめさせられ、最上階の副社長室へと放り込まれた。
重厚なマホガニーのドアを開けると、そこには逆光を背負ってデスクに座る神宮寺湊の姿があった。
窓から差し込む光が彼の横顔を縁取り、まるでアルバムの特典トレカのような神々しさを放っている。
「……来たか。瀬戸花音さん」
その声。低音の響き。KYLO様がライブのMCで「みんな、愛してるよ」と言う時と同じ周波数だ。
私は反射的に、持っていたバインダーを顔の前に掲げて防御姿勢を取った。
「あ、あの! 私、至らぬ点ばかりで、副社長のお力には……っ!」
「謙遜しなくていい。君の仕事ぶりは聞いている。それに――」
神宮寺が椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
一歩、また一歩。高級な革靴の音が、私の心音と同期する。
彼は私の目の前で足を止め、ふっと目を細めた。
「君は、俺の前でだけ、あからさまに動揺する。……隠さなくてもいいんだよ」
「えっ」
バレた? オタバレした!?
「仕事中に推しのことを考えて鼻血が出そうでした」なんてバレたら、社会的に死ぬ。
「……君のその、熱い視線。先ほどの給湯室での、激しい震え」
神宮寺が、私の頬にかかった髪を、指先でそっと払った。
指先が触れた瞬間、パチリと静電気が走る。
「そんなに俺に焦がれている女性を、放っておくわけにはいかないだろう? 近い場所で、じっくりと俺を見ていい。……仕事としてね」
至近距離。
KYLO様と全く同じ、清涼感のある香水の匂いが鼻をくすぐる。
彼の瞳には、必死に呼吸を整えようとする情けない私の顔が映っていた。
(ち、ちがう……! 焦がれてるんじゃなくて、拝んでるんです! 尊すぎて直視できないだけなんです……!)
叫びたい。でも、推しの顔をした男にこんな甘い声で囁かれたら、声帯が使い物にならない。
「……返事は?」
「……は、はい。よ、喜んで……っ」
絞り出した声は、完全に「恋する乙女」のそれだった。
神宮寺は満足そうに微笑むと、私の耳元に顔を寄せた。
「いい子だ。……さあ、今日からたっぷり『供給』してあげるよ」
彼は「仕事(=供給)」という意味で言ったつもりだろう。
だが、私にとっては――。
(……この人、天然で殺しにかかってきてる!!)
こうして、私の「二十四時間・強制推し活秘書ライフ」が、幕を開けてしまったのだ。




