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星天  作者: 結紗
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【 後編 】



 里衣子たちが住む小さな町は、四方を山に囲まれた場所にある、まさしく”山深い”地だ。夜遅くまで開店している店もなく、あまり使ったことのない電車は早々に闇に身を潜めてしまう。夜は、家の明かりのほかの光はないといってもいい。

 だから、真っ暗だった。……特にこんな、山の中は。



「……で、どこがすぐ着くのよ。30分以上乗ってたじゃない!」


 ようやく止まった自転車を降りて、里衣子は懸命にお尻をさすった。がたがたした山道を登ったせいだろう、その衝撃に耐え続けたお尻が悲鳴を上げているのだ。既に途中で諦めて、沈黙のままに家へ遅くなるメールをしたのだけど。普段の信用もあるだろうから、家の者は柚香の家にいると疑ってもいない筈だ。まあ、だからそれはいい。いいが……と、ちらりと傍らの少年を見る。

 一方の麻耶はといえば、きょろきょろと辺りを見回していた。里衣子の声が聞こえているのだろうか。どうでもいいことだが、麻耶はサドルに乗っていたのだから衝撃が里衣子より少なかった筈だ。痛かったのに……と恨みがましい声もきっと聞こえてはいまい。いや、聞こえていても無駄なのかもしれない――と、この正味一時間(弱)の間で悟ってしまった自分が悲しい。

 別に、中身を聖人君子だと想像していたわけじゃない。わけじゃないが、ここまで奇天烈でなくとも良いではないか。

 柚香の言う”変わってる”は”おかしい”の間違いだった。がくりと項垂れると、それに構わず麻耶は里衣子の名を呼んだ。

 ……びくり、と里衣子の身体が震える。


「……?なに」


「や、別に……なんか変。あ、あんまり名前呼ばないで。初対面なのに」


 別に初対面だからというわけではない。

 ただ、なんだか妙な感じがする。麻耶が”里衣子”と呼ぶたび、まるで電気が走るみたいに身体がぞくりと震えてしまうのを止められないのだ。訝しげな麻耶の視線がじぃっと見つめてくるので、里衣子は慌てて弁解しようと口を開いた。


「そ、そんなことはどうでもいいよ!どこに行くの?もう真っ暗だよ!」


「まあ、そうだね。……山が暗いのは当たり前だと思うけど」


 馬鹿にしてんのか。

 思わず突っ込み役になってしまう自分に呆れつつ、パンツスタイルで来た自分を褒めてあげたくなった。

 なんと麻耶は上を目指して歩き出したのだ。互いの輪郭がうっすらわかる程度でしかないのに、ざくざくと上に向かって歩く音がする。

 慌てて里衣子もそれを追おうと足を進めようとして、「ん」ということばと共に出てきた腕に首を傾げた。


「……?何?」


「貸して。手。危ないっていうか、役得っていうか、まあ、そんなかんじで」


「はあ?…っ…」


 問答無用で取られたのは、今度は手だった。

 ひんやりと冷たい掌が、柔らかく里衣子の手を包む。


「暗いし。危ないし。……今はあんたに触ってたい気分」


 掠れたような声が闇に響いて、里衣子は一気に顔を赤く染め上げた。

 行くよ、と促される。里衣子は今度は何も言わずに足を進める。

 そのまま山頂まで、二人は黙って登っていったのだった。






* * *







 山頂は、小さな展望台のようにコンクリートで固められていた。

 息が切れるほどの登山にはならなかった。山に入ったときから見えなかったけれど、恐らく近くの小さな山だ。だが山の入り組んだ中にあるのだろう、そう遠くないはずの家々の明かりがどこにも見えない。


「真っ暗、だね……」


 繋いだ手をそのままに、手すりに身を寄せた里衣子は呟いた。

 どのぐらいこの手を握ってきたのかわからないけれど、汗ばんだはずの掌は、逆にすっぽりと二人の手をくっつけてしまっている。

 それを自分から放す気にはなれなくて、里衣子は黙った。

 一歩遅れて大きな足音がする。麻耶だ。


「そうでもない。あんたには見えない?この明かり」


「え、どこ」


「ここだよ。こんなに明るいのに」


 耳元で話しているかのように、麻耶の声が近い。遠くの遠くで、涼やかに虫の声がする程度の静寂の中で。

 慌てて里衣子は辺りを見渡してみたが、180度、どこも明かりなど見えはしない。

 笑いながら、麻耶の声がする。


「ねえ。早く見つけてよ」


 見えないじゃない、と言おうと声のした方へ振り向くと、麻耶が笑っているのが見えた。

 背が高いせいでこちらを見下ろしているが、その表情は穏やかだ。

 どきん、と鼓動が鳴って、頬が紅潮する。暗くて見えないのが救いだった。今は隠そうにも、麻耶と繋いだ手は動かせない。


「俺が見えない?よく見て」


 麻耶のもう片方の手が里衣子の頬に伸びると、支えながら促すように麻耶の顔に近づける。

 吐息がかかるほど近づいて、里衣子は思わず目を瞑った。激しい動悸と紅潮が、絶対にバレてしまう。



 …ふ、と息で笑む音がして。

 

 強く目を閉じている里衣子に、麻耶は顔を傾けた。

 

 重なる唇の感触に……里衣子は思わず目を開く。

 

 そこにはしたり顔の麻耶の笑み。



「……かわいい」



 麻耶は繋いだ手をそっと解いて、両手で里衣子の頬に触れる。

 里衣子は驚きに、衝撃を受けた。麻耶のキスに驚きはしたものの、悲しくも嫌でもなかったからだ。本当に純粋な、”驚き”だけ。

 人生初のキスなのに。おかしい、私。

 ―― そう。やっぱり、おかしかった。

 里衣子は、呆然と麻耶を見つめることしかできないでいる。



「―― 里衣子、やっと会えた」



 そのまま強く引き寄せられて、見上げる里衣子に再度唇が触れる。

 マシュマロのように、ふわふわ、やさしいキス。



「まや、」



 思わず零れた声に、けれど顔を上げた里衣子は自分の視界に広がった光に声を失った。

 見上げた麻耶の背に、一面の星があったのだ。山中だから、どんな光も届かない。ここには星の光だけ。

 ぐるり、とどこを見渡しても星だらけの、まさに”星降る”ような夜空。

 



 『星天』




 声がして、途端眩暈がするような既視感が襲う。

 この星の空を、知っている。

 ―――……そうか、星。

 眩暈の中で、里衣子は納得した。

 山中で互いの顔が見えないぐらいの闇であっても、この星の光で互いの表情が判別できる程度には明るさが戻るのだ。

 だから、麻耶の顔も見える。

 ついでに、多分、困った里衣子の顔も。



 麻耶は里衣子が気づいたことがわかったのか、同じように空を見上げた。


「おー、やっぱすげぇな。こういう空こそ”せいてん”って呼ぶに相応しいね」


「それって晴れの空のことでしょ?昼間の空じゃないの」


「そうだけどさ。せいてん……晴れじゃなくて、本当は星のことでもいいと思わない?天の星、で、”星天”。だってこんなに綺麗なのに、名前がないなんて許しがたいでしょ」







『”星天”の元で終わるなんて、いい人生だったね』







「変なことを思いつくんだ。さすが電波系王子」


 頭に響いた麻耶と同じ声に、里衣子はまさかと頭を振った。

 既視感が強いにも、程がある。

 ………でも。




 この一面の星空を、里衣子は知っていた。

 ……いつ?

 ……どこで?

 答えが出ない。






 沈黙の後、麻耶が静かにあのさ、と口を開いた。



「……俺たち、死ぬ前に恋人同士だったっつったら、信じる?」


「はあ?」


「俺、その”は?”っていうの、キライ。止めてくれない」



 ごめん、と言おうとして、里衣子は何かが頭の中で再生されるのを見た。

 ノイズがかかった思い出のような……

 みるみると、映画のように記憶が流れていく。

 見知らぬ装束。でも、顔は確かに麻耶と里衣子だ。



 「……何、これ」


 「里衣子?」


 麻耶が強く里衣子を引き寄せる。






『何でいつも”は?”って言うかな。それってなんだか冷たく感じるし、なんか寂しいっていうか』


『え、そう?ごめん、たぶん癖。悪気はなかったんだけど……』


『いいよ、里衣子だから許してあげる。でも止めて。傷つく』


『うんうん、わかったわかった。麻亜耶』


『……本当にわかってんの、里衣子さん』


『わかったわかった。わがまま麻亜耶』




 仲睦まじい、二人。

 いつも寄り添うように、傍にいた。

 なのに。




『……逃げて、頼むから』

 

『……っいや!麻亜耶、やだよ、一人でなんて……っ』


『俺は死んでもあの領主にあんたを渡すつもりなんてない。頼むから、行って』





 ……里衣子の頬に、涙が流れる。

 これ、は。

 これは、何だ。


『やだ、絶対、やだ……っ!麻亜耶死ぬ気なんでしょ?!』


『絶対、譲るつもりはないんだ。あんたを手放したら、俺は生きていけない』


『だったら、私も一緒に死ぬ!麻亜耶と一緒じゃなきゃ、生きていたくなんか、ないよ!』


『……里衣子』


『お願い、麻亜耶。どうせ命を投げ出すなら、私と一緒に二人で死のう……?』








 ――……思わず掴んだ胸に、そっと、麻耶の掌が触れる。

 見たんだね、と小さな声がした。



「……俺たちは、人目につかない秘密の場所で命を絶った。来世で会えることを信じて。綺麗な星夜の日だったね」


 星。

 ……そうだ。あの夜も、星が空に溢れていた。

 麻亜耶が言ったではないか。

 「星天」と。

 今も、同じことばを。


「まぁや……麻亜耶」


「そうだよ。里衣子。俺」




 やっと会えた。

 抱きしめられた腕が震えていて、里衣子は涙を流してそれを受け止めた。



「……知ってたの」


「学校で初めてすれ違った時からね。俺その時馬鹿みたいに立ち尽くしてさ。でも里衣子が何年かも知らなかったから、探すのに結構時間かかった。今日合えて本当に良かった」


 やっと見つけたのが、今日の放課後だった、と麻耶は溜め息を吐くように告げた。


「私、私ね……毎日、麻亜耶を見てた」


 毎日の日課を話すと、麻耶は脱力したように里衣子の肩に頭を乗せた。


「マジ?……俺ってすっごい、かわいそうじゃない?的なかんじだよね」


「なにそれ」


 変な日本語。流行のことばを使おうとして、間違えたみたいなかんじだ。

 里衣子は笑うと、もう一度惹かれ合うように、唇を寄せた。




 帰り道、視線が合う度にキスをしていたら、随分星が動いているのに気づいて慌てて山を降りてきた。

 自宅の前まで来ると、麻耶は穏やかな表情でふわりと微笑んで言った。



「今日、無理やり連れ出してごめん。どうしても……あそこに一緒に行きたかったんだ」


 あの星の夜と同じような場所で。

 麻耶の気持ちがわかったから、里衣子はゆるく頭を振った。


「ううん。でも、もう夜はやめてね。今度は昼間、ちゃんと会いたい」



 そう言って麻耶を見て――……里衣子は声を失った。

 少年の輪郭が、ぼんやりと光彩を放っている。

 麻耶は苦笑すると、自分の身体に目をやって頭を掻いた。



「あーあ。もう時間か……」


「麻亜耶……なに、それ……」


「これ?星の神さまのお知らせ。もうすぐ時間切れですよっていう」


「なに、言って……」


「りーこ」



 近づいた麻耶が、里衣子の頬に両手で触れた。

 ようやく思い出した、麻亜耶の癖であることを、今の里衣子は知っている。キス…口付けの合図に、麻亜耶はいつもこうやって、里衣子に触れた。

 けれど、今はダメだ。なぜか里衣子はそう思って、話をしようと麻耶に向き直った。


「麻亜耶、そうじゃなくて。ちゃんと話して」


「話してるよ。愛してるって言いたいんですよ、俺は」


 そう告げると、ふんわり笑んで、今夜何度目かのキスをした。

 唇が微かに触れる至近距離で、麻耶は言った。あいしてる、と。

 よくわからない不安が急にこみあげてきて、思わず里衣子は彼の腕に縋るように抱きつく。

 麻耶はそれを驚きもせずに受け止めた。

 ……でもね、と静かな声がした。



「でもね、ちょっとずれちゃったみたいなんだよね。俺さ、生まれたのが明治だったわけ。で、里衣子は平成でしょ。お互い、生まれる時期が若干ずれちゃったっていう、ね。なんていうかさ、もーね、どんだけ俺らタイミング悪いのっていう」


 でも俺頑張って今風の高校生やれてたでしょ?流行の言葉遣いも完璧です。

 そう笑う麻耶に、里衣子は思い当たる節があってか、唇を震わせた。

 ……あの、奇妙な言葉遣いは、無理やりに合わせていたのだ。

 里衣子の目に涙が溢れているのを見て、麻耶は困ったように口元を緩めた。


「そんな顔、させたかったわけじゃないんだけどな」


 里衣子は瞬きすらせずに、麻耶を見つめていた。強く、強く彼の腕を握り締めて。

 瞬きの一瞬で、麻耶が消えてしまうような気がしたから。


「俺ね、自分が生まれてすぐ前世の記憶を持ってて。でも、探せど探せどあんたはいないし?あーだめだ、いないって思ってたら夢で神さまが言うんだ。あの夜を見ていた星の神さまがさ。……ほんの少しの間だけ、里衣子と俺の時間を繋げてくれるって」



 だからさ。俺、我慢できなくってお願いしちゃったんだよね。

 


 麻耶は穏やかに微笑んだままだ。

 決して懐かない、猫のような気性。里衣子は知っている。

 彼がこんな風に微笑むのは、里衣子の前でだけだということを。



「だからさ、俺……本当はこの時代の人間じゃない。ほんの少し、この時代にお邪魔しただけ。もう……戻らなきゃいけないみたいだ」



 麻耶の生きている時代は明治。

 里衣子が生きている時代は平成。

 このわずかな時間のずれは、けれど決定的な、ずれ。

 でもこの一時だけでも”会わなければ良かった”とだけは思えないのは、なぜなのだろう。

 そんな、と里衣子は泣きながら崩れ落ちた。

 麻耶は膝をついて、里衣子を抱き寄る。

 しがみつく、体温に。麻耶は泣きそうに顔を歪めた。



「まさか、里衣子が思い出してないなんて思わなかったんだ。……ごめん、もしかしたら余計なことだったかもしれない。あんたはそのまま、何も思い出さないまま生きていった方が、悲しまないで済んだよね」


「そんなこと、ない……あるわけ、ない」


 麻耶は知っていて、それを問うのだ。


「うん、知ってる。でも言わせたね。俺、ずるいから」


「麻亜耶」


「うん?」


「……麻亜耶っ……」


「好きだよ、里衣子」









でも、忘れていいから。

来世で、今度こそ会おう。










泣かないで、と囁いた声を最後に、

麻耶は消えた。








***




 麻耶が里衣子の前から消えて、しばらく経った。

 翌日には柚香を初め、誰もが彼の存在をきれいさっぱり忘れていて……だからもう、あの電波系王子について語り合える人は、里衣子にはいない。

 それだけではなく、一番の恐怖は夜毎に里衣子の記憶から”麻耶”が薄れていくことだった。眠りに着くたび、朝起きて、何がしかの喪失感を覚えるのだ。それがもう、幾日も過ぎた。

 だから、里衣子は日記に記す。

 来世できっと、もう一度会いに来てくれるあの人のために。

 この言葉だけは、留めて置けるように。






「星天」



もう一度、満開の星の下で会いましょう。


いかがでしたでしょうか。


感想などお待ちしております。

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