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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第二章 碓氷屋事件
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1・動揺と決断

第二章開幕。

 その日の夜、紫苑玲は自室で読書に没頭していた。

 彼は小さな屋敷を帝都の外れに構えており、母と数名の侍従たちと共に暮らしている。


 亡き父の友人でもあった、紅華帝国の皇太子が手配してくれた屋敷だ。

 少し古い洋風の館だが、内部は清潔に保たれている。



 東の小さな一室が、玲の居室だった。


 格子窓を開け放って、胸の中に眠る獰猛(どうもう)な熱を誤魔化すように本の世界に浸っていると、時間がどんどん溶けていく。

 蝋燭の炎が、カーテンにゆらりと影を揺らしていた。遠くで汽笛が鳴り、犬の遠吠えが夜更けを告げている。


 穏やかな時間を過ごしていると、慌ただしく廊下を走る音が聞こえた。

 空想の世界から引き戻された玲は、ゆっくりと椅子に腰掛けたまま、目線を自室の扉へ向ける。


 数秒と待たず、覚えのある声で、玲を呼ぶ声がした。



「玲様、夜分に申し訳ありません。火急の知らせがありまして」

「どうした?」


 息が上がった侍従の声が、扉の向こうから響く。

 玲がすぐに入室の許可を出すと、見知った顔の若い侍従が眉間に皺を寄せて入って来た。

 目線で報告を求めると、直立の姿勢のまま、はっきりとした声音で彼が言った。



「第二皇子殿下の、暗殺未遂事件が起こったようです」


 玲は本を乱雑に閉じた。

 平穏な春の夜にそぐわぬ物騒な話題に、眠気が覚めていくのを感じる。


「実行犯はすでに死亡し、殿下は重症、黒宮家の長女は意識不明とのことです」

「黒宮家の、長女?」



 一瞬、玲は呼吸を乱した。心拍の乱れを侍従に悟られぬよう、唇を噛む。


「加えて詳細は不明ですが、紅の魔術により、東の森林の一部が焼けたようです」



 ここのところ不穏が渦巻く紅華帝国だが、ついに暗殺未遂事件まで起こってしまった。背後にいるのが反皇族派なのか、まだ確定はできないが、いずれにせよ大胆な行動に出たものだと玲は考察する。

 黒宮家の長女、つまり火花の名を聞いて胸の奥が痛んだことに、玲は気付いた。数度戦ったあの時の獰猛な瞳が、脳裏によぎる。


 きっと、紅の魔術を暴走させたのは彼女だろう。

 雅臣ではなく火花だと、玲は直感した。


 魔術の使用に不慣れな者が無理に発動させようとすると、身体に大きな負荷がかかるというのは有名な話だ。


 森を焼く程の威力を火花の魔力が秘めていたというのは、驚くことでもない。ただ彼女は、その巨大な力の扱い方を学んでいなかったのだろう。

 いきなり大きな力を使えば、意識を失う程の負荷が返ってきたとしても、何らおかしくはない。




 きっと、体力が回復すれば目を覚ます。


 玲はそう結論付けたはずなのに、手にした本の背表紙を、爪で数回無意味に叩いた。



 詳細が分かったらすぐに続報を知らせるように侍従に命じて退室させる。

 閉まった扉を確認した後、玲は大きく息を一つ吐いた。




 玲は火花から、強い生命力を感じていた。手合わせの時など、あの瞳を凶暴に輝かせ、気を抜くと彼女の圧迫感に取り込まれそうになるのだ。そんな火花が、簡単にやられるはずはない。


 そう考えているはずなのに、玲はもう読書を再開する気分にはなれなかった。


 心地よい温度の風が窓から優しく侵入してきても、その香りは玲の心を慰めてくれない。

 手にした本を書棚に仕舞おうと椅子から立ち上がった玲は、その瞬間、背後の窓に何かの気配を感じた。





 春の風は、何かを運んできたらしい。

 警戒して素早く振り返る。椅子に立てかけてあった刀を手に取り、気配の正体を探った。


 探るまでもなく、その正体は無遠慮に、まさに窓枠に足をかけて部屋へ侵入してくる所だった。


 音が無い。まるで猫のような足取りだ。



 色素の薄い、肩まである髪を無造作に束ね、藤色の着物にやたらと派手な帯を身につけた男だった。

 深い湖のような青い瞳は吸い込まれそうで、底が知れない恐ろしさを玲に印象付けた。


 煙管(キセル)を咥えながら、まるで散歩の途中であるかのような気軽さで、男は玲を見据えている。

 その顔には軽薄そうな笑みが浮かんでいるものの、中性的な顔立ちのせいでどこか艶っぽく見えた。



「こんばんは、紫苑玲」

「誰」

「皇太子から聞いてない? 僕は(なぎ)



 玲はすぐに思い出した。

 一年前の夏。

 まだ残暑が続いていた頃、皇太子から話があると皇宮に呼び出された。



 皇太子は言った。


 紫雲国が滅びた原因を探るために協力する。

 その代わり、手足となって動いてくれ。



 玲はもともと、紫雲国(しうんこく)の王子だ。

 紫雲国は、古くから紅華帝国と友好関係を築いてきた小国である。


 二年前。突如、異変が起きた。


 予兆もなく、凶暴化した獣が町中に出現したのだ。

 それを皮切りにして民は暴徒化し、やがて紫雲国は崩壊した。


 玲は、紫雲国がなぜ滅んだのか、その真相を知りたかった。突然の怪異には理由があるはずだと玲は考えている。何者かの陰謀であるとさえ感じていた。


 当時の玲は無力で、何も解決することが出来なかった。その結果父は死に、国は無惨に滅んでしまった。

 今は四方に散ってしまったかつての国民や、出来損ないの自分に付いてきてくれた侍従達の為にも、玲は自国の滅んだ理由を強烈に欲している。


 そんな玲にとって、帝国の皇太子の協力は見逃せないものだった。



 皇太子は言った。

 何か情報が手に入ったり、用事があれば連絡を入れる。

 その際はおそらく、凪という男を遣いに出すと。




 凪の名を思い出して、玲は少しだけ警戒を解いた。

 この男に敵意はなさそうだが、胡散臭い笑みが、どうにも信用できない。


藍川(あいかわ)家の隠し倉庫があるらしいって情報があってね、調査してこいだと」


 うんざりした声音を隠さず、凪は言う。


 藍川家とは、黒宮家と同じ四華族のうちの一つだ。

 青の魔術を操り、反皇族派であることで有名な家門。

 圧倒的な金銭力を武器に、最近は貴族たちの中でも存在感を増していた。




 紫雲国絡みではないと知り、内心落胆する玲ではあったが、恩人でもある皇太子の指令を断るつもりは毛頭ない。


 凪は無表情を崩さない玲を見て、笑みを深める。



「そうそう。君の国が滅びた時、どーにもきな臭い動きをしていたらしいよ、藍川の連中」


 玲の指先が動く。

 情報と言うにはあまりに乏しいが、今の玲の興味を引くには充分だった。


「屋敷に人の出入りが多かったんだって。どう? 俄然興味が出てきたんじゃない?」


 紫煙を(くゆ)らせながら、凪は表情を変えた玲を楽しんでいるようだった。


 そんな凪に玲は苛立ちを覚える。


 凪の深い青色の瞳は、本心を微塵も映していなかった。

 軽薄に吐かれた言葉の端々に、玲は凪の得体の知れなさを感じる。



「藍川ねえ。雅臣殿下の暗殺未遂もやらかしてたりしてね」


 凪が小さく呟く。玲も、その言葉に肯定こそしなかったが、当然否定もできなかった。



 さて、と凪が言う。


「もう一人くらい手練れが欲しいんだよね。君の部下でもいいけど、雑魚は嫌だ。君、誰か知らない?」


 凪の言葉に、玲の思考が巡る。



 すぐに一人、思い当たった。

 刀を交えた、俊敏で気の荒い彼女。



 ここで彼女を巻き込むのは、もしかしたらお互いにとって、得策では無いのかもしれない。


 けれど火花が目覚めた後、彼女が感じる大きな感情が、玲には予測できてしまった。

 その感情を玲には取り除いてやることができない。取り除くつもりもない。

 ただ、手段を提示することは、できる気がした。



 もし仮に、藍川家が、事件に関わっているとしたら。


 きっと、彼女なら、この道を選ぶだろう。

 この選択をいつか後悔するかもしれないと、そう考えている自分もいた。

 しかし、それでも良いと思った。


 玲は、静かに決断した。



「ひとり、心当たりが」


 呟くと、凪がへえ、と紫煙を吐く。

 彼は目線で続きを促した。




「黒宮火花」

 言うと、凪が一瞬、沈黙した。


「彼女、意識不明なんじゃなかったっけ」


 そう呟く凪だったが、玲が真剣に発言していることに気付くと、ふーん、と一人何かを納得したように頷いた。


「覚えておくよ、面白そうだしね」


 それだけ言って凪は、用は済んだとばかりにくるりと背を向けた。

 窓の木枠へ足をかけ、首だけ回して玲を見る。どうやら最後まで不法侵入を詫びる気はないようだ。


「じゃあね、玲」


 からかうような笑みを浮かべて、凪はするりと侵入してきた窓から出ていった。

 音もなく、その体が滑らかに夜の闇に溶けていく様子を玲は見送る。


 室内には、春の夜のぬるい温度と、凪の残した煙管の香りが残っていた。




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