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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第一章 黒宮火花と紫苑玲
9/22

8・「ごめんね」

 


 その日を、黒宮火花は生涯、忘れ得ぬ日として刻むことになる。




 すっかり日差しが温かくなり、帝都の桜の花が美しく色付く季節となった。

 帝都の東に、知る人ぞ知る、桜が群生する森がある。


 火花に雅臣、拓海はその森をゆっくりと歩いていた。慰労も兼ねて、雅臣の侍衛たちも数名同行している。

 火花は藤色の袴と、白い上着に濃い赤の帯を合わせていた。春の陽光を浴びて、揺れる袴の裾が、どこか華やかな雰囲気を添えている。


 一行は、森の中に存在する、少し開けた野原へ到着した。野原の周囲を桜の木がぐるりと囲んでおり、中央付近にはひときわ大きな桜が根を張っている。

 火花がその根元から頭上を見上げると、視界が一面桜色に染まる。青空によく映えて、春の訪れを誇示しているかのような光景に、思わず感嘆の声を漏らした。


 その巨木の下で昼食をとる事を、雅臣が高らかに宣言する。侍衛達にも横に敷物を広げ、共に休むよう指示が飛び、喜びの声があがった。






 ゆったりと、穏やかな時間が流れ始める。

 ひらひらと花びらが風に乗って優雅に舞い、小鳥が頭上でさえずる中、一同はお茶を楽しんでいた。


 敷物の上で談笑していると、不意に、雅臣が気付く。

 桜色の吹雪の間から、ちらりと人影が覗いた。

 白い着物姿の女性と、その従者達が遠くに見える。きっと彼女等も、この絶景を楽しみに来た花見客だ。中心で佇む女性は桜の精かと見まごう程の可憐さで、火花も思わず見惚れてしまう。

 彼女ーー雅臣の婚約者へ、焦がれるような視線を向ける主に、火花は優しい声でそっと背中を押す。


「行ってください、殿下」


 卒業式の日にも、二人の間で何があったのかは知らない。けれど雅臣にそんな表情をさせる彼女との仲を、火花は素直に応援したかった。



「あとで詳しく、話を聞かせてもらいますからね」


 戸惑ったまま動かない雅臣の背中を、力を込めて押した。

 押し出された雅臣は、難しい顔をしながら、行ってくる、と呟いて、真っ直ぐ彼女へ向かって歩いて行く。





「殿下も婚約かあ、おめでたいね」

「そうだね」


 桜の花びらが舞う中、少し遠くにいる二人は、まるで一つの絵のようだった。

 座りながらその光景を穏やかな気分で眺めていた火花は、くすんだ鼠色の着物姿の拓海にそう問いかける。

 肯定した隣の拓海の表情を見て、火花は眉間の皺を寄せた。



 拓海の顔が、青白い。

 歩いてここに到着するまでにも、確かに彼は少し疲れた表情をしていた。

 けれど、ここまでではなかった。拓海の体調が悪化していることに気付いて、火花は焦る。


「具合悪いよね?大丈夫?」

 ごめん、無理させた、と続けて火花は謝罪の言葉を口にした。卒業式の後、体調を崩していたのだろうか。

 無理に花見に誘ったことを、火花は内心後悔した。


 拓海に近付いてふと、火花は気付く。彼から、花の香りがする。

 桜ではない。もっと甘い、むせるように纏わりつく香り。その香りを、火花ははっきり不快だと感じた。


「大丈夫だよ」

 説得力がない。そして感じる香りの違和感に、火花はますます皺を濃くした。


「火花、言っておきたいことがあるんだ」


 突然の拓海の改まった言葉に、火花は驚く。

 優しく風が吹いて、二人の間を通り抜けた。

 顔に張りつこうとする髪を押さえつつ、拓海に目線を向けると、微笑んでいるものの、真剣な拓海の表情が待っていた。


「僕の弟のことなんだけど」

「うん」

「何かあったら、力になってやって欲しいんだ。もう子供じゃないし、僕以外の人とも沢山交流持って欲しいからさ」

「なんだ、そんなこと。わざわざ頼まれなくても」

「ありがとう」

 過保護だなあと火花は苦笑した。改まって言うことでもないのにと呆れつつ、弟を思う兄としての拓海の気持ちの強さを、改めて認識する。

 一拍時を置いて、拓海が両手をきつく握りしめたことに、火花は気がついた。


「火花」

「なに?」

「僕ね、君のことを……」


 そう言いかけた直後、拓海の顔が、少しだけ歪んだ気がした。

 花の香りがきつくなる。嫌な、ねっとりとした香り。


「とても大切な人だと思っているよ」


 火花のことを、何度も励ましてくれた彼の笑顔は、今日は少し歪つだった。


「知っているよ。私も、拓海のことを親友だと思ってる。ねえ拓海、少し横になった方がいい。顔色がおかしいよ」

 顔色も、香りも、様子もおかしい拓海に、火花は不穏なものを感じ取る。

 強い口調で、横になるように促した。


「ありがとう、大丈夫だから」

「いや、でも」

「……じゃあ、薬を飲もうかな。鞄を一緒に探してくれる?」


 そう言われて、火花はすぐに背後へ視線をやった。

 二人が座っている敷物の上には皿や湯呑み、鞄などが散乱している。いくつか候補は見つかるものの、明確に拓海のものだと言える鞄はすぐには見つからない。


 火花は立ち上がり、しっかり辺りを見まわした。一つ一つ確認していくも、目当ての鞄は中々見つからない。

 暫く視線はずっと下にやっていたので、凝りはじめた首の後ろを揉みながら、拓海に語りかけた。


「拓海、ないよ。どのあたりに置いたの?」


 火花はそう言いながら顔をあげて、くるりと振り返る。




 先ほどまで居た大木の下に、拓海は居なかった。

 どこにいったんだと疑問を抱きつつ、視線を動かし彼を探して、

 そして、思考が停止した。




 拓海はどこかに向かって駆けていた。

 酷く穏やかな背景の中、彼だけが異様だった。


 拓海が駆けながら、慣れない手つきで、左手に携えている刀を抜き放つのがはっきりと見える。

 その動作が異様にゆっくりに見えたのは、受けた衝撃があまりにも大きかったからなのかもしれない。


 拓海が向かう先には、あろうことか、こちらに背を向け、花を愛でながら談笑する雅臣と婚約者がいる。

 その状況を認識した途端、火花の口から、意味をなさない音が出た。



 目の前の光景が理解できなくて、それでも主人達を守らなければいけないという本能が、火花の手を震わせながら、腰に動かした。

 火花が瞬時に抜いた刀は、そのまま拓海が手にする凶器に向かって勢いよく飛んだ。火花と拓海の距離を考えると、刀を飛ばす以外に、間に合わせる術はなかった。


 金属と金属がぶつかる音がして、拓海が手にした刀に命中する。大きな鋭い音はするものの、拓海の手から凶器はこぼれ落ちなかった。

 そのまま火花はすぐに走り出した。兎にも角にも、拓海を止めなければいけない。

 周囲にいる侍衛たちも、虚を突かれたのかすぐに介入できそうな場所には居なかった。


 理由は全く思い当たらない。ただ、自分の大切な親友が、主人を攻撃しようとしているという事実だけは、しっかり認識してしまっていた。


 火花の掠れた悲鳴と金属音を聞いて、雅臣が振り返る。

 剥き出しの刀を持ちながらこちらに走ってくる拓海を認識したのか、表情が止まって、息を呑む。雅臣は驚きに目を見開きながら、婚約者を庇うように背に隠した。

 すぐに腰の刀に手をやるも、それを抜き放つ時間があるかどうか、雅臣には思案の時間もなかった。


 拓海が、刀を振り下ろそうとする。

 雅臣が刀を抜いて応戦する余裕はない、そう火花が判断したその刹那、無意識に、彼女は瞳の奥に力を込めた。




 燃えろ


 そう念じたのは、咄嗟の反射だったのかもしれない。

 雅臣を守らなければという一心で、願うように抱いた強い感情は、魔術の暴走として顕現した。


 唸るような轟音が響く。

 拓海の足元から、瞬間的に火柱が天に向かって突き上がった。

 熱風と紅い光が、周囲の人々を襲う。

 雅臣達が愛でていた花は無残に燃えはじめ、焦げた匂いと熱がたちまち辺りに充満していった。


 全てが紅いその光景を目の当たりにして、あ、と無意味な母音が火花の口元からまろびでた。

 額からは汗が滝のように流れはじめていたが、拭っている余裕などあるはずもなく、力が身体から抜けていくのを感じる。両足の筋力が突然失われたようで、火花は壊れた人形のように、膝をついて崩れ落ちた。





 ごめんね


 拓海の口元が動く。


 揺れ動いている視界、熱い火柱のその向こうで、火花の方へ振り返った拓海が、確かにそう言っていたのを火花は見た。


 不幸を背負って、それを受け入れきってしまったような、哀しい表情。

 けれど、彼は確かに優しく笑っていた。


 そのまま、拓海は握っていた刀をそのまま躊躇なく、自らの腹に突き立てた。


 火花は残った手の力を総動員して、拓海へ手を伸ばす。届かないと、分かっていたのに。

 その行為が何の意味もないと、頭の片隅では分かっていたのに。


 なぜ、笑っているの、拓海。


 瞳の奥が燃えるように熱いのを朦朧とした脳で認識しつつ、視界がどんどん陽炎のように歪んで、そして。



 黒宮火花は、意識を手放した。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回より、第二章開幕です。

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