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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第一章 黒宮火花
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6・卒業と微笑

 冬の寒さが和らぎ、生ぬるい風が吹く。

 紅苑高等学院の卒業式の日、雨上がりの空には薄い雲を敷いた青空が広がった。


 火花はいつもの黒詰襟に、次席の証であるやや小ぶりの赤い胸花をつけている。

 不機嫌を隠そうともせず、眉間に皺を寄せながら、広大な学院の敷地を闊歩した。


 正門の辺りまで来ると、並木道を卒業生や在校生、その父母達が埋め尽くしている。



「やあ、火花」


 声をかけられ其方(そちら)を見ると、疲弊した顔で、柔らかく微笑む拓海がいた。


 その仏頂面なんとかしなよ、と苦笑する彼の胸には文科の首席の証が飾られていて、さらに火花は眉間の皺を深くする。


「拓海はそうだよね、首席だよね」

「気にしすぎだって。僕からみたら、火花も充分すぎるほど凄かったよ」


 先日行われた卒業試験で、火花は玲に再度負けた。

 その結果、今年の武科の首席卒業は玲、次席は火花となったのだ。


 壮絶な打ち合いの末、力負けする形となり、気がつくと玲の刀が火花の首元に突きつけられていた。

 火花はまだ、その敗北をどう消化したらいいのか、受け止めきれていない。


 試合の日以降、拓海は慰め続けてくれているが、どうにも調子を取り戻せていなかった。


「ハナ、拓海。卒業おめでとう」


 拓海の困惑顔に申し訳なさを少しだけ感じていると、明るい声が響き渡った。

 雅臣が三人分の花束を雑に小脇に抱えながら、門扉から歩いてくる。


 第二皇子の来訪とあって周りの人々は彼に注目しつつ、雅臣の進む道を遮らないように空けているが、本人はまるで気にしている様子はない。


「殿下、わざわざ来て下さったんですか」

「ありがとうございます」


 火花と拓海が挨拶すると、はいよ、と花束をそれぞれに雅臣は手渡した。

 色とりどりの花からは、豊潤な香りが溢れてくる。花の香りに火花も顔が綻んで、流石は気遣いのできる主人だなぁと改めて感心した。


 雅臣の手元に残るもう一つの花束の贈り先は、火花にはなんとなく想像がつくものの、あえて言及はしない。

 今日、雅臣の婚約者候補も卒業を迎えるはずだ。



「卒業試験もざまあなかったな。山猿の底が見えたか?」


 今度は不快な声がした。

 直視したくも無かったが、火花が背後を見やると、茶髪の男の姿が見える。

 いつもの金魚の糞二匹を連れて、まさにこちらに向かって歩いてくるところであった。


 拓海は分かりやすくため息をつき、呆れ返っている。

 奴らだけではなく、毎度毎度拙い罵倒に反応し、舌戦に応じる自分に対しても呆れているのは分かっている。

 が、我慢ならないものは仕方ない。

 今回も、不愉快が胃の中を駆け上がっていく。



 近づいてきた三人が、途中でげ、と小さく声をあげた。

 どうやら拓海と火花の背で雅臣が見えなかったらしく、歩いている最中にその存在に気がついたらしい。


 流石の三人組も、第二皇子の面前で大っぴらに喧嘩を売るつもりはなかったようだ。

 しかし、もう後の祭りである。


「殿下、やっていいですか」


 今日は卒業式だ。

 学生最後の日。まだある程度のやんちゃをしても許される最後の日……であってほしい。


 そう捉えたら、今日を逃してしまえば、この腹立たしい男を張り倒す機会が無くなってしまう。


 顔面と制服を柿汁まみれにされたくらいでは足りなかったらしい。

 好戦的な瞳を(たた)えて考えを巡らせた火花は、思わず雅臣に許可を求めていた。



 そうだなあ、と腕を組み、雅臣は少し考える素振りを見せた。

 そして僅かの時をおいて、悪童のような笑顔を火花に向ける。


「いいぞ、やっちまえ」

「さすが殿下。大好きです」


 高揚する火花と、皇族らしからぬ悪い笑みを浮かべる雅臣の主従の横で、拓海は諦念の籠った瞳で天を見上げた。


 火花は意気揚々と三人の目の前に立つ。

 そして、大きく息を吸った。


 先頭の茶髪が怪訝な顔をしていた。

 口の端を横に広げ、火花は不気味な笑いを浮かべる。

 白い歯をちらりと覗かせると、嫌な予感がしたのか、茶髪が半歩後退した。

 が、時はすでに遅い。


 右の拳を固く握った火花は、渾身の力を込めて茶髪の横っ面を殴打した。

 骨が軋む鈍い音。

 同時に、彼の身体が僅かに飛び、そして後方に倒れる。

 純白の制服の背部には、昨日の雨のおかげで少し湿ったままの土がべったりと付着した。


「なに、しやがる!」


 口内に入った砂を吐き出して、彼は無様に吠えた。


「一度だけでいいから、ぶん殴りたかったんだよね」

「貴様、オレにこんな事をしてタダで済むと思ってるのか?」

「思ってまーす」

「殴る蹴るしか脳のない黒宮め! 魔力もないくせに!」

「黙れ貧弱」


 今日で最後だ、と思ったらいくらでも彼を罵倒出来る気がしていた。


「これからもよろしくお願いいたしますよ、藍川維月(あいかわいつき)殿。同じ四華族として、この国を共に支えて参りましょう」


 火花は倒れ込んでいる茶髪に近づくと、屈んでわざわざ目線を同じにした。

 わざとらしく微笑んでそう告げた後、一転して彼の乱れた胸倉を掴む。

 そして声を低く直して、告げた。


「今後は言動に気をつけなよ。学生の戯言じゃ済まないからな」


 火花の怒気が伝わったのか、彼は何も答えなかった。

 ただ憎しみの籠もった瞳で火花を睨み、彼女の手を勢いよく振り払う。


 素早く立ち上がり、取り巻きと逃げるようにその場を去った。

 土のついた無様な背中に、火花は今までに溜まりに溜まった溜飲が下がる。



 満足感を得たのも束の間、やや火花は居心地の悪さを感じた。

 三人組が普段から周りの生徒に対して横暴であった為か、盛大な報復を遂げた火花に対しての好意的な視線も多かったが、目の前で行われた暴力行為に対する冷ややかな視線もそれなりだった。


 少しやりすぎたかな、と火花は反省の念を感じないでも無かったが、それよりも奴らに一泡吹かせたという充実感の方がまさっている。


 雅臣の方を振り返り、拳を突き上げる。

 そんな火花を見て、雅臣も満足そうに笑った。



 雅臣が唐突に、笑みを消す。

 火花と拓海には声をかけず、残った花束を手に、ゆっくりと赤煉瓦造りの校舎に向かって歩き出した。


 火花と拓海も雅臣の行動に気がついたが、二人は背中を黙って見送った。

 婚約者候補の姿を見かけたのだろう。深追いする気はない。


 残された二人は、視線を合わせる。

 そこで火花はどうしても、顔色の悪い拓海が気になった。


「拓海、これからどこか行かない?」

「ごめん、今日はこれから医学院に行かないといけないんだ」


 拓海は眉を下げて申し訳なさそうな顔をする。

 その顔色は青白く、憔悴(しょうすい)しているように見える。


 拓海が近頃、思い詰めていることには流石の火花も気がついていた。

 おそらく、医学院の入学が近いせいではないかと火花は考えているが、本当のところは分からない。時折理由を尋ねても、拓海は頑なに話してくれないのだ。


 雅臣も雅臣で、物思いに耽っていることが多かった。

 最近、主人は婚約の準備で忙しい。

 この前皇宮に呼び出されていたのもその件だったらしい。何か思うことがあるらしく、心ここにあらずのことが多いのだ。



「ねえ拓海、じゃあ今度、お花見に行こうよ」


 なるべく明るい声で火花は言う。

 気を遣うのは苦手だが、拓海には笑顔でいてほしい。

 無理に悩みを聞き出そうとは思わない。ただ、楽しい時間も過ごして欲しかった。


「医学院に入ったら簡単に会えなくなるだろうし。殿下も最近忙しいけれど、なんとか時間作ってもらってさ」


 拓海は優しく笑った。けれどその中に、哀しみが含まれているように感じるのは何故だろう。

 違和感の正体を暴けない火花は、拓海の顔を不安げな顔で覗き込んだ。


「そうだね、行ってみたいな」


 優しい声。いつもこの声が、火花を励まし、後押ししてくれていた。


「ありがとう、火花」


 拓海は丸く大きな瞳で、火花を正面から見つめて言う。

 その謝辞には、花見を提案したことに対してだけではない、柔らかな重みが積まれていた。


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