6・秘密と温熱
紅苑高等学院には、卒業試験が設けられていた。
文科と武科それぞれに試験があり、武科である火花や玲には、実技試験が用意されていた。過去の成績で同程度の実力を持つ者同士で、模擬戦闘が行われるのである。そしてその結果で、卒業時の席次が最終決定する。実技で高い評価を受けている火花と玲が再戦することは、すでにほぼ確定していた。
使用するのは夏の模擬戦闘で使ったものと同じ、刃を引いた真剣だ。
それ以外の規定はなく、魔術を使おうが背後を取ろうが目潰しをしようが股間を蹴り上げようが、咎められることはない。戦いはどちらかが降参するか教師が止めるまで続けられる。物騒な試験ではあったが、創立時から一度も途絶えたことがない、伝統的な催しでもあった。
火花は卒業試験を前に気が立っていた。
もう二度と玲に負けることを、自尊心が許さないからだ。
あれから何度も夢見の悪い夜を経て、より一層彼女の剣技は磨かれた。それでも、玲の実力を痛感していたから、彼に勝てる明確な自信は無い。
これまで、玲が無口なのも手伝って、火花と玲が会話する機会は然程多くはなかった。
夏の模擬戦闘以降は特に、ちらりと苛立ちを孕んだ視線が交わることがあるくらいのもの。
そんな二人がある日、試験担当の教師から呼び出された。卒業試験の組み合わせが決まったのだろう。
どうせ火花は玲との対戦になるだろうと思っていたから、驚きはなかった。
教師はこの一戦が卒業試験の目玉の組み合わせになることと、勝った方が武科の首席となることを告げるために呼び出したのだろう。あとは試合の規則などを細々と伝えられるに違いない。
指定された昼の空き教室は、普段は使わない備品が詰め込まれているようで、少し埃っぽかった。
火花がその薄暗い教室に入ると、玲はすでに格子窓を背にして腕組みをし、静かに佇んでいた。
教師の姿はまだない。
火花は玲に特に声をかけることもなく、一番入り口近くに設置されていた木製の椅子に腰掛ける。椅子が床を滑る鈍い音がして、玲が僅かにこちらに目線をやったのに気がついた。
二人の間に沈黙が落ちる。
廊下から僅かに聞こえる生徒達の談笑と、窓が風に揺られて微かに軋む音が、鮮明に鼓膜へ届いていた。
そんな沈黙がしばらく続き、それを破ったのは玲だった。
「紅の魔術は」
静かな教室に、玲の低い声はよく通った。
「使わないつもりか?」
火花は驚いた。
思わず、窓ガラスに映る自分の瞳を凝視する。
いつもの漆黒。
「安心しろ、誰にも話していない」
玲が付け足すように言う。
火花は予想外の出来事に、ぽかん、と数秒、玲の輪郭をただぼんやり眺めていた。
そんな火花の姿が珍妙だったのだろう、玲も火花を数秒見つめて、そして、聞いてはいけなかったかと続けた。
「いや、驚いただけ」
火花は苦笑した。玲のことを鉄仮面の、人の神経を逆撫でする嫌な奴だと思っていたから、妙な気の使われ方をして思わず笑ってしまう。
「まさか直接言われるとは思ってなかった」
玲の言いようは、火花が紅の魔力を保持していると確信したものだった。
今更、誤魔化しきれない。
そしてなぜか、誤魔化したくないとも火花は思った。
帝国において、魔力は主に瞳に宿るものと考えられている。その力の種類と強さが瞳の色を変化させていた。
例えば、紅い瞳は紅の魔術を、青い瞳なら青の魔術を使う証。そして、黒い瞳なら魔力がない者の証だ。
ただし、いかに強力な魔力を瞳に宿していたとしても、鍛錬を積まなければ強力な魔術は使いこなせなかった。
実際に火花は魔術の鍛錬を殆ど行っていないので、基礎的な紅の魔術、例えばごく小さな物体を燃焼したり爆発させることくらいしか出来ない。
「使うつもりはない」
強い意志を感じさせる火花の返答に、やはりそうだろうな、と玲は納得した。しかし、落胆する自身の気持ちを無視することはできなかった。
魔術を交えて戦闘を行えば、より習熟した侍衛になれることなど、火花もとっくに気付いているのだろう。
それでも剣技のみを磨くというその決断に、玲は理解は示すものの、愚かだとも感じる。
玲は密かに決心した。もちろん卒業試験で手を抜くつもりなど毛頭なかったが、この試験で火花の凝り固まった決意を砕いてしまおうか。自分にすら剣技のみでは勝てない、となれば、彼女の考えは変わるのではないか。
玲は元々、そこまでお人好しではない。
火花に対して執着してしまう自身に気付いてはいるものの、その理由を思索はしなかった。
「この瞳のこと、いつから知ってた?」
火花はガラスに映る漆黒の瞳を眺めながら、玲に問うた。
あれだけ憎たらしかった玲に、穏やかに自分の秘密を話している事が、ひどく滑稽に思えた。
「……昔から感じていた。お前が柿を爆発させた日に、確信した」
「柿?」
ああ、あれね、と火花は苦笑する。
以前柿の木の下で読書をする玲に、鬱陶しい三人組が絡んでいたのを見かけたことがあった。
校舎の陰に隠れてなんとなく会話に耳を傾けていたら、不快な言葉を玲に浴びせていたので、こっそり火花が柿を幾つか爆発させたのだった。玲のことを助ける気はなかったが、常から苦々しく思っていたあの三人を柿汁まみれにしたことは爽快だったと火花は思い出す。
紅の魔術を使ったことが分からないように、最小限の魔力しか使わなかったはずだが、玲にはお見通しだったようだ。目の前の男が魔術にも詳しいとわかって、亡国の王子の実力は飾り物ではないなあと改めて実感する。
「気付いてたの?」
「ああ」
ねえ、と玲の顔を正面から見つめる。
この男は、これから紡ぐ言葉を分かっている気がする。
それでも、この言葉は言っておかなければならない。
「お願いがある。この瞳のことは、誰にも言わないで」
「分かっている」
静かな声で、玲は言った。そこに、嘲笑も侮蔑もなかった。
そのことに、火花は救われた気がした。
「さっきも言った。誰にも言っていない。これからも言わない」
「……ありがとう」
玲の表情は変わらない。その無表情を、火花は信用した。
この男がいけ好かないのは変わらない。けれど、彼の無表情の奥にある温かいものに、火花は触れた気がした。その温もりを、好ましいと思った。
「あんたは、魔術を使わないの」
人のことをここまで明かしたのだ。火花は気になって疑問を玲にぶつけた。
玲の瞳は鮮やかな紫だった。紫雲国の王子であるならば、教育も受けただろうし魔術を使えるだろう。交流が少なかったから知らないだけかもしれないが、火花は玲が魔術を使うのを見たことがなかった。
そもそも紫の魔術とは、どういった効果があるのか。そのことすら火花は知らない。
「お前には関係ない」
「……その言葉、好きなの?」
火花から視線を逸らして、つっけんどんに玲が答える。不遜な態度に腹も立ちつつ、幾度か聞いた覚えのある台詞に呆れながらそう言った。
「俺に勝ったら教えてもいい」
面倒そうに言う玲を見て、火花は額に青筋を浮かべる。
絶対に負かしてやる。火花は拳を力強く握った。
「首を洗ってまってろよ」
「本当に四華族か、お前?」
「人のこと言える言葉遣いなわけ?王子様?」
火花と玲が一歩も引かずに言葉を戦わせている最中、ガラリと教室の扉が開かれた。
二人を呼び出した中年の教師が、目を丸くしながら教室へ足を踏み入れる。
「なんだお前ら、そんなに仲が良かったのか」
不本意な言葉を受けて二人は特に答えず、お互いに相手をひと睨みしてから教師へと視線を動かした。
そんな二人を見て、教師は自分の失言に気づいた。闘志を剥き出しているのか秘めているのかの違いはあれど、二人が卒業試験を本気で戦うであろうことは、容易に想像がつく。
戦いに熱くなりすぎて、重大な怪我を負わせることだけは避けないとな、と教師はひとり思って、二人に正対した。
今年の卒業試験の最終試合も、きっと熱戦になるのだろう。
こういう青春を送りたかった。
卒業試験って響き、いいですよね。もう二度とやりたくないけど。書く分には甘酸っぱくて大好きです。
次回、いよいよ卒業式です。