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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第五章 帝都炎上
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8・華散る布告

 細い雨が、冷たく降る日。

 火花と玲は、蘭子の収監される牢に訪れた。


 壁に据えられた裸電球の明滅は小さく、ほとんど消えかかっていた。薄暗い空間の、黒鉄の格子の向こうで、蘭子は椅子に背筋を伸ばして座っている。


 天井に開いた通気口から、かすかな雨の音に混じって土の匂いが入り込んでいた。

 煉瓦の壁の隙間から雫が滴り、頼りない音を牢の中へ響かせている。


 蘭子の様子を監視する衛兵から、二人は忠告を受けた後だった。

 青の魔力が枯渇した影響で、蘭子はときどきひどく精神的に不安定になり、牢の中で暴れ狂うという。突然攻撃的になるので、十分に注意しろ――と。


 火花はじっと、蘭子の様子を観察した。

 蘭子の纏う白い囚人服の袖には、乾いた血がべったりと付着している。彼女の長い爪の先も、赤黒く汚れていた。

 牢の中では机が無惨に破壊されており、簡素なベッドの上には、引き裂かれた布が放り投げられている。


 彼女が確かに狂乱した痕跡。

 荒れた環境とは反対に、蘭子は穏やかに腰掛けていた。


「いらっしゃい」


 言葉を先に発したのは、蘭子だった。

 火花と玲は、拳が触れ合うような距離に並んで立ち、牢ごしに蘭子を見据える。


「殺しにきたのね」


 玲が携える刀にちらりと目をやって、蘭子は静かに言った。

 その言葉を、二人は肯定も否定もしない。


「表向きには、獄中死にする」

「あらあら。亡き国の王子らしい、ぬるい考えだこと。気分がいいから、素直に礼を言っておきましょうか」


 玲に一任された、藍川蘭子の処断。

 罪の重さを鑑みれば、公開処刑と言う手もあった。けれど玲は、それを選択しなかった。


 火花の前で、自らの手で、蘭子の首を落とす。

 それが、玲の決断だった。


 玲は手にした牢の鍵で、おもむろに扉を開ける。

 鉄が動く鈍い音がして、そのまま彼は牢に足を踏み入れた。


 玲の鳴らす革靴の音が、煉瓦の壁に跳ね返る。

 振動が、やけにうるさく火花の鼓膜に響いた。



「ひとつ、聞きたい」


 玲が牢に入ると、火花が牢の扉を閉める。

 その直後、玲は低く沈んだ声で蘭子に問うた。


「なぜ、紫雲国だったんだ」


 魔石の実験がしたいなら、他にも手段はいくらでもあったはず。

 なぜ、よりによって紫雲国が、犠牲にならなければならなかったのか。


「……理由なんてないわ」


 素っ気ない蘭子の言葉に、玲の表情がみるみる歪んでいく。刀を携える左手に、強く力が込められた。


「嘘を、つくな!」


 玲の(ほとばし)る激情が、湿度の高い空間に爆発的に広がった。

 彼の怒りの声が、残響として場に留まり、共鳴し、冷え切った空気をかき混ぜる。


 玲の憤怒を目の前にしても、蘭子は表情を変えなかった。疲れの滲む、それでもたおやかな笑顔のまま、蘭子は言う。


「そう思うなら、お得意の魔術でも使ったら? 今のわたくしなら、全ての真実を語るでしょうね」


 玲の手が、白くなっている。

 火花には、彼の骨の軋む音が聞こえる気さえした。


 それでも彼は、魔術を使おうとはしなかった。


「……強いて言うなら」

 蘭子はひと呼吸おき、面倒そうに続けた。


「紫苑は元々、藍川の分家。実験台としてふさわしかったから……かしら?」

「なにを、ふざけたことを」

「だから明確な理由なんてないのよ。実験できれば、どこでも良かったわ」


 蘭子の暴言に、玲は唇を引き結び、返す言葉を失った。

 彼の肩が震えるのを、火花は確かに見た。


「……あんたは、自分のした事を悔いてないの?」


 純粋な疑問が、火花の口をついて出た。

 止まらぬ欲望のために、禁忌を犯して魔石を造り、隣国を滅ぼし、他人を操り、死に至らしめ、皇子の暗殺を企み、その罪を擦りつけようとした。

 これだけの罪を重ね、結局彼女は今、逃れ得ぬ死の淵にある。


「悔いる?」


 蘭子は目を丸くした。

 その後、洗練された端麗な微笑が、彼女の青白い顔に広がっていく。


「わたくしは、わたくしの生を全うしただけ。それの、何が悪いのかしら?」


 理解しがたい言葉に、火花は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 絶対に交わる事のない価値観の相違が、どれほど虚しいものなのか、恐ろしいものなのか、火花は初めて知る。

 憤りとも驚愕とも、嫌悪とも言い切れぬ感情に、視界の端が、不思議とぼやけている気がした。


 沈黙する火花と玲を交互に見やった蘭子は、色を失った唇をわずかに緩める。


「あなたたちは、わたくしがこうべを垂れ、許しでもこえば満足?」

「ふざけるな! 謝罪なんかいらない!」


 反射的に叫んで、火花は目の前の牢格子を力の限り叩いた。その衝撃が、床を伝い、煉瓦の壁までも振動させている。


「奇遇ね。わたくしも、謝罪する気なんかないわ」


 蘭子は突き放すように言い放った。

 乱れた髪に、簡素な白い服。それでも、四華族の当主として生きてきた、奪いきれない気品が、彼女から濃く漂っていた。



「玲」


 大きく空気を吸い、息を整えて、火花は玲に呼びかける。

 玲は小さく頷くと、まっすぐ立った。


 腰から、よく研がれた刀を抜く。

 鈍色の刀身が、電球の光を弱く反射した。



 火花が右手を玲の刀に向け翳す。

 すると火種が爆ぜる音がして、彼の刀身は紅い炎を纏った。

 紅く染まった刀は、空間すべてを焼くように照らしだしていく。



「最期にひとつだけ、お願いしてもいいかしら」


 蘭子は尚も椅子に背を伸ばし、腰掛けたままだ。

 彼女は静かに、瞼を閉じる。



「維月に、伝言を」


 続けて、たった六文字の言葉を、蘭子は紡いだ。


 それを聞き届けて、二人は了承の意味を込め、小さく頷く。



 玲の靴音が響く。


 蘭子の背後に、玲が立つ。



 紅を纏った玲の刀。

 それが蘭子の首に正確に、振り下ろされた。






 帝国の雨は、一日中、降り続いた。





『紅華帝国は此度、四華族の一たる藍川家当主・藍川蘭子、

 第二皇子暗殺未遂の罪科により、帝国秩序を著しく乱したるを以て、

 其の家名並びに諸権利をここに永久に抹消す。


 藍川家に属したる領地、財産、屋敷等、

 一切を帝国に帰属せしめ、その紋章の使用を禁ず。


 当主・蘭子は、獄中にて罪を(あがな)い、己が命をもってこれに報いぬ。


 その子・維月には、藍川の名を継ぐことを禁じ、

 以後、平民として新たなる人生を許すものとす。


 これをもって、藍川の血脈は名の上において途絶え、


 その華は永く歴史の頁より消え去るものとす。』


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