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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第五章 帝都炎上
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6・真相と暗影

 どれほどその場に立ち尽くしていたのだろう。

 火花の周囲から、喧騒がいつの間にか消えていた。


 雪哉と雅臣、四華族の当主たち、そして傍聴席の貴族たち。

 彼らが裁定の間から退出するのを見送った火花と玲は、ただただ、ぼんやりとしていた。


 確かに達成感はあるのに、手放しで喜ぶことが、どうしてか出来ない。

 火花はふわふわとした心地のまま、地に足がついているのかすら不安になって、思わず足元を見つめた。足はある。地もある。それなのに、今までとは、何かが違う。


 言葉のないまま、しばらくして二人は黒檀の扉を潜り、裁定の間を後にした。

 そこには暁鴉殿(ぎょうあでん)のエントランスホールが広がっている。


 中央が大きく吹き抜けており、左右には下に降りるための寄木細工の階段が真っ直ぐ伸びていた。階段と隣接する壁には大きなステンドグラスの窓が設置され、透過する光が鮮やかな色を帯び、ホール全体を華やかに彩っている。


 ホールは人々の話し声が反響し、耳心地の良いざわめきに満ちていた。

 階下で幾人か残った貴族たちが、談笑を交わしているのが目に入る。


 扉を抜けて数歩歩いたところで、火花と玲は、不意にお互いの顔を見合わせた。


 まだ、言葉はない。

 玲の表情には、明確な変化はなかった。それでも火花には玲の紫の瞳が、濡れているように見えて仕方がない。


 それが引き金となり、火花の喉から、唐突に熱い波が込みあげた。

 その波をどうにかして殺そうと、唇を強く強く引き結ぶ。


「ありがとう」

 感謝を伝える玲の声は、震えていた。

 火花は首を小さく振る。

 声を出せば、(こら)えていたものが台無しになってしまいそうだった。

 胸の一番底が、玲との共闘の終焉を確かに寂しがっている。


 ふと、玲ではない視線を感じた。

 火花は視線の主を探って、辿り着く。




 一人の女性が、玲の背後、階段の終わりの影に、静かに佇んでいた。


 貴族らしく、白地に一羽の鶴が描かれた品の良い着物。素朴だが、品の良い黒の帯。

 歳のころは、二十代も後半だろうか。結い上げた豊かな黒髪が、ステンドグラスから差し込む光を受けて、翡翠色にも見えた。

 気品の溢れたその女性に、火花は明確な見覚えがある。


「……呪術、師……?」

 呟いた言葉に、女性は墨のように黒い瞳を細めた。


「……御名答」

 嬉しそうに、瑞々しい唇が弧を描くと、彼女はゆっくり歩み寄ってくる。

 もちろん衣服や髪型、化粧は異なっている。

 それでも彼女の声や立ち振る舞いを、火花は記憶していた。


「ふふふ。元気そうで良かったわ」

「なぜ、あんたがこんなところに? その格好は?」


 火花がかつて、紅い瞳を必死に隠していた頃。

 彼女には幾度となく世話になり、彼女の黄の魔術――もとい、呪術で瞳を黒く染めてもらっていた。

 目の前の呪術師の瞳は、凡庸に黒い。

 が、それも仮初の姿なのだろう。

 本来の色彩は、黄賀玉枝と同じく、黄金であるのに違いない。


 隣の玲には全く状況が分からないらしく、彼はただ黙って二人の様子を見守っている。


「いらっしゃったのですか。義姉上(あねうえ)


 そこへ、背後から焦ったような雅臣の声が響く。

 その言葉に、火花は混乱した。



「えっ、……あね、……は?」


 雅臣の言う、義姉上とは、一人しか存在しない。

 皇太子・雪哉の妃――皇太子妃だ。



「いい反応ね」


 呪術師――いや、皇太子妃は、屈託のない笑みを浮かべた。

 白い歯を覗かせる様は、上品というより、どこか反対に幼い印象を与える。


「さて、君が火花と知り合いとは聞いていないよ。……何をしたんだ?」


 そこへさらに、雪哉の涼やかな声が加わる。

 雅臣と雪哉の兄弟は、一度退室して貴族たちと交流したあと、今再び階段を上がって来たらしい。雅臣は火花の横に立ち、雪哉は皇太子妃の横へ滑らかに移動した。


「そんなに怒らないで。彼女の瞳を、黒くしていた時期があったの」

「また市井に出て楽しんでいたのかい?」

「皇宮は退屈なのよ」


 火花の目には、いつもと変わらず穏やかに映る雪哉の表情であったが、妃である彼女から見れば、異なっているらしい。

 たしなめるように言う彼女の笑顔には、どこか温度の抜け落ちた、危うい透明さがあった。


 皇太子妃は火花と玲に向き直り、自身の目元にそっと手を添えた。

 そして悪戯めかして、告げる。


「あの仮面、それなりに使えたでしょう?」


 火花は思い出す。

 以前、玲と二人で藍川の仮面舞踏会に潜入した際、瞳の色を誤魔化す、仮面を受け取ったことを。


 夏に火照った背筋が、何故かじんわりと冷えていく。

 そしておそらく、彼女が関わっているのは、仮面舞踏会の件だけではない。


 火花は視線を彷徨わせながら、勝利の余韻に鈍い頭を巡らせて、呟いた。


「じゃあ、呪術師が……いえ、皇太子妃殿下が……」


 そんな火花の様子を、雪哉と妃は温かい面差しで見守っていた。


「そう。あなただけじゃなくて、藍川蘭子の元にも通っていてね。青の魔石を、白の魔石とちょっと、すり替えておいたの」

 もちろん色を変えてね、と上機嫌に語る妃に、血の気が引いた。簡単に告げる彼女が、得体の知れない傑物に思えたのだ。


 相手はあの、藍川蘭子だ。

 その女帝を手玉に取った目の前の皇太子妃は、品がありながらも、どこか少女の無垢な残虐さを秘めた笑顔を浮かべている。


 その不一致が、空恐ろしい。


「彼女はもう、魔力の枯渇が近かったから」

 だから、あんなに蘭子は青の魔石を常習的に摂取していた。

 摂取しなければ、尽きてしまうから。――青の魔術師では、いられなくなってしまうから。


「あなたたちが逃避行で時間を稼いだおかげで、私がすり替える前の魔石で補給された魔力も、底をついたみたいだし」

 火花は隣の玲の表情を盗み見る。紫の瞳が、驚愕に見開いていた。

 玲も、この末恐ろしい味方の存在を今知ったらしい。


「あとはあえて情報を流して、私兵へ魔術を使わせたり」

 帝都の大通りで火花と玲を待ち構えていた藍川の兵は、蘭子の膨大な魔力で操られていた。


「あなたの起こした火事の火消しをお願いして、彼女には魔力を出し切ってもらったの」

 裁定の間の火事は、火花の魔術によるもの。その火消しを蘭子に任せることは、最初から計画に組み込まれていた。


「まさか、蘭子の瞳の色も……」


 火花は証言台に立って初めて、蘭子の瞳が青から漆黒へ変化したことを思い出す。

 呟かれた火花の推察に、皇太子妃は小さく頷いた。


「気が付かないように、最後まで見た目は青くしておいたわ。証言台に上がったときに、解いちゃったけど」


 少しだけ砕けた言い方で、彼女は軽やかに言った。

 貴族として紛れ込んでいた彼女が、あの瞬間に、傍聴席から魔術を解いたのだ。


「ありがとう、ございました」


 それまで黙って聞いていた玲が、深い礼をした。

 青の魔術師でなくなった蘭子に、紫の魔術は見事に効力を発揮した。


 蘭子に、罪を自白させたのだ。


 真面目な玲の態度に、皇太子妃は驚いたように雪哉の顔を見上げて、そして柔らかく瞳を細めた。



「やめて下さいな。全部、この人の面倒な計画と――それからうまくやった、皆のおかげ」

 可愛らしく彼女は右手の人差し指だけを立てて、それを雪哉の脇腹にぐいぐいと食い込ませながら、玲と火花、そして雅臣を見回して言った。


 そうしていると、暁鴉殿の大きな玄関扉から、黒々とした羽のカラスが、一直線に飛び込んで来る。ガラス玉のような瞳を携えたカラスは、真っ直ぐ火花たちの元を訪れた。


 火花と玲が警戒し、咄嗟に刀に手をかけるも、雪哉と妃はまるで動じない。

 雪哉からの小さな目配せに、二人は警戒しつつも刀を抜くことなく、そのまま見守った。


 カラスは、慣れたように皇太子妃の肩に留まり、よく手入れされた艶やかな羽をしまう。

 彼女も当たり前のように肩を貸している様に火花は驚いて、思わずえっ、と短い声を漏らした。


 そのカラスにも、なんとなくの見覚えがあったのだ。

 (しゃが)れた声でカラスはひとつ鳴き、なぜか火花を鋭く睨みつけた。その言葉をまるで理解したかのように、皇太子妃は口に手を当て、小さく噴き出す。


 忙しないカラスは羽を再び広げ、すぐに飛び立った。

 そのままエントランスを横切って、外の世界に去っていく。


「あなたがね、足を引っ張ったから怒っているんですって」

 カラスを見送りながら、皇太子妃は含み笑いを忍ばせて言った。


 隠れ家に案内してくれたり、親書を届けてくれた、やたらとうるさいカラス。


 その主人は、彼女だったのだ。


「今後は優しくしてあげてね?」


 皇太子妃は人好きのする笑顔を見せると、おもむろに雪哉の腕に手を回した。

 雪哉の視線が、妃に注がれる。その視線には、普段火花たちが目にすることのない、人肌の温度が宿っていた。


「ご苦労だったね、皆」

「とっても楽しかったわ」


 雪哉と妃は火花と玲、そして雅臣に告げる。

 返事を待つ事なく、二人は優美に歩き始めた。


 三人はこうべを垂れて、帝国の皇太子とその妃の退場を見送る。


 二人は、寄り添って階段を下っていく。ステンドグラスからの光を浴びて伸びたその影が、甘やかな恋人にも、龍と虎のようにも見える。正体の知れない雰囲気に、火花はなぜか、身の毛がよだって仕方なかった。


「ハナお前、二度と義姉上に無礼な真似はしないでくれよ」

 二人から充分に距離が離れたことを確認した雅臣が、火花に強い口調で告げる。


「……昔少し義姉上をからかって、兄上に本気で殺されかけたことがある」

「そんな馬鹿な」


 火花は苦笑いを浮かべたが、雅臣の表情を確認して、閉口した。


「あの二人を敵に回すなよ。玲もいいな、絶対にだ」


 雅臣は引き攣った笑いを浮かべながら言った。

 火花と玲は、視線を交錯させる。そして間をおかず、二人はこくりと頷いた。


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