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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第五章 帝都炎上
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5・青の終焉、陽だまりの記憶

「玲」

 火花は獰猛な視線で蘭子を捉えたまま、玲の名を鋭く呼んだ。


「ああ、頼んだ」

 その声に、玲はいつもの無表情のまま頷く。二人の視線は交わらない。

 それでも、お互いの息遣いすら感じ取れた。


「わたくしに、何をしたの……!」

 淑女の仮面をかなぐり捨てた蘭子は、奥歯を噛みしめ、戦慄(おのの)いた。

 こめかみに汗を伝わせながらも、証言台から足を引こうとする。


 それを確認した火花が、すぐさま腰に手をやった。

 黒袴の帯に差していた鞘から、愛刀をぬらりと抜き放つ。

 滑らかな動作で手にした刀を、そのまままっすぐ、蘭子のうなじへ突きつけた。

 触れてはいない。だが今すぐ触れそうな距離に、蘭子の背筋が凍りつく。


「証言台につけ。藍川蘭子」


 火花の声音は、怒りで煮えたぎる腹の底から、まろび出てきたようなものだった。

 蘭子は小さく首を回す。彼女は己に突きつけられた、冷たい刃の存在を確かめた。


 背後の火花に動きを封じられた蘭子は、証言台へゆっくりと、足を戻す。

 正面を向き、(たたず)まいを直した彼女は、烏の濡れた羽のような瞳を静かに閉じた。

 強く握りしめていた両手の力をふっと抜き、美しく胸の前で組み直す。


 ややあって再び瞳を開いた蘭子の視界に、何が映ったのか、何を見ようとしたのか、火花には分からない。

 しかし、確かに彼女は、ただ優雅に微笑んだ。


 どこか好奇の籠った瞳で見守る、周りの貴族たち。目の前の円卓には、彼女以外の四華族の当主が、感情の滲まぬ表情を貼り付けている。その奥には、焦燥を隠しきれていない雅臣と、絶対零度の意志を、燃える紅に宿した雪哉。


 そして、真正面。

 艶やかな紫水晶を強烈に、燦々と輝かせた、玲。


 蘭子の背中越しに、渾身の魔術を放つ彼の姿を、火花は静かに見守った。


 絶対に彼の魔術を、代償を伴う彼の力を、無駄にはしない。

 逃がさない。

 その一心で、ただ蘭子の華奢なうなじに、鋭利な刃を向け続けた。


「紫雲国王子、紫苑玲の名において、尋ねる」


 玲の奥行きのある低音が、裁定の場に響き渡る。

 その音に、貴族たちは呼吸さえ忘れ、目の前の光景を見守った。

 玲の瞳が、周囲の光を全て吸収したのかと見まごうほど、それだけが際立って輝きを放つ。


 閃光を纏めた彼の紫水晶が、藍川蘭子を貫いた。


「殿下の友人を操って、暗殺未遂を起こしたのは、貴様だな?」


 刹那の沈黙が、場を包む。

 数秒後に紡がれる真実を。

 例外なく、誰もが、固唾を飲んで待ち続けた。



「…………ええ、……そう、よ」


 空間に響く蘭子の声は、細い。

 弱く、切ない声が、その真実に現実味を帯びさせる。


「青の魔術を使ったか?」

「っ……ええ」

「青の魔術の効力は?」

「……表向きは、水を操る力。けれど、わたくしは他人の精神を操り、行動まで、支配できるわ」


 聴衆の誰かが息を呑んだ。そんな、と狼狽する声も聞こえる。

 社交界の女王として、絶対の地位を築いてきた蘭子の自白に、貴族達は衝撃を受けていた。

 中には蘭子を、心の底から慕う貴族もいる。

 彼らの声として顕現する動揺が、裁定の間の空気を揺らした。


「殿下の侍衛を操って、偽の証言をさせ、俺に罪を着せたな」

「……その、通りよ」


 ざわめきが、増幅していく。

 反響し、高まり合い、

 囁き声が、話し声に、やがて蘭子を糾弾する怒号にまでなったところで。

 蘭子のみずみずしい赤い唇の、その口角が上がった。そのあまりの艶やかさと狂気的な笑みに、聴衆達は一様に口を(つぐ)む。


 もうよろしいかしら、と蘭子はおよそこの場にふさわしくない、軽い声でのたまった。

 そんな蘭子の様子に、玲ははじめて、激昂を表情に浮かべた。



「まだだ!」


 玲にしては、感情の乗った、大きな声。響き渡る亡国の王子の、国を背負った積年の想い。

 使命感と自責の念が載った声音に、場が再び静まり返る。


「まだ貴様には、話すことがあるはずだ!」


 玲の憤怒に呼応するように、火花は刀を突きつける腕の力を強くした。冴えた刀のはばきが、ごく僅かに音を立てる。

 いきりたつ二人の様子に、蘭子はふっと吐息を漏らし、笑みを溢した。

 その不可思議に穏やかな蘭子の様子に、火花は不気味なものを覚え、瞳を細くする。


「紫雲国の民を、魔石の実験台にしたな」

「……ええ」

「我が国の里山に魔石を撒き、獣どもや民を狂わせたのも、貴様だな!」

「ふふふ。そうよ」


 毒々しい鬼女のものとは思えぬほど、温和な声音。

 そして、おぞましいほど滑らかに告げられた肯定。


 それが紫の魔術の影響で吐いた言葉なのか、彼女自身の意志によるものなのか。

 あまりに流れるように紡がれた言葉に、火花にはその是非がわからなかった。



「罪人を捕らえよ」


 雪哉の泰然(たいぜん)とした、その実氷のような声が、熱くなった空気の中を駆け抜けた。

 裁定の間に立ち尽くしていた衛兵たちは、皇太子の号令に反射的に背筋を伸ばし、すぐに蘭子の元へ駆け寄っていく。


「わたくしに、触れないでくださる?」


 静かに納刀する火花の横で、蘭子は己を拘束しようと押し寄せた衛兵に、冷たくピシャリと言い放った。

 戸惑う彼らを尻目に、蘭子は悠然と証言台から降りる。


 そして正面を向き、周囲を見回した。


 そこで僅かの間、彼女は愛しそうに視線を止める。

 蘭子が誰を見ていたのか、火花には正確に分からない。

 けれど視線の先には、変わらず腕組みをしたままの、父――黒宮篤信(あつのぶ)がいた気がした。


 蘭子は優美に、腰を落とし、一礼する。

 洗練されたあまりにも流麗な動きに、誰もが目を奪われた。


 淑やかな礼を終えた蘭子は、そのまま火花と玲には一瞥もくれず、衛兵に取り囲まれながら扉の方へと言葉もなく歩んでいく。



 重苦しい音を立て、扉が閉まる。

 仇敵の姿が、消える。


 火花と玲は、その藍色の背をただ、見送った。

 消えない憤怒と憎悪の感情に、他の感情がまた、混ざっていく。





 蘭子が消えて、しばらくして。

 藍川蘭子の失墜、その余韻の残る場に、再び雪哉の声が響いた。


「紫苑玲」

 玲は雪哉の座す正面に身体を向ける。そして深々と一礼した。


「藍川蘭子は、我が帝国の第二皇子の暗殺を企てた大罪人。しかし、同時に紫雲国を滅ぼす原因を作った罪人でもある」

 雪哉の声には、今までになかった温度がごくごく僅かに、灯っている。


「長年交友を深めた、貴国への敬意を表して――彼女の処遇については、一任するよ」


 皇太子が湛えていた不動の穏やかな笑みも、その時だけは。

 血の通った人間味が籠っていたように、火花には思えた。


「それでいいかな、雅臣」

「もちろんです、兄上」


 雅臣は雪哉に向かい、強く頷く。

 雅臣は明確に、表情に安堵を浮かばせていた。

 僅かな間であったが、雅臣と火花の目線が合う。言葉はないが、よくやったと言われている気がして、火花は思わずはにかんだ。


「感謝いたします」

 玲は皇太子と第二皇子に向かい、再度お辞儀をした。


 玲の表情は、いつもの無表情に戻っている。

 しかし、その右の拳が強く握られ、白くなっているのを、火花は背後から見て――そして、天井を見上げた。



 これまでの裁定を見守っていた、豪華な洋灯。中で、目に優しい、橙の炎が揺れている。


 ――陽だまりのように、心地よくて、温かった拓海(たくみ)の笑顔。

 忘れられない親友のそれが映っているように、火花には思えてならなかった。


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