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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第五章 帝都炎上
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4・証明と消失

「自らやって来るとは、中々殊勝な心掛けだこと」


 驚きに見開いた瞳を、すぐさま蘭子は細めた。

 社交界の華として君臨する蘭子は、感情を秘めることに長けている。


 蘭子を真っ向から睨みつける、火花の服装はやや乱れていた。白いブラウスのあちこちが血で染まり、黒袴も数箇所鋭く破れ、裾はほつれている。斬撃をかすめながら、戦場を駆け抜けてきたことを伺わせる様子に、傍聴席の貴族らは顔をしかめていた。

 横にいる玲も、火花より一段整ってはいるが、似たような格好である。


 しかしそれでも背筋を伸ばし、堂々たる様子で裁定の間に現れた亡国の王子と四華族・黒宮の長女に、誰しもが視線を外せない。


「火事騒ぎを起こしたのはあなた?」

「うっかり魔術が暴走しまして。でも、問題なかったようですね。さすがは藍川蘭子さま」


 公然と敵意を向けながら、おちょくったように言う火花にも、蘭子は典麗(てんれい)な笑みを崩すことはない。


 久々に相対する仇の顔に、火花は内心、はらわたが煮えくりかえっている。斬りかかりたい衝動を必死に抑えながら、努めて冷静に、寄木細工の硬い床に、しっかりと足をつけた。


 蘭子は白く長い指を、舞うように流麗に動かした。指は、火花と玲を指差して止まる。

 彼女は淑女の笑みを浮かべたまま、余裕たっぷりに宣言した。


「捕らえなさい」

 蘭子は周囲の衛兵に命じる。

 困惑する衛兵たちは、雪哉の方を一斉にみやった。指示を求め立ち竦む兵たちの様子にまるで気がついていないかのように、皇太子は微笑を湛えたまま、言葉を発さない。


「待っていただこう」


 玲の憮然とした声が響く。


 蘭子を鋭い瞳でひと睨みした後、未だ落ち着かない貴族達を見回しながら、玲は言った。



「無実を証明するため、参上した」


 水を打ったように、場が静まりかえる。

 そんな中、蘭子だけが嘲笑うように息を漏らした。


 振り子時計が時を刻む音が、裁定の場に響いている。

 わずかばかりの沈黙の後、場にそぐわぬ軽やかな声が、重苦しい空気を貫いた。



「紫苑玲。証言台に立ちなさい」


 雪哉の指示が飛ぶ。そのあくまで冷静な声音に、蘭子が鮮明に反対の意志を込め、刺すような視線を皇太子へ送る。



「まあ殿下。これほど罪が明らかですのに……」

「公正な裁定を下すために、この時間が設けられている。本人がこう言うのだ。反論もさせず、裁定は行えまい?」



 柔和な笑みを崩さない雪哉は、それ以上蘭子の話を聞く様子はない。



 蘭子は助けを求めるつもりなのか、円卓に座し沈黙したままの四華族の面々を見回した。


 黒宮篤信(あつのぶ)は変わらず腕を組んだまま、蘭子の方を見ようともしない。

 白藤聡一郎(そういちろう)は、眼鏡の奥で理知的な瞳を輝かせ、小さく肯定を表すように首を縦に振った。

 わずかに口の端を緩めている黄賀玉枝(おうがたまえ)は、玲の立ち振る舞いをじっと観察しているようだ。


 蘭子は鼻から大きく息を吐く。思い通りになる様子もない残りの華族達に、募る苛立ちが隠しきれていない。



 玲は証言台へ、静かに歩む。

 彼の革靴が、寄木細工の床を、そして紅い絨毯を踏み抜く音が鳴った。



 返り血を滲ませた玲のシャツ。

 その強い背中を、火花は黙って見送る。


 ここからは、彼の手伝いしかできない。

 祈りと激励と、もどかしさ。それらを内包した想いの視線を、ただ彼に送った。



 証言台に、玲が立つ。

 背を伸ばし、整然と真正面に向く玲の姿に、貴族の誰かが息を呑んだ。


 武勇の名高い、誇りある紫雲国。その王子の姿は、血と土で汚れていても、美しかった。



「まず、私の力を皆様に知っていただかなければならない。紫の魔術を」


 玲の低い声が、未だ湿度の高い空間に広がる。


「黄賀様。……よろしいでしょうか」

「あら、わたくしですか?」


 突然玲に名前を出された玉枝が、皺の刻まれた手を自身の口元にあてた。

 黄金の瞳を丸くし、玲の真意を探るように、強い眼光を彼に送る。


「紫の魔術には、真実を告白させる力があるのです」

「……まあ」

「あなたに掛けさせていただきたい。それをもって、力の証明としたいのです」


 玲は円卓の南西に座す玉枝に向かい、真摯に願いを伝えた。

 あまりに直接的な、それでいて誠実な声音。


「面白い魔術だこと。――よろしいでしょう」


 玉枝は驚きに黄金の瞳を見開くが、それも一瞬のこと。

 玲の視線を受け、そのまま射返す彼女の瞳には、四華族最古の歴史を誇る、黄賀の当主足る風格が滲んでいる。


 黄金と紫の視線が、空中で交錯する。


 玲は大きく息を吸った。

 天井から降る洋灯の光が、玲の紫水晶に反射して、眩しいほどに煌めいた。


 無機質な振り子時計の音すら、遠くなる。

 場の誰もが燦然と美しい紫の魔術の発動に、息をつめた。



「黄賀様。……あなたが、最も、後悔していることは」


 玲は言葉を、刻むように告げた。

 丁寧な音。それでいて、惹きつける音。



 刹那の沈黙ののち、玉枝がおもむろに息を吸う。

 玉枝の中の真実が、胸から吐き出される気配がした。



「……主人に、愛していると告げなかったこと、ですわね」



 玉枝の返答は、喉からこぼれ落ちるような音だった。


 玉枝の夫は、数年前に亡くなっている。その漏れ出た哀しき後悔に、皆が沈黙した。

 およそ魔術でもかかっていなければ、とても玉枝が口にしない言葉。


 猛女として名高い彼女を痛いほど知る貴族達にとって、充分な玲の力の証明と言えた。




「……これで、この力に偽りが無いことを、証明できただろうか」


 鮮やかな紫の光が、収束する。

 そう告げたあと、玲は深々と、玉枝に向かって頭を下げた。



「申し訳ありません」

「良いのですよ。――そう、わたくしは、そう思っていたのね」


 玉枝は反芻(はんすう)するように言った。

 口元にはいつもの彼女が見せない、穏やかな皺が刻まれている。玲を見つめる玉枝の瞳には、哀しみと慈しみが滲んでいた。


 もしかしたら、その亡くなった主人と玲に、似通った何かを感じているのだろうか。

 確かめようもないが、火花はそう直感した。



「四華族が一角、黄賀が証明致しましょう。彼の魔術が、真実であると」


 玉枝が全体に宣言するように、(しわが)れた艶のある声でそう宣告した。

 その宣言を玲は噛み締め、再び玉枝に向け深い礼をした。



 数秒後、彼は顔を上げる。




「では、藍川殿」


 玲は視線を、そのまま北西の蘭子へ向けた。

 強い憎しみと、決意の籠った熱が、蘭子を襲う。


「証言台に立っていただこう」

「なぜ、わたくしが?」


 蘭子は玲の視線を嘲笑った。

 小首を傾げる姿に、玲は無表情を変えないまま、憤怒の孕む冷たい声を放つ。



「貴様が殿下の暗殺を諮った、首謀者だからだ」



 一瞬の静寂。後に、傍聴席の貴族達がざわめいた。



「ごめんあそばせ? わたくし、そのような妄言に付き合っていられませんの」



 赤い唇が、ゆるく弧を描く。蘭子は全く動揺を見せず、玲の視線を払い除けた。



「それに、紫の魔術は青の魔術と同系統。――仮に、あなたがわたくしに魔術をかけたとして、青の魔術師であるわたくしに意味などない」



 蘭子は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。この事実が、蘭子の自信の根拠だった。

 いくら玲が強力な魔術を行使しようと、青の魔術師である蘭子には、効果がない。



「そのことを、知らないあなたではないでしょう?」


 玲は答えない。玲の表情は、変わらない。



「藍川殿」


 再び沈黙が落ちた場に、見守っていた雪哉の凛とした声が響く。



「彼はどうやらそのことも承知のようだよ。なんにせよ、貴殿が自身の無実を確信しているのなら、証言台に立つがいい」


 雪哉のたしなめに、蘭子はわざとらしく溜め息をついた。


「よろしくて? あなた、今、わたくしを侮辱したのですよ。四華族の一角たる、わたくしを」


 蘭子がギロリと殺意を込めた視線を玲に向けた。

 蛇のような執念の籠もるそれに晒されても、玲はまったくたじろがない。


「この問答で何も無ければ、大逆罪のみならず、侮辱罪まで罪状に加えさせていただきましょう」

「それで構わない」


 強い意志をもつ玲の瞳に、蘭子はついに返す言葉を失った。



 蘭子はうんざりとした様子で、証言台へやむなく進む。

 聴衆たちもが突然の展開に困惑する声を漏らす中、彼女は藍色の艶やかなドレスの裾を揺らし、それでも優雅に台へ足をかける。




「なっ……!」


 蘭子の視界が、不意にぐらりと均衡を失った。


 なんとか彼女は身体の平衡を保つと、強烈な違和感に、血の気が引いていく。

 最悪の感覚に、蘭子は咄嗟に顔を傾け、裁定の間の格子窓――その磨かれた窓ガラスを見た。



 そこには、信じがたい光景が映っていた。


 己の深く濃く、愛おしい群青の瞳が、変わっていく。


 どんどんと、青が抜ける。

 代わりに凡庸な黒が、瞳に侵食していく。



「……馬鹿、な」


 呟きは、誰の耳にも入らない。

 焦燥が腹の底からせり上がり、思わず、証言台から一歩足を引こうとして、そこで誰かの存在に気がついた。


 そのあまりに苛烈な気配に、蘭子は首だけ回し、背後を見る。




 火花がただ、まっすぐ立っていた。


 滾る血を思わせる紅い瞳が、暴力的な鮮やかさを孕み、蘭子の退路を絶っている。


 闘志溢れるその立ち姿は、まるで彼女の輪郭まで、紅く熱く燃やしているようだった。


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