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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第五章 帝都炎上
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3・虚と真

 皇宮の左翼には、特別棟が設けられていた。

 名を、「暁鴉殿(ぎょうあでん)」という。

 かつては外交儀礼にも使われた格式高い建物で、現在は帝国の重大事の際に使用されている。


 その最奥――裁定の間は、冷たく重苦しい空気で満ちていた。


 広い空間の、見上げるほど高い天井には、一際大きな洋灯が吊り下げられている。

 一方、床は黒檀の寄木張り。中央には紅椿を象った円形絨毯が敷かれていた。その上に大きな円卓が置かれ、座が四方に配置されている。四華族の長達が、そこに欠けることなく静かに座っていた。


 周囲には傍聴席として、半円形の階段状の席が、円卓の周りをぐるりと囲うように設けられていた。そちらには帝国の名だたる貴族が腰掛け、彼らの囁き声が言い得ぬ圧迫感をいっそう高めている。


 部屋の四隅と扉には、皇太子直属の衛兵が、万が一に備え、背筋を伸ばして控えている。


 扉の横には、綿密に時を刻む振り子時計。その鈍い振り子の音が、冷えた空気をかき混ぜた。


 左右に大きく取られた格子窓から、夏の陽光が容赦なく降り注ぐ。

 それでも、裁定の間には絶対の冷気が満ちていた。



「さて、証人の尋問を行おう」


 皇の紋章が掲げられた北の上座には、皇太子・雪哉が座している。

 腰まである銀の髪を、緩い三つ編みにして垂らした彼は、恐ろしいほど穏やかな微笑みを湛えてそう告げた。


 決して大きな声ではない。男性にしてはやや高く、澄んで響き、心臓を掴まれるようなその音に、貴族達は一斉に口を噤んだ。



 亡国の王子・紫苑玲が、紅華帝国第二皇子・雅臣の殺害を目論んだ。

 その疑義のため、捕縛に動いた宵華宮(しょうかのみや)の軍より、数多の死傷者を出した上で逃走。

 それらの罪に対する裁定が、これから行われる。


 この貴族会議で裁定された内容は、公的な事実として扱われる。

 裁定後は、一切の異議は認められない。

 ゆえに、この場で玲の罪が真実として認められてしまえば、玲は未来永劫、紅華帝国の逆賊として扱われることとなる。



「では藍川殿。その証人の召喚を頼もう」


 雪哉の宣言を受け、円卓の北西に腰掛けていた藍川蘭子は、たおやかな笑みを浮かべた。

 白磁のような肌に映える、鮮やかな赤い唇を歪め、鷹揚(おうよう)に頷いて立ち上がる。


「証人をここへ」


 蘭子は歌うようにそう告げた。



 すると、部屋に一つだけの重厚な扉が、重苦しい音を立てて開かれる。


 そこから、どこか虚ろな瞳を宿した軍服姿の男が一人、ぬっと現れた。

 男の顔を見て、雪哉の隣に座す雅臣が息を呑む。



 見知った顔だったからだ。


 天井から降り注ぐ光が、床に濃い影を伸ばす。その黒い形が、亡霊のように揺れていた。



「彼は雅臣殿下の侍衛です。事件のあった日、殿下の花見に同行していた者ですわ」


「間違いないか、雅臣」



 口元を覆い、笑いを隠蔽しながら告げる蘭子の様子に、雅臣は口の端を噛む。

 雪哉は表情をそのままに、隣の弟へ確認した。



「……はい、兄上」


 雅臣は顔色を青くさせながらも、肯定する。

 男は間違いなく、雅臣の腹心の侍衛であった。しかし、その男は今、主人であるはずの雅臣の顔を見ようともしない。

 明らかに不自然なその様子に気づきながら、雅臣は眉間に皺を寄せ、ただ見守るしかなかった。



 四華族の座す円卓の手前には、一段低く設けられた円形の踏み台がある。

 証言台だ。



 そこへ男はおもむろに立つと、焦点の定まらない黒い瞳を彷徨わせる。


 口をだらしなくぽかりと開け、しかしはっきりと、言葉を吐いた。



「見たのです。紫苑玲が、実行犯の拓海という殿下の同級生と、密談しているのを」



 明確な証言に、それまで沈黙していた傍聴席の貴族たちがざわめいた。

 雅臣は眉間の皺を濃くし、両手を強く握りしめる。雪哉は続けて、証人に質問を投げかけた。


「密談の内容は?」

「殿下を殺せば、将来に渡って弟の治療を約束すると」


 貴族達の囁き声が、大きくなる。

 場を支配する冷たい緊張感が、膨張し、張り詰めていく。


「拓海という生徒が、雅臣殿下と親密で、暗殺も容易かったことは確かですわ」


 蘭子は雪哉に向かい、補足するように告げた。

 玉を転がすような声の中に、どす黒い悪意が秘められている。


「弟の治療に、かなりの金銭が必要だったことも」


 雅臣にはもちろん、分かっていた。

 この偽の証言は、藍川蘭子の青の魔術――精神操作によって為されている。


 しかし、今問題なのは、この証言が偽物であると証明する方法がないことだ。



 ――今は、まだ。



「紫苑玲の大逆罪は明らかですわ。恐れ多くも第二皇子殿下を弑奉(しいたてまつ)らんとするなど――」


 蘭子は勝ち誇ったようにそう言った。

 蘭子の主張を肯定する貴族たちの囁き声が、だんだんと大きくなっていく。


「罪人を庇い逃走の手助けをした黒宮火花も同罪ですわ。皇族を護る、誇り高き黒宮家でありながら、なんと嘆かわしい」


 蘭子は北東の円卓に座る、黒宮家当主・黒宮篤信(あつのぶ)を見つめながらそう言った。

 篤信は黙ったまま、腕を組んで目を瞑っている。蘭子を視界に入れることを拒否するようなその姿勢に、蘭子は密かに左手の爪を、己の手のひらに食い込ませた。



 けれど、それも一瞬のこと。すぐさま蘭子は慣れた淑女の笑みを、顔に貼り付けた。



「罪は明白です。――皇太子殿下」


 蘭子は雪哉に問う。

 雪哉は泰然自若(たいぜんじじゃく)として、座したまま。



「紫苑玲と黒宮火花に、厳罰を」


 高らかに藍川蘭子が告げた。

 貴族たちの肯定が、声にはならずとも、墨が滲むように場に染みわたっていく。


 足元から忍びよっていた、悪意の煙霧(えんむ)に遂に支配された空気。

 その危険な芳香に、雅臣が思わず隣の兄を見上げた。





 それは、突然の出来事だった。



 黒檀の扉の向こうから、どす黒い煙が隙間を縫って侵入してきた。

 次いで、鼻をつく焦げた臭いが急速に充満し始める。


 異変に多くの貴族が気がついた頃には、紅い炎が、寄木張りの床を伝い回るところであった。危険な熱を纏い、紅い炎が生き物のように会場をするりと這っていく。



「火事だ!」


 誰が言ったか分からぬその叫びに、貴族達の狼狽は伝染した。


 彼らは逃げようと我先にと席を立つも、唯一の出入り口である扉の隙間からは、途切れず黒い煙が垂れ流され続けている。



「これはよくないね」


 混乱のただ中でも、雪哉の涼やかな声は変わらない。


 あまりの冷静な声音に、貴族達は一斉に皇太子の表情を確認し、そして皆一様に、唾をごくりと飲み込んだ。



 雪哉の濃い血のような紅い瞳が、滑らかな銀髪の中から覗いている。その絶対の瞳をもって、雪哉は場を支配する音を発した。



「藍川殿。頼めるかな?」


 雪哉は悠然として、なおも座したまま蘭子に笑いかけた。


「……かしこまり、ました」


 蘭子は意識せず、そう告げていた。


 炎を御すには、水が最適。

 この場に青の魔術を使えるものは、ほとんどいない。四華族・藍川の威厳をもって、蘭子がこの場を収めるのは自然なことだと誰もが思った。


 蘭子は、己の深い青の瞳に力を込めた。

 するとたちまち、炎と煙の入り込んだ空間に、明確に湿った空気が混ざり始める。


 数秒後には、(うごめ)く紅蓮の炎は嘘のように消失した。満ちた熱も冷えていき、室内は静寂を取り戻しはじめた。


 焦げた匂いは、貴族の誰かが格子窓を開け放ったことで霧散していく。

 いつの間にか扉から漏れていた黒い煙も、不思議なほど見えなくなっていた。




 そこで、蘭子は違和感に己の唇を喰んだ。



 なにかが、おかしい。

 あまりの雪哉の動揺のなさ。突然の火事。

 そして、己の中でずっと息づいていた何かの――消失。



「遅れて申し訳ございません」


 冷えた空間を鋭く裂く、女の鮮烈な声が場に響いた。

 その声に驚いて、蘭子は扉の方を弾かれたように振り返る。



 黒檀の扉が、開いていた。



 そこには息を乱し、血と土で汚れながらも並び立つ男女の姿がある。

 女の横に立つ男は、言葉なく美しく一礼した。



 黒宮火花と紫苑玲が、汗で額を濡らしながら、そこに立っていた。


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